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殲剣伝  作者: NOCK
第一部 『落伍者』
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序章

「いくよ、レンマ! ジャカ!」

「ああ!」

「応よ!」


 長い黒髪を翻して駆ける少女に応えて、レンマは迷宮の滑らかな石畳の地面を蹴った。レンマの隣では、親友の人狼族のジャカも愛用の斧槍を構えて追走してきている。

 目指す敵は、赤色のブラッド・ミノタウロス。ここ、セリウ王国における一番大きな迷宮『主迷宮』の五十階層まででは最強の敵だ。

赤い肌に赤茶色の剛毛が生え、その頭からは捻くれ立った黒い角が二本伸びている。何よりその筋骨隆々の体は、見あげなければ全貌を捉えることができないほど大きい。軽く、自分の五倍の体躯はあるだろう。恐らくは自分一人ならば一瞬で屠られるだろう強敵である。

 だが、レンマの胸に恐れはない。一人では敵わずとも、五人でならどんな敵だって倒せる。そんな自信を持てるほどにレンマを合わせて五人の攻略パーティ『黎明騎士団』は優秀だった。三年の時を共に生きてきた彼らのチームワークは、他の有象無象のパーティとは比べ物にならないだろう。

 自分より遙か先を疾走していた少女、サクラが軽やかに地を蹴る。

燦めく銀閃。

彼女が愛刀を抜き放つと、息もつかぬ間に三連の剣撃が繰り出された。さすが、剣姫などと持て囃されることはある。戦いの中にあって、彼女の剣閃は咲き乱れる華の様に美しかった。

 美しさだけでなく、威力も並ではない剣撃である。ミノタウロスが苦鳴と怒号を織り交ぜた咆吼をあげた。

それに怯むことなく斧槍を腰だめに構えるのは、獣人のジャカである。彼は吠える敵に張り合うかのように呻り声を上げながら牛鬼に挑みかかった。

 「うおりゃあああ!」

 ミノタウロスの強靱な皮など意に介さず、ジャカは鋭く槍を突き上げた。ミノタウロスの、その毛深い赤黒い巨体が大きくよろめく。獣狼族であるジャカの、人族とは一線を画する膂力から繰り出される槍撃である。それは、常人ならば傷をつけることすら難しいブラッド・ミノタウロスの皮を容易に貫通した。

 大きく体勢を崩したミノタウロスの隙を、レンマは逃さなかった。全力を込めてレンマは手に持つロングソードを振り下ろす。ミノタウロスの体に刃の喰い込む確かな手応えを手の内に感じ、レンマは口元を吊り上げた。

 「ウゴァァァアアアア!」

 袈裟懸けに斬りつけられた牛頭の巨人が吠える。怒りに駆られながらその腕に持つ大斧を力任せに振り下ろした。レンマとジャカはすぐさま飛び退くが、その一撃は、頑丈な筈の迷宮の岩盤を抉り、大量の土石を吹き飛した。それら瓦礫の一つ一つが、並みの冒険者が昏倒してしまうほどの威力をもっている。

 だが、レンマ達にその攻撃が届くことはない。後ろに控えていた仲間の一人が、文字通り神の業のような早業で瞬時に光の結界を構成したのだ。瞬くその結界は、レンマ達に降りかかろうとしていた瓦礫をはじき飛ばした。

 「サンキュー、クロウ!」

 彼らの後ろに控える結界の主の少年は、ジャカの威勢のいい感謝の言葉を受けてにこりと微笑む。大陸において、最も信仰される神オラセウスを奉じる主神教の僧侶。その中でも一際若くして司祭の位を預けられた少年の祝福は、常に彼の仲間に厳然たる守護を与えていた。

 「うん。助かった」

 内心ヒヤリとしていたレンマも、クロウに感謝する。

 「それほどでも。でも、もうちょっと退いた方がいい。そこだと結界抜くレベルの余波が行くよ」

 何の、とは聞き返さない。長めの金髪に燐光を纏わせているのクロウの隣で、足首に届くほどに伸ばされた白髪が波立っている。膨大な魔力を無造作に練り上げている少女が、楽しげに唇をつり上げていた。口の形だけで、「よ・け・て・ね」などと伝えてくる。彼女が何をしようとしているのかを悟った二人は、渦巻く魔力に表情を硬直させた。

