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オタクになりたい少女、絵師になる

「よっ、はっ、ほっ」


放課後の教室にあかりの謎の掛け声が響く

あかりは、左手で僕の机に広げられたノートの上にシャーペンを走らせていた。

みるみる内にその線たちが繋がり、人間の形になっていく。


時たまうーんと首を傾げ、少々修正したりはしているようだが、ものの数分でそれは、はっきりと一人のキャラクターとして認識出来る物となった。


見覚えのある赤毛の青年。

『空の王国と蒼穹の乙女』の主人公、アランだ。


騎士の鎧をまとい、トレードマークでもある大剣を両手で構え、両足を開き踏ん張っている。剣先がこちらに向けられ、パースが過剰にかかっている。


(これは……三巻の挿し絵か……?)

いわゆる「サ⚪︎ライズ立ち」というやつである。

大剣を両手で握り締め、渾身の一撃を放つ前のその構図は、お決まりのパターンとして度々挿し絵に採用されていた。


「うーん、まあまあかな〜」

どうやら画伯は出来栄えがお気に召さないらしい。


「いや、凄いよ高坂さん。絵上手なんだね」

僕は率直な感想を伝える。


「まあね〜、昔から美術だけは成績良いんだ〜でもこれはちょっとイマイチかな〜」

あかりは得意げにそう言うが、やはり出来栄えには納得出来ていないようで、所々消しゴムで消しては修正しているのだった。


しかし、何も見ずにフリーハンドでこれだけ描けるのは凄いのでは?

絵心ゼロで工作はともかく、美術の時間が苦痛でしょうがなかった僕にはとても羨ましい。


「家でも絵、描くの?」


「うーん、中学ぐらいまでは描いてたけど、あんまりかな〜、あ、でも最近は描いてるよ、アランとかクレアとか、あとは〜……」

あかりは指を折りながら『空の王国と蒼穹の乙女』の登場人物の名前を次々と挙げる。


「へえ、そうなんだ、今度見せてよ」


「え、別にわざわざ持ってこなくても今描こうか?」


「えっ?」


僕が驚くのを尻目に、あかりは先ほどの「アラン」が描かれたページをめくり、真っ白なノートにシャーペンを走らせていた。


先ほどと同じように、ものの数分でノートは埋まり、そこにはシスターのような格好をした髪の長い少女が、両手を前で組み祈っている姿が描かれていた。メインヒロインである「クレア」だ。


