表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~  作者: 歩人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/67

第54話: リオン殿の安全も国の資産です

 深夜三時。中枢魔法陣の地下室に、羊皮紙を走る筆の音だけが響いていた。


 リオンは机に向かい、第四防壁の強化設計書を書いていた。セラフィーナのペネトレーションテストで洗い出した十二箇所の脆弱性。そのうち重大と判定した四箇所の対策設計が、まだ終わっていない。


 視界がぼやける。文字が二重に見える。


「あと、もう少し」


 呟いて、筆を握り直す。指先が震えていた。


「管理者。現在時刻、三時十二分。本日の稼働時間、二十一時間」


 リーティアの声が、静かに響いた。


「管理者の生体データに異常を検知。心拍数の不規則化、体温低下、集中力指標の著しい劣化」


「大丈夫だよ。あとこの一枚が終われば」


 リオンの手が止まった。


 筆が机の上を転がる。


 そのまま、前のめりに崩れ落ちた。




「管理者?」


 リーティアの投影体が明滅した。


「管理者、応答なし。管理者!」


 金色の目が激しく点滅する。リーティアは中枢魔法陣の全系統に緊急信号を発した。


「緊急通知。管理者が意識を喪失ロスト。場所、中枢魔法陣制御室。全関係者に通達する」


 最初に駆けつけたのはエルナだった。


 隣の仮眠室で眠っていた彼女は、リーティアの警告で飛び起きた。制御室に飛び込むと、リオンが机の前で崩れている。


「リオンさん!」


 抱き起こす。呼吸はある。脈もある。意識がない。


「リーティア、状態は」


「極度の疲労による意識喪失と推定。生命に別状はない。だが」


 リーティアの声が、わずかに揺れた。


「過去五週間の管理者の稼働データを分析した。平均稼働時間、十八・三時間。睡眠時間、平均三・八時間。栄養摂取量、推奨値の六割」


 エルナは唇を噛んだ。


「また、こうなるってわかってた」


 リオンを背負い、仮眠室のベッドに運ぶ。額に手を当てると、冷たかった。


 毛布をかけ、水差しを枕元に置く。それからリオンの机に戻り、書きかけの設計書を見た。


 『第四防壁 強化設計書 ver3.2』


 几帳面な字で、びっしりと書き込まれている。途中で筆跡が乱れ、最後の数行はほとんど読めなかった。


「定時で帰るって、いつも嘘ばっかり」




 リオンが目を覚ましたのは、六時間後だった。


 薄く目を開けると、ベッドの横にエルナが椅子に座ったまま眠っていた。膝の上に毛布が滑り落ちている。ずっと、ここにいたのだ。


「エルナ」


 小さく呼ぶと、エルナがぴくりと目を開けた。


「リオンさん! 起きた。よかった……」


 その目が赤い。泣いたのか、寝不足か、あるいは両方だろう。


「僕、倒れたのか」


「はい。深夜三時に」


「そっか」


 リオンは天井を見つめた。


 また、前の世界と同じことをしてた。


 サーバールームで一人、三日連続の障害対応。モニターの光だけが照らす部屋で、気づいたら床に倒れていた。あのときはそのまま、目が覚めなかった。


「僕は、学ばないな」


「リオンさん?」


「前の世界で、同じことで死んだのに」




 昼前。カティアが魔術局に緊急で到着した。


 作戦室には、エルナ、ミーナ、セラフィーナ、アルヴィスが集まっている。リーティアの投影体が、部屋の隅に静かに浮かんでいた。


 リオンはベッドから起き上がり、壁にもたれて座っている。まだ顔色が悪い。


「全員、揃っているな」


 カティアの声は、いつもの丁寧さの奥に鋭さがあった。


「リーティア。管理者の稼働データを、全員に共有してくれ」


「了解」


 リーティアが中空にデータを投影した。


 折れ線グラフ。過去五週間の稼働時間が、右肩上がりに伸びている。十六時間、十八時間、二十時間。昨日は二十一時間。


「過去五週間の管理者の稼働分析結果を報告する」


 リーティアの声は、いつもの無機質さの中に、かすかな感情が混じっていた。


「手順書作成、管理者が100%担当。設計作業、管理者が92%担当。脆弱性対策の設計・検証、管理者が87%担当。監視業務のエスカレーション判断、管理者が100%担当」


