オタクになりたい少女、襲来す
「いいよ〜、んじゃちょっと直しておくね」
あかりが描いた例のTシャツのデザインを、クラスで一旦お披露目することとなった。
クラス委員である由紀恵も、あかりのデザインを気に入ったようだが、念の為事前に一度、クラスで発表しようと言うのだ。
「ごめんね、ほんと、ありがとう」
由紀恵が、あかりに向かって両手を合わす。
「神山くんと村上さんも、ありがとね」
僕と紗良の事も気遣う姿に、クラス委員もなかなか大変なんだな。と他人事のような感想を抱く。
「描いたのは高坂さんだから。私たちは何も」
と紗良は謙遜して言う。確かに僕たちは何もしてないと言えばそうかもしれない。
(それよりも大丈夫かな、あれ)
あかりが手に持つ、Tシャツのラフデザインを見て、僕の不安は増大する。
とは言え、今更どうこう出来るような事でも無く、僕に出来るのは祈る事だけだった。
そして、Tシャツのデザインをクラスでお披露目の時がやってきた。
由紀恵が、あかりの描いたデザインのサンプルを皆に見せる。
すると、帰って来た反応は、僕が心配したような反応ではなかった。
「へー、かっけーじゃん!」
「あかり、こんなの描けるんだ〜すごーい」
「斬新でいいよね〜」
「バトン持って走ってるんじゃ普通だしな」
反応はさまざまだが、概ね好評。
あかりの普段の交友関係にもよるところかもしれない。
僕の右斜め後ろで、その反応の中心人物であるあかりは腕を組み、不敵に微笑んでいる。
由紀恵も、胸を撫で下ろしたようだ。
「ふっふっふ、やっぱり、かっこいいが全てに優先されるのよ!」
あかりが一人ごちている。このまま「おーっほっほっほ」と高笑いでも始めかねない勢いだ。
こんなキャラだったっけ?と、僕は思うが、そう言えば元々そこまでの付き合いでは無い。中学も別だったし、一緒のクラスになったのも今年から。そもそも、あかりと初めて話したのもつい1ヶ月ほど前だ。
そんな僕の耳に、一人の女子の言葉が聞こえて来た。
「そう言えば、あかりって中学の時には良く絵で賞とか取ってたもんね〜」
(あれは、確か、あかりと同じ中学出身の女子だったような)
その瞬間、あかりのドヤ顔が、ほんの少し曇ったように見えた。
が、それも束の間、先ほどまでのドヤ顔に戻っている。
左斜め前を見ると紗良も、楽しそうに笑っていた。
最近、やっとその笑顔にも見慣れて、普通に見られるようになってきた。
紗良は、あかりの顔が曇ったのには気づいていないようだった。
(高坂さんのこと、何も知らないんだな、僕)
ふと、あかりの座っている僕の右斜め後ろを見る。
あかりは、腕を組み、踏ん反りすぎて倒れそうになった椅子の上で、必死にバランスを取っていた。
◇
デザインは大体決まったが、やることは山積みだった。
まずは、クラス全員のサイズの確認、業者に発注するためのデザインの調整、費用の見積もりを取り、クラスの皆から費用の徴収、納期の確認に配送先の指定、などなど
クラス委員の由紀恵は、他の用事でそこまで手が回らないようで、必然的に「Tシャツ作成委員」である、僕ら三人がやらなければならないようだった。
「ええ〜そんなに色々やることあるなんて聞いてないよ〜」
あかりが悲鳴のような声をあげる。
「デザイン作って、はいお仕舞い、ってわけにも行かないでしょ」
僕があかりを、そう言って宥める。
「高坂さんは、デザインの修正とかあるから、他の仕事は私と神山くんに任せて」
「さっすが紗良ちゃん、出来る女は違うねぇ。で、これどう直せばいいんだっけ?」
あかりが、僕と紗良を交互に見渡す。
