スパイ
シャドウは今まで、何度も【ロスト・ワールド】に迷い込んできたプレイヤーを「感覚遮断」の状態にして、自分の思うがままに操ることのできる、手先としてきた。
手先はシャドウの忠実なスパイとして、様々な〝世界〟へ送り込まれ、報告を送ってくる。その中に、エミリーの情報もあった。
シャドウ自身は【ロスト・ワールド】から出ることができない。しかし他〝世界〟の、まだ〝ロスト〟していないプレイヤーなら、「感覚遮断」の手法で忠実な家来とし、何食わぬ顔で他の〝世界〟でスパイとして働かせることができる。
こつこつ……と、密やかなノックの音に、シャドウは振り向いた。
ドアを音もなく開き、一人の陰気な男が姿を現した。やや猫背で、つるりとした禿頭、皺んだ色黒の肌に、細い手足。男はシャドウと目が合うと、曖昧な笑いを浮かべた。
「なんだ?」
シャドウの鋭い声に、男は「へっ」と小腰を屈めた。じろり、と手足を投げ出し、床に横になるエミリーを見て「よろしいので?」というような顔つきを浮かべる。
シャドウは「構わん!」と一声上げ、苛立たしく部屋へ入るよう合図する。
するすると音もなく近づくと、男はシャドウの耳に囁きかける。
「〝ロスト・シティ〟に例の男が姿を……」
シャドウは目を細めた。
「客家二郎か?」
男は大きく頷く。目を見開き、シャドウの命令を待ち受ける。シャドウは質問した。
「それで、奴の動きは?」
「どうやら、ギャンと顔を合わせたようで。何か密談をしている様子です」
「ふうむ……」
つかつかとシャドウは窓辺に近づき、町を見下ろした。
眼下に広がる〝ロスト・シティ〟の建物は、シャドウの居城側に向けられている壁には窓一つ、設けられていない。また、色とりどりの壁面も、シャドウの側からは無愛想な灰色が広がっているだけである。
その中で、目立たぬ裏通りにギャンのレストランはあった。
ギャンのレストランを見下ろし、シャドウは呟いた。
「ギャン……、か。あいつ、何かあると、おれに逆らってきた。二郎と知己とは知らなかったが、不思議はないな」
ぐい、と背後の男に振り返る。
「で、どのような密談だ? 内容は?」
男は肩を竦める。
「そこまでは……」
「ふん」とシャドウは顔を背け、嘯いた。
「まあ、どんな計画を思いついたか、想像は付くな。時間は残り少なくなっている。二郎の奴、一気におれとの勝負をつけるつもりだろう」
ニヤニヤ笑いが浮かんだ。シャドウの呟きは、何やらひどく楽しげである。
「まあ、来るならこい! 決戦は、おれも望むところだ」
エミリーに視線が移った。
「その頃には、エミリーも完全に生まれ変わる! いよいよ仮想現実は、おれのものに!」
シャドウの薄い唇からは「くくくく……」と、くぐもった笑い声が漏れていた。