6 皇太子マルク
リャーナがダルカスの家でほのぼの過ごしている頃、冒険者ギルド長のライズは皇宮にいた。
「デフレ・ライズ伯爵です」
「入れ」
冒険者ギルドでの粗雑さを綺麗に隠したライズは、皇太子の執務室に通された。寸分の隙もない臣下の礼で皇太子に頭を下げる。書類に目を落としたまま、部屋の主はライズに声をかける。
「ライズ。そんなに畏まってどうした。騎士団との合同討伐の時に羽目を外してワインを瓶から飲んでた男と同一人物とは思えんな」
「それは言わないでください、マルク殿下」
ドーン皇国の第一皇位継承権を持つ皇太子マルク・ドーンの言葉に、ライズは顔を顰める。騎士団と合同などという気疲れする討伐が終わった後の解放感からやらかした過去の悪行について、マルクには何度も揶揄われている。いい加減、忘れてもらいたい。
「お前が緊急で面会を求めるなんて珍しい。冒険者ギルドで何かあったのか?」
「あー、殿下。できればお人払いを」
ライズの固い声に、マルクは漸く書類から目を上げた。銀色の髪がサラリと揺れ、鋭い碧眼が真っ直ぐにライズを射る。彫刻の様に美しい顔は訝しげだったが、マルクはさっと合図をして、護衛の騎士以外の者たちを退室させた。
「それで?」
「おそらくですが、結界の魔術陣の作成者を保護いたしました」
「何?」
マルクは眉を跳ね上げた。
「本物か? これまで何人もそう自称する者に会ったが、全て偽者だったぞ」
「おそらく本物かと。こちらをご覧ください」
ライズは持参した袋を手渡した。マルクはそれを受け取り、不思議そうな顔をする。
「なんだ、これは?」
「その者が作成した『収納袋』だそうです。この袋の何倍も大きなものを収納する事ができます」
「なんだと?」
マルクは慌てて袋を開けた。中に恐る恐る手を突っ込んでみる。その手に触れた固いものを掴み、引っ張り出すと中から何故か椅子が出てきた。
「はぁっ?」
マルクは思わず立ち上がった。どう見ても、椅子だ。小さな袋から出てきたありえない物に、マルクは何度もそれらを見比べている。
「ど、どういう術式だ……。これは、結界陣の応用か。なるほど、ここを転用して……」
マルクは繁々と収納袋の魔術陣を見て、ブツブツと自分の考えに没頭し始める。
「殿下、殿下。気持ちは分かりますが、魔術陣の解析は後にしてください。それより、作成者のことなんですが……」
ライズの言葉に、マルクはハッと顔を上げた。
「ああ、そうだった、すまない。それでどういう人物だ? うん? お前、さっき、作成者を保護したと言わなかったか? どういうことだ? 誰かに命を狙われているのか?」
「はぁ。実はウチに所属するダルカスが、森の中で拾ってきまして」
「ああ、『お人好しのダルカス』か」
「ええ。森の中で魔力枯渇を起こして倒れていた者を拾いまして。それがカージン王国の文官だったんです。サラマンダーの単独討伐と結界陣の貼り直しを続けて行ったせいで魔力枯渇を起こし、森で行き倒れたようで」
「待て待て、ちょ、ちょっと意味が分からん。サラマンダーの単独討伐? 結界陣の貼り直し? え? 文官って言ってなかったか? あの国では魔術師の事を文官と呼ぶのか?」
矛盾が多い情報が多すぎて、混乱したマルクは思わずライズの言葉を止めた。ライズは眉を下げ、ダルカスから聞き取った情報と自分の考えを織り交ぜ、ゆっくりと初めから説明した。
全ての説明が終わった後、マルクは頭を抱え、ライズをギラリと睨みつけた。
「それは本当のことなのか? 本当にあの結界陣の作成者の話なのか?」
「あの者が嘘をついているとは思えません。実力を裏付ける証拠は討伐した魔獣と、それにその収納袋は私の目の前で私の手持ちの袋で作成した物です。誓って言いますが、ただの袋でしたよ?」
ライズの言葉に、マルクは瞠目し、自分の手にある収納袋を見つめた。
「なんていうことだ……。あの素晴らしい結界陣を作成した方が、そのような不遇な目に遭っていただなんて! ライズ! あの結界陣は素晴らしいぐらいではいい表せないぐらい、凄いものなんだぞ? これまで魔術で魔獣をの侵入を大幅に防ぐなど、誰も成し得なかったことだ! 各国の魔術師が争うようにあの魔術陣を解析しているが、あの発想の素晴らしさ、考え抜かれた術式の美しさ、汎用性の高さは筆舌に尽くし難い! その開発者に対する給料が、10万ピラだと! なぜだ! 何を考えている! アホなのか、あの国は!」
