61 魔術研究所
お久しぶりの更新です。
2巻発売記念に間に合わなかったー。残念。
ドーン皇国において、魔術研究所は地味な部署だ。
研究が主な魔術研究所なので仕方がないのだが、ドーン皇国で働く魔術師たちにとっては、あまり人気のない部署である。魔術師たちの多くは、やはり実戦を主とする花形の魔術師団を希望する者が多いのだ。魔術研究所に所属する魔術師たちは研究を専門とする大人しめな魔術師が大半を占めていた。
そんな華やかさとは無縁の魔術研究所ではあるが、研究員である魔術師たちは、コツコツ研究を重ねてそれなりの成果はあげていたし、ドーン皇国を支える一助を担っていると思っていた。殊に、古代魔術研究に於いては、ドーン皇国の魔術研究所は他国に比べ抜きん出ており、この分野に於いての先駆者だと自負していた。魔術学において古代魔術自体がマイナーな分野だとしても、どこにも引けを取らないと、自信を持っていたのだが。
「……」
「ええっと、ロザリオ。これは古代魔術の再現で間違い無いだろうか?」
ドーン皇国の皇太子マルクにそう問われたが、魔術研究所長のロザリオは微動だにせず、目の前の木箱机を凝視している。いつもの眠たげな老猫のような穏やかな様子はどこにもない。ロザリオの目は血走り、ギョロリとかっ開いてて、幼い頃から彼を知っているマルクは、そのロザリオらしくない表情に大そう戸惑った。
ロザリオの付き添いである魔術研究所の研究員サムも、木箱机を目の前にして口をパカッと開いて驚いている。サムはロザリオの助手兼介護役で、いつも高齢のロザリオの世話を甲斐甲斐しく焼いている好青年だ。今は驚き過ぎていて、ロザリオの世話どころではなさそうだが。
「大丈夫か? ロザリオ」
プルプル震え、木箱机を凝視し続けるロザリオに、マルクはハラハラしながら問いかける。ロザリオはとっくに引退していてもおかしくないぐらいの爺さんだ。元々、とても大人しい性格で、最近では小さな文字を読むのも苦労しているようで、書類を読みながらウトウトしている事が多いし、研究所から外に出る事もあまりなくなった。
だがロザリオは、古代魔術研究の第一人者であることは間違いなく、その知識はドーン皇国にとってもかけがえのないものだ。ロザリオを置いて、古代魔術の判定が出来る者などいない。だからマルクは、魔術研究所からロザリオを招聘したのだが。
「……! ……!」
ロザリオは目をかっ開いたまま、ぐるぐると木箱机の周囲を歩き回っている。木箱机を色々な角度から観察し、震える手で何やら紙に書きだしている。かと思えば、ぐしゃぐしゃと白髪頭を掻き回し、荒い息を吐いている。
たぶん、ロザリオは興奮しているのだろう。いつもの大人しい人格が豹変するほど。まぁ、気持ちは分からないでもない。長年、再現を夢見てきた古代魔術が目の前にポイと差し出されたのだから。マルクだって実物が目の前にあるのに、未だに信じられないのだ。
興奮しながら木箱机の周りをグルグル回っていたロザリオだったが、途中で糸が切れたようにくたくたと膝を付いて蹲った。
「ロ、ロザリオ先生!」
木箱机に驚いて呆けていたサムが、倒れかけたロザリオに駆け寄る。マルクたちも慌てて駆け寄るが、ロザリオは手を振ってもごもごと呟いた。
「『興奮して疲れただけだ』と仰っています」
ロザリオの言葉を聞き取ったサムがそう伝えると、皆は安堵の息を漏らした。高齢だけに、何かあったのかと冷や冷やした。心臓に悪い。
「ロザリオ、この木箱机に施されているのは、古代魔術の『固定』と『防護膜』で間違いないのだろうか?」
マルクが確認すると、ロザリオはマルクを見つめしっかりと頷く。古代魔術の第一人者である魔術研究所の長、ロザリオが保証するのだから、やはりこの術式は古代魔術であることは間違いないようだ。
