第3話
「まずは、自己紹介をするとしようか。そして、我々の目的と、お主らがなぜここに来ることになったのか。これも話すとしよう」
司教の重々しい声が食卓を覆った。
「では、自己紹介からですね」司教の言葉をすかさず白衣の男が継いだ。「私はクリミァ・ラジェ。この教会の司祭として雑務を取り仕切っているよ。君たちの「講義」では、主に<解放系>の魔法と、教養を担当するから、よろしくね」
彼は垂れ気味の瞳を優しげに細めた。滑らかな白髪がさらりと揺れる。金色の瞳は輝いていた。
「俺はエルビス・クマール。武術一般と内燃系の魔術を教える」
黒髪黒瞳。切れ長の目には刃物を思わせる鋭さがあった。いかにも腕が立ちそうな風体である。
「レイアよ。私の足を引っ張らないことね」
紅髪の少女が唸るように言った。つり気味の目は荒々しい雰囲気を纏っていた。レイアが挑戦的な目つきでゲオルグを見つめる。ゲオルグは一つ息を吸った。胸を張る。
「ゲオルグと申します。このスラム街で育ちました。この間まで、ある商会で手伝いをして生計を立てておりました。右も左もわからぬ若輩者ではありますが、よろしくお願いいたします」スッと、45度のお辞儀を素早い動きでする。
レイアはやや面食らったような表情をし、大人たちは僅かに瞠目したようであった。自然と、皆の視線がゲオルグの斜め後ろにいるミーシャへと注がれる。
「ミーシャ、で、す」かろうじて聞き取れるか取れないか。
みなの眉尻が少し下がる。ある意味想定通りでありつつも、ゲオルグの少年らしからぬ挨拶の後であるゆえ、やや物足りないような心地であった。
「ふむ」重たい声が響いた。司教である。
「皆の自己紹介が終わったところで、私から少し話させてもらおうか。私の名前は……まあいいとしよう。皆私のことを司教と呼ぶ。それで構わない。さて、今日は新たなる同胞を迎える日である。祝いの日である。ゲオルグ君、ミーシャ君、お主らはなぜこのようなところに連れてこられたのか、また、同胞などと言われるのは何ゆえか、わからないことも多いだろう」
司教は言葉を切って、じっと、ゲオルグを見つめた。ゲオルグは反射的に身を固める。
「まあそう構えずとも良い。別に取って食おうと言っておらんだろう」
老人は、年齢の割に生えそろった丈夫そうな歯と、歯茎を見せて、グイと笑った。
「私と、そうだな。クリミア君は、見ての通り、教会の関係者だ。教会と言ってお主らには理解できるかな。私たちは、この世界を創りたもうた創世神を祀っている。まああまり詳しく話しても理解が追いつかないかもしれないから、宗教のことは<講義>で道々説明するとしようか」
老人は、繊維質の野菜に健啖にかぶりついた。目線でゲオルグたちに食事をするように促す。
「で、ここからが本題だ。教会というのは神に仕えているからして、慈善的な活動をすることが多い。それは、創世神さまが人間を造った慈悲深い御方であり、それのはしためたる我々には神の御意思を実現する必要があるからだ。その一環として、行き倒れておったお主らを拾ったわけだ」
司教は一度言葉を切って、ゲオルグを見つめた。
「なぜ、僕たちだったのでしょうか。あのスラム街では、毎日のように無辜の幼少年たちが命を落としています。その中から、僕たちが選ばれた理由は何なのでしょうか。ただの偶然ですか」
ゲオルグは強い視線を司教に向けた。老人は合格だとばかりに、ゆっくりと一つ頷いた。言外に含まれた「なぜゲオルグたちが拾われたのか」という問いかけを、ゲオルグが読み取れたからである。
「そう。なぜ、スラム街の数ある悲劇の中からお主らが選び出されたのか。ただの偶然だとするゲオルグ君、お主の見解はある意味正しい。先にも少し話したが、たまたまスラム街の外縁を通りがかった時、途方もない魔力反応を感じ取ったため、お主らと出会ったというわけだ」
「魔力反応、ですか」
「そうだ。お主には、原初魔法の覚醒の兆しが、確かにあった。もっとも、私が現場についた時は、すでに全てが終わった後であったがな」
「その、原初魔法というものが、私たちをここに連れてきた理由ですか。今使えと言われてもできませんが?」
「言ったであろう。覚醒の兆しがあった、と。一度発現さえしてしまえば、二度目は容易くなる。お主と、ミーシャ君の魔法についても、追々としよう。それで、なぜ魔法が使えるからといってお主らをここに呼んだかという話になる。有り体に言ってしまえば、我々の<目的>にお主らが役立つと踏んだからだ。もちろん、前に話した通り、原初魔法などという物騒なものを行使できる人間を野放しにできない、という理由もあるがね」
「目的、ですか」
ゲオルグは傍の妹に目をやる。まだ幼い妹。ゲオルグには大人の精神が同居しているからいいとしても、この子は違う。目的とやらのために連れてこられたということは、おそらく穏やかな内容ではないはずである。あのレイアという紅髪の少女も明らかに年齢不相応の戦闘力を身につけている……
ゲオルグの瞳に鋭い光が宿る。
司教は眉ひとつ動かすことなくゲオルグの視線を受け止めた。
「我々の目的。それは、この国を変える、ということだ」
「国を変える?」
「うむ。お主らは知る由も無いだろうが、当代の帝王はいささか拡張主義が過ぎるうえに、内政を疎かにしすぎている。このままでは、この国はそう遠くないうちに破滅の道をたどることになるだろう。だからーー」
「だから、国を変えるのよ!」
甲高い声が食卓の空気を切り裂いた。
「レイア君」
「すみません、司教様。でも」
「分かっている」ひとつ、老人は咳払いをした。
「我々は、有形無形問わずに変革の道をさがしている。その同胞に、君たちを招きたいと考えているのだ」
今度は司教が強い視線を少年へ向ける番だった。
ゲオルグは考えた。どう考えてもこの組織は危うい。目指すところが革命か何かわからないが、戦闘・暗闘は避けて通れないはずである。ただの現代人であった自分にそのようなことができるのか。幼い妹は尚更である。
そもそも、教会という宗教勢力がどのような変革を成そうというのか。それに、構成員がここに集結している者達だけだとすれば、あまりに少ない。
(だが……)
打算的に考えれば、ここに居れば当面の衣食住の心配はしなくて済む。これまでの粗末な食事によって自分たち兄妹の栄養状態はかなり良くない。それに、組織にとって「使える」人間を育成しようというのだ。戦闘技術や、偏るかもしれないが教養の類も身につけることができるだろう。
(なるべく思考状態をニュートラルに保てるよう努力すれば、悪くない話か?)
