蒔菜と一緒に下校
入学式は特に何事も無く終わった。校長先生が、明らかにズラだろうというような髪型をしていたこと以外は、よくある入学式なのだろう。
教室に戻るとホームルームがあり、自己紹介をするというものだった。
廊下側の一番前から順番に自己紹介をしていく。みんな当り障りのないことを言うので久典は流しながら聞いていた。
自己紹介だなんて大抵そんなものだ。自己主張の強い人は面白い感じで言うのかもしれないけれど。そんな奴はそうそう居ない。居てもクラスに一人居るかどうかだ。
そして、周りも自分の自己紹介の時以外は久典のように流して聞いているのだろう。
しかし、教室中がどよっとざわめく自己紹介があった。
いや、正確には自己紹介の言葉ではなく、席を立った瞬間と言ったほうがいいかもしれない。
それは蒔菜の自己紹介の時だった。
ざわめいた多くは男子生徒。
そう、蒔菜の人形のようにきれいな顔にモデルのようなスタイル。それでいて胸はでかいといったなんとも男子受けのしそうなルックスのせいだ。
「城之内中学校出身。如月蒔菜です。よろしくお願いします」
たったそれだけの言葉なのだけれど、男子生徒達にはインパクトがあったようで、蒔菜が座った後も。
「城之内出身だって」
「すっげー美人だな」
「やばい、マジタイプ」
「見たかよあの胸。最高じゃねーか。体育の授業が楽しみすぎる」
と言った声が聞こえてくる。
それだけ大きな声なのだから本人にも聞こえるんじゃないかと久典は思い、蒔菜の方を見たのだけれど、肝心の蒔菜は涼しい顔をしていた。
まったく気にしていない様子。
意外と精神力あるんだな。なんて思ったけれど、中学の時から周りに騒がれていたので慣れているのだろうか。
久典の自己紹介は割愛。
何も面白いこともないし、騒がれることもない。ただの普通の奴だからだ。
全員の自己紹介が終わると、担任教師が二言ぐらいなにか喋って、その日は下校となった。
蒔菜に話しかけよう。そう思ったら。
「如月さん。すっごく可愛いね。これからよろしく」
「如月さんお友達になりましょう」
「如月さん彼氏いるの?」
「おっぱい揉ませて」
男女問わず、すでに囲まれていた。
というか、最後欲望丸出しの奴がいるな。誰だ。
蒔菜は笑顔で笑っていたが、チラっと久典の方を見ると。
「あっ、久典くん。帰るの? 一緒に帰ろう」
そう言って輪の中から飛び出してきた。
「何あいつ。如月さんと仲いいの?」
「というか冴えないやつだな。イケメンとかだったらまだ納得できるのに」
「如月さん意外と趣味悪い?」
「おっぱい……」
という声が聞こえてくる。最後のやつは本当になんなのか。
久典はほっとけ。と思っていると、蒔菜が久典の手を握って引っ張られながら教室を後にした。
「ごめんね、久典くん。巻き込むようなことしちゃって。でも久典くんと一緒に帰りたかったから」
昇降口まで来ると、蒔菜が久典にそう言ってきた。
「気にしないで大丈夫だよ。初日からすごい人気だね」
「人気ってわけじゃないと思うよ。多分そういうのとは違うと思うの」
「そうかな。よくわからないけど。って、帰る方向って一緒だっけ?」
「もー、久典くん何言ってるの。同じ中学校だったじゃない。途中までは一緒だよ」
「そっか、それもそうだね」
「もー、久典くんって面白いね」
「そんなことないよ」
と久典は言う。久典自身、面白い奴だなんて自己評価もしていないし。周りからもそんな認識はされていないだろう。
桜子……はどうだろうか。話はするけれど、面白いとは思われていない気がする。
「もっと早く久典くんと仲良くなってたらよかったなー」
「えっ」
それは一体どういうことだろうか。久典は考える。さっきの面白いという言葉からいいように捉えられたのかもしれない。
仲良くなってたらよかったな。なんて言葉は具体性がないので妄想が膨らむ。もしかしたら興味を湧かれたのだろうか。なんて思うのもしかたのないこと。
「そういえば城之内東高校って微妙な位置よね」