「うーん、さっきのよりはこっちのが上手に描けたかも」


「いや、高坂さん……ほんと、凄いね……」

僕はあっけに取られて、ポカンと口をあけたまま、間抜けな感想を述べる。


「にっひっひ、これで師匠に一矢報いる事が出来たかな〜」

あかりは得意げだ


「あら、これクレア?」

その時、落ち着いた声が、僕とあかりに向けられた。

帰り支度を済ませた紗良が、僕の机の上のノートを覗き込んでいる。


「四巻の、旅立ったアランを思って祈るシーン、かな?」

確かに、言われるとクレアの衣装はその頃のやつだ。相変わらず紗良の記憶力は凄い。


「そうそう、それそれ!さっすが紗良ちゃん」

いつの間にか、あかりは紗良のことを「紗良ちゃん」と呼ぶようになっていた。

僕は相変わらず「村上さん」だ。女子を下の名前で呼んだ記憶は小学校低学年ぐらいまで遡らなければならない。


「これ、高坂さんが描いたんだよ」


「え、そうなの?凄い!」

紗良が胸の前で両手を合わせ、心底驚いたようにそう言うと、あかりは腕を組み踏ん反りかえる。


「うおっとっと」

あまりにも踏ん反り返りすぎて、椅子のバランスを崩し、危うく転びそうになる。


「ま、ちょっと出来栄えは納得いってないけどね〜」

なんとか踏ん張り転倒を回避したあかりは、紗良に向かって誇らしげに言い放った。


「私、絵描くの苦手だから、羨ましいな」


「え、そうなの?紗良ちゃんって何でも出来そうだけど?」

あかりが、率直な疑問をぶつける。


「ううん、絵と、運動は、苦手、かな」

確かにそう言われると、紗良が体育の時間に活躍しているイメージは無い。


「私も運動は苦手〜あ〜そういえばそろそろ体育祭か〜めんどくさ〜」

あかりの表情はさっきまでの得意満面な姿とはうって変わり、頭の後ろで両手を組みながら心底嫌そうだ。


「体育祭と言えば、クラスのTシャツ。高坂さん、あれのデザインしてみたら?」

目をぱっと輝かせて、紗良がいかにも良い事を思いついたと言うふうにそう言った。


「え?私が?」


「そうそう、絵上手だし、デザイン考える人居なくて困ってたみたいだったし」

確かに、Tシャツのデザインは難航しているようだった。そもそもやりたい人間が居ないのだ。クラス委員達が頭を抱えている姿は僕の記憶にもある。


「うーん、まあねー、由紀恵も困ってたけど……」

クラス委員の由紀恵は、確かあかりとも仲が良い。休み時間や放課後などにあかりを話している姿を良くみかける。


「よし、じゃあクラスのためにもいっちょやってやりますか!」

あかりは決心したように椅子から立ち上がり、ぐっと拳を握って宣言した。


「あ、師匠と紗良ちゃんも手伝ってね?」


「え?なんで僕が?」


「言い出しっぺなんだし、責任とって!」


「いや、言い出しっぺは僕じゃなくて村上さんじゃ……」

僕は正当な事実を元に訴えるが、あかりは聞く耳をもたない。


「もう、細かい事はいいの!」

紗良はそんな僕とあかりのやりとりを、くすくすと笑いながら見守っている。


「紗良ちゃんもだからね!」

あかりが次は紗良を目標に定める。


「私が言い出しっぺ、だし、ね」

紗良は笑いながらそう言う。

ちら、と紗良を見ると、微笑んでいる紗良と目があう。

慌てて視線を机の上のノートに戻す。


(しかし、本当に上手だな)

あかりが描いたクレアは表情や、衣装の細かいディティールまでラフではあるが、丁寧に再現されている。

『空の王国と蒼穹の乙女』は、どうやら本当にあかりの心を掴んだようだった。


(体育祭なんて、縁の無い物だと思ってたけど)


運動が全くダメな僕にとって、体育祭は「とにかく存在感を消し、ただ何事も無く過ごせるように祈る」行事だった。


それが何の因果か「体育祭のTシャツ作り」をする事になるとは。

正直あまり気乗りはしない、が、紗良と一緒なら悪く無いかもしれない。


(これも高坂さんのおかげ、なのかな)

