ずっと大好きなあなたの話~って、え?それ俺のことなの?~
数年前、運悪く盗賊団に目を付けられて襲われた一つの村があった。その村は瞬く間に占領され、住まう人の誰もが絶望にうちひしがれていた。
そんな時、一人の少年と少女が現れた。見るからに十代の子供だった。村人達は二人に逃げるよう促すも、盗賊を見つけても彼らは臆することはなかった。
彼らにとっては当然のことだった。何故なら、彼らは盗賊達という獲物を狩りに来たのだから。
赤い瞳の少年は薬を用いて相手を弱らせてから、確実にナイフで相手を刺して仕留めた。アルビノの少女は標的を次々と凪ぎ払っては、急所を何度も殴って蹴って嫐り殺した。
村人達は当然唖然としたが、血みどろになっても彼らは村人達にとって確かに救世主だった。
彼らが盗賊を一掃した後、村人達は彼らに感謝を伝えた。だが彼らは、主人の命に従っただけだと言った。彼らにとっては特段変わった仕事でも無かったのだ。それに、村に対して何か思い入れがあったわけでもない。
けれど、彼らが村を救ったという事実は変わらない。村人達は彼らを崇め称えた。
彼らの主人は『朝日の光』と呼ばれる公爵家令息。そのことから、彼らは『日陰様』と呼ばれ村人達に慕われるようになった。
──そして。今でも一部で『日陰様』と呼ばれ続けている赤銅色の瞳の青年、セオは今。
「え、なになに。どーしたのリーシャ。俺、何かした?」
自宅の中で、恋人であるリーシャに壁に追い詰められていた。
◆◆◆◆◆
「……心当たりはないの?」
リーシャは美しいアースアイを少し丸くして、軽い調子でセオに問いかける。
どうやら怒っている訳じゃないみたいだ、とセオは安堵した。だがリーシャは依然として不機嫌そうにしている。
セオは記憶を必死で掘り起こしてリーシャの気を悪くさせた原因を探るも──果たしてどれなのか分からない。心当たりがありすぎるなぁ、と遠い目をするセオに、リーシャは嘆息した。
「……手紙がねぇ、届いてたの」
「ん?」
セオは職業柄恨まれる事も多いため、住所をほとんど教えていない。そんな自分に手紙を送るとしたら、とそこでセオは思い当たった。
「もしかして、エリンから?」
セオが問いかけると、リーシャはこくんと苦い顔で頷いた。
「見せて」
「……嫌ぁ」
「えぇ、なんで?……何か、嫌なこと書いてあった?」
セオはリーシャの頬をそっと撫でてから、こつ、と額と額を合わせた。至近距離にある好きな人の甘い表情に、こんな状況にも関わらず、リーシャは一瞬見惚れてしまう。
頬を少し紅潮させた恋人を見て思わずセオがキスしかけた瞬間、気まずそうにリーシャの唇が言葉を紡いだ。
「……エリンって人はぁ、セオにとって何なの?」
「──あ」
むくれるリーシャを見て、セオは一人納得した。なるほど、嫉妬か、と。
──俺ばっかりじゃ、なかったんだ。
最近何だか自分ばかり余裕がないような気がしていたセオは、喜びを隠しきれない。リーシャの長いストロベリーブロンドを撫でながら、セオは微笑んだ。
「ねぇリーシャ、それ、勘違いしてるよ」
「……どこがぁ」
ぐるぐる唸るリーシャに、セオは意味深な笑みのままで告げた。
「エリンって──男、だよ?」
「……え」
リーシャは虚を突かれて言葉を無くした。ずっと、エリンは女性だと思っていたからだ。
その手紙には『早く会いたい』や『大好き』などど書いてあり、しかも差出人は女性らしき人物。そんな手紙を読んだリーシャは、やはりどうしても嫉妬と不安に駆られた。
けれどどうやら、馬鹿な勘違いをしていたらしい。リーシャは気恥ずかしくて目を伏せた。
「ははっ、こっちの方だと女性に多いもんね。エリン、って名前。でもエリンが住んでるの結構遠いトコだからさ。そこだと結構、こっちと名前の感じ違うんだよ」
「ぁ、そうなのねぇ……え、でも、それならあの大好きっていうのはぁ」
「エリンは俺よりえーっと……五歳ぐらい?年下でさ。俺のこと、兄みたいに慕ってくれてるんだ」
「へぇ……」
リーシャは心底ほっとすると同時に、未だに自分の知らないセオが居ることに少し寂しくなった。
リーシャとセオはもう付き合い始めて一年程経っている。ただしセオの交遊関係は恐ろしく広い。とてもじゃないが全てを把握することはできない。
「リーシャ」
しょげてしまったリーシャに気づいたセオは、頭をぽんぽんと撫でながら可愛い彼女の名前を呼んだ。
