その2
ユアンは館に入ると、まず顔馴染みの使用人から、いつものように地下の書庫の鍵を受け取ると、地下室へと向かった。地下は、肌が刺されるような痛みを感じるほど冷たいうえに、陽の光も届かぬ暗い。しかし、燭台を手に進むユアンは寒さなど特に気にも留めずに進む。読書への興奮が先立っているのだ。
地下には三つの小部屋があり、ひとつは階段を下りたてすぐ横の糞尿保管庫である。(もちろんユアンは、息を止め半ば駆け足で、片手に携えたカンテラの火が消えないよう注意しながら、その場を通り過ぎた)
その次が目当ての書庫。ユアンの握りこぶしほどの大きさの錠前が扉には取り付けられている通路はその先にも、続いているが彼はその先に何があるのか知らない。「書庫の先の部屋は、みだりに近づくな」ときつく言い渡されていていたため従順な彼は、それを守っていた。
「さあ続きだ!」
ユアンは、受け取った鍵を使って錠前をはずし、重い扉を両手でこじ開け中へ入ると、燭台の光を頼りに早速目当てのヴォルク航海記を探す。数千冊にも及ぶ書物の多くは、書棚に整然と整理されて並べられていた。この書棚に収められていた、ユアンではまだ判読の難しい中世期以前の書物は、どれも錆びて朽ちかけた細い鎖が繋がれ、外へ持ち出すことはできないようにされている。それは、知恵の活用を禁忌とする中世期、神によってもたらされた知恵が分別なき衆生によって乱用されぬよう厳重に管理されていた名残であり、さして珍しいことではなかった。
もっとも、ユアンが目当てとするヴォルク航海記第五巻は、比較的最近出版されたためか(それでも100年以上前のものだが)、鎖どころか、部屋の隅に無造作にまとめて重ね置かれているだけで、ユアンは自分目当ての本が、自由に手に取り、外に持ち出せることにありがたさを感じつつも、この不朽の名著のぞんざいな扱いに、かすかに不満を感じるのだった。