 沈黙が落ちた。


「すべてが管理者に集中している」




 カティアが口を開いた。


「リオン殿の安全も国の資産です」


 それから首を振った。


「いや、そういう話ではない。これは国防上の危機だ」


 全員がカティアを見た。


「このままリオン殿に依存し続ければ、彼が倒れた瞬間に王国のインフラ防衛は崩壊する。帝国がその隙を突けば、戦争に負ける」


「殿下の仰る通りです」


 リオンが苦笑した。


「前の世界の言葉で言えば、僕自身がSPOFになってる」


「えすぴーおーえふ?」


 ミーナが首を傾げた。


「Single Point of Failure——単一障害点たんいつしょうがいてん。そこが壊れたら全体が止まる、たった一つの弱点のこと」


 アルヴィスが腕を組んだまま、低い声で言った。


「小僧」


「はい?」


「お前は私に、『一人で全部やるな』と説教したな」


 沈黙。


「依存関係を把握しろ。手順書を作れ。チームで動け。そう言ったのは、お前自身だろう」


 アルヴィスの灰色の目が、まっすぐリオンを見ている。


「それが今、自分がそうなっているではないか」


 リオンは一瞬言葉を失った。それから苦笑した。


「返す言葉もないです」


「ふん」


 アルヴィスは鼻を鳴らした。だがその表情は、怒りではなかった。




「では、対策を立てましょう」


 エルナが立ち上がった。


「リオンさんがいなくても回る体制を、作ります」


 全員が頷いた。エルナは深呼吸して、リオンの目を見た。


「私が手順書の作成を引き継ぎます」


「エルナ?」


「リオンさんが書くのを、ずっと横で見てきました。構成、確認項目の洗い出し、優先度のつけ方。覚えてます」


 あの頃は「ドキュメント嫌いです」と泣きそうな顔をしていた子が。


「頼む、エルナ」


 ミーナが手を挙げた。


「あたしからも、提案があります」


 帳簿を開き、書き込みだらけの紙を見せた。


「シフト制を導入します。全員の稼働時間を管理して、誰も十二時間以上は働かない。リオンさんも例外なしです」


「ミーナ……」


「商人はね、数字で管理するんです」


 ミーナはそろばんを弾いた。


「今の人数なら三交代制が組めます。夜間は二人体制で回して、緊急時だけ全員召集。これなら全員が六時間以上寝られます」


「すごいな、ミーナ。もうシフト表できてるの?」


「昨日の夜から作ってました」


 ミーナは少し膨れた。


「リオンさんがまた無理するって、わかってましたから」


 セラフィーナが口を開いた。


「脆弱性診断は、私が単独で回す」


 簡潔だった。それがセラフィーナらしかった。


「レポートのフォーマットは、リオンに教わった。診断手順も、優先度判定の基準も、頭に入っている」


「でも、僕がレビューしないと」


「不要だ」


 セラフィーナの琥珀色の目が、静かにリオンを見た。


「私は帝国でトップクラスの解呪技師だった。攻撃側の手口は、お前より詳しい」


「……」


「診断結果の最終判断だけ、エルナと共有する。それで充分だ」


 セラフィーナは淡々と言い切った。技術者としての自信。それは、この数ヶ月でリオンと働く中で裏打ちされたものだった。


 アルヴィスが、ゆっくりと立ち上がった。


