第二話
万屋「千客万来」
大仰な店名の割りに、雑多に物の溢れる小汚い店である。
猥雑な他の店にさらに埋もれる様に、商店街から一本路地に入った所にその店はあった。
店構えはパッと見、とても商売をやっているようには見えない程に廃墟じみている。さらには、店の名を示す看板すら存在しない。
さもありなん。この店はまともな人間相手に商売できない商人が、まともではない人間を相手に商売をする店なのだから。
レンマはぐるりと周囲を見回すと、こそこそとそのボロ屋に入っていった。
「おはよう、店長」
埃や壁から垂れ下がる薬草、またそれとは違う得体の知れない匂いのする何かがひしめく店内に入ると、もう随分と顔なじみになってしまった店長が顔を出した。
「やいや! いーらっしゃいませ、レンマ様。毎度ご贔屓頂きまして嬉しい限り」
揉み手をしながら近づいてくるその者は、身長がレンマの腰ほどしかない。ホビット族である。
ホビット族にしては珍しい毒々しい程に赤い髪だが、それは乱れ、所々禿上げっている。乱れっぱなしの髪に対して、手入れされ細く伸ばされている髭がいやに浮いている。さらには隻眼で、片目は眼帯で覆っていた。
本来朴訥で温厚な種族と評されるホビットであったが、彼を見るかぎり、その論評にも例外があるということがよく解る。そのおどろおどろしい外見は、ジンリュウあたりに住む貴婦人が見れば、引きつけでも起こしかねない。
そんな彼だったが、レンマにとっては大事なパートナーである。日々の稼ぎも何もかも、彼の協力が無ければ金銭にすることはできないのだから。
レンマに対してあれこれと甲高い声で世辞を並べ立てているギリンに対し、手を振ることでその言葉の羅列を止めると、レンマは背負っていた革袋を店のカウンターの上に置いた。
「今日の収穫、精算してくれ」
手短に要件だけ告げるレンマにも、ギリンは不快感を顕にすることなく、その黄色いやにの浮いた歯を見せてにやりと笑う。
「かしこまりてで御座います。……けっへへ」
耳障りな笑い声を浮かべながら、一度頭を下げて、ギリンはレンマの革袋の中身を物色しだした。中身は、レンマが一晩迷宮に潜って集めた戦利品の数々である。
「ふむふむ。今回は……相変わらず代わり映えがしませんなぁ」
「放っておけ」
煩わしそうに返したレンマに頓着せずに、ギリンはぶつぶつと何やらつぶやきながら、内部空間拡張を施された革袋から中身を次々とカウンターに並べている。
「魔晶石が六百単位ほど……ですかね。これは後で測るとして、オークロードの精巣が八個にハーピーの風切羽が三本……火炎猿の毛皮が二つ、おお! これはトロールですかな?」
ギリンが革袋の口を大きく広げて一抱えほどもあるオークの頭を取り上げた。大きく醜い顔に、落ち窪んだ目が埋まっている。
「ああ、たまたま遭遇してね……、前にトロールの頭がそこそこいい値段がつくって聞いたから持ってきた」
本当は、いたたまれない夢を見たせいでむしゃくしゃして、無理に挑みかかったのだ。むろん、そのような事をこの店主に言う必要は無い。ましてや、思いの外手強くて、危うく返り討ちにされかかったなどとは。
「ははぁ……、そういやそんなことも言いましたかね」
ギリンは思い出したのか、ふむふむとごちながら、それもカウンターに置いた。
「まあコイツは銀玉二個ってところでしょうかね」
「な! それだけか!?」
以前は銀玉八個で売れるなどとのたまっていなかったか。レンマは愕然として声を上げる。
「それだけも何も、トロールの頭を飾る流行はちょっと前に廃れましたからねぇ」
銀玉二個とは、今回新調した剣の二割程度の値段にしかならない。自業自得の部分があるとはいえ、剣一本に対してあまりにもしょっぱい稼ぎだ。
