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オタクになりたい少女は、踊り方を知らない

「Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are」


(う、ん……)

目覚めた僕の耳に、微かに歌声が聞こえてくる。

頭がずきずきと痛み、意識もはっきりとしないが、何故かその歌声ははっきりと僕に届いていた。


(これは、きらきら星?)

そのメロディには聞き覚えがあったが、歌詞はどうやら英語のようだ。

そう言えば、元はイギリスの童謡だったと聞いたことがある。


「Up above the world so high, Like a diamond in the sky.」


それにしても、なんて心地の良い歌声だ。

涼しく、凛とした声。決して大きくは無いが僕の耳にしっかり届き、心を優しく、くすぐるその歌声。どこかで聞いたことがある。いや、僕が、好きな声によく似ている。


そう、それは、まさに……


意識がはっきりとしてくる。視界も焦点が定まり、ぼんやりとした人影が映る。椅子に座り、本を読んでいる。長い黒髪、少し切長な涼しげな目元。口が少し動いて歌を口ずさんでいる。


村上紗良、その人に間違いない。


「あ、気がついた?良かった、頭、痛くない?大丈夫?」

紗良は、僕が目覚めたのに気づくと、そう優しく声をかけた。


だんだん、記憶がはっきりしてくる。

あたりを見回すと、どうやら学校の保健室、のようだ。

僕は白いカーテンに隔てられたベッドに横になり、その傍らの椅子に紗良が座っていた。

薬品の匂いが微かにただよってくる。


(確か、今日は、体育祭だったはず……)

遠くから、かすかに、体育祭の喧騒が聞こえてくる。

紗良もよく見ると上半身は、あかりがデザインしたクラスTシャツ、下半身は学校指定のジャージを履いていた。


「騎馬から落ちて、気失っちゃうんだから、心配したんだよ?」


(そうか、騎馬戦で……)

詳しいことはあまりよく思い出せないが、揉み合いになった結果、上から落ちたのはなんとなく覚えている。


「高坂さんも心配してたんだから。今は応援合戦で忙しそうだけど、もう少ししたら様子見にくるんじゃないかな?」

あかりが、率先して大声をあげている姿が目に浮かぶ。


「村上さんも、何か出る競技あったんじゃ……」


「私は、ほら、保健委員だし。運動、あんまり得意じゃないから、サボれてラッキー?」

紗良はちょっとイタズラっぽく笑う。


「そっか、僕もサボれれば良かったんだけど」

はは、と力なく笑う。


「もう少しゆっくりしてた方が良いよ。ここ、他に誰もいないみたいだし」

紗良は周囲を見渡してそう言った。


そうか、じゃあ遠慮なくゆっくりさせてもらおう。

と思い、目を瞑るが、一つの事実に気づき、それどころではなくなってしまった。


(他に誰もいない?と言うことは、今、保健室で村上さんと二人きりなのか?)

だからと言ってどうって事も無いのだが、密室で二人きり、という状況だけで、僕の緊張は高まっていくのだった。


布団を顔まで被る。顔が赤くなっていたりしないだろうか。


「あ、そう言えば、あの日、あかりちゃんとどうだったの?」

布団を目元まで下げて、紗良の様子を伺うと、その目は好奇心で満ちていた。

紗良の言うあの日、とは、つまり、僕の家にあかりと紗良が来訪し、紗良が先に帰った日の事だろう。


僕が、あかりの事を好きだと勘違いしている紗良は、()()()()()()()()()()()()()()()()()を聞いているのだ。


「い、いや、別になんも」

何も無かった訳では無いが、紗良が期待しているような事は無かったはずだ。


「そうなの?でもあの後から、あかりちゃんちょっと変わったような」


「そ、そうかな?」


「うん、前より明るくなった?かな?」


「高坂さんは前から明るかったでしょ」


「そうなんだけど、ちょっと違う?うーん、上手く言えないけど」

と、顎に指をあて、難しそうな顔をする。


「それに、神山くんとも仲良くなったみたい?」


「え、いや、そんな事も、ないんじゃ、ないかな?」

がば、と飛び起き、否定する。この誤解は解かなきゃならない。


「えー、ほんと?ほら、今なら他に誰もいないし、教えて?」

紗良は辺りの様子を伺い、内緒話をするように身を乗り出してくる。

紗良の顔が、僕の目の前まで迫ってくる。紗良のまつ毛の一本一本までよく見えるぐらいの距離だ。


僕は紗良を直視出来ず、視線を下げ、布団を見つめる。


紗良は、僕とあかりの間に何か、があって欲しいようだ。

それは、友人同士を応援する気持ち、と、好奇心の両方なのだろうか。

どちらにせよ、それは、僕にとっては嬉しいものでは無い。


「いや、ほんと、何も無かったし、僕はべつに()()()の事なんとも」

は、と自分の失態に気づく。

しまった、下の名前で呼んでしまった!