紗良となにやらあれこれ話しているあかりを見る。

貸した本を無くされた対価、としては十分どころか、補って余りある見返りだった。



翌日、早速あかりと僕と紗良の三人は、クラス委員の由紀恵の元を訪れた。


クラス委員の由紀恵は、あかりの申し出に、大袈裟と思えるほど感謝していた。デザインが決まらず困っていたのは本当らしい。


「紗良ちゃんと、神山くんも協力してくれるって!」

あかりが、芝居がかった動作で僕と紗良を由紀恵に紹介する。


「あ、そうなの?二人ともありがとう!」

由紀恵は、僕を見て一瞬怪訝な顔をしたが、デザインを引き受けてくれる人が出た安堵が優ったのか、素直に感謝の言葉をのべた。


「でも、なんか珍しい組み合わせ、だね」

由紀恵からすれば率直な感想、だろう。

僕も少し前まではこの三人の組み合わせなど、想像もしていなかったのだ。


「でしょ?こう言う意外性のある組み合わせから、インスピレーションが生まれるんだよ」

あかりが、もっともらしいのからしくないのか良くわからない発言を、どうどうと言い放つ。


「時間、あんまり無いけど、大丈夫?」

あかりのその言葉を軽く受け流し、由紀恵が僕たちに向けてそう言った。

そう、確かに時間は無い、体育祭まであと1ヶ月を切っている。

Tシャツの発注やらの時間を考えると、そこまで時間は無いのだ。


「今日から早速作戦会議しなくちゃね」

あかりが、僕と紗良にそう言った。


「ほんとごめん、助かる」

由紀恵は両手を合わせて、僕らに再度頭を下げた。



その日の放課後、僕とあかりと紗良の三人は教室で頭を捻っていた。「作戦会議」だ。


「ところで高坂さん、なんかアイディアあるの?」

僕は当然の疑問をあかりにぶつけてみた。

引き受けるからには何かしらアイディアでもあるのだろう、と僕は思っていたのだ。


「え?そんなの無いよ?」

僕の期待を裏切り、あかりは平然と言い放つ。


「え?全く無いの?」


「だって、昨日の今日だよ?」


「いや、まあ、そうだけど……だ、大丈夫?」


「大丈夫だって、師匠と紗良ちゃんも居るんだし」


いや、なんか過剰に期待されてる気がするが……

ちらっと紗良の方を見るが、紗良は楽しそうに笑っている。

その笑顔に僕の不安も若干ではあるが、抑えられる。


「まずは、モチーフを決めないとね。体育祭だから、ちょっと勇ましいような感じが良いのかな」

紗良の声はいつものように落ち着いてはいるが、少し弾んでいるように、僕には聞こえた。


「さっすが、紗良ちゃん良い事言うね!ほら、師匠もなんか考えてよ」


「いや、高坂さんも考えなよ……」


「私は描くの専門なの!考えるのは二人にお任せ」


「ええ……」

僕は絶句する。どうやら紗良と二人でなんとかしないとダメなようだ。


「村上さん、何かアイディア、ある?」

とは言え僕も何かアイディアがある訳でも無く、自分を棚にあげて紗良に振ってみる。


「うーん、ベタかもしれないけど体育祭でやる競技とかどう?」

紗良は顎に指をあてながら難しそうにそう言う。


「徒競走、とかそう言うの?」

僕がそう言うや否や、あかりはノートを広げて、左手に握ったシャーペンを走らせていた。僕と紗良は、ふんふんと鼻歌を歌いながらペンを走らせるあかりの様子を黙って見守る。


「ちょっと描いてみたけど、どう?」

あかりがノートをパッとこちらに広げて見せる。


ハチマキを頭に巻き、疾走している少年の上半身がゴールテープを切り、歓喜の表情を浮かべている。

切られたゴールテープの端がなびき、そこに「必勝!2年D組!」と力強い文字が踊る。


(いや、もうこれで良いんでは?)


