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奈江の相談話は衝撃的だったが、あれから数日経っても、奈江は何事もなかったかのように部長と話をしている。それでいて部長も今まで通り奈江をからかっているだけだ。周りから見れば、いつもの光景。だが、私だけは事実を知っているので、その光景が、とても不純なものに見えてしまう。誰だって人を好きになる権利はあると思うが、部長に限っては妻子がいるのだ。独身で別段好きな人もいない奈江は、部長にとって最高のターゲットであると言えよう。それに奈江は私よりも見た目も性格も幼さが残る。まだ高校生に間違えられることだってあると言っても過言ではない。だが、本人たちが、もう気にせずに割り切ることにしたのなら、私が出る幕はもうない。そっとしておこう。
そうそう、ほぼ同じような時期に、これまた40代前半くらいの課長が、奈江のチームに配属された。私や奈江が配属された部署にはもともとリーダーとしていたのだが、奈江のチームに欠員が出て、その穴埋めを急遽するために、課長が一緒に仕事をすることになったのだ。課長は奈江の隣の席に座って、奈江に色々教えてもらっているようだ。立場が逆転している光景を見ると、くすりと笑ってしまいそうだ。部長の件もあってか、奈江は課長によく話しかけるようになった。遠まわしに部長を避けたいという気持ちの表れなのか……。だけどあまり中年おじさんを喜ばせてばかりいては、奈江が危険な目にあいそうだ。まあ課長は誠実そうだし、心配ないと思うけど。課長は2人子供がいるようで、よく子供の写真を自慢げに見せてきたから、家族中は良い関係なのだろう。
黒田くんはというと、もう奈江のことをすっかり諦めたようなそぶりであった。その事実に内心ほっとしている。だから誰にもバレないように、そっと彼に近づこうとしていた。彼にしか気づかれないように。今でも週に2回くらいは、こっそり裏で待ち合わせして、途中まで一緒に帰ったり、会社内での会議があったときは、ずっと彼の後ろについていき、彼の隣に座り、ペンを忘れたふりをして彼に貸してもらったり……、呆れるくらい私は彼に密かにアピールをしていたのだ。会議中の2人を見て、周りの人たちは、「本当に仲がいいね」と皮肉も混ざっているのか不明だが、そんな風に言われることもあった。私のそんな態度に、彼も結構まんざらではなさそうに見えたのだ。
送別会当日、私は彼に「一緒に行こう」と約束をした。そして最後までいるつもりはないから、こっそり2人で抜け出して帰ろうか、とこれまた約束した。こんなことをしたら、明らかに恋人だと間違えられてしまいそうなので、ドキドキする。残念ながら行きは、後輩たちも混じっていたので、2人きりではなかったが……。最初のころの飲み時間は、黒田くんの隣をキープしていたけど、そのあとはどうしたっけ。そんなに酔っ払ったわけではなかったが、黒田くんのことしか興味がないせいか、あまり他のことは覚えていない。ただ、隣に座っていられるのが、こんなにも私を落ち着かせるのか、と感心していた。
そろろそいい時間かなと思い、黒田くんに目配せをすると、彼も気づいたようで「帰るか」と目で合図してきた。2人して「そろそろ失礼します」と言うと、当然だが「えー!?」とブーイングの嵐。しかも2人で帰るなんて、付き合ってるの!?だなんて言葉が飛び交う。「違いますよ」と必死にはぐらかしても、なかなかその波を越えるのに苦労した。
やっとの思いで、宴会の場から離れ、エレベーターに乗った。私と彼以外にも、2人ほど先に帰る組がいたので、4人で狭い箱に入っていた。駅まで送っていきますよと私が言い、4人で駅の改札まで行った。「お疲れ様」と酔っ払いながらも、きちんと挨拶して別れた。改札をくぐり、2人が見えなくなるのを確かめると、黒田くんは「帰るか」と小さく呟いた。