「あれ、神山くん、あかりちゃんのこと、あかり、って呼んでたっけ?」

めざとく紗良がそれに気づき、突っ込んでくる。

自分のしでかしたミス、紗良の前で()()()と呼んでしまった後悔と恥ずかしさで、僕の頭はパニック寸前だ。


「いや、だから、ほんとに高坂さんの事は何とも、だって、僕は!」

勢いに任せて言葉を絞り出す。

ぐっと、顔をあげると、紗良と僕の視線がバチっと、正面から交錯する。


僕は、目の前でキョトンとしている紗良の目を真っ直ぐ見据え、続きを、僕の気持ちを伝えようとしたが、紗良の顔を間近で見た途端、その言葉を絞り出す事が出来なくなってしまっていた。


誰も居ない保健室、二人だけの空間で、僕と紗良は、間近で見つめ合ったまま、固まっていた。

僕も動くきっかけを見失っていたが、紗良も微動だにしないのだった。


どれぐらいそうしていたのだろうか。1秒かもしれないし、5分かもしれない。永遠のように感じられたその瞬間は「ガラッ」と言うドアを開ける音によって、解放された。


途端、時が動き出したように、僕は瞬時にベッドに横になり、頭まで布団をかぶる。

紗良も、こほんと軽く咳払いをして、持っていた本をわざとらしく開く。


「おお、神山、目、覚めたか?」

布団の隙間から様子を伺うと、ドアを開け入ってきたのは、白衣を着た養護教諭の野村だった。


「はい」

と僕は短く返事をする。


「あ、村上もありがとな、後は私が見るから、村上は戻っていいぞ」


「はい」

と紗良は小さく答えると、僕の方を見る事も無く、そそくさと保健室を出て行ってしまった。


「吐き気とか、気持ち悪い、とか悪寒がするとか無いか?」


「はい、大丈夫です、ちょっと頭がズキズキしますけど」


テキパキと色んな処置をした後に、野村がこう言った。

「まあ、大丈夫そうだけどもうちょい寝てろ。落ち着いたら後夜祭ぐらいは参加しても良いぞ」


(後夜祭、か)

体育祭の打ち上げで毎年行われる恒例行事。

確か、去年は、参加しないで家に帰って、本でも読んでいた筈だ。


(別に参加しないでも)


と、その時、再びドアがガラッと開き、ぱたぱたと軽快な足音が保健室に入ってきた。


「師匠〜、どこ〜?大丈夫〜?」

あかりの声が保健室に響く。


「ん?高坂か?ここ保健室なんだから静かにな」


「はーい」

と答えるあかりの声は変わらず大きい。


「神山なら、ほれ、まだ本調子じゃなさそうだから、静かにな」

野村が僕が寝ているベッドを指し示す。


「ありがとうございま〜す」

ぺこりと頭を下げ、あかりが僕のベッドの横、先ほどまで紗良が座っていた椅子に、どかっと腰を下ろした。

あかりが、自分でデザインしたクラスTシャツと頭に巻いたハチマキがよく似合う。


「師匠〜、心配したんだよ〜、大丈夫?記憶喪失とかなってない?私のこと、覚えてる?」


「ちょっと頭痛いけど、大丈夫、君は高坂あかり、僕のクラスメイトで、弟子、でしょ?」

もはや師匠を超えたかもしれないが、あかりはまだ僕の事を師匠と呼んでくれているので弟子という事にしておく。


「おー、頭は大丈夫そうだね〜」

あかりは失礼な表現で現状を追認する。いちいち突っ込んでいては日が暮れるので、僕はさらっと受け流す。


「まあ、ね、ちょっと休んだら家帰るよ。体育祭も、もう終わるでしょ?」


「え、帰っちゃうの?後夜祭は?」


「いや、別に良いかな、去年も参加してないし」


「ダメだよ!」と、あかりが大きな声を出す。


「高坂、静かに!」と野村があかりを嗜める。


あかりは野村に「すいません」と頭を下げると、僕の方にぐっと顔を近づけ、小声でこう言うのだった。

「だって、後夜祭といえば、フォークダンスだよ?師匠、紗良ちゃんと踊りたく無いの?」


「うっ、それはっ、でもっ、いやっ」

フォークダンス、か、踊りたく無いといえば嘘になるが、とはいえ、どうやって誘えば?

先ほどの無言で去って行った紗良の後ろ姿が、さらに僕を怖気付かせていた。


「ははーん、もしかしてどうやって誘えばっ!とか思ってるんでしょ?」

顎に手をあてて、ニヤリとあかりは笑った。


図星ではあるが、しまった、こいつ、また何か企んでいる。


「ま、それはこの私に任せなさーい」

あかりは、不適に笑うのだった。



夕日が差し込むグラウンドには、体育祭の熱気がまだ少し残っていた。

既にあらかた片付けは済み、後夜祭の準備が着々と進行中だった。


「よーし、じゃ、集合写真撮るよー」

由紀恵の声が響き、クラスの皆がわいわいと集まってきた。

全員、あかりがデザインしたTシャツを着ている。


「あ、神山くん、もう大丈夫なの?」

由紀恵が僕に声をかけた。


「ああ、まだちょっと頭痛するけど」


「そっか、無理しないでね。でも写真間に合って良かった。一人だけ右上に別枠、じゃ嫌でしょ?」


「はは、まあ別に大丈夫だよ」


「だめだめ、Tシャツ作りの功労者なんだから。はいはい、並んだ並んだ」

由紀恵は僕をぐいっと、写真の列の真ん中の方に押しやる。


(いや、端っこで良いんだけどな……)

集合写真では端っこにひっそりと、が僕の定位置だったが、由紀恵に押し込まれ、少しだけ真ん中に陣取ってしまった。

隣を見ると、紗良が立っていた。


一瞬、目が合うが、紗良はぷいっと目を逸らしてしまった。


(うーん、やっぱりさっきの保健室での事、気にしてるのか……?)