城之内東高校と言うのは久典と蒔菜が通っている高校である。
校門を出て、二人で歩いているところ、蒔菜は口を開いた。
「微妙な位置って言うと?」
「距離的な話よ。ほら、もうちょっと遠かったら電車通学もできるし」
「あー、でも自転車通学なら大丈夫なんじゃないか。距離的に」
「それはそうだけど、自転車って私好きじゃないの」
「それはまたなんで?」
もしかしたら自転車に乗れないとかだろうか。と考えたけれど、高校生にもなってそんなことはないだろう。蒔菜は運動神経良い方だし。
「ほら、自転車って、風の吹き方によってはスカートがめくれちゃうじゃない。私それが嫌で仕方ないのよ。だから自転車通学はしない」
「そういうところも気を使わないといけないんだな、女子は……。それは大変だ」
「ちょっと遠くても歩きで行けない距離じゃないし。というか中学からの延長上に高校がある感じだから別に苦じゃないのよね。歩いたほうが健康的だし。久典くんはなんで自転車じゃないの?」
「僕も同じような理由だよ。歩いていける距離だし。それに途中結構坂があるんだよね。坂でいちいち降りて歩くのもだるいし。それだったらもう最初っから歩きでいいなって感じ」
「わかる。坂多いよね」
「坂を下るのはいいけど、上るのはなー。しかも行き帰り、どっちも上り坂があるからどっちも疲れそうだし」
「上り坂で自転車を押す時ってすごく自転車重く感じるしね」
「そうそう」
良い感じに話が出来ている。何もぎこちないことはなかった。
蒔菜と一緒に下校しながらしゃべっている。それだけで久典は嬉しかった。
好きな子と一緒に帰るってこれほど幸せなことだったんだな。
「そういえば……」
「ん、どうした?」
「いや、ちょっとこれは失礼かなって思って……」
何か気になることでもあるのだろうか。でもそこまで言われたら逆に内容が気になる。失礼なことでも蒔菜に言われるんだったらそれはそれでありな気がした。
「いいよ言っちゃってよ。そこまで言われたら気になるし」
「いや、あのね。久典くんってそんなに勉強出来るイメージなかったのに、城之内東高校なんだって思って……。ごめんね。こんな言い方失礼だよね」
なるほど、そういう疑問だったのか。確かに中学校の時の久典の成績を知っている人だったら疑問に思うことだ。久典は勉強が出来る方ではない。
「あぁー。城之内東高校に入りたかったから。受験前死ぬ気で勉強したんだよ。合格したのもきっとギリギリとかじゃないかな」
「そうだったんだ。でも勉強して出来るんだったら。久典くんはやれば出来るんだよ。その死ぬ気で勉強したおかげで今私と同じクラスになれたんだから。私としてはよかったな」
すごく意味深な発言をしてきたな。なんて久典は思った。一体どういうつもりなのだろうか。
そんな言い方をされたら、勘違いしてしまいそうになる。
「逆になんで蒔菜は城之内東なんだ? もっとレベルの高いところも行けたんじゃないのか」
中学の頃、蒔菜は成績がよかった。いつも上位の成績でそこから落ちることもなかった。
だからこそ、久典は蒔菜が城之内東を第一希望にしているということを耳にした時はチャンスだと思った。
城之内東だったら、必死に勉強したらどうにかなるかもしれない。
それから久典は勉強をするようになった。成績も中の中から上の下ぐらいまでは上がった。
「公立校だし、家の近くだし。って理由が主な理由だけど、あまりレベルの高いところ行き過ぎて中学の知り合いが誰もいないってのはちょっと嫌だったの」
「蒔菜は世渡り上手っぽいから大丈夫だと思うけどな」
「そんなことないよ。それより、全くのゼロから関係を作っていくのと中学の知り合いが居るのとでは全然違うと思わない?」
「まぁ、たしかにそうか」
蒔菜は中学の時の人間関係はかなり良かった。少なくとも久典の知る部分は。悪いうわさも聞かない。そうなってくるとまた一から人間関係を作っていくのは確かに辛いものがあるのかもしれない。もうすでに良いように思っている人が数人いる環境が出来るのであればそちらのほうが何倍も良い。
