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異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~  作者: 歩人


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第57話: トリアージ

 それは夜明け前に起きた。


 王都各地から、同時に警報が鳴り響いた。


「管理者! 複数の魔法陣に攻撃。第三防壁、通信魔法陣第七ノード、水浄化魔法陣第二系統、灯火魔法陣東区画、同時発生!」


 リーティアの声が、緊迫していた。


 リオンは監視室に飛び込んだ。魔力盤に、無数の赤い警告が点灯している。


「同時多発攻撃か」


 エルナが駆けつけてきた。


「リオンさん、これ」


「帝国の新しい戦術だ」


 リオンは歯噛みした。


「一箇所じゃない。同時に複数を攻撃して、対応を分散させる気だ」




 アルヴィスが杖を握って入ってきた。


「状況は!」


「四箇所同時攻撃。すべて深刻です」


 リオンは魔力盤を見た。


「第三防壁、魔力パスに亀裂。このままでは三十分で崩壊。通信魔法陣第七ノード、中継機能が停止して東部の通信が途絶。水浄化魔法陣第二系統、浄化機能が低下して住民に汚染水が供給される恐れ。灯火魔法陣東区画、出力ゼロ。東区の住民が真っ暗の中にいる」


 アルヴィスの顔が強張った。


「全部、同時に対処できるのか」


「無理です」


 リオンは静かに答えた。


「人手が足りない。全部は救えません」


 沈黙が落ちた。エルナが、震える声で言った。


「全部、救えない?」


「ああ」


 リオンは深く息を吐いた。


「今ここにいるのは、僕とエルナ、アルヴィス局長。運用チームは他の拠点に配置されてる。呼び戻すにも時間がかかる」


「じゃあ」


「優先順位を決める」


 リオンは魔力盤を見つめた。


「全部は救えない。だからどれを優先するか、決めないといけない」




 ミーナが羊皮紙を抱えて飛び込んできた。


「リオンさん! 東区から救援要請が」


「わかってる」


 リオンは目を閉じた。深呼吸。冷静に。感情を切り離して判断する。前の世界で、何度もやったこと。障害対応のトリアージ。全部は救えない。だから、救う順番を決める。


 目を開けた。


「優先度A。水浄化魔法陣第二系統」


「え」


 エルナが驚いた声を上げた。


「防壁じゃなくて、水浄化を?」


「防壁は三十分保つ。でも、水浄化は今すぐ止めないと、汚染水が住民に届く」


 リオンは冷静に言った。


「人命に直結する。だから最優先だ」


「優先度B。第三防壁」


 リオンは続けた。


「三十分の猶予がある。その間に水浄化を修復して、それから防壁に取り掛かる」


「優先度Cが通信魔法陣と灯火魔法陣?」


「ああ」




 ミーナが声を上げた。


「でも、東区の人たちが真っ暗で困ってるんですよ!」


「わかってる」


 リオンは静かに答えた。


「でも灯火がなくても、人は死なない。通信が途絶えても、すぐには死なない」


「人命に直結するものから。それ以外は後だ」


 リオンの声が、監視室に響いた。


「これがトリアージだ」


 アルヴィスが前に出た。


「わかった。お前の判断に従う」


「局長」


「私は第三防壁に向かう。三十分、保たせてみせる」


「お願いします」


 リオンはエルナを見た。


「エルナ、水浄化魔法陣に向かってくれ」


「はい」


 エルナは少し震えていたが、頷いた。


「リオンさんは?」


「僕はここで全体を監視する。状況が変わったら、優先度を変更する。だからリーティアと一緒に、全体を見る」




 エルナが水浄化魔法陣に到着した。


 魔法陣の浄化層が、劣化している。帝国の攻撃で、魔力パスに不正術式を注入されたらしい。


「リオンさん、浄化層が」


「診断結果を送る。今から」


 リオンの【診断】データが、エルナの魔力盤に届いた。