分かってないなぁ、と心の中でセオは呟く。本当にリーシャは分かっていない。
リーシャが誰よりも、セオの心を癒しているということを。
確かにセオはいくつもの顔を持っている。それはひとえに、セオが生きてきた環境のせいだ。
セオは元々は孤児で、拾われて奴隷となった。
初めは男色のとある貴族に買われたが、最後は好みに育たなかった、と呆気なく捨て駒にされて。
ボロボロになったセオを救ってくれたのが、今の主人。セオにとっては最高のご主人様。
昔も今も、セオがやっているのは薄汚い仕事ばかりだ。けれど腐りきったこの国には、セオのような存在が居なくてはならない。
しかし、セオは決して人を殺すことが好きな訳ではない。人より感覚が鈍ってはいるだろうが、それでも着実に少しずつ心がすり減っていってしまう。
そんな、セオ自身が嫌うセオのことを全て知りながら、まるごと肯定してくれる存在……それがリーシャだ。
いつになったら、俺の中での自分の存在の大きさを自覚してくれるのかな、とセオは少し寂しく思う。
──でもやっぱ、そんなとこも可愛い。
セオより歳上のリーシャだが、不器用な所はセオと同じだ。でもいつも、自分なりにセオを甘やかそうとしてくれている。
そんな愛する彼女に寂しそうにされるのを見ていると、庇護欲に似た何かが沸き上がりセオの心を擽ってくる。
リーシャを安心させたい、自分のことをもっと知って欲しい……そんな気持ちからセオは、リーシャに提案した。
「ねぇ、じゃあさ。今度エリンの居る村、一緒に行こっか」
妖しい雰囲気のセオにご機嫌に口づけられたら、リーシャは否と言える筈も無かった。
◆◆◆◆◆
村の出入口である、門の前。一人の少年が何かを期待するように、門の外を見つめている。
藤色の長い髪を持つその中性的な少年、エリンは久々に気持ちを浮わつかせていた。
今日、村のヒーローであり自分の尊敬する人……『日陰様』の一人、セオが村にやってくるからだ。
「エリン、かげ兄が来るの、昼頃でしょ。朝っぱらから、門の前で何ソワソワしてるの」
「あっ、ク、クレア……」
話しかけてきたのは、エリンの幼なじみの碧眼の少女、クレア。
クレアはいつもの通りのあまり抑揚の無い声だ。今日は少しだけ、呆れが滲み出ているが。
因みに、かげ兄、というのはセオのことだ。以前、盗賊達に捕まる寸前で助けられたエリンとクレアは、人一倍『日陰様』の二人を慕っている。
セオ達も、純粋な子供達に好かれているのが嬉しくて、エリンとクレアを特に気にかけていた。
「たっ、確かにお昼に来るって手紙で聞いたけど!もしかしたら早く着くかも知れないしさぁ!」
「大体、かげ兄が着いたら、そのことはすぐ村中に知れ渡るんだから……ここで待たなくても」
「だって、かげ兄が来るの、久しぶりだし!ってか、クレアは楽しみじゃないのか!?」
「……楽しみだけど?」
「全っ然、楽しそうに見えないんだよ!ほら、今も無表情だし」
「エリンが、はしゃぎ過ぎなだけ。本当子供っぽい」
「くぅっ!ク、クレアの馬鹿……」
エリンが悔しげに唸ってみても、クレアは眉一つ動かさない。それどころか、こちらを見てすらいない。
けれど、少し眠そうな目元と猫みたいな欠伸を見て、エリンは思う。あ、これ、ちゃんと寝れてない。やっぱクレアも、楽しみであんま眠れなかったんだろ。と。
「……なに見てんの」
欠伸しているところを見られたクレアがじとりとエリンを見つめるも、返ってくるのは「なんでもない」だけ。
エリンに意味深な微笑みを見せられて、クレアは少し居心地が悪くなった。
「ほら、ずっと道のど真ん中で突っ立ってないで、さっさと退かないと」
「じゃあ俺かげ兄が来るまで何すればいいの……?」
「家でのんびりしてれば?」
「母さん買い物だし、父さん仕事だし、今誰も居ないから楽しくねーの。あ、そうだ、クレアうち来る?」
幼なじみの二人は、互いの家を出入りすることも普段から頻繁にあった。エリンはいつも通りの軽い気持ちでクレアを誘ったが、今回ばかりは、すぐにそれを後悔することになる。
「それなら」
「あっ……待ってクレア今の無し」
「……なんで?」
「今俺の部屋が多分臭……いいいや、違っ、片付いてない、から」
「……ふぅん……臭いんだ」
慌てるエリンを見て、クレアはつまらなそうにエリンの家がある方向を見る。
どこか蔑むような感じさえするクレアの視線を受け、エリンはさらに頭が茹だった。
