第一話
今でも、性懲りもなく夢を見る。
鮮やかな姫剣士と、
勇猛な獣騎士と、
いたずら好きの五色魔導師と、
穏やかな主教司祭と、
何にも代えがたい仲間達と迷宮を駆けたあの日々を。
どうしようもなく、焦がれて、焦がれて、もう手に入らないあの日々を。
失ってしまったあの日々を、まだ性懲りもなく夢に見るのだ。
~殲剣伝~
第一部 『落伍者』
黄金の肌に緑の瞳を持つドラゴンを神獣として奉る王国「金竜国セリウ」。この国には、その首都である王侯貴族の住まう都市「ジンリュウ」と共に、国の中核を成す都市が存在する。
迷宮都市「オウリュウ」である。
ジンリュウに隣接する、陽竜国セリウに存在するほぼ全ての迷宮を擁する都市オウリュウは、冒険者にとっては一攫千金の地である。また、大陸全土の商人達にとっても、商売の一等地である。自然と人や物が溢れ、迷宮を中心に街が大きく広がっていた。
この世界で、迷宮が鉱山の様に国家資源として認められる様になって久しい。王国セリウにとって、オウリュウは格好の収入源だった。
命を賭してでも迷宮に飛び込む冒険者は後を絶たない。その冒険者の持ちだす魔晶石やモンスターの素材の加工品などは、この国の経済の基盤の一つとなっていた。
そんな迷宮都市、オウリュウの一際雑多な街中にレンマは住んでいた。
レンマは、夜を徹して潜っていた迷宮から戻って来た。早く自宅の毛布に包まりたい欲求に苛まれながら、疲労しきったからだを引きずって歩く。周りは冒険者向けの商店街が広がっている。
日中や夕暮れ時には、行き交う冒険者や客引きの声で賑わう通りだ。だが、未だ日も明けやらぬ早朝で有る。道を往く人はおらず開いている店も極少ない。
そんな、極少ない例外に当たる店の一つに、レンマは用があった。武具店『ロックアックス』。
商店街でも一際煤けた店構えをしているそこが、レンマの目的地である。
この早朝から店は開いているが、自分以外の客がこの時間に出入りしているのを見たことがない。もっと冒険者が活動し始める時間帯に開けた方が、繁盛するだろうに。
などと思うが口には出さない。わざわざこんな時間に店を開けてくれる店主に、不要なことを言って開店時間を遅らせられたら厄介である。
蝶番に相当ガタがきているのか、獣の唸り声の様な音を立てるその扉を押し開ける。レンマは店内に入っていくと、武具に使われている革と、油の匂いが鼻を突く。
「まぁたテメェか……」
迎える声音は歓迎からは程遠く不機嫌なものだ。ガンス・ロックアックス、この武具店の主の名である。
表と同じく煤けた店内は、お世辞にも掃除が行き届いているとは言えない。床を歩けば埃が舞いそうなほどだ。しかし、壁際に置かれた棚に納められた武器類だけは綺麗に手入れされており、閉まりきらなかった扉から差し込む朝日を受けて鈍く輝いていた。
その、多くの棚が並べられた店舗の奥に、これまたヤニやら油やらで汚れた大きなカウンターが鎮座している。筋骨隆々のドワーフ店主がそこで仏頂面を貼りつけ腕を組んでいた。
もうドワーフの年齢でも初老に位置するはずだが、その髪も髭も黒々としており、目は爛々と輝いていた。鍛冶の炎の色が移ったかのように赤らんだ肌は固くしなやかななめし革を連想させる。
レンマは、店主から放たれる不機嫌のプレッシャーに気圧されながら、固い口調でおずおずと用件を切り出した。
「……また、剣を売って欲しいんだ」
差し出された手には、刃こぼれだらけになったロングソード。刀身もいくらか曲がってしまっており、さらに先から中ほどまでに巨大な亀裂が入っている。
ここ二、三日、どことなく刃筋がぶれてきたな、と感じてはいたが、とうとう先の探索での戦闘で寿命が来たらしい。
「性懲りもなくまた持ってきやがったか……」
ガンスは、ドワーフらしく伸ばした髭面の奥で苦々しげに悪態をつくと、レンマを睨みつける。
「お前は一体何本俺の剣を駄目にすりゃ気が済むんだ? え?」