「王都の基幹系統は、私が責任を持とう」


 全員が驚いて彼を見た。


「手順書は、すでに頭に入っている」


 アルヴィスは窓の外を見た。


「かつて、手順書など不要だと言った。天才一人いれば済む、そう信じていた」


「局長……」


「だが、お前に教えられた。属人化はリスクだ。チームで動け。手順書を残せ」


 アルヴィスはリオンを振り返った。


「今度は、私がチームの一員として動く番だ」




「私からも提案がある」


 リーティアの投影体が、一歩前に出た。


「自動監視アラートシステムを実装する」


「自動監視?」


「現在、監視データの異常判定は管理者が目視で行っている。私が閾値しきいちを設定し、異常を検知した場合、管理者を介さず直接担当者に通知する」


 リーティアは中空にシステム構成図を投影した。


「防壁系の異常はアルヴィスへ。脆弱性関連はセラフィーナへ。通信系・水路系の異常はエルナへ。物資・人員に関わる問題はミーナへ」


「僕を経由しない、分散型の監視体制か」


「そうだ。管理者がボトルネックになっている現状を、アーキテクチャで解決する」


 リーティアの金色の目が、静かに光った。


「管理者が寝ていても——システムは止まらない」


 リオンは全員の顔を見回した。


 エルナが手順書を引き継ぐ。ミーナがシフトを管理する。セラフィーナが脆弱性診断を自律的に回す。アルヴィスが基幹系統を担う。リーティアが自動監視を実装する。


「みんな……」


「では、決まりだ」


 カティアが宣言した。


「リオン殿には、これより四十八時間の強制休養を命じる」


「四十八時間!?」


「その間、チームだけでインフラを運用する。リオン殿は作戦室への立ち入りを禁止する」


「でも、帝国の攻撃が」


「だから、やるんです」


 エルナが言った。


「リオンさんがいなくても大丈夫だって、証明します」




 四十八時間が始まった。


 リオンは自室に軟禁された。ミーナが鍵を預かり、食事を三食きっちり運んでくる。


「リオンさん、お昼ですよ。作戦室の状況は教えません。休んでください」


 ミーナは笑顔で食事を置き、扉を閉めた。


 初日の夜。通信中継陣に異常。リーティアのアラートがエルナに飛んだ。手順書を開き、入力側の魔力品質低下を特定。予備経路に切り替え、十分で復旧。


 二日目の深夜。防壁系の魔力変動。アラートはアルヴィスへ。手順書を広げ、十五分で対処した。報告書に一行。『手順書通りに対処。問題なし。 アルヴィス』


 同日午後。セラフィーナが第二防壁に新たな脆弱性を発見。レポートを書き、対策を設計し、エルナと共有してミーナのシフト表に実装スケジュールを組み込んだ。リオンの手を借りずに完結した。


 ミーナのシフト表は機能し、全員が六時間以上寝た。




 四十八時間が経過した。


 リオンは自室で、チームから提出された報告書を読んでいた。


 エルナの対応記録。アルヴィスの確認報告。セラフィーナの脆弱性レポート。ミーナのシフト管理表。リーティアのアラート履歴。


 すべてが整然と記録されている。


 トラブルは三件発生し、三件とも手順書に従って対処された。新たな脆弱性が一件発見され、対策まで設計された。誰も十二時間以上働かず、全魔法陣の稼働率は99.7%を維持した。