「予算の関係で一色刷りだから、シルエットにして、ハチマキとバトンの所は生地の色を活かしたらいいんじゃないかな」
僕が答えると、あかりがパッと目を輝かせた。
「おー、それ良さそうだね〜、じゃあ、ちゃちゃっとやっちゃいますか」
「あ、入稿はデータでってなってるんだけど、高坂さん、出来る?」
「データって?」
「う、うーん、手書きした奴をスキャナで取り込んで、とかだけど」
「ええー、そんなの無理ー」
あかりは机の上で突っ伏してしまう。
「うちにスキャナあるから、それ使おうか。学校のも借りれるとは思うけど」
「おー、さすが師匠、助かるー」
あかりが息を吹き返す。
「じゃあ、神山くんはデータ作るのお願いね、お金集めたりとかは私がやるから」
相変わらず紗良は楽しそうだ。
そう言えば、転校ばかりで、あまり行事には縁がなかったと言っていたっけ。
行事嫌いな僕からしたら羨ましい限りだが、どうやら紗良はそうでもなかったようだ。
「わかった、そっちは村上さんに任せるよ。高坂さん、いつぐらいまでに出来そう?スキャンするから、なるべく綺麗な線で描いてくれるとありがたいけど」
「うーん、今日はちょっと用事があるから、明日は無理〜」
「じゃ、明後日かな?」
「おっけ〜」
机に突っ伏したまま、あかりが気の抜けた返事を返す。
(まあ、何とかなりそうだ)
体育祭まで残り1ヶ月を切っている。
やる事は山積みだが、僕とあかりと紗良の三人なら、なんとかなりそうかな、と僕は思っていた。
◇
翌々日、あかりは、約束通りに清書したデザインを持って来ていた。
「じゃ、師匠の家にレッツゴー!」
「い、いや、別に高坂さんまでウチに来なくても?」
作業は僕がやればいい、あかりまで家に来る必要は無い。
「えー、だって直したくなるかもしれないじゃん?」
だが、あかりはそう言って譲らない。
「それとも何ですか、部屋に入れられない理由でも」
あかりはニヤリと意味ありげに笑う。
「いやいや、別にそんな事、無いけど……」
自分の部屋の状態を思い出す。見られてマズいような物は……少なくとも表面上には無いはずだ。
「じゃあ決まりね〜」
あかりの声はあっけらかんとしている。
「しょうが無いなあ」
僕が力無く答える。
「どうしたの?何か二人で楽しそうな話してる?」
そこに、紗良の声が割って入った。さっきまでクラス全員のサイズの希望を確認してた筈だ。
「あ、ああ、村上さん、サイズの確認終わったの?」
「うん、今終わったとこ。で、何?高坂さん楽しそうだったけど」
その紗良の声に、あかりは、何か閃いたように目を輝かせた。
その顔に嫌な予感しかしない。
「そうだ!紗良ちゃんも一緒に行こうよ!」
全くもって予想通りである。僕は一人で頭を抱える。
「一緒にって、どこ行くの?」
「そりゃもちろん、師匠の家だよ」
「いやいやいや、ちょっと待ってよ、そんな急に言われても」
僕は必死の抵抗を試みる。あかりだけならともかくとして紗良も来るなんて、部屋の準備も心の準備も出来ていないのだ。
「え〜、なんでよ〜紗良ちゃん来たら困る事でもあるの?」
「いや、別に困るとかそう言うんじゃないけど」
「ああ、そう言えばスキャン、今日なんだっけ?」
察しの良い紗良は、この話の流れで全てを理解したようだった。
「そ、だから、今から師匠の家行こうって話してたの。ちょうど良いから紗良ちゃんも行くでしょ?」
「うん、でも……」
と紗良は僕の困っている姿をちらと横目で見る。
「急にお邪魔しても迷惑かなって」
うーん、あかりに爪の垢を煎じて飲んでもらいたい奥ゆかしさだ。
「え、師匠、紗良ちゃん来たら迷惑?」
あかりが、答えづらい角度で質問をしてくる。わざとか?
