8 妃の条件
※注意。他の作品に共通していますが、格好良いヒーローは書けません。
「俺が妃に求めるのは魔術の知識。魔術大国と言われる我が国の妃の条件としては、妥当だろうが」
偉そうに胸を張るマルクに、それまで一言も喋らなかった護衛が、ボソッと呟いた。
「その条件は分からないでもないですが、求める基準が高すぎて未だに婚約者の1人もいません」
「うるさいっ! 魔術に興味があると言いながらニライズ派の基本理論すら説明できないのはおかしいだろうっ! そんなことで皇妃になれるかっ!」
「なれますよ。現皇妃様は、それほど魔術への造詣は深くありませんが、なんの問題もございません。魔術が妃の条件って、完全に殿下の好みじゃないですか」
マルクの叫びに、護衛は冷ややかに断言する。
ドーン皇国は魔術大国と言われる程、魔術の研究が進んでいる。先程マルクが口にしたニライズ派も、現代魔術の祖と言われるニライズ・ドーンの学説を重んじる派閥である。ドーン皇国の貴族は、魔術の才能があろうとなかろうと、まずはこの魔術体系の概要を学ぶ。ドーン皇国の貴族ならば、その基礎理論ぐらい誦じられるのが普通ではないかとマルクは思っているのだ。
しかしそれは無理な話だ。魔術の実戦ならまだしも、マルクが求めるニライズ派等の魔術理論を学ぶと言うのは、謂わば専門家が研究する部門。一介の料理人に調理の腕を求めるだけではなく、料理の歴史を理解するのを求めるようなものだ。魔術陣の構成や歴史を知らなくても魔術陣が描ければ魔術は使える。料理の歴史を知らなくても料理は作れるのと同じように。
ドーン皇国の貴族達も、ニライズ派の理論を学びはするがあくまで貴族の嗜みとして、知っておくべき知識としてだ。皇国の歴史と同じ暗記で覚える類の分野なのだ。
「婚約者候補の令嬢達に、小難しい魔術論争を吹っかけて、次々と候補を辞退されて……。貴方も魔術ばかりに齧り付いていないで、女性を喜ばせる話術の一つでも身に付けたら如何ですか?」
マルクは心底理解が出来ない顔で、護衛を見る。
「魔術の論争、楽しいぞ?」
「大半の女性は好みませんよ?」
即座に切り返された護衛の言葉に、マルクはガクンと頭を下げた。
「あの、無理です、皇妃なんて。私は、平民の孤児ですし、私に務まるはずがありません」
リャーナがダルカスの後ろから顔を出し、援護射撃を行う。
「そうですね。流石に平民の方には荷が重いでしょう。あぁ、私は身分的な事で申し上げているのではなく、やはり皇妃としての教育をリャーナ様のお年から始められるのはとても大変ですから」
「そうですよねっ!」
護衛の言葉に、リャーナは力強く頷く。
「まず皇妃となるからには、近隣諸外国の言葉や文化、マナーなどを知る必要があります。最低でも3か国語は話せないと」
「……えっ」
護衛の言葉に、リャーナは驚きの声を上げる。
「どうかなさいましたか?」
うろうろと視線を彷徨わせるリャーナに、護衛は訝し気に眉を顰める。
「あ、いや、そのー。魔術を学ぶために外国語を覚えるのは必須だったので、えっと、5ヵ国語は話せます……。文化やマナーも、学園では特待生だったので、成績を落とす事は許されませんでしたので、学びました……」
嘘を吐くことも出来なくて、リャーナは白状した。皇国で身分を保証してもらうためには、色々と身上調査をされるのだ。虚偽の申請をするのは得策ではない。
「リャーナ様は、カージン王国国立学園の出身でしたね。確かあの国の王太子と同じ歳。もしかして、王太子を抑えて、平民出身で全ての学科を満点首席で卒業したと噂の平民とは……」
護衛の言葉に、リャーナは俯いて答えた。
「……わ、私です」
カージン王国では散々責められた。平民の癖に王太子を差し置いて主席卒業するなど、不敬だと。リャーナを指導してくれた教授陣には褒め称えられたが、大半の人はリャーナを冷ややかに見ていた。
