第七話 <過去編>
レンマは、親の顔を知らない。
物心ついた時から、彼はオウリュウの繁華街に住む、リンドと言う老婆に育てられていた。
両親は、彼が生まれて直ぐに、流行病で死んだと彼女に聞かされた。とはいっても、親と触れ合った記憶のないレンマは、その話を聞いても何も感じなかった。
彼にとって、家族とは老婆リンド以外に居なかったし、それでいいとも思っていたのだ。
育ての親であるリンドは、齢八十を超えて尚、その言動は矍鑠とし年齢を感じさせないほど活力が漲っていた。何でも、昔は王室の近衛騎士を務めていた程の剣士で、冒険者としても随分と名前が売れていたらしい。
彼女は寝物語に、レンマによく冒険の話をしてくれた。
彼は、時には、迷宮の奥底でうごめく怪物たちの話に身を慄き。またときには、そんな怪物たちに勇敢に立ち向かう冒険者たちの英雄譚に胸を踊らせた。
幼かったレンマは、老婆のそんな冒険譚を聞く事が何より好きで、彼女が辟易とする程に話をせびったものだった。であるからして、いつしか彼自身も冒険者に憧れ、リンドに剣の技を教えるよう頼み込む様になったのも自明の理といえる。
剣を教えて欲しいと言うレンマの頼みに、リンドは当初は反対していた。しかし、あまりにも彼が熱心に頼み込んだ為、ついには彼が十の年を迎える頃、彼に稽古をつける事を了承したのだった。
剣の師としてのリンドは、レンマが教えを乞うた事を後悔する程に厳しかった。
少しでも集中を乱せば容赦なく、木刀を叩きつけられ地を這わされた。技に甘い所があるのなら、永遠に続くかと思える程に、剣を振らされ続けた。
そんな風に、レンマは毎日、剣を握ることができなくなるまで型を繰り返し、疲労困憊するまで剣を振り続けていた。その生活は苦しくもあったが、同時に幸せでもあった。レンマにとって剣を振る時間は、己の活力が充実した、この上なく好きな時間であったからだ。
「お前には剣の才能は無い」
レンマは再三リンドにそう言われていた。その言葉は事実であったが、レンマはそんな事は気にしていなかった。剣を振るのはそれでも楽しかったし、まだ幼かったレンマは、それがどれ程大きな障害であるのか把握していなかったからだ。
そんな風に、稽古づけの毎日を送っていたレンマのもとに、ある日、新しい弟子が入ってくる。
両親に連れられて、入門した少女はリンドの孫にあたるらしい。何でも、身体が弱く病弱で有るため、少しでも体力を付けたいというのが、入門の理由であった。
リンドはやはり入門を渋ったが、結局折れて、少女に稽古を付けることとなった。
黒髪の美しい、気弱そうな少女は、その名をサクラと言った。すでに、リンドを鬼か悪魔かと思ってしまう程に稽古でしごかれ続けていたレンマは、少女が本当にリンドの孫であるのか疑ったほどである。もちろん、それを口に出した途端に地面にのされてしまったのは言うまでもないが。
彼女のその細い身体でリンドの稽古に耐えれるのかをレンマは心配していたが、その心配は結局杞憂に終わった。否、むしろ要らぬお世話であったと言える。
何故ならば、彼女には、凡庸なレンマとは比べる事も愚かな程の、天性の剣の才能があったからだ。
彼女の初めて握る剣、初めて放つ技。それを見たレンマは、人生において最も大きな衝撃を受けたと言っていい。
今まで剣術に縁もゆかりも無かった少女の技であるはずなのに、その振る剣は実に華麗で、美しかった。
サクラ・ローアンとは、レンマが初めて、この世には絶対的に越えがたい、才能という壁が存在する事を知らしめた者の名前である。
それから五年、様々なことがあった。