「はーい、じゃあ写真撮りまーす!」

撮影係の先生が声をかけると、皆一斉に思い思いのポーズをとる。


中央では、あかりが、数人の男子と共に、Tシャツのポーズを真似ていた。

あかりは、一体どうやって僕と紗良を踊らせようと言うのか……


(どうせあかりの事だから、ろくな作戦ではないと思うが……)

僕はそんな事を思いながら、ぼさっと突っ立って、カメラを眺めていた。


「3、2、1、はい」

の声と共に、シャッターが切られる。


「じゃもう一枚」

と何枚かの写真を撮り終えた頃には、後夜祭の準備はすっかり終わっていた。


「あ、師匠いたいた〜」

と、あかりが、紗良と由紀恵を伴って現れた。


「Tシャツ委員で写真撮ろ?」


「あ、ああ、そうだね」


「じゃあ紗良ちゃんこっちね、私こっち、で、師匠が真ん中」


「い、いや、高坂さんが真ん中のが良いんじゃ無いの?」


「えー、私、背低いし、師匠真ん中の方がバランス良いよ」


「はいはい、じゃあ三人並んで〜、突っ立って無いでなんかポーズとったら?」

カメラマンとして連れてこられたであろう由紀恵がそう言うと、あかりは早速例のポーズをしてみせる。


「師匠と紗良ちゃんも!」


「いや、流石にそれは……」

「私もちょっとそれは……」

僕と紗良は口を揃えて抗議する。


「えー、なんでよー」

あかりは不満そうだ。


「あ、折角だから背中の絵、写った方が」

紗良の提案に、僕とあかりも頷く。


結局、僕が背中を向け、背中越しにカメラを見る。

その右であかりが例のポーズ、左で紗良は、何故か両手を組み、祈るようなポーズをして立つ事になった。


あかりが、「紗良ちゃんも何かポーズしよ!」と言った挙句に、最終的に「クレアが祈るポーズ」で紗良がしぶしぶ了承したのだった。


「はい、撮るよ〜」

由紀恵が、スマホのシャッターを何度か切る音がする。


「おっけー、確認してねー」

由紀恵があかりにスマホを渡す。三人であかりのスマホを覗き込む。

ちょっと恥ずかしそうな紗良、ドヤ顔でポーズを決めるあかり、背中越しにカメラを見ている僕のぼけっとした顔。


「おおー、いいねー」とあかりが目を輝かせる。

「神山くんの顔、面白い」と紗良がくすくすと笑う。


(なんだ、取り越し苦労か?)

紗良のいつもの様子に、僕はほっと胸を撫で下ろす。


その時、スピーカーから実行委員の声が響いた。

『フォークダンス始まりまーす!参加者は中央に集まってくださーい!』


ちらっとあかりの方を見ると、あかりが「任せなさーい」と言わんばかりの視線をよこした。


(不安だ……)


「あー、フォークダンス、始まるみたいだよ?」

とあかりがわざとらしく言う。


「紗良ちゃん誰かと踊る約束してるの?」


「ん?特に無いけど……」


「ほんとー!助かるー!」


「え?」


「いや、実は師匠と約束してたんだけどさ〜、ちょっと他に用事出来ちゃって」


「はい?」

僕が間抜けな声を出すと、あかりが俺に目配せをした。「余計な事を言うな」と言う事だろうか。


「私の代わりに紗良ちゃん、師匠と踊ってくれない?ね?」

あかりは、大袈裟に両手を合わせて紗良に頭を下げる。


「えっと、私は別に良いけど……」

紗良はちらっと僕の方を見た。


「大丈夫!師匠も紗良ちゃんなら文句ないでしょ!」


「い、いや、そんな文句とかそう言うんじゃ」


「はいはい、お二人さん、いったいったー」

とあかりは強引の僕と紗良をフォークダンスの輪の中に押し込んだ。


僕と、紗良は、顔を合わせ、やれやれと言う風に視線を交わすと、二人でゆっくりとフォークダンスの輪の中に歩き出した。


ちら、と後ろを振り返ると、あかりが僕と紗良を見送っていたが、西日が後ろからあかりを照らしていたので、その表情は見えなかった。


「ちょっと、あかり、いいの?」

「ん?なにが〜?」

あかりと由紀恵が小声で交わす会話も、フォークダンスの音にかき消され、僕と紗良には届かないのだった。

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