激昂するマルクに、ライズはあーあ、やっぱりこうなったかと内心ため息をついた。
隣国であるカージン王国で魔獣を防ぐ結界陣が発表された時、魔術師たちは大きな衝撃を受けた。各国が手を焼く魔獣の人的、物的被害。それが多量の魔力は必要とするが、魔術陣を張ることで大幅に減らすことができる。今まで魔獣の討伐に割いていた兵力も予算も必要なくなるのだ。
「あの魔術陣の開発は、カージン王国の王太子とその婚約者、側近たちとなっていたが…」
自身も魔術師であるため、マルクはカージン王国に招かれた際、期待に胸を膨らませカージン王国の王太子と謁見した。魔術陣の深い話が出来るかもと思っていたが、王太子本人に会ってみてひどく落胆した。誤魔化してはいたが、カージン王国の王太子やその婚約者は、魔術陣を何一つ理解していなかった。側近たちもそれとなく調査してみたが、側近たちにも魔術に造詣の深い者は皆無だった。それからというもの、マルクはずっと名もわからぬ無名の魔術師に会いたいと熱望していたのだが……。
「功績を奪われたようですね。一応、研究発表の報告書に、小さく名前は載っているそうですよ」
「その方はなんという名なのだ?」
「リャーナと言います。カージン王国の、孤児で平民です」
「リャーナ! 女性か!」
「はあ。今年17歳の可愛らしい娘です。今はダルカスの家に……」
「会いに行こう」
がたんと椅子を蹴倒して、マルクが立ちあがる。
「は? いやいやいやいや。何言ってんですか? もうこんな時間ですよ? 女性を訪問するには非常識な時間でしょうに」
「私がどれほどあの魔術陣の開発者に会いたがっていたと思っているんだ! 会いに行く!」
マルクの言葉に、ライズは眉を釣り上げた。
「あのね、殿下。リャーナはカージン王国で散々搾取され、酷使されてきたっていうのに、その事に全く気づかなかったような自己評価も自分の価値も分かっていないような危なっかしい娘なんですよ。殿下がカージン王国と同じように、あの娘に無体をしようっていうなら、俺は冒険者ギルドの長として、冒険者リャーナを守る義務がある。あの娘に不利な扱いは、たとえ皇国相手だろうと看過できん」
ライズの硬い声に、マルクは興奮が覚めたように瞬きをし、バツの悪そうな顔をした。
「す、すまん。そんな、リャーナ殿に無体を強いるような真似はしない」
ライズは息を吐き、険しい顔のままマルクに告げた。
「……殿下が会いたがるだろうと思って、リャーナには知り合いの魔術師に会って欲しいと話していますので、その時にお会いしていただきます。ただし、ギルド専属の利益管理人をつけますので、ご了承ください」
利益管理人とは、法や契約に疎い平民の利益を保護するため、平民に成り代わってその権利を主張する代理人のことだ。国の実施する試験に合格した者が利益管理人として名乗ることができ、本人と契約によりその代理人となる。冒険者ギルドでも、無学な者が多い冒険者の利益を守るため、専属の利益管理人を何人か抱えている。
「そうだな。この収納袋といい、大きな価値を生み出しそうな娘だ。それがいいだろう」
マルクは頷いた。落ち着いたいつもの様子に戻ったマルクを見て、ライズは内心、ホッと息をついた。
ライズが知っている皇太子マルクは、公明正大な人物だ。その人柄、仕事振り、カリスマ、どれをとっても次期皇帝として相応しい人物だと思っている。
しかし魔術が絡むと、その評価は一転する。いわゆる、魔術バカなのだ。
魔術先進国であるドーン皇国の次期皇帝として、魔術に造詣が深いことは喜ばしいことだが、マルクの場合、たまにその熱意が強すぎて今回のように暴走することがあるのだ。
「それでライズ。リャーナ殿はニライズ派とエルマル派のどちらの魔術体系を好んでいらっしゃるんだ?魔術陣の構成からどちらも造詣が深いと思うが……。はっ。もしや新興派のショーグ派か? どっちだ?」
「知りませんよ、自分で聞けばいいじゃないですか。ちょっと、本当に落ち着いてくださいよ、殿下? リャーナを質問責めにしたりしないでくださいよ?」
落ち着きなくバタバタと本棚から本を取り出し、猛然と何か紙に書き始めたと思ったら、ブツブツと自分の世界に入ってしまったマルクに、ライズは深いため息をついた。