その6
リドウィッチの魔女ことヴェルマータの館は、集落全体を眼下に収めることができる一段高い山の斜面にあった。この草ぶき屋根の館は、山頂まで鬱蒼と生い茂る草木に埋もれ、壁にはいつくばる苔やつたも、剥がされもせずにそのままにされていた。何も知らない者が一見すると、廃屋にすら思われかねないこの魔女の館だが、近寄ればすぐにたちこめる薬草の臭いで、人がまだ住んでいることがわかるだろう。
高く南にまで昇った太陽が、西の地平線に沈みかかり、教会から夜を告げる鐘の音がリドウィッチ全体に響き渡るころ、ユアンはようやく、そのヴェルマータの屋敷に辿り着いた。
ユアンが来訪を告げるために扉を叩こうと拳を上げると、先に扉の中から声が聞こえた。
「ユアンかい?扉を開けて中へお入り」
ユアンは、声の主の命じるままにゆっくりと扉を開けた。中ではヴェルマータが暖炉のそばで、薬草をすりつぶしている最中だった。痩せ細った体を折り曲げて懸命に秘薬作りに取り組む姿は、ただのか弱い老女と変わらない。
(以前、会ったときよりも、やつれているような……)
そう思ったユアンの心を見透かすかのように、魔女はユアンに鋭い一瞥をくれた。その常人離れした眼光を受けて、慌ててユアンは最初に抱いた印象を訂正する。
「実は、伯爵様からヴェルマータ様のご様子を見てくるように仰ったのですが……、どうやら伯爵様の杞憂だったようですね。お元気そうで安心しました」
「なんだい、あんた、そんなことのためにわざわざここまでやって来たのかい?」
ヴェルマータは手を止ると、心底呆れたといった様子で、ようやくユアンの方向に向き直った。この魔女の不機嫌そうな様子に急かされるように、ユアンはもう一つの用件も切り出した。
「それと、ここ最近、魔女の眼で村の周囲を見て変わった様子はなかったかどうか確認するよう言われました」
「それなら特に何も無しだ。ここ数日でやって来たのは、定期市で商いをするためにやってきた商人くらいで、山賊も獣の群れも見当たらない。平和そのものさ。だいたい、あいつに言われなくたって、あたしはいつもこの能力を使って、村と自分の周囲に気を配っているんだ。……あんたがやって来たのに感ずいたようにね」
「いつからヴェルマータ様の館に近づいているのが僕だとわかったのですか?」
「あのやかましい鐘が鳴るよりずっと前、集落とあたしの館を結ぶ道に、あんたが踏み入れたときからだよ」
「それは、眼を閉じて想像した光景が浮かぶように視えているのですか?」
「それを他人に説明するのは難しいね。ただ、あんたの爺さんが墓から蘇って、うちにやってきても、事前にわかるだろうよ。顔見知りは、気配でわかるのさ」
ヴェルマータの力……、「魔女の眼」とよばれる能力は、自分の周囲のあらゆる生態の動きを感知するというものだった。その能力の範囲はこのリドウィッチの周辺にまで及んでいた。ユアンはその力が羨ましかった。自分にも「魔女の眼」のような力が宿れば、立身出世も思いのままだと、この単純な少年は深く信じ込んでいたのである。
「僕にも何かしらの力が宿ればいいのに!」
そう無邪気に力の使い手を羨むユアンを、ヴェルマータはじっと見つめ、彼を試すように問いかける。
「ユアン、あんた、力の使い手についてどこまで知っている?」
「はい。神父様から聞いたところによると、シャルークでは、数十万、いや数百万人に一人という極めて低い確率で、人間に不可思議な力が宿ることがあり、その力は、性別や、遺伝、肉体的特長とはまったく無関係に顕現します。また能力の内容もばらばらで、水を砂糖水に変える、土を岩に変える、火をおこすといった具合に、どれ一つ同じものがありません。唯一、傾向として見出せるのは、その能力は、多くの場合、十代前半までに発現することが多いということです」
「そうだ。あの神父も、少しはまともなことも教えているみたいじゃないか。だが、あんたの話からはすっぽりと抜け落ちている視点がある」
そこで沈黙が流れた。一体、どういうことだろうとユアンは首をひねるが、答えは一向に出ない。ヴェルマータは、少年がいよいよ言葉に窮したのを観察してから、再び口を開いた。
「それは、権力による力の使い手への迫害の歴史だよ」