サクラが入門して暫く経った頃。サクラの才能に嫉妬していたレンマが、彼女に辛く当たった後に、剣の稽古を辞めてしまったこともあった。その時は、自分のせいだと落ち込んでサクラまでもが剣を手放そうとしてしまった。
しかし、それを聞いたレンマは、慌てて彼女に待ったをかけた。何故か原因である筈の彼は、彼女が剣を辞める事を許さなかったのだ。
「おまえには、さいのーがあるだろ! なんでやめるんだよ、もったいないじゃないか!」
「な、なによ! さいのーのあるなしなんて関係無いじゃない! いじわる! いじわる!」
などと、言い合いをして、何故かレンマも稽古を継続することで丸く収まった。
十二歳となった時に、リンドに連れられて初めて迷宮の一階層に挑み、実力では負けるはずのない小コボルトに二人して追い掛け回されたこともあった。二人共あちこちを噛み跡と引っ掻き傷だらけにし、わんわん泣きながら逃げ帰ったりもした。
いつの間にか、二人の同世代の仲間が三人も出来て、共に迷宮を冒険する仲になり、パーティを結成することになったり。三人の個性豊かな仲間たちと、様々な思い出や、冒険をした。最高に楽しい時をレンマ達は過ごしていた。レンマにとって、彼らと過ごす時はかけがえの無い物であったし、他の皆にとっても、きっとそうであっただろう
だから皆、昨日のギルドからの書類にレンマの名前が無かったことに憤ってくれたのかもしれない。だがレンマは、自分だけがギルドに参加を要請されなかった理由をおぼろげに理解していた。
半年前程からであろうか。レンマの階梯が、仲間たちに追いつけなくなってきたのは。
今まで、必死に修練と努力を重ねて追いかけてきた仲間達に、徐々にレンマは追いすがれなくなってきていた。
自分には才能が無い。仲間たちには、黄金の様な才能がある。それでも、共にあり続けることができると、夢を見ていたのかもしれない。だが、その幻想は昨日のギルドからの書類によって打ち砕かれた。
百二六、百二三、百十九、百二一。それぞれ、サクラ、ジャカ、クロウ、ハララの階梯である。それと比べて、レンマの階梯は九九。皆は気にしない素振りを見せていたが、それでも、この階梯差でパーティを組んでいく事が難しい事を悟っていたに違いない。そして、おそらくはギルド上層部も、そう判断したのだろう。
最近では、周りの冒険者達からも、自分が四人と共に居ることを疑問視する声が聞こえたりもする。彼らには、自分が仲間に寄生して迷宮に潜っている様にも見えるのかもしれない。
「そろそろ、潮時なのかもしれないな……」
レンマは、そう一人でつぶやいた。
現在、仲間たちは呼び出しに応じてそれぞれの招集先に出かけている。
レンマはその間、剣の稽古をしながらそんな事を考えているのだった。「……何を、くだらん事を考えている」
そんな風にひとりごちたレンマに、横合いから声が掛けられた。じっとレンマの稽古を見ていた、リンドである。
彼女は、この五年で急に老けこんでしまい、今や自分で剣を振ることなどほとんど無い。もっぱら、口で剣の指導をするに留まっている。
今は、レンマが一人、リンドの家の裏の広場で剣を振っていたところだった。
「手首の返しが甘い。踏み込みは浅い。他ごとを考えながら剣を触れるほど、お前は器用ではなかろう」
「……ごめんなさい」
そう謝って、レンマは剣を構え直す。そして、改めて素振りを再開した。
剣を振る。
薙いで、払って、突く。
受けて、流して、切り返す。
ひたすらに振りかぶって、振り下ろす。
何かを振り切る様に、剣を振るレンマに、リンドは顔をしかめると、レンマに聞こえない様につぶやいた。
「『潮時』、か。相変わらず不器用な子だよ……」
リンドには、レンマが何を考えているのか大方の予想がついていた。
めちゃくちゃ難産中です……。