オタクになりたい少女は、部屋から出たくない
「ちょ、高坂さん、何やってんの?」
僕の声は悲鳴に近かった。
なにしろ、僕の部屋のベッドに高坂あかりが寝そべりながら本を読んでいるのだ。
危うく手に持っていたお盆を落としそうになる。
「私は止めたんだけど……」
と言う紗良の声も耳に入らない。
なんとか気を取り直し、飲み物とお菓子でいっぱいのお盆を机の上に置く。
「ん?ダメだった?」
当のあかりは、ベッドの上でくつろいぎながら本を読んでいる。
「いや、そこ、僕のベッド……」
「ん?だいじょぶ、だいじょぶ〜、別にベッドの下とか漁ってないから、安心して〜」
あかりは悪びれる様子もなくそう答えた。
「うっ、い、いや、そう言うんじゃなくて……」
だが、そのあかりの発言に、内心ほっと胸を撫で下ろす。
ベッドの下、なんて言う、さも「そこに隠してありますよ」と言わんばかりの場所、そのような場所に隠したとて、母さんに見つかるのがオチだ。
やはり、女子の考えでは、そのようなありきたりな隠し場所しか思いつかないのだろう。
僕はチラと本棚を見る。
『空の王国と蒼穹の乙女』が何冊か抜かれているが、それ以外に変わった様子は無い。
(よし、問題なし)
心の中でそう呟く。
「と、とりあえず、飲み物とお菓子持ってきたから」
「わーい、やったー」
あかりは、ベッドから跳ね起きて、床に座るかと思いきや、結局ベッドに腰掛ける。
(うーん、まあ、座っているぐらいなら良いだろう)
僕は、グラスにお茶を注ぎ、あかりと沙良に手渡した。
お菓子の乗った皿を紗良の前の床に置き、僕も紗良の向かえに座る。
「ありがと」と紗良が短く答えるた後に
「ごめんね」と僕にだけ聞こえるように小声で囁いた。
僕は「村上さんが謝る事無いよ」の意味を込めて、頭を横に振った。
紗良は、僕の意図した事を理解したようにはにかんだ。
ああ、紗良と二人きりなら良かったのに……と言う考えがチラと頭をよぎる。
二人きり?二人きりならどうだって言うんだ?
僕の頭は、その妄想に取り憑かれて離れない。
紗良がベッドに腰掛けている。その横に僕が座り、談笑している。ふと、紗良の手の上に、僕の手が重なり……
「おーい、師匠?」
あかりの声に、僕は現実に引き戻される。
「どしたの?ぼーっとしちゃって?」
「あ、ああ、いや、何でも無いよ」
と、ベッドに腰掛けるあかりの方を見ると、ちょうど床に座る僕の目線の高さに、あかりの膝が見えるのだった。
あかりの膝が動く度に、スカートの裾が、膝の少し上、白く滑らかな太もものあたりの境界を僅かに動き、それに合わせて少し短めのスカートと両膝の隙間の空間が動く。
その空間の奥底は、僕の位置からは暗闇に包まれて見えないが、少し角度が変われば、今にも見えてしまいそうだ。
僕は、思わず顔を背け、床を見つめる。
「どしたの?師匠?なんか変だよ?」
と、あかりが僕の方に向き直る。自然、あかりの両膝も僕の方を向く。
例の空間の奥底が、正面からならば見えるかもしれない。
僕の視線は誘惑に抗えず、その隙間を正面から捉えようとした。次の瞬間。
あかりが急に立ち上がり、ポンと手を叩く。
「こんな事してる場合じゃないんだった。データ作らなきゃ。ね?師匠?」
「あ、ああ、そうだったね……高坂さん、紙持ってきた?」
僕はほっと胸を撫で下ろすと同時に、少し残念な気持ちも湧き上がる。
「もっちろん!ちょっと待ってね」
あかりがカバンをごそごそと漁っている。
ふと、紗良を見ると、僕に意味ありげな微笑を向けているのだった。
(ちょ、村上さんに、バレた……?)
