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オタクになりたい少女と、僕と、左斜め前の君

「師匠〜、今日本屋寄って帰ろ〜」


その日以来、高坂あかりは僕の事を「師匠」と呼び、何かと「オタク道」について指導を受けようとしてくるのだった。僕が紹介する物は、彼女にとっては全てが新鮮だったようだ。


そんなあかりの素直な反応は、僕にとっても嬉しい物だった。


「師匠〜これもう読んじゃったから次貸してよ〜」

「このキャラかっこいいよね〜」

「ちょっとこの表紙エッチすぎない?本屋さんで自分で買えないよ。中身は面白いのに」


気づけばいつしか、僕と高坂あかりは週に何度か、読んだ本の感想を語りあい、本屋に新刊を一緒に探しに行くようになっていた。


その日も僕とあかりはいつものように本屋に新刊を探しに行く途中だった。


「そういえばさあ、師匠って村上さんの事好きでしょ」


並んで歩いている僕にあかりが突然声をかけた。


「えっ……!?」


「英語の授業の時いっつも見てるじゃん、バレバレだよ」


「いやっ、そのっ……」


「村上さん綺麗だもんね〜、さすが師匠はお目が高い。でも村上さん男子に人気だからな〜、競争激しいと思うよ?」


「そっ、そうなの……?」


「え、知らないの?村上さんが今まで何人の男子を撃墜してきたか」

そうだったのか、さすが女子のネットワークは情報が出回るのが早い、自分も気をつけなければ。いや、僕のような空気みたいな存在は女子の関心を引かないか……


「ふーん、でもその反応はやっぱりそうなんだね〜、ここはいっちょ師匠のために一肌ぬいじゃおっかな〜」


「いや、僕は、別に……」


「まあまあ、遠慮しないで〜師匠には色々お世話になってるからさ〜」

あかりはいつになく強引だ。何が彼女をここまでさせるのだろうか……


「で、でも高坂さん村上さんと仲良いんだっけ?」


「そうでもないよ、何度か話したことあるぐらい。けど今から仲良くなればいいでしょ?」


「えっ……?」


「まあ任せときなさいって〜」


僕は一抹の不安を覚えながらも、あかりのその言葉に密かに期待していた。

本屋に向かう足取りが心なしか軽くなる。その日の2人での本屋めぐりはいつになく楽しかった。



「師匠〜、今日、本屋寄って帰ろう」


数日後、放課後にあかりが僕の席にやってきた。


「ああ、新刊出るの今日だっけ、ちょっと待って、すぐ行くよ」

いつも通りのやりとりをし、あかりと連れ立って教室を出る。


「あ、今日、私の友達も一緒でいい?」

校門を出ようとした時、あかりが思い出したように僕に言った。


「え、友達……?い、いいけど……」

一体誰だ……正直気乗りはしなかったが仕方なくそう答える。


「よかった!校門前で待ち合わせしてるんだ〜、もう来てると思うけど……あ、いたいた、こっちだよ〜」

とあかりが手を振る。


その先には村上紗良が両手でカバンを体の前に下げて立っていた。

僕は思わず息を呑み、あかりを見る。

あかりはニヤニヤしながら意味ありげにこちらを見ている。


「ごめんね〜村上さん、待った?」


「いいえ、私も今来たところだから」

村上紗良の声は英語の教科書を読み上げるその声そのままの涼しげで、落ち着いた、よく通る声だった。


僕の頭の中はパニックだった。いったい何故……いや、数日前に確かにあかりが「一肌脱ぐ」と言っていたが、まさかこんなに直接的な行動に出るとは……


「師匠?どうしたの?固まっちゃって」

ニヤニヤしながらあかりが言う。


(こいつ……)