 「おいおいおいおい」

 ジャカは獣耳をせわしなく動かすと、ペタリと伏せる。尻尾は丸めて足の間へ。

 「マジかよぉぉ!?」

 必死の形相でレンマたち前衛(フォアード)が飛び退ったところに、極大の火球がミノタウロスに炸裂した。たぶん、色魔術の赤五(あかご)(がけ)あたりの、豪炎球だろう。

 「相変わらず無茶苦茶するなぁ……」

あまりに豪快すぎる魔法運用にレンマが苦笑していると、ジャカの怒声がそれを遮った。

 「笑い事じゃねぇって! 尻尾が焦げた! おいハララ、てめえはいつもいつも……」

 自慢の尻尾を焦がされかけたことに非難の声を上ているジャカに、ハララと呼ばれた白髪の少女がけらけらと悪戯っぽく笑うと片手の平を顔の正面に立てた。

 「めんご! でも、当たんなかったからいいじゃん?」

 「良い訳あるかぁ!?」

 「ちょっと、ジャカ!」

 尚も言いつのろうとするジャカに、クロウが待ったをかける。

 「なんだよ!?」

 「後ろ後ろ」

 ジャカが振り向けばそこには、皮膚を焼かれた牛頭が憤怒の眼差しで彼を見下ろしていた。

 「おぉう……」

 無防備な体制になったジャカに、容赦なく敵は斧を振り下ろす。

 「ジャカ!」

 慌てて助けに入ろうとしたレンマに先駆けて、宙を舞う影。相変わらず美麗な流線を描いて、彼らのリーダーである彼女は飛んだ。

 「全くもう……」

 翻る黒髪。それを追うかのように燦めく銀閃、その数五つ。

 「戦闘中だよ、ジャカ、レンマ。気を抜いちゃダメでしょ」

 穏やかに仲間を叱咤する。その傍ら、銀閃は花びらの様に散り、ミノタウロスの丸太の様な腕を斬り飛ばした。

 あまりに鮮やかな、華麗に舞うかの様な剣技である。レンマは思わず陶然と見とれた。

 その視線を知ってか知らずか、少女は艶やかに笑みを浮かべる。

 「たたみ掛けるよ!」

 その声に、我を取り戻したレンマは愛剣を構え直す。全身から煙を上げ、武器諸共腕を失った敵である。もう、そこには戦闘前の偉容など見受けられない。

 レンマは自分の周りを一瞬見回す。

 クロウは守護の結界を編み直しているのか、聖印を切っている。

 その隣で、ハララがにやにやしながらいくつも魔法球を形成していた。

 ジャカは斧槍を振り回し、片腕のミノタウロスと鎬を削っている。

 そして、レンマの正面では、黒髪の剣士の少女が彼を振り返っていた。

 「行こう、レンマ!」

「うん!」

 レンマは声をを上げて答えると駆けだした。

 僕たち五人に、倒せない敵はいない。そんな全能感を感じながら、彼は牛頭の巨人に向かって剣を振り下ろした。

 絶叫を上げながら、倒れ伏すミノタウロス。その様を瞳に収めると、レンマは快哉を叫んだ。

 「やったな! みんな!」

 そう言って仲間を振り返った瞬間。レンマは目が覚めた。




世界が曖昧に、遠くなっていく。幻想が薄れ、現実が像を結んでいく。いつの間にか四人の仲間は消え去り、牛頭の巨人も消え去っていた。周りにあるのは、ただただ暗闇のみ。

 レンマは未だ朦朧とする意識を頭を振って覚醒させると、目を見開いた。

 「夢……か」

 そこは、とある郊外の古迷宮の一室だった。なぜ、自分がなぜこんな所に居るのか、と未だに寝ぼけた頭でレンマは思案する。なぜもなにも、体力回復の為にと数時間前に仮眠をとったのだった。数分の休息のつもりが、思わず寝入ってしまったらしい。

 仮にも迷宮で、無防備な身を無様に晒してしまっていた。その事に舌打ちを一つ漏らす。堅い床で眠ったせいか、身体も固くなって若干痺れていた。

 引きずる様に、革鎧に覆われた身体を起こす。周りには彼以外の人間は居ない。そんな事はこの六年で当然となっているのに、何故か寂寥感を覚えてしまった。

「ばかばかしい」

 昔の夢を見たせいだろうか。と、益もない事を考えて、レンマは苦笑した。

 信頼しあっていた仲間たちと、迷宮を駆け抜けていたあの頃の記憶。それは色褪せずに彼の心に刻まれている。人生で一番幸せだった頃の夢だ。

 「それにしても……」

 ずいぶんと、酷い、悪夢である。

 救いようもない。その言葉を、昔の夢を見た自分に向けたのか、それとも昔の彼自身に向けたのか。彼自身わからないまま自嘲する。

 優秀な仲間たちに助けられていた事に気づかず、自分も仲間たちと同じ優れた存在だと思い込んでいた。あの頃の自分を思うと、どうしようもなく苦い気持ちが心を満たす。

 今日はもう少し奥の階層まで進もうか。と思う。どうしてか、めちゃくちゃに剣を振り回したい気分だった。


 夢の中では仲間と共に輝ける未来を追っていた少年だった。だが今のレンマは、ただ日々の糧を稼ぐためだけの、独りきりの冒険者だった。


 

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