壊れた剣の柄でカウンターを叩きながら、怒声を上げるドワーフ。レンマは首をすくめておずおずと答える。
「折りたくて折ってるわけじゃないんだけど……」
ガンスはレンマの顔に浮かぶ鬱々とした表情を不愉快そうに一瞥して、けっと吐き捨てた。
「武器が折れる呪いっつんだろ? それが本当に神様とやらが掛けた呪いってんなら、もう冒険者なんて続ける理由なんざ無いだろう。そんなザマ晒すくらいなら、他の仕事でも探したらどうだ」
ガンズのは辛辣な言葉を吐く。しかし、レンマはただ首をすくめるだけである。同じ様な台詞は、この六年間で飽きるほどに聞かされてきた。だからレンマは、卑屈な笑みを浮かべて、いつも通りに気のない返事を返した。
「そうだね。考えておくよ」
放った皮肉に堪えた様子が無い為か、髭面の店主は舌打ちと共に苦々しげに毒づいた。
「……っち、とっとと代金置いて帰りやがれ」
その手には、真新しい鉄製のロングソード。先ほどレンマが渡した物と同型のものである。れ
およそ、接客態度としては誉められた物ではないが、それでも、レンマにとっては物を売って貰えるだけでありがたかった。とある事情により、この都市でレンマに剣を売ってくれる、というより、物を売ってくれる店は非常に少ないのである。
レンマは新しい剣を腰に帯びると、背を向けた店主に礼を言って店を去った。
「呪い……か。ほんと、加護なんて欠片も与えてくれなかったくせに、ケチな神様だよな」
追い立てられるように武器屋を後にしたレンマは一人ごちる。
『武装破戒』と呼ばれる呪いがある。
持つ武器がまるで持ち主を厭う様に、自らを腐らせ破滅していく呪いである。
それは、信望する神の信条を侵した者に降りかかる。
守護の神を奉じる聖騎士が、私利によって人を殺めた時。
闘神を奉じる剣闘士が、戦いに臆した時。
神は自らの信条を侵した者から、神その武器を奪う。
そして、加護は取り上げられ、戦いの場に戻る事はできなくなる。
故に、その呪いを受けた冒険者は、はこう呼ばれるのだ。
---「落伍者」と。
レンマの奉じていた神は、至剣神プラグマ。かつて人の身でありながら、鍛錬に鍛錬を重ねる事で、神を打ち倒した英雄神の一人である。また、レンマの使う剣術『至剣流』の開祖とされていた。
その神プラグマの司る信条は、「不退」「誠心」「錬磨」であった。
レンマはその神の信条を侵し、『武装破戒』の呪いを受けた。
すなわち彼は、「不退」の信条を破った「臆病者」であり。
「誠心」を失った「不実な者」であり。
「練磨」を捨てた「怠惰」であると目される。
『落伍者』と、そう侮蔑を受けるのである。
そして、その評価は概ね正しい。と、レンマは自覚している。
六年前の全てが変わった日、レンマは人々を裏切り、逃げ、力の足り無さに慟哭した。
ギルドからは謀反人の烙印を押され、人々からは卑怯者と蔑まれた。だから、呪いを被るのも当然だと考えていた。
持つ武器はことごとく朽ち果て、人々からは蔑まれる。そんな中でも、レンマは未練がましく迷宮で剣を振る。
先ほどガンスに諭されたように、本来なら武器を捨て、違う生き方を探すべきである。それをわかっていながら、レンマは剣を捨てることができないでいた。
「……未練だな」
自分は、かつての仲間のように才能に溢れていなかった。剣にしてもそれは同様である。
同門の剣士、サクラは誰もが認める剣の天才だった。レンマの非才の駄剣とは、比べるのも愚かしい程に。
それでも剣を取ってしまうのは、あの頃の輝かしい記憶を忘れられないからか。
もしかしたら、まだ自分に隠れた才能が眠っているとでも期待しているのか。
そうだったら、愚かしいにも程がある。
そんな風に、自らを嘲ると、レンマは歩みを早めた。
一晩迷宮に潜っていた体は、猛烈に休息を欲している。早く薬類や食料を補給して、泥のように眠りたい。
レンマは、それらを補給することができる、この時間に開店しているもう一つの奇特な店に向かう。
体を引きずる様に、背を丸めて、人生の敗北者の様に鬱々とした足取りで。