60 その頃のカージン王国
久し振りのジェント殿下です。
カージン王国王太子執務室。贅を尽くして作られた一流職人の手による家具と、有名画家の絵画。毎朝庭園で摘まれた瑞々しい花々で飾られた部屋は、執務室というよりはサロンのような優雅な雰囲気だ。
だがその室内の空気は重苦しいものだった。机の上には未決裁の山積みの書類。そしてその机の主の目の下には隈が刻まれ、いつもは美しく整えられている金髪はぐしゃぐしゃに乱れていた。連日、王国内の魔獣対策に追われ、碌に休む間もなく働き続けている。そんなところに絶望的な報告を聞かされ、王太子ジェントの余裕は全くなくなっていた。
「もう一度、お前の報告とやらをきかせてくれるか? ブレイク」
ジェントの側近であるブレイク・オーリーは、主の声に明らかに苛立ちを感じて背筋を伸ばす。ブレイクだって、好きでこんなふざけた報告をしたわけではない。だが、どう取り繕っても事実は変わらないのだ。
「リャーナが、ドーン皇国で文官として働いているだと?」
ブレイクがジェントにリャーナの捜索を任されたのは数か月前だ。宰相である父の手の者は、ブレイクの命に従って、まずは国内でリャーナを捜索した。特に、王立学園の教授たちはリャーナを匿っている可能性が高いと考え、教授たちについては自宅や親類縁者、はては郵便物まで徹底的に調べ上げたのだが、何の手掛かりも得られなかった。
それが。期待薄だと思っていた、国外を調査していた者が、あっさりとリャーナの居所を特定したのだ。リャーナは隣国の大国、ドーン皇国にいた。しかもコソコソと人目を忍んで隠れ住んでいたのかと思いきや、実に堂々と暮らしていたのである。
カージン王国ではあまり話題にはならなかったが、なんとリャーナはドーン皇国で画期的な魔術陣を開発し、魔術師ギルドの臨時学会で魔術論文の発表まで行っていた。リャーナが発表した収納魔術陣と付与魔術陣は国内外で大きく取り沙汰され、リャーナと提携を結ぶリーズ商会から発売された収納袋は数カ月先まで予約が一杯で、作られた端から飛ぶように売れており、常に品薄な状態が続いているという。また、付与魔術陣は皇宮がその管理を引き受け、騎士や冒険者たちにはもはや欠かす事の出来ない必須の魔術陣とまで言われているらしい。
それらの功績が認められ、リャーナは皇宮への出仕が叶ったそうだ。縁故採用が主なカージン王国とは違い、採用試験で厳正な審査が行われるドーン皇国の文官採用試験を過去最高の成績で突破し、ドーン皇国が新事業として力を入れている結界魔術陣の改良部署に配属されたという。
そんな華々しい活躍をしているリャーナを、ブレイクは数か月も見つける事が出来なかったのだ。間抜けな事に、カージン王国の魔術師ギルドに送られていた魔術論文には、しっかりとリャーナの名が載っていた。カージン王国で魔術師としては働けないリャーナが魔術師ギルドにいるはずがないと思い込み、調べようとも思わなかったブレイクに、どう考えても落ち度がある。
「しかもそのドーン皇国の新事業とやらは、私の結界魔術陣を改良することを目的しているだと? 私の、結界魔術陣を?」
びりびりと怒りに震えたジェントの声に、ブレイクはギュッと身を縮こませる。
今回の結界魔術陣の停止で、ジェントの王太子としての地位は揺らいでいた。
国王には王妃と側妃がおり、王妃はジェントと妹を産み、側妃は第二王子と第三王子を産んだ。ジェントは国王と王妃の第一子であり、王妃はカージン王国でも王家に次いで身分の高い公爵家の出で、一方の側妃は辺境の侯爵家の出に過ぎず、王宮でも王妃や第一王子派の貴族たちに遠慮して、ひっそりと息を殺すようにして暮らしていた。身分的にも立場的にも次の王はジェントと目され、立太子も済ませていた。ジェント本人の成績も優秀であり、加えて、アウト―ル公爵家のカーラとの婚約もジェントの地位を盤石にしていたのだ。
それが、結界魔術陣の停止で、全てが狂ってしまった。これまでは結界魔術陣のお陰で魔獣対策に割いていた騎士や魔術師の人件費を削ることができたが、結界魔術陣が作動しない今、国の防衛に支障をきたしている。安全であるはずの王都や街中に魔獣が侵入し、人的、物的に多大な被害が出ている。
それを何とか食い止めたのは、第二王子が指揮する侯爵家の軍だった。元々魔獣被害が多かった辺境では、結界魔術陣に頼りきる事を良しとせず、騎士も魔術師も温存していた。むしろ王家から馘首された騎士や魔術師たちを雇い入れ、軍備拡張をしていた。大量の魔力が必要になる結界魔術陣に依存し過ぎるのは危険だと、側妃の父である侯爵家当主は考えていたのだ。