「いやー、迷惑……って訳では……」
そう答えざるを得ない。
「んじゃ決定!紗良ちゃんも一緒にいこ」
あかりは勝ち誇ったように笑っている。
「神山くん、いいの?」
紗良が控えめに僕にそう聞く。
「あ、ああ、村上さんが大丈夫なら」
弱々しく答える僕。
「ほんと?じゃあお邪魔しよっかな」
紗良の目がぱっと明るくなり、笑顔がこぼれる。
その笑顔が、僕の抵抗する気力を完全に奪ってしまう。
(あー、もう、なるようになれ……だ……)
僕は、覚悟を決め、あかりと紗良の訪問を受け入れた。
◇
「た、ただいまー」
僕は、自宅の玄関で普段出さないような大きな声で、わざとらしく帰宅を告げる。
「おかえりー」とキッチンの方から母さんの声がした。
(やっぱり居るよねー……)と僕はこれから起こるであろう事に覚悟を決める。
ぱたぱたとスリッパの音が響き、母さんが玄関口に顔を出した。
途端に、目を丸くして、僕の後ろに立つあかりと紗良を交互に見る。
「おじゃましま〜す」
「おじゃまします」
あかりと紗良が挨拶する声が後ろから聞こえる。
「え、えーっと、お友達かしら?」
母さんの挙動はぎこちない。口をぱくぱくさせながら僕の方を見ている。
そりゃ中学高校と、自宅に友達を一度も連れて来たことの無い息子が、急に女子二人を自宅に連れて来たらそうもなるだろう。
「ししょ、じゃなくて神山くんのクラスメイトの高坂あかりです」
「同じく、クラスメイトの村上紗良です。すいません、急にお邪魔して」
「あ、い、いえ、いえ、良いのよ、ゆっくりしていって。あ、ああ、まずは上がって」
母さんは完全にテンパっているようで、来客用のスリッパを準備する動きはロボットのようだ。
紗良とあかりは靴を脱ぎ、来客用のスリッパに履きかえていた。
紗良が脱いだ靴は、ぴたりと踵が揃えられ、つま先を玄関口に向けて隅に寄せられている。あかりの靴も同様に隅に寄せられていたが、少し左右がずれている。
「おじゃまします」と二人は声を揃える。
「と、とりあえず上、行こうか」
まずは余計な事をあれこれ詮索される前に、母さんから二人を遠ざけねば。
幸い、今のところは驚きが勝っているようで、余計な詮索がはじまる様子は無い。
二人を階段に促し、先に登らせる。
「じ、じゃあ、ちょっと部屋で作業あるから」
良くわからない説明を、まだポカンとしている母さんに向けて言い、僕も二人を追って階段を登る。
登りなれた少し急な階段を数段上がると、ひらひらと揺れるスカートの裾が目の前に現れた。ちら、と上を見ると、長く黒い髪の毛。とたんに、ドキと胸の鼓動が大きく鳴り響く。
(こ、これは、もしかして村上さんのスカート……?)
慌てて視線を落とし、足元の階段を見つめる。
上を、見たい!!その衝動が強く湧き起こるが、なんとかそれを押し留める。
とんとん、と階段を登る紗良の足音が聞こえる。その度に、スカートの裾がひらひらと、僕の視線の隅で揺れる。
僕はごくりと唾を飲み、ぐっと両目を瞑りながら階段を一段ずつ登って行く。
視線を上にあげたら、どのような光景が目に入るのだろうか?それを想像する事すら、いけないことのように感じるが、それを押し留める事は出来なかった。
自宅の階段がこんなに長かっただろうか?