紗良も床に座っているのだ。僕と同じぐらいの目線の高さ。
ましてや、察しの良い紗良の事である、気づいていてもおかしく無い。
(最悪だ……)
恐る恐る紗良の方を再度ちらっと見るが、先ほどの意味ありげな微笑は消え去り、いつもの表情に戻っていた。
(見間違い……だったと思いたい……)
希望的観測、かもしれないが、希望にすがる意外に道は無いのだ。
「あった、これこれ」
僕の思考が、あかりの声で中断される。
あかりが、A4サイズの画用紙を鞄から取り出していた。
ウチのスキャナのサイズに合わせてA4で清書するようにお願いしていたのだ。
画用紙には、例の「巨大なバトンを両手で持ち、仁王立ちしている」姿が描かれている。が、以前のラフとは違い綺麗な線で2色に塗り分けられていた。
「バトンのとこと、ハチマキのとこは生地の色が出るようにってしてみたけど、どうかな?」
あかりは、どうかな?と言いつつも、自信たっぷりな様子だ。
実際、あかりが清書してきたそれは、以前のラフとは見違える出来栄えだった。
「わー、こうして綺麗に清書されると、もっと素敵だね」
紗良も感嘆している。
「おおー、流石だね。線も綺麗だし、これならスキャンした後もそんなに修正必要無さそう」
「ふふふ、思ったより時間かかったけどね」
あかりは腕を組んで踏ん反り返っている。
どうやら、あかりがドヤる時の癖のようだ。
「じゃ、早速スキャンしてみるね」
僕は、机の横の棚に置いてあるスキャナの蓋を開き、画用紙をセットする。
ボタンを押すと、ウィーンと低い音がなり、光の筋が画用紙の全面を丁寧に照らしていく。
しばらくすると、ノートパソコンの画面にスキャンされた画像が表示された。
「おおー、凄い!」
あかりが感嘆の声をあげる。
今時、スキャナにこんなに驚くのもあかりぐらいなもんだろう。
画像を拡大し、細部を確認するが、元々のあかりの線が綺麗だったからか、ノイズは殆ど見当たらない。
「高坂さんの線が綺麗だから、殆ど修正要らなさそうだね」
僕は手早く最低限のゴミだけを除去した。
「一応最後確認する?」
あかりに促すと、あかりはぶんぶんと首を縦に振った。
「じゃ、これで拡大と縮小、これでパン出来るからね」
あかりを椅子に座らせ、簡単に操作を説明する。
あかりは不慣れな手つきながら、真剣な面持ちで、画像を確認している。
(絵に関しては、真剣なんだな)
と、ふと、先日のデザインお披露目の時のクラスメイトの言葉が脳裏に浮かんだ。
(そういえば、中学の時は絵で賞もらってた、って)
あかりと同じ中学の女子だったはずだ。嘘をついていると言うことは無いだろう。
だったら、どうしてあかりは絵を描くのを辞めてしまったんだろうか。
「おっけー、完璧だよ!さっすが師匠!」
あかりの明るい声に、僕は現実に引き戻される。
「じゃ、後で村上さんにデータ送るね」
「あ、そうだ、折角だから、Tシャツに合わせてみない?」
と、後ろからノートパソコンを覗き込んでいた紗良が声をあげた。
「そんな事出来るの?」
「うん、業者さんのサイトで、確か事前に確認出来るはず。ちょっと良い?」
ノートパソコンの操作を譲り受け、URLを入力し、業者のサイトを開く。
「デザイン事前確認」と言うメニューから、確かに実際のTシャツに合わせて確認出来るようだ。
「おおー、やってみよ!」
あかりは興奮気味である。
「えっと、場所は背中で、位置とサイズを合わせてっと。できた!」
D組カラーの赤いTシャツ。その背中にあかりのデザインが重なった。
「「「おおー」」」
三人揃って感嘆の声をあげる。
元々のあかりのデザインも迫力があったが、こうしてTシャツの背面に配置してみると、更に良く見えた。
「凄い!素敵!」
紗良は目をキラキラさせている。
「いや〜、高坂さん凄いね〜」
僕は、素直にそうあかりを称賛する。
「まっ、私にかかればこんなもんでしょ〜」
あかりはいつもの調子でドヤって見せるが、ちょっと照れくさそうだ。
「じゃあ、村上さん、後でデータ送るから、よろしくね」
「うん、わかった、後は任せて」
と紗良は両手に握り拳を作り、ガッツポーズをして見せる。
「じゃあ、そう言う事で」
僕はすかさず解散の雰囲気を作って見せる。
「え?」
あかりがキョトンとした顔で僕の方を見ていた。
「いや、作業も終わったし、そろそろ二人とも帰る時間でしょ?」
と追撃する。
「ん?私はまだ大丈夫だよ?思ったより早く終わったし。紗良ちゃんも大丈夫だよね?」
「私も、今日は特に予定無いから、もう少し大丈夫だけど」
腕時計を確認しながら、紗良が答えた。
「あ、そ、そうなの?」
この流れで「良いから帰れ」とも言えず、結局二人とも居残る雰囲気になってしまった。
「そうだ!師匠!あれ見せてよ、あれ」
あかりが急に大きな声を出すので、僕は少しびくっとしてしまった。
