第八話 <過去編>
レンマの剣術の流派は、その名を至剣流と言う。遙か神代に遡るほど昔、一人の男が立ち上げた流派である。
彼はその身ひとつで修練を積み、いつしか神々ですら、その剣の下に敷く程の技を修得した。男の名は、至剣神プラグマ。人の身で神に至った、今や剣の神として崇められる者の名前である。
彼の創った剣術は今も尚、今世の多くの剣士たちに受け継がれている。『至剣流』は、今や大陸でも屈指の剣術の流派として、その名を轟かせている。かく言うレンマも、その連綿と続く流派を担う一人であった。
素振りを終えたレンマは、至剣流に代々伝わる稽古、『順繰り』と呼ばれる型稽古を行なっていた。
―――大きな振りかぶりから繰り出される、強烈な一撃を放つ。
―――そして、息を継ぐ間もなく、次には流れるような連続技を繰り出していく。
―――さらに、畳み掛けるかのように鋭く抉る様な突き技を繰り出し、
―――そのまま身体が伸びきった所で、カウンターの動きを再現する。
レンマが繰り出していく技、動きの数々は多彩で、統一性が無い。一見、無理に一撃ごとに技の特性を変えようとする、効率の悪い稽古に見える。しかしこれこそが、至剣流に伝わる『順繰り』と呼ばれる型稽古なのである。
至剣流は実際には、一つの流派として系統だった剣術が纏まっている訳ではない。複数の―――正確に言うならば、十の―――種類の剣術が集合した流派。それが、至剣流と呼ばれる剣術流派の正体である。
伝説によれば、至剣神プラグマが、当時存在した十匹の強力な魔物を倒すために、その魔物の弱点を突くべく、それぞれ十の系統の流派を編み出したのが、至剣流の起源であるとされている。そのため、それら十の流派――至剣流においては『系』と呼ばれる――は、それぞれ特徴的な技の理念を持っている。
十の『系』は、それぞれ『正道五系』、『邪道五系』、の二つに大別される。正道には、比較的に素直な技が多く、邪道には癖のある技が多い。
それぞれ、正道に、一撃の系『陽』、連撃の系『華』、一突の系『獣』。抜技の系『水』、無手の系『龍』があり。
邪道に、斬撃の系『月』、乱撃の系『風』、連突の系『蟲』、返技の系『地』、投剣の系『鳥』がある。
それぞれの系に特徴的な技があり、至剣流を修める剣士たちは、自分に適性のある系をどれか一つ選び、それを修行するのである。そして、それぞれの系に存在する一から十の技――十番目の技は、その系の奥義とされ、『奥番』と呼ばれる――を習得することで、その者は免許皆伝となる。
至剣とは、己の一つを究極に極めるという意である。その為、同じ「至剣流」の剣士と言えども、その戦闘スタイルは多岐に渡るのである。
もちろん、自分に適性のある『系』を、最初から知っている人間など居ない。それはある意味では、己の性質を完全に知るのと同意であるあるからだ。
実際に、体格や体質、または性格によっても変わってくる自分の特性を、判断することは非常に難しい。『至剣流』における剣士の最初の壁。それが、自らの『系』を見定めることなのである。
そして、それを見極める稽古が、レンマが今現在行なっている稽古、『順繰り』である。
『順繰り』は、全ての『系』の技を、一から順番に振るっていく稽古である。正道の『陽』の一番目の技を振るったら、そのまま『華』の一番目へと移る。そして、十の系の一番目の技を一巡したら、次は二番目の技を振るっていく。
これを繰り返して、技の階位を挙げていく。そうすれば、自然と自分に合わない系統の技は撃てなくなってくる。いずれ最後には、自分に最も合っている「一つ」の『系』だけが残るという寸法である。普通の剣士ならば、一年も『順繰り』を繰り返せば自らの『系』を見出すことができる。だが、そんな中にも例外はある。
