影の中で呼吸する都市
アオトの目の前に広がっていたのは、彼がこれまでに見たことのない、他とは比べ物にならない都市だった。それは「壮絶」としか言いようがなく、希望の最初で最後の砦、ナイコンだった。
ガリウスは、二人が登ってきた階段の上から都市を見下ろしながら、アオトの手が強張るのを感じ、彼の肩をつかんで顔を向かわせた。
ガリウス:「お前が本当に耳が聞こえないっていうなら、俺の顔をちゃんと見ておけ。この街で迷子になるのは、死を意味する。ここは絶望の街だ。」
「ようこそ、ティアナモン帝国の首都、ナイコンへ。アオト、この街をよく見ておけ。ここから俺たちの“門”への旅が始まる。」
アオト:「ガ…ガ…門?」
ガリウス:「知らないのか?お前、本当に救いようがないな。耳が聞こえなくて、ガリガリに痩せてて、頭も働かない。よく今まで生きてこられたなと感心するよ。」
そう言ってガリウスは、アオトを徹底的にからかい続け、ようやく満足したように再び歩き出した。そして地上へとたどり着いた。
ナイコンは完全な地下都市だった。それも納得がいく。地上は過酷そのもので、生物の気配ひとつ感じられない不毛の大地だった。空気は重く、アオトは吐き気を催すほどだった。地面は凍てついているのに寒さはなく、空は常に薄明で、星も雲の上も見えない。辺り一面は、戦争の爪痕を思わせる瓦礫と廃墟に覆われていた。
ガリウスは、ナイコンから一ヶ月ほどの旅路にある地下都市「ゼサ」の話をした。そこは、二人が運命を変えられるかもしれない場所だという。
その時、アオトの目は遠くの地平線に釘付けになった。光を放つ塔のようなものが立っていた。その中から輝く光柱が空へ向かって伸びており、アオトは視線を離せずにいた。
アオトは右手をその方向へと伸ばし、指をさした。その瞬間、アオトの体の震えが止まり、まるで魂ごと縛られたように動かなくなった。そんなアオトを見て、ガリウスはにっこりと笑い、彼の肩を抱いて言った。
ガリウス:「あれが、“門”ってやつだ。」
ガリウスに抱き寄せられ、アオトはようやくその視線の呪縛から解かれた。しかし次の瞬間、強烈な圧力が全身を襲い、膝から崩れ落ちた。ガリウスは彼を支え、再び地下へと戻り、休ませた。
階段を下りる途中、アオトはナイコンの本当の姿を初めて目にした。東京やニューヨークを彷彿とさせる活気に満ちた都市で、狭い路地や賑やかな通りが果てしなく続いていた。街は原始的ではなく、むしろ産業が発展していた。ガリウスによれば、「案内灯」と呼ばれる新しい電灯が整備され、夜でも街を照らし、全てが都市の中心へと導くよう設計されていた。ガリウスはそれを「迷える魂を空へ導く光」と説明した。
互いにまだ浅い関係ながら、二人は共に行動することに同意した。ガリウスにとっては相棒が必要で、アオトにとっては未知の世界での案内役が必要だった。だが、まずは宿を探さなければならなかった。
ガリウス:「“ブラック・ウィヴレニー”だ!」
ガリウスが以前見かけて覚えていた宿だった。「ブラック」という名に反して、宿は意外と清潔だった。ガリウスが宿帳に記入している間、アオトはその建築の美しさに見惚れていた。部屋の鍵を受け取り、二人は階段を上がった。
部屋に入ると、ガリウスは風呂へ直行した。浴室からアオトに話しかける。
ガリウス:「これからが楽しみだな、アオト。俺たち、バウンダーになれるんだぜ!」
だが、話しかけていたことをすぐに忘れたように沈黙が続いた。ガリウスはアオトが耳が聞こえないことを再認識し、急いで風呂を済ませて出てくると、アオトは疲れ果てて眠っていた。
アオトが夜中に目を覚ますと、誰かにシャツを脱がされた形跡があり、背後に熱い息を感じた。振り返ると、ガリウスが彼の背中をじっと見つめていた。
驚いたアオトは、反射的にガリウスの顔面にパンチを放った。
ガリウス:「違うんだ、誤解だ!」
アオトの背中には、耳の後ろまで伸びる奴隷の刻印があった。帝国内では、主要な動脈の近くにこうした刺青を入れることで、奴隷を見分けられるようになっていた。
ガリウスはアオトに刺青を入れられた記憶があるか尋ねたが、アオトは答えられず、ただこう言った。
アオト:「わ…わから…ない…」
ガリウスはアオトの耳を優しく覆い、明日には耳を治せる場所へ連れて行くと告げた。アオトはその可能性に驚き、涙を流した。
そして二人は再び眠りについた。
夜明け前、ガリウスはアオトを起こした。
アオト:「いたっ、なにすんだよ…っ!」
ガリウス:「悪かった、他に起こす方法が思いつかなくてな。さあ、急いで支度しろ。日の出前にアルカードに向かうぞ。」
こうして、二人の次なる目的地「アルカード」への旅が始まる――ナイコンという幻想世界の心臓から、忘れられた場所へと。