「ちち、違うから!べ、別にかげ兄は関係ないし!?」
「……エリン」
「昨晩むずむずしたのも多分疲れてたからでっ……かっかかげ兄のこと考えてた訳じゃっ!」
「落ち着いて。エリン、墓穴掘ってる」
「ぇ……あぁ、もうっ!……やっぱ、帰る」
「あっそ。じゃーね、変態さん。かげ兄来る前にしっかり換気しときなね」
「だあああもう!!クレアのバカ!」
◆◆◆◆◆
エリンとクレアは、性格が正反対だ。
エリンは意外と夢見がちだ。しかしそれに努力も伴っているので、人を惹き付ける。活発で楽観的に物事を考えるエリンは、いつだって即断即決。考えるより先に身体が動くタイプ。
一方クレアは、無理な挑戦はしない。変な奴だと思われがちだが、大人からは賢いとよく褒められる。冷静沈着で、常に最悪の状況を想像し、熟慮してから動くタイプだ。
一見そりが合わなそうだが、二人で居ると何故だか不思議と落ち着く。全くタイプが違うからこそ、互いの存在は新鮮に感じるのだろう。
それに、欠点を補い合うことだってできる。好奇心旺盛なエリンが、つい、で大事をやらかしてしまいそうになったときは、クレアが引き留める。
我が強く自然と刺々しい態度になってしまうクレアが孤立したときは、エリンがさりげなく人の輪に入れる。
そうやって、家が近い幼なじみ二人は小さいころからよく遊んでいた。
「……なぁ、クレア」
「何?」
「かげ兄遅くね?もう夕方になってるし。何か、あったんじゃ」
「あのかげ兄なんだから、何かあったとしても大丈夫でしょ」
「い、いや、分かってんだけどさ。やっぱなんか心配で」
「そ。エリンはかげ兄大好きだもんね」
「はぁっ!?ち、違っ……!」
「あ、来たよ、かげ兄」
「えっマジ!?」
態度を急変させて満面の笑みで門の方を向くエリン。
あまりにも分かりやすい態度にクレアは一瞬気持ちを曇らせる。だがすぐにそれを取り繕って、エリンの笑顔を優しく見つめた。
「──あ、れ……?」
ところが、いきなりエリンの表情が暗くなる。
クレアがそれを不思議に思って「どうかした?」と問いかけると、エリンは苦しげに言った。
「かげ兄、一人じゃ、ない」
エリンの目が捉えたのは、待ちに待ったかげ兄ことセオと──見知らぬ女性。
「え?」
「淡い金髪の、綺麗な女の人と、一緒……」
言葉にした瞬間、ドクッ、とエリンの胸が不快な悲鳴を上げた。
──まさか。心を過った不安は消えない。それどころか膨れ上がっていく。
「い、いや、そんな、わけ」
エリンは身を縮こまらせる。現実から逃れたくて、思わず顔を背けて一歩下がった。
けれど、そんなことをしても現実は何も変わらない。しばらくして、ゆっくりとまたエリンが目を向けると──あのセオが女性の腰に、腕を回しているのが見えた。
セオは清楚美人な花屋の看板娘に好かれても気づかないフリをしていたような男だ。それに、村一番の娼婦にサービスしてあげると誘われても、一貫して無視を続けていた。
そんなセオが、あんなに甘い表情で一人だけを見つめている。
「……あ、あぁ」
──来てしまった、この時が。いつかこうなるとは、どこかで思っていた。
でも見つめていたかった。弟の位置でいいから、誰より近くに居たかった。
子供扱いでいいから、あの柔らかい声を聞いていたかった。ずっと頭を撫でて欲しかった。
やるせない思いでいっぱいになって、エリンは今にも泣き出しそうになる。
クレアはそれを見て声をかけようとするも、エリンの呟きがそれを遮った。
「作らないって、言ってたのに」
「なんの、こと」
「恋人。『俺と居たら危険だから、特定の誰かは傍に置かない』って、言ってたのに」
「……」
「難攻不落とまで言われたかげ兄を落とすなんて、ははっ、きっと、すごい人なんだろーな……」
「……」
クレアは黙り込むことしか出来なかった。今のエリンは、あまりにも痛々しい。
──触れたら壊れてしまいそう。今自分が何を言っても、傷つけてしまいそう。
エリンは目の際からこぼれ落ちそうになっていた雫を手で拭って、「大丈夫」と笑った。自分でも、ちっとも平気じゃないと分かっているのに、大丈夫、と繰り返した。
──いつも通り、いつも通りでいればいい。そうだよ、かげ兄が幸せなら、それでいいじゃないか。
俺じゃ何も出来ないから。俺じゃ引かれるかも知れないから……だから言わなかったんだろ?