なんとか階段を登り切った頃には、僕の心臓は破裂する寸前だった。
深呼吸をし、心を落ち着かせる。
先に階段を登り切っていたあかりと紗良を、自室のドアに誘導する。
「ちょ、ちょっとだけ待って」
念のため、最終確認をすべきだろう。ドアを少しだけ開けて部屋に滑り込み、バタンと閉める。
「ちょっと〜師匠〜開けてよ〜」
とドアの外からあかりの声が聞こえる。
「ごめん、ちょっとだけ、待って」
ドアの外に声をかけながら、部屋中をさっと確認する。
ベッド……は母さんが整えてくれているみたいだ。
机の上にも、怪しい物は、無い。
本棚はいつも通り。表には支障の無い本しか並んでいないはずだ。
よし、問題なし。
「お、お待たせ、どうぞ」
「おっじゃましまーす」
「おじゃまします」
あかりは堂々と、紗良はそろそろと、部屋の中に入ってくる。
「おお〜、これが師匠の部屋か〜」
きょろきょろとあかりは、物色するように部屋を見渡す。
「高坂さん、あんまりジロジロみない方が」
紗良は落ち着いた様子であかりを嗜める。
「うわー、本いっぱい!ほらほら、紗良ちゃん!『空の王国と蒼穹の乙女』全部あるよ!」
「ほんとだ、あれ?でもこれ一巻だけちょっと見た目違うけど」
「あー、それには深いわけが〜」
あかりがバツの悪そうにそう答えている。
その時、下から「ちょっと〜、シンイチ〜」と母さんが僕を呼ぶ声がした。
どうやら正気に返ったらしい。余計な詮索をされる前に釘を刺しておいた方が良さそうだ。
「ご、ごめん、ちょっと下で母さんが呼んでるから行ってくるね。その辺座って待ってて」
座布団などと言う気の利いた物はないが、床はクッションフロアなので直に座ってもまあ大丈夫だろう。
「ねえねえ、本読んでても良い?」
「あー、良いよ」
「やった!紗良ちゃん、どれにする?」
「うーん、やっぱり『空の王国と蒼穹の乙女』かな」
「だよねー、私もそれにしよ」
「じゃあ、行ってくるね」
二人に声をかけ階段を駆け降りる。
リビングのドアを開け、中に入ると、母さんがそこに立っていた。
その目は、先ほどまでの動揺は見られず、代わりに、好奇心に満ち溢れていた。
(あちゃー、やっぱこうなるか……)
「ちょっと、あんた、あんな可愛い子二人もどうしたのよ」
二人しかいないリビングで何故か母さんは声をひそめて僕に話しかける。
「どうしたもこうしたも、クラスメイトだよ。体育祭の準備でウチのパソコン使うから」
「ふーん……」
と言いながら、ニヤニヤとした顔でこちらを眺めている。
「あんた、友達とかぜんっぜん連れて来ないし、どうせボッチで休み時間も一人で本読んでるんだろうなと思ってたけど、なかなかやるじゃない」
うりうり、と肘で僕をつついてくる。
(あー、もう……)
全くもって予想通りの展開、このまま放っておくと、お決まりの「お菓子もって来たわよ」と偶然を装って部屋に乱入してくるに違いない。
「とにかく、体育祭の準備で忙しいんだから、邪魔しないでよ?お菓子とか飲み物とか持ってこなくて良いからね?」
「えー、つまんなーい……」
しょんぼりとした表情でそう呟く。やはりそれを狙っていたらしい。
「もう、頼むよ母さん……」
僕は頭を抱える。
「じゃあ、せめて飲み物とお菓子ぐらい持って来なさい」
まだ若干不満そうだが、お盆にグラスと飲み物、あとお菓子を準備して僕に持たせる。
「わかったよ、じゃあ絶対部屋入って来ちゃダメだからね!」
もう一度釘を刺す。
「はいはい、わかったわよ、だからって変な事しちゃダメよ!」
「するか!」
僕が怒る姿を見て、母さんがけらけらと笑っている。
全く、そういうふうにからかうのが青少年の健全な心を蝕むと言うのに……
お盆を持って再度階段を登る。
部屋のドアを開け中に入ると、予想もしない光景にお盆を落としそうになるがなんとか堪えた。
「ちょ、高坂さん、何してんの?」
あかりは、僕のベッドの上に寝そべって、本を読んでいた。
紗良は床に膝を折って座り、同じく本を読んでいる。
「ん?」
うつ伏せになり、足をぱたぱたと振りながら、あかりがこちらを見てキョトンとしている。
「私は止めたんだけど……」
と紗良が力なくつぶやいた。




