桜子の変化の始まりとは
第三章
おさげに眼鏡。スカート丈も膝近くというまさにおとなしめな子。という感じの桜子は久典に思いを告げたが。見事に玉砕。
久典の前でも泣きに泣いたが、家に帰った後もひっそりと涙を流していた。
久典のことは好きだけれど、決して軽く思ったからというわけではない。
最初に出会った時も、転けた桜子に手を差し伸ばしはしてくれたけれど、それで惚れたということではない。
次に会った時に礼を言って。なんだかんだで話すようになって。
話してみたら楽しくて。
桜子自身。久典のことが好きかもしれないということに気がついたのは出会ってから半年近く経ってからだった。
好きになってからも告白する決心をするまで時間がかかった。
仲良くなれば仲良くなるほど告白することに勇気が必要だった。
だけれど、それでも桜子は久典に告白をした。
それは本当に一大決心だったのだけれど、その思いは届かなかった。
「先輩と話さなくなるのかな……」
そう、それが桜子にとって一番辛かった。
他に好きな人が居るというのは仕方なのないことだし、良く言えばタイミングが悪かっただけかもしれない。
久典に好きな人が居なくなって、もしかしたら今後桜子のことを好きになるかもしれない。
けれど、話さなくなって、関わりが無くなったらそれ以前の話になってしまう。
「どうにか先輩の気を惹かないと……」
桜子はまず鏡を見た。
目を腫らした自分の醜い姿が見える。
明日になったら目の腫れは引くだろうかと考えたけれど、そこまで保証は出来ない。
「先輩はなんで私に惹かれなかったんだろう」
なんて考えたけれど、久典と話は合う。少なくとも一緒に話をして一緒に笑える仲だ。となると性格面が問題ではないのだろうか。と桜子は考えた。
だとしたら何が原因か。となれば容姿だった。
目の腫れが引くかわからないから眼鏡は外せない。
ならば何が手っ取り早いかと言われたら。答えは一つだった。
桜子はおさげを止める決心をした。
割りと桜子の髪は長めなのでおろしたら先生に怒られるかもしれない。
けれどそんなことはどうでもよかった。
久典の気を惹くこと。それしか考えれなかった。
「でも、もし先輩が話しかけてくれなかったらどうしよう……」
髪型を変えても、久典と話せなかったらどうしようもない。
告白の件で敬遠してくる可能性の方が高い。
どうすればいいのか……。
「そうだ、私から、私の方から声をかけたらいいんだ。そしたら先輩は逃げない。うん、先輩は話しかけられて逃げるような人じゃないもん」
そう、自分から声をかければいい。
そしてこうも考えた。落ち込んでいるような素振りを見せてしまったら、久典も言葉を失くして、雰囲気が悪くなってしまうかもしれない。それは今後仲良くするにあたって非情に問題だ。
「できるだけ明るく。今までの私のイメージを変えるほど明るく。昨日のことを意識させないようにしなきゃ」
そこまで考えたら自然と明日やることは決まった。
久典に会ったら桜子から声をかけて、とにかくなんでも良い。話をすること。
それだけ決心して、桜子は寝た。
久典が学校に登校する時間はいつも大体同じ。
それも知っていることだった。
となれば久典と同じ時間帯に学校に行って、朝のうちに会ってしまおうと桜子は考えた。
いつもと違うおろした髪で歩くのは凄く新鮮だった。いつも三つ編みだったので髪がなびくことはなかったのだけれど、今日は風が吹くたびに髪が揺れる。
少しだけの変化のはずなのに、いつもの自分じゃないという感覚がある。そんなことを思いながら歩いていると、校門の近くで久典を発見。
ちょうどいい具合に久典のほうが前方を歩いている。
後ろから声をかけたら。自然と自分から声をかけることになる。
桜子にとっては絶好の機会だ。
桜子はドキドキする胸を必死に抑えて、深呼吸をする。そして――。
「先輩。おはようございます」
できるだけ明るく。声をかけた。
久典は桜子の方を見た。
これで挨拶をしてくれたら、自然といつもの感じに出来るんじゃないか。桜子はそう思ったが、久典は固まってしまっている。
これはまずい。どうしよう。
桜子は心のなかで慌てた。
「どうしたんですか。先輩。おはようございます」
どうにかしなきゃと思った挙句桜子はとっさに再び挨拶した。
「あっ、あぁ……。おはよう」
すっごくぎこちない。これは非情にまずいんじゃないだろうか。桜子はそう考えた。
やはり昨日のことが気になってるんだろう。
ここで萎縮してしまったら全ては終わってしまう。桜子はそう考えて、次の言葉を必死に言う。
「ぼーっとしちゃって。先輩らしくないですよ」
久典らしくない。その原因はわかっている。間違いなく昨日の件だ。
でもだからこそ『先輩らしくない』という言葉を使った。
いつも明るく振舞っている久典に向かって……。
そう、この言葉はいつも通りに接してください。という意味が込められている。