「カージン王国国立学園を首席卒業。閉鎖的な国ですがあの国立学園のレベルの高さは有名です。全教科首席という事は、ダンスや高等マナーの教科も?」
「初めは全く出来ませんでしたが、教授達に丁寧に教えていただき、何とか……」
国立学園の教授達は、厳しい人達ばかりだっだが、身分で教育に差をつける事はなかった。貪欲に学ぶ者や優秀な者には惜しみなく知識を与えられた。リャーナは貪欲で優秀だったので、教授達に期待され、可愛がられたのだ。リャーナの功績を横取りする王太子に抵抗する事は出来なかったが、皆怒っていた。文官になるしかなかったリャーナを憐れみ、悔しがってくれた。
リャーナが教授達を思い出して少ししんみりしている間に、目の前の護衛は何やらブツブツと呟いている。
「身分は置いておくとして、この優秀さ。多少足りないところや自己評価の低さは皇妃様に今からの教育してもらえば間に合う。何より、あの皇太子が、ようやく望んだ妃っ! リャーナ様が皇太子妃に決まれば、私も護衛の仕事に専念できるっ!」
ギラリッと護衛の目がリャーナに向けられる。リャーナは嫌な予感がゾワゾワと背中を駆け上り、慌ててダルカスの背に隠れた。
「リャーナ様。私、皇太子付きの護衛官ショーン・ロックと申します。お見知り置きを」
ニコニコと恐ろしいぐらいの愛想の良さで、ショーンが近づきリャーナを覗き込む。先ほどまでは一言も口を利かず近寄りがたい威圧感をだしていたのに、その変わり様にリャーナは嫌な予感しかしなかった。鋭く光るショーンの切れ長の黒い瞳から逃れる様に、リャーナはダルカスの背に張り付き、ブンブンと首を振った。
「いえいえいえいえ。そのような高位の騎士様に今日を最後に二度とお目にかかる事はないかと思いますので、私の様な末端の平民にご挨拶は勿体なくっ」
「はははは。リャーナ様のご冗談は楽しいですね。勿論今後も、マルク様を通じて私とも交流を深めていく事は間違いございませんとも」
ショーンの丸め込む様な言葉に、マルクはニヤリと笑った。純粋な魔術バカの笑みではなく、底の深い、施政者の笑みで。
「確かに今のままの身分では、皇太子妃となられるのには少々障りがございますので、それはこちらで整えさせていただきます」
「適当な貴族家があるか?」
「ドーンレッド侯爵家ならば相応しいかと」
「ふむ、ドーンレッドか、皇家派だな、問題あるまい。あそこはそろそろ息子に代替わりの予定だな?」
「現当主からの代替わりを機に、養女として迎えた娘を嫁入りさせるとの名目が立ちます。嫁入り先が皇室ならば喜んで迎えますでしょう」
「娘を欲しがっていたからなぁ。リャーナの様な素直な娘なら喜ぶだろう」
マルクとショーンの間で勝手に決まっていく話に、リャーナは恐怖を感じた。カージン王国ではリャーナの意見など誰も聞いてくれなかった。人として扱われる事なく、酷使され何度も死にかけた。ドーン皇国なら、マシな扱いになると思っていたが、ここでも結局、リャーナの気持ちなんて蔑ろにされるのか。
リャーナはガクンと項垂れて、先程から握りしめていたダルカスの服の端を離した。悲しくて、これからどうなるのだろうと不安で、身体中から力が抜けてその場に崩れ落ちそうだった。勝手に涙が出てきた。
「貴方たちは、一体何の話をしているんだ……」
地を這うような低い声が、落ち込むリャーナの耳朶に届く。
すぐ目の前に立つ、ダルカスの背中がブワリと魔力を漲らせる。それはまるで、ダルカスの怒りがそのまま顕われたようで、リャーナは驚いて目を見張った。
「嫁だの養女だの、リャーナちゃんの気持ちも聞かずに勝手な事を。権力にものを言わせて無力な娘を召し上げようなどと、それが天下のドーン皇国の皇太子のすることとは思えんな」
