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泥水をすする  作者: 遊楽 逍遥
教会編
6/16

第2話

 幅の広い老人の背中に案内される。天井の高い廊下を進んでいく。ゲオルグはこちらの世界で初めてガラスを見ていた。

「綺麗だ」

 気持ちの発露がふとした言葉としてこぼれ落ちた。透明度の高いガラスが廊下に配置されている。ガラスに派手さは無いものの、何らかの刻印が施されていた。外の陽気の()さが損なわれることなく廊下に注ぎ込まれている。

 前を歩く神父がゲオルグに向き直った。彼の纏う貴金属類が芸術的に光を跳ねあげた。


「お主には、これから辛い日々が待っていることだろう。だが忘れないでほしい。お主の前には常に新たな道が拓れているのだということを」

 少年の眼前には、まさしく人を導く神父がいた。その眼差しは慈しむようでもあり、厳しいものでもあるようであり、ある種の神々しさをそこに顕現させていた。いや、なんだか光の美しさに惑わされているだけなのではないかとゲオルグは思い直した。自分と妹の運命は未だに目の前の老人が握っているのだとういうことを忘れるわけにはいかなかった。


 司教はゲオルグの返事がないことに機嫌を害した風もなく、また歩き出した。いくつかの扉を通り過ごした廊下の突き当たりに、他のものとは一線を画す大きな両開きの扉があった。彼は特にためらう様子もなく扉を開け放った。

「ーー!」

 そこは闘技場とでも言うべき空間であった。その真ん中あたりで、先客が訓練をしていた。二人。


 片方は紅い髪が特徴的な少女だった。もう片方は髪を剃りあげた黒衣の男性。

 少女は剣を振るって男に襲いかかるが、彼は無手で迎え撃つ。二人の動き回るスピードは、まったくゲオルグの知覚できるものではなかったが、どうやら実力差は歴然としているらしい。数号打ち合ったと思われる後ーー少女の剣がこちらの方に弾き飛ばされて来た。

「うわっ!?」

 情けない声が己の喉から漏れたと知ったのは、戦っていた二人が腰を抜かした自分に注目したからだった。

「司教様! こいつが新入りですか!?」

 少女は大股でこちらへ歩いてくるなり、不躾な誰何をする。黒衣の男性にあしらわれたのが気に食わないのか、はたまたそれを目撃されたのが腹立たしいのか、いずれにせよ、彼女は気が立っていた。


「そうだ」

 ゲオルグは抜かしていた腰を戻すと、ゆっくりと立ち上がった。司教はそれを見届けると、ゲオルグを紹介するように手を向けた。

「この者は私が拾ってきた、捨てられた子供たち(ギフテッドチルドレン)の新たなメンバーだ。あとは、彼の妹もそうだ」

 ゲオルグは思わず司教の方へ顔を向ける。ギフテッドチルドレンなどという訳の分からない言葉に驚いたからである。

「ふうん」

 呟きはすぐそばから聴こえた。目の前に紅い髪が鮮やかに翻ったーー。

「出直してきなさい」言葉の終わるか終わらないかのうちに前世含めても味わったことのない、筆舌に尽くしがたい痛みが股間を襲った。股間を景気よく蹴り上げられたゲオルグは、半開きになった口から泡を吹き出し、白目を向いて倒れ伏した。


 それを見た黒衣の男は音もなく少女を殴り飛ばした。少女はあっという間に壁まで吹き飛ばされ、轟音とともに衝突すると、気絶した。

 司教と男は思わずため息をつくしかなかった。




「……知っている天井だ」

 ゲオルグは目を覚ました。真っ先に飛び込んできたのは見覚えのある木目調の天井だった。そしてーー

「お兄ちゃん」心配げな表情をした妹と目が合った。普段は感情を顕著にしない透き通った空色の瞳だが、今回ばかりは如実に不安が揺らめいていた。

「ミーシャ。体調に変なところはないか……うぐっ」

 兄として大丈夫なところを見せなくては、と起き上がろうとするも、下半身に全く力が入らなかった。ミーシャの眉根が憂うように寄る。ゲオルグは情けなくなった。同時に、あの紅毛の少女に股間を痛撃されたのは現実以外の何者でもないことを思い知った。


「体調がおかしいのはお兄ちゃんの方でしょ! ほら、無理して起き上がらなくていいから」

「わかった。ところで、今は、昼なのか? 夜なのか?」

「うーん。その中間くらいだと思う。夕方、かな。どのくらいとは言えないけど、もう少ししたら、夜になると思う」

 妹の声を聴きながら小窓に目をやると、たしかにわずかながら光が差し込んでいた。これで夜ということはないはずだった。


「ミーシャ。何が起こって、俺がここに寝ていたか知ってるか?」

「ううん。知らないおじいさんが、お兄ちゃんを担いできたことしか分からない。何か聞こうと思ったけど、怖そうだったし、すぐ出て行っちゃったから」

「そっか……」

「ごめんね、何も役に立てなくて」

 ミーシャの瞳が物憂げに揺れた。

「い、いや。そんなつもりで言ったわけじゃないよ! ……とにかく、もう一度あのおじいさんに話を聞きに行かなくちゃいけないね」

 ゲオルグは鈍痛の残る体をおして、ベッドから降りた。すると、妹も寄り添うように立ち上がった。

「お兄ちゃん、私もついてく」

「うん」


 先程も通った廊下を進んでいく。右手には自分たちが収容されていた部屋と同じような印象を受ける扉が並んでいた。突き当たりにはやはり、武道場のようなものにつづく大きな扉があった。一度目に通った時と異なり、夕暮れに伴う赤みを増した光が廊下に差し込んでいた。

