第5話
「そこまでです」
感情湧きたつ両者の間に、優男が何の気負いもなく割り込んできた。
「<ホーリー・シールド><ディスペル>」
白衣の男は目にもとまらぬ高速詠唱を披露した。ディスペルによりゲオルグの魔力構成がほつれ、霧散する。一方レイアの斬り込みもクリミァの手の平できっちり止められていた。
「先生!」
「クリミァさん!」
「ゲオルグ君、落ち着きなさい。ミーシャの傷はもう回復しておきました。そしてレイアさん。貴女は自分が何をしたかわかっているのですか」
「何って……そりゃあ」
「お兄ちゃん、顔が血だらけだよ! 早く治してもらわなきゃ!」
「ミーシャこそ、ケガは大丈夫か?」
「……斬られたときは痛くて何が起きたのかわからなくて泣いちゃったけど、おにいちゃん見てたら痛いの飛んでった」
「そっか」
ゲオルグは大事そうに妹の頭を撫でた。そんな二人へ光が降り注いだ。ゲオルグの顔の傷がみるみるうちに癒えていく。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。念のため二人にヒールをかけておきました。レイアさん。貴女はもう講義から外れて<ギルド>へ行ってきなさい。もちろん、今のことは司教様に報告しますよ」
「わかり、ました」レイアは暗い表情で頷いた。
「レイア。彼らを受け容れたことは、司教様が決定したことです。貴女の稚気で道を荒らすような真似は慎んでください」
「はい」レイアは消え入りそうなほど小さな声で返事をし、踵をかえして闘技場から退出していった。
「お二人とも。レイアさんのことをあまり責めないでやってください」
「しかし……。わかりました。荒療治というにはあまりに大げさで不快なものでしたが、一応泥魔法とやらを使う感覚はつかみました。ただ、次はないです」
「ゲオルグ君のほうが、レイアさんよりも大人ですね。年齢こそレイアさんのほうが上ですが、精神の成熟具合は君が圧倒している」
「んふー」ミーシャは自慢気だ。
「ミーシャさんも、あんまり動揺していないのですね」
「ん、まあ、お兄ちゃんがいたから」
「そうですか……。さて! 講義の続きをしましょうか。先程から解放系やら内燃系やら大別して二つの魔法体系があることをお話してきましたが、必ずしも片方のみしか使用できない、という訳ではないのです」
「と、いいますと?」
「例えば、ほら」
クリミァがこぶしを握り込んで、腕に力を入れる素振りをする。すると、腕が淡く光った。彼はその腕を地面にたたき込んだ。
「ひゃ」ミーシャがゲオルグにひっついた。
重たいくぐもった音が響き渡った。クリミァの足元は打ち据えたこぶしを中心に放射状に陥没してしまっていた。
「おお。すごいですね」
「まあ、レイアさんの身体強化の後に見せるのも恥ずかしいですが、解放系を得意とする私でも、訓練次第ではこの程度の強化をすることができます。この得意不得意は生まれつきで決まると言われていますが、本当に片方のみしか使えないと、戦闘の際には大きなハンディになりかねませんよ」
「……速筋と遅筋みたいだな」
ぼそりと、ゲオルグはつぶやいた。
「なにか、言いましたか?」クリミァは怪訝な顔ぶりである。
「いえ、何でもないです。すみません」
(確かに、魔法の向き不向きは、短距離走に強い速筋とマラソンに強い遅筋みたいな関係だな。そうすると俺の泥魔法ってやつは100メートル走とマラソンで金メダルを取れるってことか。前世でそんな奴いたらバケモン以外の何物でもないなあ)
ゲオルグはそんなバケモノになれる素質があるということなのである。
「もちろん、ゲオルグ君にそのような素質があったとして、それを開花させるための鍛錬を積まなければ意味がありません。どんなに豊かな金脈があろうとも、それを発見し金を掘り出してこその金脈というものです。それと、ミーシャさん」
「……はい」
ミーシャは少し不意を突かれたような顔つきをした。
「貴女にも、魔法の素質がある可能性が高いと私は思っています。なぜかというと、ゲオルグ君の原初魔法――泥魔法の覚醒の瞬間に傍で立ち会っているからです。司教様が驚くほどの魔力放出があったというのですから、それを浴びたミーシャさんにも何らかの影響が出て然るべきだと思うのです。そして何より、原初魔法を使いうるゲオルグ君の血筋だということがおおきな要因だと思っています」
「あの、クリミァさん」ゲオルグが手を挙げた。
「何でしょうか」
「やはり、血筋は魔法を使えるか使えないかというところに大きな決定力を持つものなのでしょうか。例えば、魔法を使える人たちは、一部の……家族とでもいえばいいですかね、こうした限定的なところにまとまっているのでしょうか」
(貴族だけが魔法を使える、なんてのはファンタジーに良くある話だしな……)
白衣の優男は垂れ気味の目をスッと細めた。ゲオルグの背筋に冷たいものが一筋よぎる。
(なんか口開くたんびに墓穴掘ってる気がするなあ)
「よく、そのことに思い至りましたね? 確かに、ゲオルグ君の言う通り、一般的にはごく少数の一族……この国では魔導貴族などと言われていますが、ほぼほぼ彼らのみが魔法という実力を行使できるのです。あとは、我々のような教会関係者ですかね」