有事に備えて鍛錬を続けた侯爵家の騎士や魔術師たちは強く、王都や近隣の領地へ出張り、魔獣をどんどん討伐してくれた。そのお陰でカージン王国の滅亡の危機は回避できたものの、問題が生じた。軍を率いて戦った第二王子の評価がうなぎのぼりとなり、今や王太子ジェントを凌ぐほどなのだ。今は辛うじて王太子であるジェントのほうが優勢ではあるが、このまま弟の名声が高まれば、次期国王の座を奪われてしまうかもしれない。国王は高貴な血筋の王妃の子であるジェントを可愛がってくれているが、弟の方が王としての資質があると判断したら、容赦なくジェントを王太子の座から降ろすだろう。
しかもジェントの婚約者であるカーラも、結界魔術陣に十分な魔力供給をすることもできず、妃教育も捗々しくなく、使用人たちに当たり散らし、王宮内での評判は下がる一方だ。今やその利用価値はアウト―ル公爵家の出身であるということしかない。アウト―ル公爵家自体も領地の魔獣対策に追われており、以前ほどカージン王国内での影響力はない。今やジェントは崖っぷちに立たされているようなものだ。
「それにしても、ブレイク。ドーン皇国でリャーナを見つけたというのに、なぜ連れ戻さなかった。ドーン皇国の文官であったとしても、リャーナのような卑しい身分の者など、下級役人にしか過ぎないだろう。文官を攫ったとなれば、多少、外交問題になるかもしれんが、下級の者なら些末なことであろう」
「そ、それが。リャーナの出仕を勧めたのは、ドーン皇国の皇太子らしくて……」
「皇太子? あの魔術狂いか」
チッとジェントは舌打ちする。隣国、ドーン皇国の皇太子は切れ者だが、いまだに婚約者の1人もいない。その理由は、皇太子が魔術に傾倒し過ぎて、女性に気を遣うことが出来ず敬遠されているからだと聞いていた。
だがドーン皇国は、悔しいがカージン王国よりも格上だ。カージン王国の方が長い歴史があるが、国の大きさも武力も周辺国からの評価も、ドーン皇国の方が上なのだ。そんな国に正攻法で攻めても、勝ち目などない。
「皇太子がなぜ孤児に過ぎないリャーナを庇護している。リャーナの奴、皇太子に色仕掛けでもしたのか?」
「いえ、リャーナの発表した魔術陣に皇太子が興味を持ったらしくて」
「魔術陣? そんなもの、学会とやらで毎年のように発表されているだろう」
馬鹿にするような調子のジェントに、ブレイクは溜息を吐く。
「……見て頂いた方が早いかと」
ブレイクはそう言って水袋を取り出す。中に手を突っ込み、にゅるりと取り出したものは、長剣だった。
「……はぁ?」
ジェントは目の前で起こったことが理解できず、水袋と長剣を見比べる。ブレイクの手から長剣を取り上げると、ずしりとした重さがある。本物だ。玩具などではない。それが、こんなに小さな水袋から出てきた。
「これは、ドーン皇国で収納袋と呼ばれているものです。この大きさで、この部屋の家具などが全て収納出来ます」
ブレイクが手に入れたのは冒険者でも気軽に持てる安価な収納袋だ。報告によると時間停止機能やソート機能のある収納袋もあるようだが、高価な上に生産数が追いつかず、手に入れるのは難しいという。
「こ、この水袋一つで、この部屋の家具すべてだと? 」
ジェントはブレイクの言葉が信じられず、水袋を凝視する。試しに近くにあった書類を水袋に入れると、何の抵抗もなく中に納まった。手を突っ込んで書類を取り出す事も出来る。何度見ても、信じ難い光景だ。
「それと、この長剣ですが、火魔術が付与されています」
ブレイクが長剣を鞘から抜き、魔力を籠めると、刀身が炎を纏った。
「な、なんだこれは? 」
剣が魔力を纏っている。軽く振ると風切り音とともにブワリと炎が広がり、ジェントの頬にジリリと熱さが伝わった。
「魔力剣? あの幻と言われる魔力剣か?」
「いえ。それはそこらで売っている剣に魔術で炎を付与したものです。魔力剣同様の威力があります」
淡々と、ブレイクは告げる。この付与の魔術陣も、ドーン皇国で手に入れたものだ。
「ドーン皇国では、収納袋と付与の魔術陣のお陰で、魔獣tの討伐数が倍以上に跳ね上がったそうです。騎士や魔術師の損傷も過去最低だとか……」
ブレイクの言葉にジェントは唖然としたまま収納袋と長剣を見つめる。確かに、この収納袋があれば、討伐に必要な荷物を身軽に持ち歩けるため、騎士たちの疲労を軽減するだろう。付与魔術の威力があれば、討伐自体もこれまで以上に容易になる。
「……これも、リャーナの開発した魔術陣だというのか?」
ジェントは震える声で呟く。
なんという。なんという逸材を手放してしまったのか。リャーナにはジェントが思っていた以上の価値があったようだ。それを、むざむざとドーン皇国に渡してしまった。