「あれ、考えてみればどこにあの人がいるのか分からないな」

 目の前にある武道場への扉は閉ざされていた。妹は無言で兄を見上げる。

 彼から見て右側には、木扉が、左側にはまだ廊下が続いていた。

「左に曲がるしか、なさそうだね」「うん」

 妹が頷いたのを見てから、針路を左に向ける。この廊下は、壁に覆われたものではなかった。同じ間隔で、アーチ状に壁がくり抜かれ、中庭と思われるエリアとつながっていた。そこには白磁でできた噴水があり、小さくとも、綺麗に整備されたガーデンがあった。ゲオルグは、持ち主の几帳面さを伺うことができるような気がした。前世の記憶を持つゲオルグはともかくとして、ミーシャは初めてこのような庭を見たに違いないのだが、彼女の表情から何かを読み取ることは難しかった。

 ゲオルグはゆっくりと妹の頭を一撫でする。ミーシャはくすぐったそうにしたあと、ゲオルグの服の裾をそっと握った。


 中庭を横目に、回廊の突き当たりまで来ると、今度は小綺麗な扉があった。木製であることは他のものと変わりないのであるが、艶やら色合いやら材質やらが、違う類の扉であることを主張していた。

「開けるぞ」やや後ろでこくこくと頷く妹を尻目に、装飾のついたドアノブをひねる。

 ドアを開いてまず目に飛び込んできたのが、大きな空間だった。高い天井には、神話の一ページなのか、油彩風に彩色された絵画がいくつもあった。また、眼前には整然と並んだ長椅子が、右手には祭壇があった。壁にはカンテラのようなものが多く取り付けられており、その中にはぼんやりとした光を放つ鬼火のようなものが揺らめいていた。それらの光によって空間は神秘的に彩られていた。


 祭壇の上では白髪の老人が、説教か何かに用いるであろう、大きな机を布で拭いているところであった。こちらに気づいた様子も見せず、一心に黒壇を磨き上げている。ゲオルグたちは自然と神父の元へ足を進めていた。壇上からゆっくりと司教が見下ろしてくる。

「お主、体に異常はないか」相変わらずの重たい声がゲオルグの鼓膜を震わした。

「はい。異常はありません」

「そうか。それならいいーーもうじき夕餉の支度が整う。ついてきなさい」

 老人は静かな所作で、ゲオルグたちが入ってきた扉から出て行く。二人も慌てて礼拝堂と思われる建物を後にした。中庭を横目に先程通った道を戻っていく。そして、突き当たりにある木扉を抜けて、尖塔のついた背の高い建物の隣にある小さな建造物に入っていった。


 そこには、白いテーブルクロスがひかれた長机があり、すでに先客が顔を揃えて腰掛けていた。ゲオルグは挨拶がわりに全員の顔を眺める。ミーシャはゲオルグの後ろに隠れてしまった。

「ふむ。私たちが最後であったか。待たせたかな」

「いえ、司教様。私たちもつい先ほど参ったところでございます」

 老人の問いかけに答えたのは、ゲオルグにとって新顔の男だった。見たところ、今までで、一番「聖職者っぽい」人物である。細身で贅肉のなさそうな男であり、飾り気は少ないものの、きわめて清潔感のある白色ベースの法服を纏っていた。

「あなたたちが、私たちの新たなる同胞ですね。歓迎します」

 物腰は丁寧で柔らかかった。


「同胞、ですか」ゲオルグは呟いた。

「ええ。我々は数こそ少ないですが、国のために身を捧げる同胞(はらから)なのです」

「それはどういうーー」

「まあ、よいではないか。せっかく用意した飯が冷めるだろう。話は食べながらにしてくれ」

 昼間武闘場で訓練していた黒づくめの男が、会話に口を挟む。

 少なくない驚きをもって、ゲオルグは黒衣の男に目を向けた。ジロリとしたキツい視線が帰ってくる。

「悪かったな。俺なんかが作った料理で」

「文句があるなら食べなければいいんじゃないかしら」

 紅毛の少女も睨みをきかせてくる。

「いい加減にしないか」皆の背筋が伸びた。「食卓に諍いは不要だ」

『すみませんでした』

 威厳のある司教の姿に、思わずゲオルグまで唱和してしまった。


 食卓に載る食事の量は様々であり、なんと一番量が多かったのは、紅髪の少女であった。

「なによ」

「いや、なんでも」

 しかしーーとゲオルグは思う。ここまで色彩に溢れる食卓を囲むのは本当に久しぶりのことだった。前世でも手作りの料理など実家に帰省した時しかお目にかかれないものだった。もちろん、今世では初めてのことであるのは言うまでもない。

 主菜である香ばしく焼き上がられた鶏肉のようなものからは湯気が立ち上り、澄んだ色のスープには細かな油の模様がキラリと映えている。そしてふっくらとしたパンや、緑黄色鮮やかな野菜と、今までの生活では考えられないような充実ぶりであった。


 ミーシャは、その色素の薄い空色の瞳に宝石のような食卓の輝きを映していた。

 おっかなびっくり、ゲオルグの様子を伺いながら食事をつついている。初めて目にするものが多いせいか、ゲオルグの食べ方を真似しつつ食べているようだった。

 夢中になって食べている二人を見て、神父は一度目元を細める。ただ、一度咳払いをすると厳しい面持ちで口を開いた。

「まずは、自己紹介をするとしようか」







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