「あれって?」
「あれだよ、あれ!でぃーぶいでぃー」
「ああ、『空の王国と蒼穹の乙女』の?」
「そうそう、それそれ」
「えーっと、確かこの辺に……っと、あった」
DVDが入った箱の奥の方から、目当ての物を見つける。
廉価版のDVDボックス。流石に放映直後に販売された初回限定版の方は、僕のお小遣いでは厳しいので、仕方なく最近販売された廉価版のBOXを購入したのだった。
「えーっと、どこ見ようか?」
4クールだったので全50話だ。流石に全部見るわけにもいかないだろう。
「私、1話が良いな」
紗良が控えめにそう主張した。
「私は見た事無いから1話で良いよ〜」
あかりも同調したので、No.1のディスクをプレイヤーに挿入し、1話を再生する。
画面にオープニング曲が流れ、『空の王国と、蒼穹の乙女』のタイトルロゴが表示される。OPはいわゆる「キャラ紹介」的な奴だ、主人公やヒロイン、仲間達、そして敵の魔族たちが、決めポーズで次々と現れる。
サビの部分には例の「両手で巨大な剣を握りしめ、切先を左上に向け、両足を広げて大地を踏み締める」ポーズも盛り込まれている。
それを見て、あかりが「おーー」と感嘆の声をあげる。
紗良は画面を懐かしそうに見つめていた。
イギリスに居た頃を思い出しているのだろうか。
その横顔はちょっと寂しそうにも映る。
第一話を見終わった僕らは、お菓子をつまんでいた。
「うーん、初めて見たけどやっぱり動きがあると良いね〜あのポーズもかっこよかったし」
あかりは立ち上がり、例のポーズを真似て見せる。
「作画も当時としてはかなりクオリティ高いしね。4クールなのに途中で粗くなったりもあんまりしなかったから」
「私、英語で見てたから、日本語で喋ってるのが新鮮だった!」
紗良はちょっと興奮気味だ。そうか、向こうでは英語吹き替えだったのか。
「それにしても、師匠の部屋はずっと居ても飽きなさそうだね〜、本も漫画もゲームもいっぱいあるし、パソコンも使えるし」
「ちょ、僕の部屋、ネットカフェじゃないからね?」
「え〜、良いじゃんケチ〜」
そんな僕とあかりのやりとりを、紗良は微笑みながら見守っていたが、腕時計で時間を確認すると、すっと立ち上がった。
「私、そろそろ行かないと」
「あ、そうなんだ、じゃ高坂さんも」
すかさず僕はあかりにも帰るように促す。
「え?なんで?私まだ大丈夫だけど?」
あかりは、いつの間に持ち出したのか、『空の王国と、蒼穹の乙女』の漫画版を読みながらそう答えた。
(こいつ……)
「大丈夫……?」
紗良は心配そうに僕に小声で囁いた。
「あ、ああ、まあ」
僕は曖昧に答える。
「じゃあ、私先に、高坂さん、今日はありがとう」
あかりに声をかけ、紗良は部屋のドアを開けた。
「紗良ちゃんまたね〜」
あかりが、読んでいる漫画から一度目を話し、紗良に向かって手を振りながらそう答える。どうやら、本当にまだ帰らないつもりらしい。
「神山くんも、ありがとう。急に押しかけちゃって、ごめんね」
「いや、全然大丈夫だよ」
と声をかけ、紗良に続いて階段を降りる。
下まで降りて、リビングの様子を伺うが、母さんの気配はない。
買い物にでも行ったのだろうか。
「お母さん、いらっしゃらないのかな?ご挨拶しなきゃと思ったんだけど」
「買い物にでも行ってるっぽいね。そうだ、帰り道わかる?」
「うん、大丈夫、来た道戻るだけだから」
「そう?」
「今日はありがとう、おかげで楽しかった」
紗良が屈託なく笑う。その笑顔が僕にとっては何よりの喜びだ。
「あ、そうそう、高坂さんのこと、応援するからね」
少し小声で紗良がいたずらっぽく僕にそう言った。
「え?」
僕は意味がわからずぽかんと口を開けてしまう。
「さっき、部屋で高坂さんのこと、凄い意識してたじゃない」
さらに声をひそめて、囁くように紗良が言う。
(な、なるほど、そう言うことか……)
あろうことか、紗良は、僕があかりのスカートの隙間にどぎまぎしていたのを「あかりを意識してドギマギしている」と勘違いしているのだった。
それを見ていた紗良の意味深な笑顔はこう言う事だったのか……
「い、いやいやいや、そんなんじゃ、ないよ」
「大丈夫、内緒にしておくから。この後二人っきりなんだし、チャンスじゃない?」
紗良は僕にウインクして見せる。
「いや、ほんと、そんなんじゃ、ないよ」
いっそ、紗良の事が好きなんだ!と言ってしまいたい衝動にかられるが、そんなことを言えるわけも無く。
「じゃ、またね。報告聞かせてね」
紗良は手を振り、笑顔で、誤解をしたまま、行ってしまった。
今までシンプルだった僕の世界。それが、あかりの「オタクになりたい!」と言う宣言をきっかけに、複雑性を増していく。
それは、僕を苦しめるのか、それとも違うのか、僕にはまだわからなかった。