「いやいやいや! 流石に安すぎるだろ!? トロールだぞトロール。どんだけ足下見る気だよ!?」
レンマは必死にギリンに食い下がる。しかし悪徳ホビット商人はにべもなく交渉の余地はない。
「あっしがコレを捌くのも、それなりのルートを使うもんで、コレ以上の値は着けれんのです。……まあ最も、正規のルートで捌いてくれる表通りの店で売ればもう少しいい値段が付くかもしれませんがねぇ」
そういって、ギリンはレンマを見上げた。勢いづいていたレンマの口は、その一言でぴったりと閉じられる。さもありなん、この街、否、この国でレンマとまともに商売をしてくれる商人はほとんど居ない。レンマの首筋に押されているる物と同様の刻印を持つ者は、正規の店での売買を拒否されるのである。
『鎖持つ竜の手』の刻印。レンマの首元に刻まれたそれは、セリウ王国において罰を受けている者を意味する。セリウ国内において、過失や事故などで社会に甚大な損害を負わせた者に、その損害を一生かけて償わせるための物である。
紋章を刻まれた者---人々は『罪荷者』と呼んでいるが---は、社会における様々な市民の特権を奪われ、市民の最下層の人間として日陰で生きていくことが運命づけられる、
この刻印も、六年前の事件の置き土産である。自分の弱さのせいで、多くの人々を死に追いやってしまった報いであり、その罪の証明だった。
この印を持つ者に、人は差別的だ。レンマが物を売ろうにも、普通の店では取り合ってすらもらえない。
ではなぜ、ギリンの店では者の売買ができるのかと言うと、それはギリンの首筋にもレンマと同じ刻印が存在することが理由の一つである。蛇の道は蛇、日陰者には日陰者の住む世界がある。
ここでなら、レンマは正規の店よりぐっと安い値段であるが、それでも物を売ることができる。ギリンも、レンマの戦利品を、闇市場で捌くことによって利益を得ることができるのだ。
「じゃあ、いつもお世話になってますんで大サービス! 銀玉二つに銀貨五枚! これでどうでしょう?」
大して増えてない、とうな垂れる。レンマはどうしようもないほどに今日の収支が赤字であること悟ると、深いため息を吐いた。
「わかったよ……、その値段で頼む」
「ひひっ、まいどあり!」
最初から、レンマが折れるしかないのだ。レンマは悪徳店主の差し出した対価――銀玉六つと銀板三枚、銀貨五枚――を手にすると、うなだれながら万屋『千客万来』を後にした。
とりあえず、もう赤字の事は考えたくない。レンマはとっとと家に帰って、全てを忘れて眠りたかった。
「やれやれ、毎度あり~」
遠ざかっていくレンマの背を見見送ると、ギリンは隻眼をぐるりと回した。
「しかし、罪荷者の身で、しかも呪い持ちで、よくもまぁ毎晩迷宮に潜って生きて出てきますなぁ」
それは呆れにも似た感嘆。普通、罪荷者という者は、女なら娼館にでも入って日銭を稼ぐか、男なら後ろ暗い商売に手を染めるか奴隷に身を落とすかだ。それがなかなか、彼はしぶとく日々を冒険者として生き抜いているらしい。
あれほどの非難を受けて、未だ剣を捨てることなく、呪われながらも迷宮に挑む姿は、滑稽に見えながらも、どことなく嘲り難い。
「しっかし、かの黎明騎士団の団員様が、こうも落ちぶれてしまうとはねぇ……」
ギリンは思い出す。六年前、冒険者としての人生を謳歌していた少年の姿を。それは、先ほど背を丸めて店を出ていった青年のそれとは似ても似つかった。
ギリンは一人、世の不条理に思いを巡らす。
「たった一人、落ちぶれて罪荷者。他のお仲間は皆さん出世して天上人……か。まったく、世知辛いねえ、人生ってのは!」
彼はそう吐き捨てると、カウンターに置いてあったトロールの頭をぺしり、とはたいたのだった。