男と女が書く作品の「違い」は、どこに現れるのか?
漫画を読んでいて、ペンネームは男っぽいが、どう考えてもこの作者、女性だよね?と感じることがある。数か月から数年後、実際に作者が女性であることが判明する。
男性的なテーマで、男性が主人公。
だとしても、これが意外に分かる。
筆者は男なので、男が書いている女性主人公の作品に関しては、作者のペンネームを読まなくとも、すぐに作者が男であることを感じ取れるわけだが、逆はどうか?
「男の作者の中にはない男像」であったり、女性的な描写というものを言語化する場合、いったいどういった言葉が適切なのか?とふと疑問に。
これは、一般的な男女が「世界をどのように捉えているのか?」という話にも繋がる。
「価値観の違い」という言葉は、非常に便利だが、その価値観を形成するプロセスについては、あまりこれまで語られてこなかったような気がする。「変換」の前段階にある「インプット」でも、フィジカルな部分が大きく関与する。男女ともに「同じ人間」でありながら、実はすでにこの段階から差異がある。
女性は、男性よりも色の濃淡の違いであったり、匂いに対して敏感であったりもするが、これも完全に「身体機能そのもの違い」に原因がある。実際に女性の視神経における色覚処理は、男性のそれよりも高性能で、また嗅覚もレセプターの数と感度が違う。
この点を知らない男は「お前が過敏なだけだろ」と、女性に吐き捨てるように言うわけであるが、こういった話を知れば、またその見え方も変わってくる。
実のところ、脳での情報の処理方法も大きく異なる。
男が何かを論理的に思考し、アウトプットしようとする際、多くは左脳にその活動が集中する。しかし、女性は右脳と左脳の両方を同時に動かす。そのため、右脳と左脳を繋ぐ「脳梁」と呼ばれる箇所も女性の方が太い傾向にある。
男は、ひとつのことに集中すると、それにのめり込むが、女性はすぐに話が飛ぶ。その原因も、この「感覚処理の差異」にある。多くの男は、視覚と聴覚に意識を集中させがちだが、女性の場合は、他の感覚受容器も同時に作動する他感覚=マルチモーダル型であるため、男の「死角」からの会話の跳躍なども生まれやすい(もちろん、これらにも「個人差」が大きくあり、筆者はどちらかといえば、飛躍型に類する傾向にもあるので、念のため)。
こうして文章として、その差異を書き起こしていくと、だんだん見えてきた気がする。女性的な作者による描写には、やはり、男が無意識にカットしている「男の死角」が書き込まれている。―― と見るのが正解かもしれない。
となると、嗅覚や味覚、触覚的な表現の描写の大小で、それを使い分けることが出来るのではないか?
筆者が、なぜこのような部分にこだわっているのかといえば、それはやはり「物語を描く上でのリアリティ」の追求からだ。「これは男が書いている女のセリフだ」と読者に感じさせては、物語への「没入感」も削れる。
しかし、またここまで書いてきて気付くことだが、筆者のこういった拘りは、読み手に故意に高負荷をかける作業でもあるので、「低負荷こそが売り」でいったい何を考えているのか?という話にもなってきそうな話。
だが、まあ、自分が納得のいく、それなりの作品が書けるようになれば、その戦場を変えればいいだけの話で、やはりその拘りにこそ、重きを置くべきであろう。