(ファンタジーにありがちな話だなあ。実力というか、権力を上層部が独占してるってまあテンプレ? って感じか)
「へえ。そうなんですか。私たちは教会関係者だから魔法が使えるのですね」
「……そうなの? お兄ちゃん。私たちは教会にいるから魔法が使えるの?」
「そうみたいだね。とりあえずあの家にいたのだったら魔法とは関係ない生活だったんじゃないかなあ。そうですよね? クリミァさん」
クリミァはにこりと笑った。
「そうだね。さて、さっそくだけど、君たちの潜在魔力を測定しようと思います」
「潜在魔力ですか」
「そう。この空の魔力結晶に魔力を込めて欲しいんです。まずはゲオルグ君から」
(テンプレだと水晶玉って相場が決まってると思うんだけど、なんか四角いなあ。直方体的なやつだったか)
ゲオルグは、手の平に余る大きさの結晶を手渡されると、泥に呼び掛けたときのように結晶体に魔力を浸透させ始めた。
肉付きの薄い手の皮から魔力が吸い取られていくことを感じ始めた。結晶体との接地面がピリピリと痺れて、ゲオルグは妙な心地になっていた。
「これは……。わかってはいました相当な魔力量ですね」
ゲオルグが魔力を込めた結晶体には、白い輝きを放つ球体が踊っていた。
(色が変わるとかじゃないんだな。なんか地味だ)ゲオルグは胡乱な感想を抱いていた。
クリミァは眉を下げた。「あまり自分の魔力の大きさがわかってないみたいですね」
「ええまあ。比較対象もありませんので」
「それもそうでしたね。では魔力結晶を私に下さい」
ゲオルグが結晶を手渡すと、輝きは失われていった。クリミァが結晶体に魔力を込める。すると少しもたたないうちにゲオルグの込めた以上の魔力量に達したことを輝きが教えてくれた。揺らぐ光はその量を増していき、眩さのあまり直視が難しいほどに輝きを放つまでになったのである。
「うわぁ」きれい。とミーシャが呟いた。
ゲオルグは見せ場をクリミァにすっかり持っていかれ、兄としての面目が丸つぶれになった気分である。クリミァは不満そうな表情のゲオルグを見てほほを緩めた。
「いいですか。これは魔法の訓練を長いこと積んできたからこそ魔力量が増大したのです。もちろん伸びしろや増大ペースについては個人差――というか才能による格差、あるいは血統なども関係してきますが。それでも、各人の工夫や努力によって魔力量は伸ばすことができるのですよ。もっとも、世間では血筋と才能がすべてだと思われがちなのですが」
「はい……」
「じゃあ、ミーシャさんもやってみましょう」
「……はい」
小さな手で魔力結晶を受け取った少女の鼻息はやや荒かった。
「いいですか。最初は難しいかもしれませんが、魔力を通す感覚は――」
「できる」
変化は劇的だった。無色の結晶体からは瞬く間に光が溢れだした。クリミァの時のように眩しいほどの光量はなかったが、部屋全体に光が揺蕩い、優し気な明るさで部屋全体が満たされるようだった。
「これは……」クリミァの瞳が見開かれる。優男の金色の瞳に魔力光が反射して複雑なきらめきを放っていた。
「ミーシャ! 目の色が」
ゲオルグが思わずといった様子で声を上げる。
ミーシャの瞳は普段の色素の薄い空色ではなく、深く澄んだ蒼穹を思わせる色に変化していた。その青は濃密な色彩を宿しながらも、神秘的なまでに澄み切っていた。
「……えっ?」
ミーシャは兄の声に驚いたのか、集中を切らしてしまう。部屋を包んでいた光は急速に失われた。
「クリミァさん。今のは」
「これは……。これは驚くべきことです。魔力量の多さにも目を見張るものがありますが、それよりも魔力の質、とでもいえばよいのでしょうか。これが一般的な物からだいぶ乖離しているように思えます。もしかすると、ミーシャさんは精霊を使役できる可能性があるかもしれませんね。私も本物を見たことはないので、確かなことを言うことはできませんが」
「精霊……ですか」
これまたえらくファンタジーな単語が飛び出してきたもんだとゲオルグは目を瞬かせた。
「ええ。精霊です。まあ、今は詳しいことを説明してもわからないでしょうから。これについては次に譲りましょう。それにしても、ゲオルグ君にしろミーシャさんにしろ魔法の素養についてはかなり非凡なものがありますね」
「つかれた」ミーシャはゲオルグを見上げて呟いた。
「……確かに」
ゲオルグもミーシャに言われてから、体の倦怠感に気が付いた。体に脈打つ拍動がいつもより弱々しいのである。なんとなく存在が希薄になるような感じをゲオルグは受けていた。
「ええ。そうでしょう。あなたたちはまだまだ魔力の扱いに不慣れですから。結晶に効率の悪い魔力を送ってしまったのですよ」
「それで力が抜けたような気がするのですか」
「そういうわけです」
なるほど、とゲオルグがうなずいたとき、ぐうという音が薄く響いた。音のほうを見れば、ミーシャがゲオルグの袖を引っ張っている。なんとなく物欲しそうな眼をしているように感じられた。
「それでは、少し早いですがお昼の支度をはじめましょうか」
優男はやわらかく微笑んだ。
ミーシャの表情も華やぐ。
ゲオルグはクリミァにセリフをとられたような気がして少し面白くなかった。