ロザリオはサムの手を借りてよろよろと立ち上がり、マルクに向かってもごもごと呟く。
「『この古代魔術陣はどなたが再現したのか』と仰っています」
サムが丁寧にロザリオのもごもごを通訳をしてくれる。どうしてあのもごもごを、耳を近づけるでもなく正確に聞き取れるのだろうか。マルクは不思議だったが、今はどうでもいいことなので頭から疑問を追い出す。
「え、なんであの爺さんがもごもご言ってることが分かるんだろう」
「ちょっと、爺さんなんて失礼でしょ。あれでも魔術研究所の所長よ。確かにあのもごもごの意味が分かるなんて、凄いけどね」
デリカシーの不足気味なジョットとヨハンナが、ロザリオ本人にも聞こえるような声量で失礼なことを言っていたが、マルクは笑みを浮かべて黙殺する。あとで説教だと心に誓いながら。
「あの古代魔術陣を再現したのは、こちらのリャーナ嬢と、彼女の師である魔術学のリーソ教授、言語学のフェリントン教授だ。3人の共同研究と言えるだろうな」
そうマルクが告げると、ロザリオの視線がギュンッとリャーナに向かう。爺さんらしからぬ、鋭い目線だった。
「は、初めましてっ! リャーナです!」
ロザリオの視線に緊張してぎくしゃくと頭を下げるリャーナに、ロザリオがモゴモゴと呟く。
「『貴女がリャーナ嬢。存じております、貴女が発表された論文を読ませていただきました。大変、素晴らしい論文で感銘を受けました』と仰っています」
サムが通訳すると、ヨハンナとジョットが騒ぎ出した。
「えっ? どういうこと? 今の、明らかにもごもごよりも通訳の方が長くなかった?」
「もごもご語は省略できるんじゃねえか?」
全くひそめられてはいない失礼な言葉を、マルクは再び笑顔で黙殺した。魔術研究所と魔術開発部の間に無駄な軋轢を生じさせようとしている無能な部下は、あとでまとめて処分しようと心に誓いながら。
「そ、そんな、ありがとうございます」
リャーナが恥ずかしそうに頬を染め、ぺこりと頭を下げた。デリカシーのない部下2人に比べ、リャーナはロザリオのもごもごやサムの通訳に全く疑いを持っていないようだった。なんて素直な可愛らしい部下なのかと、マルクの荒んだ心が癒される。
「ロザリオ。この『固定』や『防護膜』について詳しい調査を頼めるか? 」
マルクの言葉に、ロザリオの目がカッと見開く。また先ほどのように興奮してぐるぐる歩き出すかもとマルクは心配したが、ロザリオはサムの手に縋りながらキラキラした目を向けてくるだけだったので、マルクは安心して言葉を続けた。
「もちろん、開発者の1人であるリャーナ嬢が調査には最適ではあるのだが、何分、リャーナ嬢には陛下より賜った大事な仕事があるのでな……」
ついでに恐ろしい利益管理人と結んだ、厳格な雇用契約もある。あれがある限り、リャーナの就労時間は1秒たりとも伸ばす事はできないのだ。他の仕事に割く時間などない。あくまで魔術開発部の仕事が優先だと釘を刺しておく。絶対に引き抜きなんてさせるものか。
「他の二人の開発者にも、急ぎ我が国の魔術研究所でリャーナ嬢の持っている古代魔術陣の研究資料の調査について、許可をもらえるよう打診するつもりだ」
マルクの言葉に、途端にロザリオは不安気な表情になる。まるで子どもが玩具を取られまいとするように、しっかりと木箱机を抱え込み、もごもごと呟いた。
「『このような素晴らしい成果を、赤の他人の私どもに調査させて下さるだろうか。『固定』と『保護膜』の古代魔術は、国宝ともいえる発見だ。恐ろしい程の価値がある』と仰っています」
ロザリオの心情を表すように、沈痛な表情でサムが告げる。『やっぱり、もごもごの長さと通訳が合わない』と騒ぐヨハンナとジョットの声は、幸いなことに誰の耳にも届かなかったようだ。
「リーソ教授とフェリントン教授でしたら、すぐに許可をしていただけると思います!」