ただ、その意図を久典がわかってくれるかどうかだけれど。
「いや、別にどうもしないよ」
口調は変わらずだった。
これは話題を変えたほうがいいのかもしれない。
「あっ、もしかして髪型のことですか? ちょっとしたイメチェンですよ。イメチェン」
明るく、出来るだけ明るく。
そう桜子は考えながら言葉をひねり出す。
久典の気を惹くために変えた髪型だ。以前久典が言っていた。ストレートロングが好きだと。
だからこそ桜子は髪を下ろしたのだから。
「そ、そうなんだ」
久典はなんだか困っているようなそんな印象で話してくる。
「やっぱり今日の先輩おかしいですよ。何か面食らったことでもあるんですか?」
「そんなことはないよ」
「そうだ、先輩。私の髪型どうですか?」
さっき髪の話題を振っているのにまた髪の話をする桜子。
桜子も動揺をしているのだ。
なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ。と思っているのでこういうブレが出てくる。
「すっごく似合ってると思う」
その言葉に桜子は心躍った。
「先輩に似合ってるっていわれるなんて光栄です」
桜子は心のままに自然と笑顔を久典に向けた。
「なんていうか、桜子から声をかけられるとは思ってなかったよ」
「どうしたんですか、先輩。急にそんなことを言うなんて」
思うに、久典は昨日の告白のことを言ってるのだろう。
桜子的にも正直昨日のことがかなり引きずっている。けれどそれで疎遠になるほうが嫌だ。
だからこうして頑張って声をかけているのだけれど。
「いや……。なんでもない」
また空気が悪くなった。
これはなんとかしないと。
何か良い話題ないだろうか。と桜子は必死に考える。だけれど時間はかけれない。
「そんなことより、先輩。いつも遅刻ギリギリですよね。明日から私起こしに行きますね」
「えっ、なんで」
その驚きは当然だった。
何がどうなったら、振った相手から毎朝起こされることになるのかと。
けれど、桜子からしたらもっともっと接点を持つことの方が大事だった。
そして、桜子が起こしに行く理由。それを考える。
「なんでってことはないじゃないですか。先輩は受験生なんですから遅刻とかそういった内申点を落とさないようにするためですよ。あと、朝は余裕を持ったほうがいいんです」
もっともらしいことを言ってそれっぽくする桜子。
「いいよ別に、桜子の家と学校の位置を考えたら遠回りになるだろ。っていうかそういう問題ではなく……」
断ってくるのは想像出来た。ここまではその想像通り。
けれど桜子にはちょっとした算段があった。
「先輩……嫌なんですか?」
こう言えば久典は断れない。
久典の性格を知っているからこその言葉だ。
これで久典と関係を保つことが出来る。
いや、むしろもっと距離を縮めることが出来る。
「嫌とかそういう話じゃなく……」
「嫌じゃないなら起こしに行きますね。決定です」
押しに押した。
そう、ココは押すべきであって、引くべきじゃない。
桜子の方から積極的に久典に絡む必要があった。じゃなければ久典から話しかけてくるということがなくなる。
無理矢理にでも久典に漬け込むしかない。
「わかった。なら起こしに来てくれ」
よかった。これで久典との縁がなくなるということはない。
少なくとも今現在は。
そう思うと、桜子は心の底からホッとした。
「了解しました。私桜子は先輩を毎日起こしに行きます」
そして、さり気なく毎日ということを付け足してみる。
その言葉を誤魔化すようにビシっと敬礼なんてことをしてみる。
「敬礼、似合わないな」
久典がやっと笑った。
「先輩ひどいです」
桜子も笑った。
「じゃあ先輩。私は先に行きますね」
そう言って桜子は久典の前を後にする。
「やった。やった……。先輩と話せた。これで一安心だよね……」
桜子は昇降口で上履きに履き替えながら高鳴る鼓動をなんとか抑えつつそう言った。
これまでに経験したことのない胸の高鳴りと切れる息。
それをなんとか落ち着かせようと必死になっている。
けれど、そんなに簡単に収まるものじゃない。
昨日振られた相手と今まで通り接することが出来るかどうかなんてことは結構難易度が高い。
社会人ならば世間体だとかそんなので表面的に接することはあるだろうけれど。桜子と久典はまだ中学生なのだ。
表面的に接するなんてことより感情が先に出てくる。
だからこそなんとか会話をしなければならなかったのだけれど、桜子は見事にそれをクリア。
しかも明日から朝起こしに行くという約束まで取り付けることが出来た。
昨日の後退からするとかなり前進できたのじゃないだろうか。
二歩下がった状態から三歩進んだ感じだ。
とりあえず、桜子は教室へと向かった。
大きな胸を抑えながら。
そうしないと息が苦しい。過呼吸になりそうだ。
その高鳴りも授業が始まる頃にはなんとか平常心を保てるぐらいには戻っていた。
