【裁定者】
やがて群衆の動きは【大中央駅】中心に向かう流れとなっていた。
【大中央駅】の中心に、一個の巨大な塑像が聳えていた。
ゆったりとしたローブを纏った、三面六臂の神の坐像であった。正面に優しげな表情の仏陀の顔。右にはリンカーン、左にはマホメットの顔を象っている。
塑像は、仮想現実を監視する【裁定者】の坐像であるとされる。どっしりとした身体つき、厳しい顔は半眼を閉じ、長い白髪を背中に垂らした姿は、言い知れぬ威厳を感じさせる。顔には髭はなく、ゆったりとしたローブ姿は男性、女性どちらとも見える。
仮想現実世界では、プレイヤーの安全を守るため様々な制限が加えられている。苦痛をカットする倫理規定もそうであるし、差別語を発音できないことや、七十二時間の制限時間も、その一つだ。仮想現実世界の全てを監視する【裁定者】も、安全装置の一つである。とはいえ、【裁定者】は唯の一度たりとも、実際に作動したことはないとされている。今、プレイヤーたちは最後の希望を込め、【裁定者】の坐像を見上げていた。
一人、また一人と【裁定者】の坐像の膝もとに集まり出し、無意識であろうが、両手を合わせ、祈りのポーズをとる。やがて、ゆっくりと喧騒は静まっていった。プレイヤーは続々と【裁定者】のもとに吸い寄せられる。
「【裁定者】さま……どうか、お救いを!」
一人が声を上げる。声を上げたことが切っ掛けとなり、全てのプレイヤーも同じように呟きながら、祈りのポーズを取った。
どのくらいの時間が経ったのだろう。
ふと見上げたプレイヤーたちは、驚きに声を上げていた。
「見ろ! あれを!」
指さす。
指先は【裁定者】の顔に向かっていた。【裁定者】の両目が開いていた。半眼に閉じていた両目が、くわっと見開かれ、両の瞳は金色に輝いている。
ゆらり……、と【裁定者】の巨体が揺らめいた。ゆっくりと、実にゆっくりと【裁定者】は立ち上がり始めた。仮想現実の歴史上、初めて【裁定者】が動き始めたのである。
三面ある【裁定者】の三つの唇が開かれ、ある音声が発せられた。痺れるような音声は、その場にいた全てのプレイヤーに、じーん、と染み入った。
「天上天下、唯我独尊!」「人民の人民による……」「アッラー・アクバール(アラーは偉大なり)!」
【裁定者】は叫び終わると、ゆっくりと足を挙げ、第一歩を踏み出した。