それなら、なにも、なかったことにすればいい。俺はずっと、かげ兄のことなんて。
「かげ兄!!」
普段通り大声で叫んで、駆け足で門に向かう。セオがこちらを向いて、ふっと優しく笑った。ずきずきとした痛みを無視して、エリンも笑い返す。エリンに続くようにして、クレアもゆっくりと二人に駆け寄った。
「エリン、久しぶり」
「……ほんっとだよ!かげ兄、今度はすぐ来るって、帰りに毎回言うくせに、結局来ないし!」
「あぁ、ごめんごめん」
雑な返事をするセオに、またエリンは怒ったフリをする。むー、とむくれてやると、セオはエリンの頭を優しく撫でた。エリンにとっての至福の時間だ。
けれどそれに水を差すのは、やはりあの女性だった。
「ええっと……そちらがぁ、エリンくん?」
「っ、はい」
間延びした声についついイラッとするエリン。
ぶっきらぼうに返事をしたら、今度はセオにぺちっと頭を叩かれた。
「こら。なに?エリンってば拗ねてる?」
「……そっちの人って」
「ん。俺の彼女。リーシャ」
「っ……」
──やっぱり。エリンは俯いた。どうしても嫌だ。
あぁでも、弟なら、弟としてなら、取られたくないって、嫌って、言っても良いかな。
「酷くね!?もっとちゃんと紹介してよ!弟である俺の承諾が無いとダメ!」
「ええ~」
「かげ兄は俺のなんだからぁ!」
「おっと」
エリンが腰に抱きつくと、セオはふらつくことなくそれを受け止めた。しょうがないなぁ、なんてセオが溢しているのを聞いて、度をこえなかったのだとエリンは安堵する。
「ふふ、可愛い。本当の兄弟みたいだわぁ」
「俺、血の繋がった兄弟居ないのにな……なんか家族多くて不思議」
「それだけ愛されてるってことじゃないかしらぁ」
「ん~……そーかもね」
リーシャとセオの会話を聞いて、エリンはまた暗い気持ちになる。自分がかげ兄に向けるのが、ただの親愛だったならこんなに辛くなかった筈なのに。
エリンはセオの服を思わずぎゅっと掴んで顔を伏せた。
「エリン?もしかして、何か元気無い?」
「ううん!ただ、ちょっと、寂しい、だけ。かげ兄が離れていっちゃうみたいで……」
嘘ではないけれど、本心は見せていない。大丈夫な、筈。ちゃんと、我慢、出来る。震えそうになるのを、エリンはどうにか堪えていた。
けれどクレアは、そんなエリンの姿にもう、我慢ならなくなっていた。
「……もう、やめて」
追い詰められたようなクレアの声に、最初に気づいたのはエリンだった。
クレアだけはエリンが苦しんでいることを分かっていた。そして、クレアに気づかれていることをエリンも分かっていた。
だからこそエリンは、クレアに何も言って欲しくなかった。自分が悲しんでいる理由は、絶対にかげ兄に言いたくないから。
「やめてエリン。ねぇ、もう」
「何変な顔してんだよクレア!かげ兄幸せそうだし、良いことなのにさ!」
エリンはクレアの顔も見ずに、セオの胸に顔を預けてひっついたまま空元気を出した。
しかし、クレアに喋らせないために放った言葉は思いがけず自分を追い詰めるものになってしまう。
「なに?悔しいの?クレアはかげ兄のこと好きだもんな」
「エリンっ!」
「もうよくね?ほら、今告白しちゃえば?……フラれるだろうけど」
──クレアには、告白する権利がある。それなりに可愛いし、なにより女の子だから。
俺にはこの気持ちを告白する権利すら無いけれど。
ひどい言葉だったが、それにはクレアを羨ましいと思うエリンの気持ちが詰まっている。
クレアはそれに気づいて、つい口ごもった。クレアはクレアで、セオのことが羨ましいと思っている。
暫しの沈黙が、四人の間に訪れる。
そして、クレアが自分を好きなのだと誤解してしまったセオは……最悪の一手を放ってしまった。
「ねぇ、俺もう、リーシャと添い遂げるって決めてるから。正直、ちょっと迷惑。俺のことは諦めて」