「浄化層の第三回路と第五回路が汚染されてる。そこを切り離して、予備回路に切り替えて」


「了解です」


 エルナが魔力を練る。汚染された回路を切り離し、予備回路を起動させる。


「切り替え成功。浄化機能、復旧しました!」


「よし。そのまま第三防壁に向かって。アルヴィス局長を支援してくれ」


「はい!」


 第三防壁では、アルヴィスが一人で魔力を注ぎ込んでいた。亀裂が入った魔力パスを、自分の魔力で無理やり繋いでいる。


 額に汗が浮かぶ。もう若くはない。魔力の総量は衰えていないが、持久力が落ちている。三十分、保てるか。


「局長!」


 エルナが駆けつけてきた。


「補助に入ります!」


「助かる」


 アルヴィスは少し安堵の表情を見せた。


「亀裂部分に魔力を流し込んでくれ。私が構造を保つ」


「了解です!」


 二人の魔力が、防壁を支える。




 監視室では、リオンとリーティアが状況を監視していた。


「水浄化魔法陣、復旧完了。第三防壁、アルヴィス局長とエルナで維持中」


「通信魔法陣と灯火魔法陣は、まだ手が回せない」


「管理者」


 リーティアが言った。


「東区から苦情が入っている」


「わかってる」


「灯火魔法陣の復旧を求める声、多数」


「わかってる」


 リオンは拳を握った。


 その瞬間、ミーナが入ってきた。


「リオンさん! 東区の代表者が来てます!」


「今は無理だ」


「でも」


「後だ!」


 リオンは声を荒げた。


「今、防壁が崩壊寸前なんだ。灯火は後回しにするしかない!」


 ミーナが、ビクッと震えた。


 リオンは自分の声の大きさに気づいて、深く息を吐いた。


「ごめん、ミーナ」


「いえ」


 ミーナは少し泣きそうな顔で、でも頷いた。


「わかってます。リオンさんが一番辛いって」


 リオンはミーナを見た。彼女の茶色の目が、涙を堪えながらこちらを見つめている。


「東区の人たちには、僕が後で説明する」


「はい」


「今は防壁を守らせてくれ」


「わかりました」


 ミーナは部屋を出て行った。


 リオンは一人、魔力盤の前に座った。全部は救えない。わかっている。でもそれを決めるのは、いつも辛い。




 第三防壁の修復が完了したのは、三十五分後だった。


 アルヴィスとエルナの連携で、亀裂部分が完全に修復された。


「第三防壁、復旧完了。魔力パス、正常」


 リーティアの報告に、リオンは安堵の息を吐いた。


「ありがとう、局長、エルナ。次は通信と灯火だ」


 アルヴィスの声が、疲れていた。


「リオンは通信魔法陣に行くのか」


「はい。診断ダイアグノーシスで原因を特定します。エルナは灯火魔法陣に向かってくれ」


「了解です」


 通信魔法陣第七ノード。リオンは【診断】を発動させた。


 中継機能が停止している。魔力パスが切断されている。


「これ、物理的に切られてる」


 リオンは呟いた。


「帝国の工作員が直接侵入したのか」


 切断部分を確認する。綺麗に切られている。魔術師の仕業だ。修復には、部品が必要だ。


 リオンはミーナに連絡した。


「ミーナ、魔力パスの予備部品を持ってきてくれ」


「了解です!」


 三十分後。部品が届き、リオンは魔力パスを修復した。通信魔法陣が再起動する。東部の通信が復旧した。


「通信魔法陣第七ノード、復旧完了」


 リーティアの報告。


 そして。


「灯火魔法陣東区画、エルナによって復旧完了」


「全部、終わった」


 リオンは深く息を吐いた。夜明けから、もう昼過ぎだ。六時間。休む暇もなく、走り続けた。




 魔術局に戻ると、東区の代表者が待っていた。


「あなたがリオン殿か」


 中年の男性が、厳しい顔でリオンを見た。


「なぜ、灯火魔法陣の復旧を後回しにした」


「人命に直結する魔法陣を優先したからです」


 リオンは静かに答えた。


「水浄化魔法陣が壊れていたら、汚染水が供給されていた。防壁が崩壊していたら、都市全体が危険に晒されていた」


「だからといって」


「灯火がなくても、人は死にません」


