第四話
どうやら、今日も夜中に迷宮に潜る羽目になるらしい。
「……シーアさん、やっぱり無理か?」
「無理ね。キャンセルも出ていないし。それに仮に出ても直ぐに埋まっちゃうもの」
ここは、オウリュウの中心地に位置する、一際大きな施設。冒険者ならば必ずと言っていいほど利用する『冒険者ギルド』である。
ギルドは総石造りの頑丈な建物で、様々な窓口や施設が連なっている。建物の入り口の側では、出入りの業者や流れの商人が露天を開いており、客を呼び込む声が飛び交っていた。
その冒険者ギルドにおいて幾種も存在する窓口の中の一つ、『迷宮管理課』の前で、レンマはうな垂れていた。昼間に迷宮にもぐれないか、儚い望みを賭けたわけだが、たった今、迷宮は満員状態である旨を告げられたのだ。無慈悲にその宣告を下したのは、レンマの良く知る昔馴染みの受付嬢だった。
レンマは、深くため息を吐くと、受付のカウンターにもたれかかった。
真昼間と言うこともあり、窓口を訪ねる冒険者はまばらである。なので傍から見れば、探索を怠けた冒険者が受付嬢相手に駄弁っているようにしか見えない。
受付嬢、ハーフエルフのシーアは、青みがかったショートカットを揺らして腕を組み、難しい顔をした。
「この先一ヶ月間も、日中はほとんど予約で満杯よ。潜れる時間帯は夜しかない」
その言葉に、レンマは首を振る。わかりきっている事とはいえ、事実を突きつけられれば落ち込むのである。
「そうか……。まあ、しょうがないな。やっぱり夜に潜ることにするよ」
そう言って苦笑するレンマにだったが、しかし、それに応じる受付嬢は苦い顔だった。
普段なら、「そうね」と諦めた様に言って手続きをしてくれる。その彼女は、今日は少々以上にお節介だった。
「……ねえ、何度も言うようだけど、そろそろ違う仕事を探したらどう? 毎日深夜の迷宮に潜って、必要以上に身を危険に晒してまで、続ける必要があるとは思えない」
彼女の顰めた目に思慮が浮かぶ。レンマが冒険者になった頃から、ずっと顔馴染みである彼女である。きっと心配してくれているのだろう。彼女は、レンマが罪荷者となった今でも、気安く接してくれる稀有な人物だった。
彼女が手助けしてくれなければ、冒険者を続けて行くことなどできなかっただろう。そんな彼女が、唐突に職の鞍替えを提案してきたのだ。普段と違う彼女の雰囲気に、レンマは困惑した。
「九年間、なんだかんだで冒険者として生きてきたんだ。今更、別の生き方なんてできないよ」
レンマは、腰の剣の柄をぽんぽんと叩く。それに、と皮肉げに口元を歪めながら続ける。
「俺に限っては、迷宮はこれ以上ない安全な稼ぎ場なんだよ」
「迷宮では、どんな事が起こるか分からない。慣れた頃が一番危ないのよ。……って、あなたが冒険者登録をした時に言った覚えがあるわ」
懐かしい頃の話に、レンマは目を少し細めた。
「覚えてるさ。でも、知ってるだろ? 罪荷者は迷宮入り口のテレポート陣は使えない」
「……」
「探索に入ったら、正規の奴らみたいに適性階層にとべるわけじゃない。一階層から進んで行くしかないんだ。どんなに急いで階層を攻略しても、危険な階層どころか、適性階層に着く前に朝になるよ」
そんな風に、自分で話してみて欝になってくる。こんなものは『冒険』者とはいえない。
「せいぜい十階層ぐらいだ。一日で潜れるのは。一番強いモンスターでもオーク程度だよ。安全なんてもんじゃない」
冒険者には階梯というものがある。これは、彼ら個々人の戦闘力の指標となる数字である。この、自分の階梯の数値から、迷宮探索における適性階層を判別することもできる。
基本的に、オウリュウでは、自分の階梯と同じ数字の階層が迷宮における適性階層であるとされている。
レンマの現在の階梯は四十九である。つまりは彼の適性階層は、四九階と言うわけだ。しかし、レンマは容易にその適性階層に到達することはできない。
一般の冒険者ならば、探索を始めると、各迷宮の入り口横に存在しているテレポート陣で自分の階梯に合った階層へ飛ぶ。しかし、罪荷者はそのテレポート陣を使うことができない。これもまた、この国における罪荷者の被るペナルティの一つである。
結局、彼が適性階層に向かう為には、テレポート陣を使わずに第一階層から、自分の足だけで迷宮を踏破しなければならない。力押しの強行軍で最短距離をどれだけ急いで攻略しても、せいぜい一日で十五階層ぐらいまでしか進めないだろう。
ちなみに、一般的なオークの階梯はおよそ十から十五ほど。階梯四九のレンマからすれば、幼児の相手をするようなものである。つまりは、レンマは普段の迷宮探索において、情けないほどの安全マージンをとっていることになる。
迷宮に普通に潜れば(・・・・・・)の話だが。
「俺は他の皆と違って、危険のない探索をしてるんだ。こんなの、『冒険』とは言わないだろう? 遊んでるようなもんさ」
自らを揶揄する言葉も織りまぜて、シーアに安心しろと言う。しかし、彼の「嘘」は残念ながら、ベテランの受付嬢には見破られていたようだった。じっとりと湿った視線が彼に向けられる。
「危険の無い、探索ねぇ……。……毎日、朝にボロボロになって迷宮から出てくる人の言葉とは思えないわね」