それは、クレアに向けた言葉だった。セオはクレアの頑固な性格を知っているから、わざとキツい言い方をしたのだ。
けれど、クレアは全くセオのことを好きではない。むしろ妬んでいる。クレアがセオを好きだ、というのは、完全にエリンの勘違いだ。
だから、この言葉でクレアが傷つくことは無かった。一番、辛かったのは──エリンだ。
「……ぁ、っ、ごめ、ごめんな……さ」
エリンは、もう涙を隠せなかった。抑えようとしても、ぽろぽろと目から溢れて止まらない。
「ぇ、なんで、エリンが、泣いて」
セオの戸惑う声も、もうエリンには聞こえていない。
──迷惑。迷惑、だって。クレアの気持ちですら迷惑……じゃあ俺の、同性からの好意なんて、そんなの。
エリンは一歩後ろに下がって、セオから距離をとった。大好きなかげ兄に泣き顔が見えてしまうけれど、もう仕方がない。
「エリン?」
──あぁ、かげ兄が俺の名前、呼んでくれてる。心配してくれてる。
嬉しい。それだけで十分幸せだ。やっぱり俺、かげ兄のこと。
「──す、きっ……!かげ兄、好き……」
「……ぇ?」
「ごめっ、俺、迷惑だ……ううん、きっと気持ち悪い……でもずっと、ずっと前から……ごめん、なさ……ごめんなさいっ!」
──もう、やだ。どうしよう、言っちゃった。
セオからどんな目で見られるのか怖くて怖くて仕方がなかったエリンは、走ってその場から逃げ出した。
「っエリン!」
セオはエリンを追いかけようとした。が正直、頭の整理はついていないままだった。
──え?なんで、嘘でしょ?俺を好きなのはクレアじゃないの?
考え込みながらも走り出したセオ。だが、それはすぐにクレアに止められた。
「やめて」
ぐっ、とクレアは精一杯の力でセオの手を掴んだ。だがきっとセオならいとも簡単に振り払える筈だ。
だから、クレアは言葉も使ってセオを止めた。
「これ以上、エリンを傷つけないで」
「っ」
漸く、セオは自分がエリンを追いかけても意味がないことを悟った。
気の強いクレアに向けたものだったから、わざと冷たい言葉を選んだのに──結果それは、普段明るいが実は落ち込みやすい、繊細なエリンに大きな傷を与えてしまった。
今からでも後を追って弁明することは簡単だが、それでは言い訳がましい。エリンを納得させることは出来ないだろう。
セオは後悔のあまり、ぎり……と奥歯を噛み締めた。
──エリンが俺を好き、だなんて。俺にはリーシャが居るから、勿論応えられやしないけど、悪い気はしない。
もし、こんな形でなければ。
エリンが一生懸命告白しに来たなら……ありがとう、嬉しいよ、位言ってあげられたのに。
呆然と立ち尽くすセオを見て、クレアは怒りのあまり、セオの頬を思いっきり──平手打ちした。
「馬鹿……かげ兄の、馬鹿!!」
クレアは許せなかった。いくら恩人のかげ兄でも、見逃せる範囲には限度ってものがある。
エリンがセオのことを好きだと、クレアはずっと知っていた。なんなら、エリンから相談も受けていた。
クレアはその度に、ちくりと胸を痛めていた。
「今まではギリギリ許せてた。だって、かげ兄は誰の手も取らなかったから。そして何より、っ、エリンがずっと笑ってたからっ……!エリンは告白とかする気無くて、ただずっと傍に居れたらそれだけでいいって……!」
「ク、レア」
「かげ兄に嫉妬してたけど、でも、かげ兄に頭撫でて貰った時のエリンの表情、すごく、幸せそうだから……私じゃあんな風に笑ってくれないから!だから、エリンが幸せなら私はそれでいいって思って!そうやって、っ……我慢してきた、のに」
今までクレアは色んな気持ちを押し殺してきた。エリンの恋を応援する姿勢を崩したことなど一度もない。
家泊まる?って混じりっけのない笑顔で誘われて、もしかしたらって期待して、後ですぐそれを後悔したこと。
俺かげ兄のこと好きかも……と言われた時の絶望感。
