その8
ヴェルマータの伝えようとしていることが何なのか、十分に飲み込めないユアンは、頭の中で彼女に言われた内容を繰り返していた。そして、今日はいやにいろんな人から説教される日だな、と思った。
「……ユアン、来てたの」
ユアンが入り口の方へ向き直ると、そこにはヴェルマータの孫娘の、マーチェが立っていた。
「おばあちゃん、採ってきたヒレハリソウは裏手に吊るしておいたわ」
「ああ、お疲れ」
ウェルマータは、薬草をすりつぶす作業を、続けながらマーチェをねぎらう。寡黙なマーチェは、いつもと変わらずの無愛想な表情でうなずいてから、ユアンに問いかけた。
「今日は何の用?」
「偉大なる我らが領主様の代理として、わざわざこの老いぼれのご機嫌伺いに来たのさ」
ユアンが口を開くより先に、ヴェルマータが大声で答えた。
「まさかおばあちゃんの体調を確認するためだけに、集落からここまで登ってきたの?せっかくの安息日なのに」
マーチェは呆れた様子でユアンを見ると、ユアンは慌ててもう一つの使命も説明する。
「ヴェルマータ様の魔女の眼の力で周囲に異変はないか探って欲しいと頼まれてね」
「ずっと前から、もしお婆ちゃんが何か察知すれば、あたしがすぐに集落まで行って、知らせる手はずになってるのに?」
自分の役割を否定されたような気分になったのだろう。マーシェの顔つきはますます陰鬱なものに変わっていった。
「明るいうちはともかく、マーシェじゃ夜道は、危ないからね」
「……同い年のくせに、親みたいなこと言わないで」
ユアンは肩をすくめると、この気難しい少女の攻撃から逃れるために、ヴェルマータに声をかけた。
「先ほどから何を作っているのですか?」
「眠り薬だ。こないだメッツが、夜に寝付けないからと、泣きついてきてね。図体のでかい男のくせに情けないったらありゃしない。そうだ、あんたがメッツの奴に明日にでも届けておくれよ。使いの報酬に余った分をやろう」
ヴェルマータはそう言うと、小さな布袋を2袋用意し、調合を終えたばかりの薬を落とさないように慎重に、袋の中に納め、ユアンに手渡した。その直後、ヴェルマータの顔に、焦りと動揺の色が浮かんだかと思うと、眼を閉じてその場に座り込む。
「おばあちゃん、どうしたの!」
半ば悲鳴のような声を上げ、マーシェがユアンを押しのけてヴェルマータに駆け寄るが、ヴェルマータは難しそうな顔をして返事もしない。しかし、何かを探るように集中している様子から、彼女が今まさに魔女の瞳の力を全力で行使しているのは明らかだった。
ユアンは、魔女のしわくちゃの右腕に嵌められた青い宝玉が、鈍く光っているように見えた。
「これは……、まったく奇妙な偶然があるもんだ。アムの悪い予感は本当に当たるね」
ユアンは、ガゼル伯の名が、アムレートゥム=ファルス=ガゼルだと言うことを思い出しながら、ヴェルマータの次の言葉を待った。彼は、ヴェルマータの様子から、さては他国の軍隊や、盗賊団の襲撃かと、持ち前の想像力を勝手に働かせ、これから果たす伝令としての自分の役割の重要性を思って、興奮にわなないていた。
「見知らぬ人間が1人、集落に近づいているよ」
「たった1人!」
「ああ、1人だけだ」
今度はユアンが座り込む番だった。
「ふむ、ただの旅人か……、それとも、どこかよその町からの急報の使者か……。良かったねユアン。なんにせよあんたが全力疾走で領主様に御注進にいかなければならないような代物ではなさそうだよ」
「……はあ」
ユアンは生返事で、相槌を打った。
「……しかし妙だね、こんな違和感を感じる人間は、生まれて初めてだ。一体なんでだろう」
「どういうこと?」
と、マーシェが尋ねる。
「わからない。……ただこいつは普通に人間じゃなさそうだ。何が違うのかまでは皆目見当もつかないが」
「つまり、異常事態!」
ヴェルマータの口ぶりから、自分の使命の意義を再び見出したユアンに、先ほどの意気軒昂ぶりが蘇ってきた。
「まあ、ただの思い違いの可能性もあるがね」
と、魔女はあとから付け加えたが、ユアンにはその部分は耳に入らない。
「では、自分はこれにて!」
とろくに振り返りもせずに、ユアンは館を飛び出すと、一目散に山道を駆け下りていった。
「あわただしい奴だね……」
と、ヴェルマータはユアンを見送りながらひとりごち、マーシェもため息をついてそれに同意した。