ぎょっとして、レンマが固まる。彼女のシフトは大体が正午から、日の入りを過ぎたぐらいまでである。レンマが迷宮に入る夜七時頃、彼女はぎりぎりギルドに居るが、その後すぐに家路についている筈なのだ。レンマが朝迷宮から出てくる時、どんな様子なのかを知ることは無いと思っていた。
「朝番のコたちから聞いてるわよ。あなたが毎日迷宮から体を引きずって出てくるって」
どうやら、不要な事をした職員が居たようである。レンマは、居たたまれない気持ちで、頬をかいた。女性のうわさ話を防ぐことはできない。
密かに、シーアには自分の無様な姿を知られたくないと思っていたのだが、もはやそんなことを考えるのも栓のないことである。
「驚いたな、シーアさん以外の受付の人たちは、俺のことなんか気にもしてないと思ってたよ」
実際、いつも彼女たちは、受付に来る彼に対してそっけない対応をする。罪荷者に振りまくような愛想は無いということなのだろう。そんな彼女たちが、迷宮を出てくる自分の事を認識しているのは意外だった。
「あなた、目立つもの。色々な意味で」
もちろん、悪い意味でだろう。レンマは気まずげに、首元の『鎖持つ竜の手』の刻印のあたりを引っ掻いた。
「まあ、そうかもな」
そう言って誤魔化そうとそっぽを向くレンマを、シーアはにらんだ。
「何か、危険な事をしてない?」
「してないよ。ただ単純に、長いこと潜ってるから疲れて出てくるだけ」
しばらく、二人の間を沈黙が支配する。
「まあ、何にせよ、今晩の迷宮探索の申請を頼むよ」
「……」
「……なあ、」
「危険な事、しないで」
沈黙に耐えられなくなったレンマが、言葉を重ねようとする。しかし、それよりも先に、切実なシーアの言葉が発せられた。先ほどまでの強気の様子はなく、その目は悲しみがあった。
「あなたは、絶対無茶してる。どんな方法かわからないけど、皆が思っているよりもずっと危険な探索してる。呪われた体で、制限を受けて。どうして、どんな理由があってそんな事をしているのかわからない。……でも、それはきっと、あなたの命を縮めるわ」
どこまでも真摯に、彼をを心配する言葉だった。それに対し、レンマは答えることが出来なかった。六年の間、あくまで一冒険者と受付嬢として一線を引いて接してきた。なのに、その関係を、彼女はなぜ壊そうとするのだ。
レンマが彼女に、ただの職員として接して欲しいと望んでいることを知っていたはずだ。
しかし彼女は、レンマの事情に踏み込んだ。この六年で初めてのことである。
レンマは、努めていつもどおり、何でもない風を装って彼女の言に答えた。
「無茶も、危険なことも、してない。女の子たちが少し大げさに言ってるだけだよ」
歯切れが悪い。だがレンマは、これ以上彼女に踏み込ませる気はなかった。
彼女は、悲しそうな目で言い訳をするレンマを見つめている。レンマは、自分胸が引き攣っているような気がした。頭を抱えて、受付のカウンターにもたれる。
「どうして、今更そんなことを言うんだ。『シーア』」
観念して、誤魔化すのを止める。レンマは、急に彼の事情に踏み込んできた彼女に問いかけた。呼ぶ名前は、六年前まで使っていたものである。
六年間引いていた一線を、この時だけレンマは元に戻した。そして、そんな彼に彼女は言った。
「わたしね、この仕事辞めるの」
その言葉に、レンマが顔を上げる。信じられない言葉を聞いた。
「どうして……」
思わず聞き返したレンマに、彼女は泣き笑いを返す。
「赤ちゃんが、できたの」
そのときの、レンマの胸に浮かんだ感情は何だったか。きっと、あまり綺麗なものではなかったに違いない。
「そう、か」
ただ、平静を装ってレンマは頷いた。震えそうになる声を隠して、何とか祝いの言葉を口する。
「おめでとう」
今わかった。なぜ彼女が、レンマに踏み込んできたのか。それはきっと、職場を去る彼女が、唯一の心残りを精算しようとしていたのだろう。
迷宮と言う名前の棺桶に、無謀に飛び込み続ける友人だった男。それがきっと、彼女のこの職場における最大の心残りだったに違いない。
そんな彼女の思いを汲み取って、レンマは謝った。
「そして、すまない。迷宮に潜って、剣を振り続ける以外の生き方が、俺には分からないんだ」
そう言って、彼女に苦笑を向ける。彼女はそれに微笑み返すと、諦めた様に言った。
「やっぱり、そう言うと思った」
無駄な努力だったわ。と笑う彼女。
「せめて、死なないように努力してね」
「ああ」
言って、レンマは背を向ける。そして、思い出した様に一言。
「あー、クロウにも、おめでとうって伝えてくれ」
そう言って歩き出す。彼女の方はもう振り向かない。自分が、どんなに情けない顔をしているか分からなかったからだ。
ギルドを出て、しばらくした所で歩みを止める。
「あいつと、彼女の子供ならさぞかし美形だろうな」
頬を伝う涙が、なぜ流れるのか分からない。
彼女は初恋の人だった。昔、友人との恋の鞘当てに破れ、諦めた人である。
とっくの昔に失恋は済ましている筈なのに、涙が止まらないのは何故なのか。
それはきっと、孤独感。世界は、自分などと物ともせずに回っている。そのことに対する疎外感である。
昔の仲間に、彼女に子供ができる。それはきっと幸せな家庭になるだろう。
しかし、罪荷者の自分は、それにならうことも、共に祝福することすらも許されないのだ。
――『落伍者』
その言葉の意味する所を、レンマは噛み締めていた。