初めて聞くダルカスの不機嫌そうな声に、リャーナは身体が震えた。こんなに怖いダルカスは見たことがなかった。リャーナにはいつも優しくて、妻のマーサや娘のシャンティにタジタジで、ライズには丁寧なダルカスが、皇太子とその護衛に向かって怒りをぶつけている。
「俺の娘を好き勝手するつもりならば、こちらにも考えがあるぞ」
ギロリとマルクとショーンを睨みつけるダルカスの視線には殺気がこもっている。思わず、護衛のショーンが腰の剣に手を置いた。
「ちょっ、ショーン様っ! 抜かないでくださいっ! 抜けばダルカスだって止まりませんよ!」
ライズが慌ててショーンを制止する。尚も腰の剣から手を離さないショーンに、ライズは本気で怒鳴った。
「ショーン様っ! 貴方が近衛随一の腕前なのは存じてますよ? でも、ドラゴンを剣の一振りで屠る男を相手にするのは無理です! 『お人好しのダルカス』はS級冒険者なんですよっ! この辺り一帯を焦土にするおつもりですか?」
ライズの言葉に、本日何度目かの衝撃がリャーナを襲った。S級冒険者。冒険者ギルドで登録をした時に、ギルドの職員にランクの説明を受けた際に教えてもらった。冒険者ギルドに所属する冒険者の最高ランクで、全ギルドを通して10名もいないと言われているあのS級冒険者がダルカスなのか。
「俺はなぁ! リャーナちゃんにヤンクの街に来て欲しいって誘ったんだ! ここなら、リャーナちゃんがのびのび生きていけると、俺が住むこの国は、民を守ってくれるいい国だと思って! それを、リャーナちゃんの能力が高いからって、彼女の意思を無視して好きでもねぇ男との結婚させるだとぉ? ふざけるなっ! この国とカージン王国と何が違うって言うんだ!」
ビリビリと窓ガラスが割れそうな威圧感とともに、ダルカスが怒鳴った。リャーナは恐怖とダルカスが不敬罪にならないかと心配で、オロオロと彼の後ろで狼狽えることしかできなかった。
「っだ、だが、皇妃になれるんですよっ? カージン王国と同じだなんて、無礼なっ! 今までとは待遇が全く違います!」
ショーンが気圧されたのを恥じるように怒鳴り返す。同意する様にマルクが頷く。
「私の目にも、リャーナ嬢はそれを望んでいる様には見えません。リャーナ嬢の利益代理人として、皇国がその様な話をご本人の意向を無視して押し進めるならば、私は必ずやそれを阻止いたします」
フロスの硬い声に、ショーンとマルクが目を丸くする。何が悪いのか全く理解できない様だ。それが余計にダルカスを怒らせる結果になった。
「贅沢できるから我慢しろって言うのか? リャーナちゃんなら、自分で稼げるだろうが! この子を皇妃の肩書きを与えて搾取する気か? 大体なぁ、好き合ってんならともかく、胸と魔術にしか興味がない男に嫁ぐことの、どこが幸せだってんだ!」
「む、胸以外にも興味を持っているぞ!」
マルクの視線がリャーナの上から下まで絡みつく。リャーナは気持ち悪さにダルカスの背中に隠れた。
「ダールーカースー! 言い過ぎだ! いくらなんでも不敬だろうが!」
「俺の娘を泣かせた奴には足りねぇぐらいだ!」
諌めるライズに、激情を抑えられないダルカスがギリギリと拳を握る。ダルカスはリャーナの手を取ると、フンッと鼻息荒く断言した。
「二度と娘の前にその面出すんじゃねえぞ! 顔を出しやがったら、俺の全力でぶっ潰してやるからな!」
「国を滅ぼす気か? 落ち着けっ!」
ライズの声にも振り返らず、ダルカスはリャーナを連れて、そのまま冒険者ギルドを出て行った。フロスもその後に、静かに続いた。
後に残された3人は、困惑した様に押し黙った。
「何がいけなかったんだ?」
マルクの言葉だけが、虚しく部屋の中に吸い込まれていった。