「僕がいなくても、回ったんだ」


 報告書を握る手が、震えた。




 前世の記憶が蘇る。


 深夜のサーバールーム。冷却ファンの唸る音だけが響く部屋で、モニターの青い光に照らされながら、一人で倒れた。


 誰も引き継げなかった。手順書はなく、設計書もなく、全部が九条諒の頭の中にしかなかった。


 自分が倒れた翌日、三つのシステムが止まったと後で聞いた。いや、聞けるはずがない。自分は死んだのだから。


 あのとき思った。僕が全部抱え込んだせいだ。


 報告書を見つめる。エルナの字で書かれた対応記録。ミーナの几帳面なシフト表。セラフィーナの簡潔なレポート。アルヴィスの短い報告。リーティアの正確なログ。


「今は、僕がいなくても回る」


 目頭が熱くなった。




 作戦室に向かうと、カティアが廊下で待っていた。


「休養は充分か」


「はい。おかげさまで」


「報告書は読んだか」


「読みました」


 カティアは少し間を置いて言った。


「リオン殿の安全も国の資産です、と私は言った」


「はい」


「だが、資産という言葉は適切ではなかったな」


 カティアはリオンを見た。紫色の目が、王女の仮面を外している。


「そなたは大切な人だ。王女としてではなく、一人の人間として」


「……」


「だから——二度と、一人で全部を背負うな」


 リオンは深く頭を下げた。


「ありがとうございます、殿下。僕もみんなが大切です」


 顔を上げて、作戦室の扉を開けた。


 全員がいた。


 エルナが手順書の束を抱えて立っている。ミーナがシフト表を更新している。セラフィーナが脆弱性レポートを読み返している。アルヴィスが防壁の監視データを確認している。リーティアが中空にシステムステータスを投影している。


 誰もがリオンを見て、しかし作業の手を止めなかった。


 それが答えだった。


 リオンがいなくても回る。リオンが戻っても、特別なことは起きない。それが正しい運用体制だ。


「リオンさん、おかえりなさい」


 エルナが微笑んだ。


「四十八時間のログ、まとめておきました。あと、手順書を三本新しく書きました。添削お願いします」


「三本も?」


「リオンさん、今日のシフト表です。稼働は十時間まで。超えたら止めます」


 ミーナが紙を差し出した。


「晩ごはんは十八時。遅刻したらおかず減らします」


「それは困る」


 セラフィーナが脆弱性レポートを渡した。構成は完璧だった。


「確認は不要だが、意見があれば聞く」


「問題ない。完璧だ」


「当然だ」


「管理者。自動監視アラート、四十八時間の発報三件。誤検知ゼロ。対応完了率百パーセント」


 リーティアが報告した後、少し間を置いた。


「定期メンテの時間は、守ってほしい。管理者のメンテナンスによるシステム最適化は、自動化では代替できない」


「もちろん。約束するよ」


 リーティアの投影体が、ほんの少しだけ明るくなった。




 リオンは作戦室の隅で、椅子に座った。


 みんなが、それぞれの持ち場で働いている。


 前の世界では、僕が全部抱え込んで一人で死んだ。


 でも今は違う。手順書がある。シフト表がある。自動監視がある。任せられる人がいる。


 属人化しない体制。誰が倒れても止まらないシステム。前世でずっと作りたかったものを、この世界では作れた。みんなが一緒に。


 アルヴィスが横を通りかかった。足を止めて、リオンを見下ろす。


「小僧」


「はい?」


「お前の説教、ようやく自分に効いたようだな」


「耳が痛いです」


「ふん」


 アルヴィスは背を向けた。


「だが、悪くない気分だ。チームで動くというのは」


 そう言って、足早に去っていった。


 窓の外、王都の夜景が広がっている。防壁の光が、静かに輝いていた。


 戦争はまだ終わらない。帝国の攻撃は、これからさらに激しくなるだろう。


 でも——一人じゃない。


 僕が倒れても、システムは止まらない。


 それがSLA99.99%を実現するための、最も重要な設計思想だ。単一障害点を排除すること。


 リオンは小さく笑った。


「定時で帰ろう」


 ミーナのシフト表を確認する。今日の退勤時間は二十時。


「あと三時間か」


 前世では定時で帰れたことなど、一度もなかった。


 でも今日は帰れる。


 みんなが、支えてくれているから。




 **あとがき**:タイトルの「リオン殿の安全も国の資産です」がカティア自身によって訂正される瞬間が、この話の核心です。「資産」ではなく「大切な人」。そして全員がリオンなしで回る体制を48時間で証明する。SPOF排除は技術論であると同時に、信頼の物語でもあります。

下にある☆☆☆☆☆をクリックして★★★★★にしてくれたら作者が喜びます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