後退
二郎は舞台を指差す。
二郎の示した方向には、蒸汽の渦が舞台から客席全体を覆い尽くそうとしていた。
渦に触れた劇場の部分は、ぐにゃりと変形し、何か異様なものに変貌しようとしていた。
渦巻きの中心に巨大化したシャドウと、その手に捉えられている皇女エミリーがいる。
「皇女さま……エミリー……」
首相のタークは、すとんと腰を抜かしたように床に仰のけになり、必死になって立ち上がろうとしている。
恐怖に凍り付いた視線は、ひた、とシャドウに掴まれたままのエミリーに注がれていた。
「【ロスト・ワールド】が、蒸汽劇場全体を呑み込もうとしている! このまま留まったら、おれたちも強制的に【ロスト・ワールド】に入ってしまう! それは超まずい! 何の準備もないまま【ロスト・ワールド】に呑み込まれるわけには、断固いかん!」
二郎は一気に捲くし立てると、ぐいぐいとタバサの腕を引っ張って、劇場の出入口へと突進した。
が、途中で思い直したのか、ターク首相の襟首を背後から片腕一本で掴み、ずるずると引き摺っていく。怖ろしいほどの怪力だ。
タークは抗議した。
「は……離せっ! 皇女さまが、あの化け物に捕まっているというのに……!」
すかさず二郎は叫び返した。
「今は無理だ! まだ準備が全然できていないっ! それより帝国軍の攻撃が始まるぞ」
二郎の言葉にタークは、帝国軍の方向に顔を捩じ向ける。