これが陛下や側妃や第2王子たちに知られたら。国にこれほど大きな益を齎す者を冷遇して酷使し、隣国に逃げられたなんて知られたら。ジェントが王太子でいられる可能性など、無いに等しい。それどころか、結界魔術陣の停止した責も合わせて、国に害したと廃嫡される可能性すらある。
「ブレイク、皇太子の庇護など関係ない。すぐにリャーナを連れ戻せ。多少、手荒な手を使っても構わん」
結界魔術陣はジェントのものだ。リャーナが作ったものであろうと、下々の者が高貴な者に功績を捧げるのは当然のことだからだ。リャーナが作った結界魔術陣がジェントのものならば、他の魔術陣だって、ジェントのものでなければならない。
この素晴らしい功績があれば、いくらでも巻き返せる。ジェントの王太子の資質を疑う奴らの、鼻を明かしてやれる。
そのためには、なんとしてでもリャーナを、この手に戻さなくてはならない。
「そ、それなのですが……」
だが。言いにくそうに、ブレイクが言葉を濁す。そんなブレイクの態度に、これ以上に何か最悪な事でもあるのかと、ジェントは嫌な予感に顔を引きつらせる。
「リャーナが住んでいるのは、ダルカスという冒険者の家なのですが」
「王宮に住んでいるのではないのだな。それなら、連れ去るのも容易であろう」
「いえ、その。……ジェント殿下は昔、ドーン皇国で起こった『ドラゴンのスタンビート』をご存知ですか?」
唐突にそんな事を言われ、ジェントは眉を顰める。
「ああ? もちろん知っている。どこかの馬鹿な冒険者が、ドラゴンの巣から卵を盗み出して街に逃げ込み、怒り狂ったドラゴンが冒険者を追っかけて起きたスタンビードだろう?」
昔というほどでもない。ジェントの親が若い頃の話だ。怒り狂ったドラゴンの魔力に当てられた数百、数千の魔獣たちが、ドラゴンを追う様にしてドーン皇国の街に迫った。卵を盗んだ馬鹿な冒険者は、捕らえられ処刑されたと聞いている。
「そのスタンビードで、1人の冒険者が魔獣の殆どを倒し、ドラゴンを一刀のもとに切り伏せたというのもご存知ですか?」
「もちろん知っている。S級冒険者『お人好しのダルカス』だろう。まあ、ドーン皇国の奴らが、英雄を持て囃そうと脚色しているのだろうがな。そうでなければ、1人で数千の魔獣を屠るなど、荒唐無稽な……」
話しながら、ジェントは嫌な予感がますます強まる。先ほど、ブレイクは何と言っていた? リャーナが滞在しているのは、ダルカスという冒険者の家だと……。
「おい、まさか……」
「はい。リャーナが滞在しているのは、そのS級冒険者の『お人好しのダルカス』の家です」
「……っ!」
反射的に、ジェントは手にしていた長剣を床に投げつけた。そんなことで苛立ちが治まるはずもないが、何かせずにはいられなかったのだ。
「私の手の者は、殆どが捕らえられてしまったようです。報告を持ち帰った者も、命からがら、どうにか逃げ出したようで」
ダルカスに捕らえられたのかは不明だが、ブレイクは父から借り受けた者たちの殆どを失ってしまった。唯一無事に戻った者も、ブレイクに報告書を押し付けると、逃げるように去っていった。よほどドーン皇国で恐ろしい目に遭ったのか、もう二度とあの国にはいかないと泣きながら叫んでいた。
「そして、これもご存知だと思いますが。ダルカスの妻は『宵闇の魔術師』です」
こちらも有名人だ。魔術一つで山を焼け野原にする冷酷な魔術師。平民ながら筆頭皇宮魔術師にまで上り詰めた実力は、言わずと知れている。
リャーナを無理矢理攫うなど無理だ。こんな危険人物たちに手を出すなど、愚かにもほどがある。
「まずい。どうしたらいい。考えろ、ブレイク。陛下たちに知られる前に、なんとかせねばならん」
「……は、はい」
狼狽えるジェントを前に、ブレイクはどうしてこんなことになったのかと自問した。
ブレイクには、王太子ジェントの側近として、いずれは国王の側近として、父の後を継いで宰相になるという輝かしい未来が待っていた筈なのに。このままジェントと共倒れになれば、宰相の父といえど、無傷ではいられまい。
いつの間に、こんな泥舟に乗っていたのか。自分の見る目の無さに、家まで巻き込んでしまった。ブレイクは泣きたくなるような気持で、何か策は無いかと考え続けるのだった。
★2025年11月17日コミカライズ★
「高貴な私の番がチンピラだった」
「婚約破棄された令嬢は本当の愛とハッピーエンドを手に入れます!アンソロジーコミック」
レーベル:FLOS COMIC 漫画:アメノ先生
★2025年8月25日発売★
「逃げたい文官 1 奪われ続けてきた不遇な少女は、隣国で自由気ままに幸せな生活送ります」 オーバーラップノベルスf様より発売中。
初回配本限定特典の特別書き下ろしで、「転生しました、サラナ・キンジェです。ごきげんよう」とコラボしています。




