ギャン
二郎は笑いを堪え、首を振った。
「玄之丞、あまりからかうなよ。給仕の奴、店の主人に御注進に走ったぜ」
「ふん!」と玄之丞は鼻を鳴らす。
「ちょうど良いではないか! 店の主人とは、おぬしの言うギャンとか申す奴だろう? こっちから探す手間が省ける」
言い放つと、おもむろに葉巻を咥える。
玄之丞がマッチを探していると、ぬっと背後から腕が伸びた。指をぱちりと鳴らすと、親指にぽっ、と炎が点火される。玄之丞は葉巻を指に近づけ、吸いつけた。
「こりゃ、すまんな」
「お客さまにはサービスを――が、当店のモットーで御座いますから……」
声は気だるく、囁き声に近かった。玄之丞は顔を上げる。
背後に立っている男は、指先の炎を口元に近づけ「ふっ」と息を吹きかけ、火を消す。
「わたくしが、この店の主人で御座います。何か、うちの店の者がご迷惑をお掛け致しましたでしょうか?」
タバサは仄かに、香水の芳しい香りを嗅ぎ取っていた。現れたのは、十頭身はあろうかと思われる、ほっそりとした身体つきの、青白い顔をした男であった。
身に纏っているのは、真っ白なスーツに、ピンクのシャツ。しかも盛大なフリルが首許から、手首から出ている。肩に掛かるほど長い漆黒の髪の毛をはらりと顔に垂らし、憂鬱の国から、憂鬱を広めに来たような雰囲気を漂わせている。
驚くのは、男の背後にわんさかと薔薇の花が咲き誇っていることである。薔薇の花は空中に浮かび、男の身動きに合わせて漂っている。
男は背中の薔薇を一本、ひょいと摘み取ると、優雅な仕草で胸のポケットに差した。気障もここまで徹底すると、いっそ清々しい。
玄之丞は、おずおずと尋ねた。
「あんたは?」
男は微かに頭を下げる。
「ギャン、とこの辺りの人間は、わたくしを呼びます……」