内心の動揺を悟られないようになんとか言葉を捻り出すがどうにもうまくいかない。


「あ、ああ、村上さん、本日はお日柄もよく……」


「ぷはっ、師匠、何言ってるのよ」

とあかりが笑いながら僕の背中を叩く。


その衝撃が緊張をほんの少し和らげた。

ちらと紗良を見ると口に手を当ててくすくすと笑っている。

嫌味の無い上品な仕草、なんだよそれ、反則じゃないか……


「村上さんもね『空の王国と蒼穹の乙女』好きなんだって。ね?」


「ええ、そうなの」


「あ、ああ、そうなんだ、奇遇だね」

少し落ち着きを取り戻したものの、完全にキャパシティを超えている僕の口からはそのようなありきたりな言葉しか出ない。


その後の記憶は曖昧だった。とりあえず本屋に行き、その後ファストフード店で談笑し、家に帰ったのだけは間違いない。


紗良は確かに『空の王国と蒼穹の乙女』が好きなようだった。彼女の記憶はとても正確で、具体的なシーン、セリフの一つ一つまでほぼ完璧に覚えていた。


「あ、それ三巻の50ページのセリフでしょ。私もそのセリフ好きだな。主人公の今までの集大成って感じがして」


あかりは僕と紗良の会話に途中までは付いて行こうとしていたようだが、最後には諦めてスマホを弄っていた。

僕はそんなあかりの姿を横目で見ながらも紗良との会話に夢中になっていた。


ひとしきり語りあって興奮さめやらぬ僕を尻目に、あかりが紗良に質問した。


「村上さんって英語の発音良いよね〜子供の頃から英会話とかやってたの?」


紗良は一瞬逡巡したがはっきりとした口調で答えた。

「私、10歳まで両親の仕事の関係でイギリスに住んでたから」


「へ〜、そうだったんだ!なんかかっこいいね〜帰国子女ってやつ?」


「別に私がすごいわけじゃないよ」

紗良の表情が一瞬だけ曇ったのを僕は見逃さなかった。


紗良が腕時計をちらと見る。スマートフォンを見れば時間がわかるこの時代に、彼女は腕時計をしているのだった。


スマートウォッチでもないアナログの文字盤。彼女の印象そのままの、とてもシンプルで知的なデザイン。見るからに高級そうな腕時計。


「私、そろそろ帰らなきゃ。ありがとう、今日はとても楽しかったわ」


「どういたしまして〜、また付き合ってね〜」


「あ、ああ、僕も楽しかったよ、こちらこそ、ありがとう」

紗良は僕とあかりにそれぞれ会釈をし、軽く手を振って店の外に出て行った。


僕は紗良の後ろ姿が見えなくなるまで、そこから目を話せなかった。


先ほどまで紗良が座っていた席が空になり、僕とあかりだけが残されていた。


「師匠〜、盛り上がってましたな〜」

とあかりがニヤニヤしながら僕に言う。


「あ、ああ、そうだね……」


「でも、ちょっと悔しかったな〜私、話にぜんぜん付いてけなかったから」

あかりは紙コップのストローをくるくると回している。


「え?」その言葉に僕ははっとする。

そういえば途中から紗良とばかり話していてあかりの事は全く目に入っていなかった。


「私ももっと勉強すれば師匠と村上さんみたいに話せるようになるのかなぁ〜」

普段通りの明るい表情だが、少し遠くをみつめながらあかりがそう言った。

僕は何かを言いかけたが、適切な言葉が見つからなかった。



翌日、登校した僕に「おはよう」と紗良が声をかけてきた。


「昨日はありがとう、とても楽しかったわ。また誘ってね」


「あ、ああ、こちらこそ楽しかったよ」

ぎこちなく答える僕を見て紗良は微笑む。今日は朝から良い気分だ。


そこに「師匠おっはよ〜」と明るい声であかりが割り込んできた。

「高坂さん、おはよう、昨日はありがとう楽しかったわ」と紗良が言う。


「次は私も負けないからね〜」


「何の勝負だよ……」


「師匠に言ってるんじゃなくて村上さんに言ってるの!」


「どういう事……?」

紗良は僕とあかりのやりとりをくすくすと笑いながら見守っている。


チャイムが鳴り今日の授業が始まる。1時間目は「英語」だ。


英語教師が紗良を指名し、紗良はいつもの通り音読を始める。

どうやら今日からは「小説の読解」のようだ。


「It was in spring when I first met Emma and Jack.

We laughed together, and we shared many stories.」


紗良が涼しげな、教室内に良く通る声で音読する。


僕はいつものように左斜め前の彼女の横顔を見つめていた。

ふと、紗良と視線が合う。彼女が一瞬僕に微笑みかけたように感じた。


(……いやいや、妄想も甚だしい)と僕は頭を振る。


そんな僕の姿を、右斜め後ろのあかりがじっと見つめている事には全く気づかず、紗良の声に耳を傾ける。


「But in autumn, something between them began to change.

I could feel the distance, but I didn’t know who was moving away.」


英語の授業も、放課後の寄り道も、何気ないやりとりも、その全てが、少しずつ僕の生活を変えていく。一人で本を読んでいるのも楽しいけど、その変化も、案外悪くないもんだな、そう思った。

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