よく、人間関係はリセットする。って言う人がいるけれど、それは少なからず悪評があって、それがあるから嫌なのかもしれない。
普通の人ならば少しは悪評があるものだけれど、蒔菜にはそれがない。つまり、リセットする理由がないのではないだろうか。
「まぁ、一緒に城之内東に行こうって言ってた人たちも別クラスになっちゃった」
「それはなんともって感じだな。運が無いというか」
「運は別に悪くないんじゃないかな。こうして久典くんと話せてるわけだし」
「僕と話せてても別になんも得はないんじゃないかな」
言い終わると、久典はしまったと思った。もうちょっと気の利く言葉を選べばよかったと。
せっかく良いように言ってくれているのだから、面白いことの一つでも言ってこれからも気軽に話せる関係を作るのが得策なのではないかと。
「クスッ。久典くんおかしいね。人と話す時に損得って考えるものじゃないよ。少なくとも私はそう。久典くんと話して得をしようだなんて思ってないよ」
「蒔菜ってなんだか大人だなー。素直に尊敬するというかなんというか」
「そう? 普通だと思うけど。あっ、もしかして久典くんは私と話して得をしようだなんて思ってるの?」
可愛らしい笑顔のままで蒔菜は久典に言う。
「いやいや、そんなこと思ってないよ」
「ほんとかなぁ~」
にこやかとしながら可愛らしい声で言う蒔菜。
こういうところがせこいというかなんというか、人気の理由なのだろう。久典に向けてだけじゃなく全員にそういう面を見せるから悪い印象を持たない。
「ほんとだってば!」
「わかった。信じるね」
さらりと言ってくる蒔菜。
そんな話をしながら歩道を歩いていると。
後ろから猛スピードで車が走っていった。エンジン音がすごく。車の走った轟音と風が久典と蒔菜にかかる。
「わっ!」
車道側を歩いていた蒔菜が驚き、よろめいた。
「おっと!」
倒れそうになる蒔菜を慌てて支えようとする久典。すると。
むにゅ。
手のひらに大きくて柔らかい感触が。
無意識のうちにもう一揉みしてみる。
むにゅむにゅ。
久典はなんだろうこの感触は。と思っていると、似た感触を思い出した。
「ありがとう、久典くん。もう大丈夫だから、その……離して」
「あっ、あわわわわ。ご、ごめん」
久典は慌てて手を離す。
似た感触。それは桜子の胸の感触だった。
桜子は豊満な胸をしているけれど、蒔菜もそれに負けてない。見た目も、感触も――。
さっきまでいい雰囲気で話していたけれど。これで台無しだ。怒られても仕方がない。
久典は覚悟を決めた。ビンタされるでも、怒って置いて行かれるとかもあり得る。
「いいよ別に、とっさに支えてくれたんでしょ。不可抗力だよ」
久典に笑顔を向ける蒔菜。
「よかった……」
もちろんこのよかったという意味は。胸を揉めてよかったということではなく、許されてよかったという意味なのだけれど。
「私の胸がそんなによかったのかな?」
ふざけたように蒔菜がそう言ってくる。
ふざけたようにと言っても、久典にとっては慌てる。
「ち、ちちち、違うよ!」
不自然に否定するしかなかった。
空気を崩さないようにしてるのか。蒔菜はそういう風に言ってくる。
「久典くんのそういう顔はじめて見た。じゃあ私はこっちの道だから。また明日ね」
「うん、また明日」
蒔菜との時間が終わってしまうのは少しさみしい気がしたが、明日からも学校で会うのだから別にいい。
そう思いながら蒔菜の姿が遠ざかるのを見送る久典。
すると、蒔菜がクルッと久典の方に振り返って。
「私、気にしてないからねー。明日も普通に接してきてね」
蒔菜が大声でそんなことを言う。
クラスメイトに聞かれたらどうするんだよ。と思う久典だったが、よく考えたら胸に関してのことを言ってなかった。
ちゃんとそこら辺を考慮して言ってるんだななんて感心した。
久典はその言葉に対して、手を振って答えた。