至剣流を習って五年になる筈のレンマだったが、彼は未だに自分の『系』を見定めることが出来ないでいた。リンドが、レンマの事を「才能が無い」と評するのも、この『順繰り』の成果が未だに出ない事が一番の理由である。
「くっ」
今も、レンマが『華』の系、その三番目の技を繰り出そうとした時に、剣があらぬ方向へ飛んでいってしまった。最近は、調子の悪い時には三番の技の辺りで、良い時でも四番の技までで『順繰り』は途絶えてしまっていた。失敗する系もその時によって違い、どうしても一つの系が突出するということは無かった。
レンマは、そのまま汗だくで地面に座り込む。どうやら、今日の稽古はここまでらしい。リンドが、レンマに手ぬぐいを投げてよこした。
「ふん、今日も相変わらずだねぇ」
「はあ、はあ、『陽』がちょっと、調子いいかなって、思ったんだけど」
「昨日は、逆の系の『月』がやりやすいとか言ってただろうに」
「へ、へへ。『月』の方は今日は散々だったね」
そう言ってレンマは笑う。そんな彼の様子に、リンドはこめかみを押さえた。
「笑い事じゃないよ。……まったく、いつになったらこの子は私を楽にさせてくれるのかね」
やれやれと首を振るリンド。
そんな彼らのもとに、足早に駆けてくる物音が聞こえた。
「おや、もう一人の弟子も帰ってきたみたいだねぇ」
そう言って、リンドは片方の眉を釣り上げてレンマを見やる。
「本当に、パーティを抜けるのかい?」
その問いに、レンマは微笑むと、しっかりと頷いた。
「レンマ、師匠、遅くなってしまってごめんなさい」
家の裏手の広場に、サクラが駆け込んできた。
「それで、どうだったんだ? ギルドの呼び出しは」
レンマが、手ぬぐいで汗を拭いながらサクラに問いかけた。彼女は、乱れていた呼吸を整えると、ギルドであった事を話し始めた。栄誉である招集の筈なのに、その表情はどこか冴えない。
「ギルド長のドリア様から、直々に依頼状を頂いたわ。返答は明日までだって」
「ほぉ、あの耄碌じじいめ、まだくたばってなかったのか」
リンドが不機嫌そうに零す。彼女は現役時代にギルド上層部と何らかの因縁があったらしく、彼らの事をあまり良く言わない質だった。
そんな悪態をついていたリンドとは裏腹に、レンマは、黙ってサクラの話を聞いていた。
「あの……、別にね、このクエストは強制って訳じゃなみたいなの。だから、断ることもできると思う」
サクラは、特に反応の無いレンマを訝ったのか、少し声を張って言った。
「ねえ、レンマ。どうしよう」
「なんで僕に聞くんだ」
レンマは、サクラを厳しい目線で見上げた。
「その依頼は、僕にきた訳じゃない。皆に来たものだ。それに参加するかどうかは、君が決める事じゃないのか?」
その視線に気圧されたのか、サクラが詰まる。確かに、レンマの言うことは理にかなっている。『黎明騎士団』のリーダーとして、サクラはこのクエストを受けるか否かを決定する権限があった。
「で、でも、私達仲間じゃない。レンマ一人をのけ者になんて……きゃっ」
のけ者になんてできない。そう言おうとしたサクラは、突然立ち上がったレンマに言葉を遮られた。
「僕をのけ者にしたくない!? もう既にのけ者だよ。僕は」
「え、な、なんで」
突然激高したレンマに、サクラは狼狽える。
「この依頼が来るまで、気づかない振りをしていた。でも、やっぱり気づいてしまった」
レンマは独白する。
「僕は、君たちよりも数段劣る人間だ。君たちの様に輝くような才能もなければ、溢れる様な魔力も、人を超えた身体能力も持ってない。ただの、弱い人間だ」
「そ、そんなこと……」
「あるんだ。だから、サクラ」
レンマは、強い決意の篭った眼差しで、少女を見つめる。
「僕は今日を以って、『黎明騎士団』を抜ける」
そう言ったレンマは、どこか、重い鎖から抜けだした様な、清々しい表情をしていた。