「高坂さん上手!もうこれで良いんじゃ無い?」

紗良が、僕と同じ感想を率直に口にしていた。


だが、肝心のあかりは納得していないようだ。

「うーん……」

と難しい顔をして首を捻っている。


「僕もこれ、凄い良いと思うけど」

僕も紗良に同調して見せる。


「なーんか違うんだよねえ、もっとこうぐっとばーっとしてた方が」

良くわからないがお気に召さないようだ。


「じゃあ、他の競技はどう?騎馬戦とか、大玉転がしとか、綱引きとか?」

紗良がすかさず助け舟を出す。


僕と紗良がアイディアを出し、あかりが次々とノートにペンを走らせ、デザインを生み出していく。

ああだこうだと三人で話しながら、あかりが生み出したデザインは既に10枚を越えていた。


僕からすればどれも十分な出来栄えだが、あかりはやっぱり納得出来ないようだ。


「なんか違うんだよねぇ……王道すぎるというか……ひねりがないと言うか……」

あかりが、自分が描いたデザインを眺めながらぼそっと呟く。


既に作戦会議を始めてから結構な時間が経過していた。

時計を見てあかりがはっと驚いた顔をする。


「あ、私今日予定あるんだった!ごめん!先帰るね!家で考えてくるから!」


あかりは、帰り支度をし、僕と紗良に手を振りながらぱたぱたと教室から駆け出して行った。


僕と紗良の二人だけが教室に残される。


「なんか、村上さんも僕も巻き込まれちゃって、大変だね」

僕は紗良に向かって肩を竦めて苦笑気味にそう言った。


「私は言い出しっぺだし。こういうのした事無かったから、楽しいよ」

紗良はニコニコと笑顔でそう答える。


「そ、そうなんだ」

僕は笑顔がまぶしすぎて直視出来ない。

視線を逸らしつつそう答える。


「うん、私、イギリスに住んでたし、日本に来てからも転校が多かったから」

ちょっと寂しそうに紗良が笑う。


「高坂さんが声かけてくれて、嬉しかったんだ。『空の王国と蒼穹の乙女』イギリスでもアニメやってたから」


「へえ、そうなんだ」

確かに当時、クールジャパンとかで積極的に日本のアニメや漫画を海外に展開しようとしていた。でも、有名少年誌のメジャータイトルとかが主な対象だったはず。

日本でもサブカル的な人気だった『空の王国と蒼穹の乙女』が海外展開していたとは。


「結構人気あったんだよ。私も最初は日本のアニメって知らなかったんだけど、お父さんが日本語の勉強にって原作の小説買ってくれたの」

当時を思い出しているかのように、紗良の表情は柔らかい。


「日本でも大人気なんだと思ってたんだけど、そうでも無かったみたい」

苦笑気味に紗良がそう言う。


「そ、そうだね、日本ではちょっとオタク向けと言うか、若干マイナージャンルと言うか……」

もうちょっと気の利いた事を言えれば良いのだが、僕にはこれが精一杯だ。


「だから、この前、高坂さんと神山くんと、三人で話せてとっても楽しかった」

僕の方を真っ直ぐ向き、目を細めて紗良が言う。

教室の窓から吹き込む風に、紗良の長い黒髪がかすかに揺れる。


「ぼ、ぼ、僕も、た、楽しかったよ。また、今度、是非」


「うん、ありがと。でもまずはTシャツ作っちゃわないとね」

紗良のその言葉に、僕は現実に引き戻される。

あかりは「家で考えてくる」と言っていたが、果たしてどうなるだろうか?


「私たちも帰りましょ」

紗良の言葉をきっかけに、僕も帰り支度をし、校門で紗良と別れ、家に帰った。



翌日の放課後、「第二回」作戦会議は、あかりのドヤ顔で開幕した。


「ふっふっふ、今回のは自信作だよ」

あかりは不適な笑みを浮かべながらそう言った。


「おおー、それは楽しみだね」と僕が言う。

紗良は小さな声で「わっ」っと歓声をあげながら、胸の前でぱちぱちと拍手をする。


「やっぱりねえ、私のパッションを絵に込めなきゃダメだと思ったんだ」

したり顔であかりが言う。


随分勿体ぶるな、それだけ自信作なのかもしれないが。


「で、どんなの出来たの?早く見せてよ」

しびれを切らして僕がそう言うと、しょうがないなぁと言った顔であかりが答えた。


「じゃーん!」

大袈裟なアクションであかりがノートを広げて見せる。


それを見て俺は唖然とする。

紗良は目を輝かせている。


ハチマキを頭に巻いた少年が、おそらくリレーのバトンと思われる棒を両手で握り締めている。ただ、そのリレーのバトンは一般的なそれのサイズを大きく越え、絵の左上から右下までを大きく覆っていた。


過剰に取られたパース、しっかりと大地を踏みしめている大きく広げられた少年の両足……みまごう事なき「サ⚪︎ライズ立ち」である。


絵の左上に向けられた切先、ではなくバトンの刀身?に「必勝!2年D組」と力強く刻まれている。


(こいつ、やりやがった……)

昨日も描いていたアランの決めポーズ、それをそのまま持って来たのだ。


「やっぱね〜、このポーズがカッコいいいな!と思って」

あかりは満足そうに頷きながらそう言う。


「素敵!」

紗良が目を輝かせながら短くそう言う。


(いや、確かにかっこいいけど……)


「リレーのバトンは両手で持たないんじゃ……」

僕が、控えめながら真っ当な指摘をした。


「かっこいいから良いの!」

あかりがキッパリとそう言い切ったので、それ以上反論する着性を削がれたが、もう一つだけ気になる所をなんとか指摘する。


「それに、バトンそんな大きく無いし……」


「あー、もうオタクたる師匠がそんな些細な事を気にするなんて……」

あかりが、やれやれと言う風に頭を振る。


「かっこいいが全てに優先されるんだよ!」

あかりが胸を張ってそう言い放った。


ああ、どうやら、あかりはもう立派なオタクに成長したようだ。

僕が「師匠」なんておこがましい。彼女の情熱はもはや僕を越えたかもしれない。


(確かにカッコいい、でも、これ、クラスの皆はどう思うのだろうか……)

弟子の成長に感慨にふけりつつも、僕の心に一つの不安も湧き上がるのだった。

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