 リオンは真っ直ぐに男性を見た。


「不便です。困ります。でも死なない。全部を同時に救うことはできなかった。だから人命に直結するものから、対処しました」


 男性は、少し黙って、それから深く頭を下げた。


「わかりました」


「え」


「東区の住民は、不満を言っていました。でもあなたの判断は、正しかった」


 男性は顔を上げた。


「私たちが不便だと騒いでいる間に、あなたは都市全体を守っていた」


「ありがとうございます。そして、すみませんでした」


 リオンは少し驚いて、それから微笑んだ。


「いえ。お気持ちはわかります」


 男性が去った後、リオンはその場に座り込んだ。疲労が、一気に押し寄せてきた。


「終わった」


 エルナが隣に座った。


「リオンさん、お疲れ様です」


「エルナも」


「あの」


 エルナは少し迷って、言った。


「リオンさん、辛かったですよね。優先度を決めるの、すごく辛かったですよね」


「ああ」


 リオンは天井を見上げた。


「全部救えないってわかってても、やっぱり辛い」


 ミーナが温かいスープを持ってきた。


「リオンさん、これ」


「ありがとう、ミーナ。さっきは怒鳴ってごめん」


「いえ」


 ミーナは首を振った。


「あたし、わかってます。リオンさんが一番辛いって。技術はわからないけど、リオンさんの気持ちはわかります」


 ミーナは微笑んだ。


「だからあたしは、リオンさんを支えます」


 アルヴィスが部屋に入ってきた。


「お前の判断は間違っていなかった」


「局長」


「トリアージ。戦場の医者が使う方法だ」


 アルヴィスは窓の外を見た。


「全員を救えないとき、誰を優先するか決める。それは誰もやりたくない、辛い判断だ」


「はい」


「だが誰かがやらなければならない。お前はその重荷を背負った」


「一人じゃありません」


 リオンは微笑んだ。


「エルナも、局長も、ミーナも、みんながいたから、できました」




 その夜、リオンはリーティアの部屋を訪れた。


「管理者。本日の稼働率、91.2%。同時多発攻撃により大幅に低下」


「うん。でも全部、復旧できた」


「管理者の判断は適切だった」


 リーティアは静かに言った。


「トリアージ。最適な資源配分だ」


「最適、か」


 リオンは苦笑した。


「最適だとしても、辛いよ」


 リーティアは少し間を置いて、言った。


「管理者はシステムではない。人間だ」


「え?」


「システムなら冷静に優先度を判定できる。でも人間は感情がある。だから辛い」


 リーティアの金色の目が、リオンを見つめた。


「でもそれは、弱さではない」


 リーティアは続けた。


「感情があるから、人間は正しい判断ができる。システムは数値だけで判断する。でも人間は人の命の重さを理解できる」


 リーティアの声が、ほんの少しだけ揺れた。


「だから——管理者の判断は、正しかった」


 リオンは、リーティアを見た。彼女の投影体が、静かに揺れている。


「ありがとう、リーティア」


「礼はいい。ただ、データに基づいた事実を述べただけだ」


「そう?」


「ああ。別に、管理者を慰めたわけではない」


 リオンは微笑んだ。


「わかった。ありがとう、リーティア」


 リーティアの投影体が、ほんの少しだけ明るくなった。


 窓の外、王都の夜景が広がっている。すべての魔法陣が、再び輝いている。


 同時多発攻撃。全部は救えない、最も辛い戦い。だがリオンは冷静に判断し、優先度を決め、一つずつ対処した。


 トリアージ。人命に直結するものから。それ以外は後だ。


 それは正しい判断だった。辛くても、正しかった。


 そして明日も、戦いは続く。




 **あとがき**:全部は救えないとき、何を切り捨てるか。ミーナに怒鳴ってしまうリオンの人間味と、東区住民が最後に見せた理解が、トリアージという冷徹な方法論に体温を通わせる第57話です。

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