冷静になったところで、また一つ問題が出てきてしまった。
(先輩を起こしに行くってどうやればいいんだろう)
ということだ。
桜子は久典の家を知ってはいるが、家に上がったことはない。
さらに久典の両親とも会ったことはない。
久典は一人っ子だから壁になるのは両親だ。
いきなり行って、お子さんを起こしにきました。なんてこと通じるのだろうか。
しかも見たことがない女の子から。
親的にはそれがどう映るのだろうか。
常識的に考えたら。えっ、何この子。と思われるだろう。
なんとか上手い交わし方はないだろうか。
考えていると一つの案が思い浮かんだ。
起こしに来たと言わなければいい。
一緒に学校に行く約束をしたと言えばなんとでもなる。
その上で久典がまだ起きていなかったら……。
当然母親が起こしに行こうとするだろう。そこに桜子が「私が起こします」と言って家に上がればいい。
主婦というのは朝が忙しいものだ。
その忙しいところに一つ手間が省けるということになったら。任せてくれる可能性も高い。
その手しかないんじゃないだろうか。
問題は、久典が何時ぐらいに目を覚ますのかということだった。
いつも遅刻ギリギリとはいえ、朝食は食べているだろう。もちろん顔も洗うだろうし歯も磨くだろう。当然着替えもする。
そのことから逆算するしかない。
忘れてはいけないことは久典の家から学校までは十分ほどだということだ。
つまり、八時十分~二十分の時間帯に家を出ていることになる。
着替えやら歯磨きやら朝食でかかる時間を考えなければならない。
朝食はどれぐらいの時間で食べ終わるのだろうか。
昼食は久典と食べることがある桜子。話しながら食べて十五分と言ったところ。
でも、もしかしたら桜子の食べる速度に合わせている可能性もある。
「う~ん……。何時ぐらいに起きてるのかちゃんと聞いとけばよかったかも……」
朝が弱いというのは知っているけれど、流石に起きる時間までは把握できていない。
でも朝が弱いということは朝に慌ててるということなのではないだろうか……。
慌てて着替えて慌ててご飯を食べて。という感じの方が自然だ。
となると、久典が起きる時間は七時四十分辺りなのではないだろうか。
そして、余裕をもたせることを考えれば七時二十分辺りに起こしに行く。というのがいいかもしれない。
「よし、決まった」
「何が決まったんだ緋宮」
「ふぇっ?」
「ふぇっ。ではない。罰としてこの問題を解いてみろ」
そういえばそうだった。もう授業が始まっているんだった。と桜子は思い出した。
ずっと久典を朝起こすための作戦を考えていてすっかり忘れていた。
先生に言われたので仕方なく黒板まで歩いて行き。そこで初めて黒板に書かれた方程式を見る。
「えっと、こうですね」
スラスラと黒板に回答を書く。
「…………正解……」
先生が悔しそうにつぶやく。
「だがな、緋宮。わかるからと言って授業を聞かないのはよくないことだぞ」
「すみません」
素直に謝る桜子。
「あとな、その髪はどうしたんだ。いつもはちゃんとしているのに。朝時間がなかったから結えなかったとかなのか?」
「いえ、先生。これはイメチェンです」
「…………。一応肩より長い髪は束ねるようにという校則があるんだがな……」
「それはすみませんでした」
「まぁ、いい。後で職員室にくるように」
「はい……」
先生に怒られてしまった。
久典の気を引くために髪を結ってないのだけれど、髪を切れと言われたら元も子もない。
幸い、学年が違うのだから授業中は会わない。
なので授業中は結うようにしよう。
けれど、今日はゴムを持ってない。
授業が終わって、ゴム持ってないからまとめられないどうしようなんて思いながら職員室へと向かった桜子。
「緋宮。お前も年頃だからおしゃれをしたいという気持ちはわかる。でも優等生だったお前がそうなってしまったら私としても驚きだ。ずっとちゃんとしていたんだから今回は目を瞑るがこれからはそんなことがないようにしてくれ」
「はい、すみません……」
「寝坊でもしたのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……ゴムを忘れて……」
「じゃあ仕方ない。私のをやろう。新品のがあるからそれを使え」
そう言われて、先生からゴムを渡される。
流石に今から三つ編みにするのは面倒だったのでまとめるだけにしておいた。
「では、失礼します」
せっかくイメチェンしたというのに髪をまとめている状態を久典には見られたくない桜子は足早に教室まで戻っていった。
「あぁー。これからは気をつけないとかぁー」
久典の好きな髪型にするという勝負にでたのに、学校では髪をまとめなければいけないという事になってしまった。
中学生なんだから仕方ないといえばそれまでになるが。
とりあえず、注意された日なのだからこの日はずっと髪を結ったままにしておいた。
久典に会わないことを祈って。