「ねえ、せっかく司教様が誘ってくださっているのよ? 早く返事しなさいよ!」
ゲオルグは眉をしかめた。これである。
(自分の考え方の基準を、強く自分の中に持たなきゃだめだな。彼らから見たら、俺たちはまだ幼い子供だ。いくらでも価値観を押し付けることができるだろう)
「わかったよ。……んん。わかりました。そのお話、受けさせていただきます。身寄りもない私たち兄妹を拾ってくださり、誠に感謝しています。妹はまだ幼く、行き届かないところも多いかと思いますが、私がその分までご奉公致しますので、よろしくお願い申し上げます」
ゲオルグは長く黙考した後、席を立ち上がり、深々と頭を下げた。ミーシャもそれを見て一緒に頭を下げる。老人は破顔した。
「うむ。お主らを我らの新たな同胞として迎え入れよう。早速明日からは<講義>が始まる。今日はよく栄養をとって、休息してくれ。さて、食事を続けようか」
「ところで、皆さんに質問させていただきたいのですが、皆がみな、私たちのように拾われてきたのですか?」
新たな一員となった以上、仲を深めるに越したことはないだろうと、ゲオルグは考えた。この問いかけに対し、一同は顔を見合わせた上で、
「そうですね。ここにいる者達で、司教様以外は、みな拾われた子供達で間違いありません」白衣の男、クリミァが答えた。
「それは、私も、この少しぶっきらぼうな男もそうです」にこりとクリミァは微笑む。聖職者という言葉が似つかわしい、チャーミングな笑みであった。
「ぶっきらぼうで悪かったな」黒衣の男、エルビスはやはりぶっきらぼうに喋った。「ひとつ、勘違いをしてそうだから言っておくぞ。我々は、ここにいる少人数だけではない。確かに、司教様が手仕事で少しづつ大きくしてきた組織だから、そこまで大人数ではない。だが、優秀な同胞達は、各地各方面に散らばっている。それを忘れるな」
ゲオルグはわずかに身を硬くした。お前達がここ出奔しても、ゆめゆめ逃げられると思うなーー。エルビスという武人の口から出たのが、一種の脅しのように感じられたからである。
「わかり、ました」
ゲオルグは笑顔を作って答えたつもりだったが、果たして自然に笑えていたであろうか。
「エルビス。まだ幼い子供を脅してどうするのですか」
「チッ。そこのミーシャは明らかに幼い感じがするけどよ、ゲオルグは違うだろう。とてもじゃねえが10にもならない子供には見えねえよ」
「だとしても、ですよ」
「わかった、わかった」
「お主ら。夕餉を賑やかにいただくのも悪くはないが、あまり白熱しすぎるなよ」
司教のたしなめるような声に、一同は背筋を伸ばした。
「お主らは、まだ出会って間もない。いきなり打ち解けるなどというのは難しいことだろう。……皆、食事は済んだようだな。レイア君。今日はお主が片付けの当番であっただろう。きちんとやりたまえよ」
「……はい、司教様」
「では、今日はこれにて解散とする。新入りの二人は、特に念入りに休むように」
老人が静かに席を立った。そして、一礼する。「創世神に感謝を」
『創世神に感謝を』兄妹以外は、顔の前に右手を上げ、掌を顔に向けて唱える。二人も慌てて見よう見まねで唱えた。
「ゲオルグさん、ミーシャさん、あなた達の部屋はこちらです」
柔和な笑みを浮かべた男が、白い手をゲオルグ達に向けてくる。その手を見つめて、ゲオルグは返事をした。
「ありがとうございます」
一見すると白くて華奢な手だが、よく観察すれば、掌には豆ができている。ペンを持つだけで、こうはならないだろうとゲオルグは思った。おそらく、この優男も相当武術の鍛錬を積んでいるに違いない。
案内された部屋には、ベッドが二つと、木棚、木机が置いてあった。教会らしい質素な佇まいの部屋である。二人は無言で同じベッドに倒れこんだ。二つ用意されてはいたものの、まだまだ兄妹の体は小さいため、一つのベッドで十分であった。
「お兄ちゃん」
ミーシャが兄を呼んだ。
「ミーシャ。今日はもう寝よう。いろいろなことがありすぎて、俺もよくわからないんだ」
「うん。でも、わたしたち、これからどうなるんだろう。おかあさんも、もう死んじゃったよ。わたしも、死んじゃうのかなあ」
ミーシャの空色の瞳には、涙がいっぱいに溜まっていた。わずか5、6歳の幼い少女には、あまりに過酷な現実であろう。
「大丈夫だ。俺が、かならずミーシャを守る。母さんのようには絶対にしない。……もう今日はお休み」
「うん」