だがリャーナは、ロザリオの不安を吹き飛ばすように断言した。
「そもそも、フェリントン教授が古代魔術語に興味を持たれたのは、ドーン皇国から発表された、この論文がきっかけでしたから」
リャーナが収納袋から取り出したのは、大分年季の入った論文だった。それを認めた途端、ロザリオの目が大きく見開いた。
「『ジーランド古代魔術論』。これは昔、ドーン皇国の魔術研究所の魔術師たちが連名で発表した論文ですよね?」
大事なものを扱う手つきで、リャーナは論文の表紙をなぞる。
「教授たちと古代魔術語の解析を行っていた時、この論文が解析に一番役に立ったんです。この論文以上に、古代魔術の詳しい資料はありません」
その論文は、ロザリオやサムには見慣れたものだった。ロザリオがまだ若く、魔術研究所でも下っ端だったころ、先輩魔術師や上司たちと一緒に作り上げた論文だ。代々の魔術研究所の魔術師たちの研究をまとめ上げたもので、現在も魔術研究所の魔術師たちの大事な教科書となっている。
魔術研究所内では誰もが知っている論文だが、対外的には無名に近い論文だ。そもそも、古代魔術を研究する魔術師の数は少なく、需要も殆どない。
「フェリントン教授はこの論文を読んで、『ジーランド古代語を生涯かけて解明する』と決めたのだと仰っていました。フェリントン教授は、ジーランド古代語を愛していらっしゃいます。その研究の同士ともいえる魔術研究所の要請を、断るはずがありません! それどころか、一緒に研究をしたいって仰ると思います!」
力強く断言するリャーナに、マルクはなぜか説得力があるように感じた。だって、カージン王国王立学園の教授たちは、このリャーナの育ての親ともいえる存在だ。古代魔術の解明なんて偉業を達成していながら、全くその価値に頓着していない所も、師弟そっくりではないか。そんな彼らが、金や名誉のために情報を秘匿するとは思えない。
リャーナの言葉に、ロザリオはもごもごと自信なさそうに呟く。
「『だが、長年かけて古代魔術一つ解明できなかった不甲斐ない我らと一緒に研究などと、著名な教授が本当に仰るだろうか』と、ロザリオ様は仰っています……」
サムが眉を下げて、こちらも自信なさそうに通訳する。魔術研究所の者たちは、長年日陰の立場であったため、総じて自己肯定感が低いのだ。
「そんなことありません! この論文のお陰で、私たちも古代魔術を再現できたんです。ジーランド古代言語は、『失われた言語』だとフェリントン教授は仰っていました。資料一つ、集めるのだって苦労するって。それなのに、単語一つ一つを、これほど丁寧に検証するなんて。この論文を読むたびに、フェリントン教授は魔術研究所の皆様の努力に頭が下がると仰っていました」
ロザリオとサムはリャーナの言葉に息を呑む。著名な教授がそんなことを言ってくれたなんて。地味でも頑張ってきて良かったと、2人は感動で目が潤ませる。褒められることに慣れていないのだ。
「それに、ロザリオ。『固定』と『防護膜』以外にも再現に成功した魔術陣があるらしいぞ。こんな所で尻込みをしていたら、折角の機会を逃すことになるぞ」
「あぁ! こちらの研究成果と魔術研究所の研究結果を合わせたら、再現可能な魔術陣が増えるかもしれませんね!」
「……っ!」
マルクとリャーナの何気ない言葉に、ロザリオの目がカッと見開かれる。もごもごと呟きながら、凄い勢いでマルクに縋りついてきた。
「『殿下、早く、早く研究許可を取って下さい! 今すぐに!』とロザリオ様が仰っています!」
「分かった! 分かったから! ロザリオ、こら、落ち着きなさい。また倒れたらどうするんだ!」
血走った目の老魔術師を宥めながら、マルクはまた面倒な仕事が増えると、頭を痛めたのだった。
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