第三話 友達の姉、あの人へ
女友達の姉、それがあの人だった。
文化祭の制作がなかなか完成しなくて、休日にどこかで集まって進める話になった。
友達とはいえ、女の子の家に行くのはすごく緊張した。作りかけの制作物は持った。手土産がわりのお菓子も持った。
服装とか髪型とか変じゃないだろうか。でも気を使いすぎると「好きなんじゃないのぉ〜?」と誤解されそうで困る。
もしも部屋からいい匂いがして、万が一ときめいてしまったらどうしよう。
とにかく、当時のおれはちょっと自意識過剰だった。
インターホンを押すとあの人が出てきて、いらっしゃい、と微笑んだ。
かなり緊張していたおれは、その何気ないやりとりに、ほっとした。
靴を脱いで玄関に上がる。蚊取り線香の匂いがした。想像していた匂いとは、全然違う。余計な肩の力が抜けたような記憶がある。親近感がわいた。
制作メンバーが集まる前に、あの人が飲み物を運んできてくれた。よく冷えたコーヒーだった。
受け取ろうとして、手がぶつかる。はずみでじゅうたんにコーヒーがこぼれた。
あわててティッシュを探すおれの目の前で、あの人は百人一首の札を取るような勢いでティッシュを出し、じゅうたんを拭いた。
──この人、ちょっと変だ。
じゅうたんにこぼれたコーヒーを拭きながら、足の指で追加のティッシュを出している。器用だ。けれどもやっぱり、ちょっと変だった。
家では、おれだって足癖がいいとは言えない。
でも初対面のおれの目の前でそんなことをするなんて、信じられなかった。
最初は優しい感じのお姉さんに見えていたのだけれど、あっという間に印象が変わった。
美人とか、かわいいとか、そういうタイプじゃない。
なのになんだか、目が離せなくなってしまったのだった。
たぶん、あの人がちょっと変わっているからに違いない。
文化祭の制作はそれなりに進んだ。半分くらいはしゃべったりふざけたりしていた気もするけど、あまり覚えていない。
***
そこから数年経って、街であの人を見かけた。
男の人と一緒に歩いていて、親しげだったから、恋人なんだろうと理解した。買い物袋にはネギが入っていた。一緒に住んでいるのだろうか。
そのときに、ちょっとだけがっかりした自分に気付いた。
──なんでがっかり?
自分の気持ちがわからなくなって、スマホに届いたメッセージを読む。あの人の妹からだった。
女友達のことを、あの人の妹だと思ってしまったことに、おれは愕然とした。
あの人と直接話したことなんて数回しかないし、ほとんど関わりがない。
いいや、惹かれてたわけじゃない。あの人がちょっと変わっているから、目が離せなくなってしまっただけだ。
乾燥した冬の景色の中に、あの人とその恋人がいる。
スマホを見ていたはずなのに、いつの間にか、あの人を目で追っていた。
恋人の周りを、あの人がくるくると回る。散歩にはしゃぐ犬みたいだった。
恋人はそれに応えるわけでもなく、ただ微笑んで、あの人から買い物袋を受け取った。
穏やかそうな、いい人じゃないか。
あの人は代わりに軽い買い物袋を受け取って振り回し、ケラケラと笑う。幸せそうだ。
「さっきお姉さんとすれ違ったよ。彼氏と歩いてた」
「姉、彼氏と同棲してるんだー。そのうち二宮って苗字になるかも」
そっか。もうすぐ結婚するかもしれないのか。
あの人が幸せなら、それでいい。そんなふうに思えた。
憧れに気付いたときには、終わってしまったけれど。