かげ兄との軽い触れあいだけでも嬉しそうにする様子を見た時の敗北感。
全部全部、誰にも話したことなんかない。
でも、笑っているエリンはやっぱり眩しくて、その顔を見れればじわりと幸せが広がって。
その甘さだけで、クレアはずっと、我慢していた。
「でも、エリンにあんな顔させるんだったら、もう、いい。私はっ、いつもエリンに笑っていて欲しいの。もうかげ兄になんか譲らない。今度は私が、私自身で……エリンのこと幸せにしてみせる」
クレアは決意を固めてセオを一瞥してから、エリンの方へと走り出す。
──エリンがどこに居るかなんて大体想像がつく。私は、誰よりエリンを見てきたんだから。
◆◆◆◆◆
クレアが向かったのは、町外れの薄暗い路地裏。ここはエリンとクレアの思い出がたくさん詰まった場所だ。親に怒られた時や、何となく家に帰りたくない時によくここに集まっていた。
やはりというか、そこにエリンは居た。クレアは少し掠れた声で名前を呼んでみる。
けれど聞こえていないのか、はたまた無視されているだけなのか、エリンは何も答えない。
「エリン」
「……」
「……エリンってば」
「……」
「エーリーン」
「…………なんだよ」
しつこい位に何度もクレアが声をかけると、流石のエリンも根負けしたのか漸く返事をした。
けれどクレアの方を振り向くことはない。隅っこで背を向けてうずくまっているだけ。
「何でこっち向かないの」
「そーやって、分かってんのに聞くの、やめろよ……」
「私は、エリンがめそめそ泣いてようが全く気にしないけど」
「……言い方が良くない」
最初エリンは優しくしてもらえるのかと思ったのだが、クレアは冷たい態度。不平を溢してから、気づいた。そう言えば、クレアはこれが平常運転だった。
普段通りのクレアの態度がやたらと刺さって痛いのはきっと、エリンの心持ちがいつもと違うからだ。
そう思うと、苛立っている自分がなんだか情けなくて子供っぽく思えてくる。エリンは渋々、クレアに向き直った。
「やっと、目があった」
安堵したように呟くクレアの瞳に映るのは、くしゃくしゃになったエリンの泣き顔。
クレアにはそれがとても、綺麗なものに見えた。惚れた欲目ってやつかもしれないと心の中で独り言ちる。
「で?なんで来たの。あぁもしかして、クレアはかげ兄と上手くいったとか」
「そんな訳ないでしょ」
投げやりな口調でクレアは即答したが、エリンは腑に落ちないといった様子。
ふてくされたような表情のエリンに、クレアはつい苛立ちを声に含ませた。
「ねぇ、いつまでそんな勘違いしてるの。馬鹿なの」
「はぁ……!?」
エリンは呆れてものも言えなかった。傷心中の自分に向かって、流石にその言い方は酷い。要らない慰めにでも来たのかと思ったが、どうやらそれですら無いらしい。
──クレアは自分が思っていたより優しくないのかもしれない。
エリンがクレアへの認識を改めようとした時……ついにクレアが本音を溢した。
「私、かげ兄を好きだったことなんて一度もないんだけど」
「……え?」
「エリンって、本当馬鹿。私……ずっとエリンのことだけ見てたのに。これでも分からないっていうなら、今度こそ絶交するから」
◆◆◆◆◆
「ねぇ、セオ?どうやら私は勘違いしてなかったみたいねぇ?」
「あはは……いやほんと、うん、ごめん……」
「それは誰に言ってるのかしらぁ?」
「全員」
「……私が介入すると余計ややこしくなりそうよねぇ」
「大丈夫大丈夫、なんとかなるって。あの二人結構お似合いだし」
「セオは、ギクシャクして辛くないの?」
「こっちはかげ姉ことクア姉さんという二人からの好感度カンストしてる強い味方がいるからさ……上手く口添えしてもらえれば多分、へーきへーき」
「相変わらず強いわねぇ」
「全部俺が格好良すぎるせいだ……みんなごめんね?」