58 タープシー伯爵家の凋落
取引中止が解除された直後のタープシー家です
タープシー伯爵家のラルフの私室にて。
ラルフは大量の書類に埋もれた机に向かい、静かに執務をこなしていた。
リャーナを傷つけた一件以来、ラルフは父親から全ての社交を禁じられ、屋敷に軟禁されている。相手が平民であったにせよ、いまやドーン皇国で影響力のある女性を害したのだ。少なくともほとぼりが冷めるまで、屋敷から外に出る事も禁じられた。
ラルフはそれを不満に思う事もなく、粛々と受け入れた。自分がタープシー家に多大な迷惑を掛けてしまったことは、まぎれもない事実だ。各ギルドから睨まれたタープシー家は、一時的とはいえ取引先から契約を打ち切られたり、制限されたりして、大きく収入を落としていた。すぐに家が傾くようなことはないが、長期化していたらいずれは大きな影響があっただろう。それを思えば、ラルフに与えられた罰は、軽すぎるともいえる。
家に迷惑を掛けたこともそうだが、ラルフはリャーナを傷つけたことをとても後悔していた。
本意とは違っていても、自分の発した言葉で女性を傷つけ、あまつさえ魔力暴走を起こすほど追い詰めてしまったのだ。あの時、リャーナの身分を軽んじて貶しめた訳ではないと、彼女自身にきちんと説明していれば、あそこまで追い詰めることは無かっただろう。ラルフ自身、リャーナにそこまで言葉を尽くす必要などないと思っていた。次に会った時に、言葉が過ぎた事を認めればそれでいいだろうと、高をくくっていたのだ。
だが、次に会った時なんて機会は訪れなかった。
ラルフはタープシー家での蟄居を命じられ、復調したリャーナに直接は勿論の事、手紙などの間接的な接触すら禁じられている。リャーナはラルフに責任はないといってくれているらしいが、彼女の周囲はそう考えてはいない。ラルフがリャーナを貶すつもりがなかったことは理解してもらえたようだが、ラルフの高圧的な言動自体が、リャーナの周囲には問題視されたのだ。
「ラルフ。領地の税収の計算は終わったか?」
「兄上……。はい、こちらに……」
執務に没頭していたラルフの部屋に、兄がやってきた。領地の資料を差し出すと、書類を確認した兄は表情を緩める。
「うん、良く出来ている。助かるよ」
兄の穏やかな言葉に、ラルフはほっと息を吐いた。そんなラルフに兄は苦笑する。
「執事から、お前が根を詰め過ぎていると報告を受けている。気持は分かるが少しは休みなさい」
「いえ。私はタープシー家にも迷惑を掛けてしまいましたから……」
ラルフの失態で、タープシー家の後継である兄にも多大な迷惑を掛けてしまった。書類仕事ぐらいで償えるとは思わないが、今のラルフに出来る事はこれぐらいしかないのだ。
「それでお前が倒れてしまっては、元も子もないだろう。今は猫の手も借りたい状況なんだ。倒れている暇はないぞ」
冗談めかして言う兄だが、その言葉は本当だ。父も兄も、ラルフのせいで失った信頼を取り戻すべく、あちこちの伝手を頼って奔走している。各ギルドとの顔つなぎや新規の取引先の開拓。各ギルドからの取引中止は解除されたものの、その影響は他の貴族家に波及していて、未だに色濃く残っているのだ。
「心配するな。お前の兄は意外と優秀だ。元の通りとまではいかないが、大分損害も取り戻せたよ」
ぽんと兄に頭を撫でられて軽く言われたが、ラルフの気持ちは晴れなかった。こんな風に守られる価値など、ラルフにはないのだ。
「……父上から、母上の事は聞いたか?」
その静かな声に、兄がラルフを労わるって慎重に言葉を選んでいるのが分かる。
「ええ、お聞きしました」
母は離縁された。今回のラルフの失態を受けて、父が母の言動を問題視したのだ。元々、母は身分に強くこだわりがあり、自分が侯爵家の出であることを何よりも誇りに思っていた。嫁ぎ先である伯爵家や父を格下だと馬鹿にしていたし、ラルフや兄にも自分の思想を押し付ける傾向があった。
離縁後、母は実家の侯爵家に戻されることとなった。侯爵家は母の弟が後を継いでいるが、母が弟嫁が格下の爵位であることを散々馬鹿にしていたので、弟嫁と母の仲は最悪だ。出戻れば侯爵家で邪険に扱われることは本人も自覚していたのだろう。離縁には最後まで泣いて抵抗していたが、父は頑として受け付けなかった。元々、夫婦仲は母の父を軽んじる言動のせいで冷え切っていたし、現状、難しい立場にあるタープシー家の評判が母のせいでさらに落ちる事を父は恐れたのだ。また、思っていた以上に、母が2人の息子に悪影響を与えている事に、今更ながらに気づいたようだった。
「私は、母上の考えには賛同できないと常々思っていたんだけどね。今回の件で、相手が平民なら伯爵家の威光で黙らせればいいなどと、自然に考えていたことに気づいたよ。母上の考えに、知らずと染まっていたようだ」
兄は自嘲していたが、それはラルフにも思い当たる事だった。友人たちからも、幾度となく忠告されていた。ラルフは身分が下の者を、無自覚に見下す癖があると。本人にそのつもりはないかもしれないが、言動に現れていると。
「我が国は勿論身分制度があるが、だからといって下の者を蔑ろにしていいということではない。こんな歳になってそんな当たり前のことが分かっていなかったことを、恥じ入るばかりだよ」
兄の声には、隠し切れない苦さが混じっていた。元々、タープシー家だってしがない下位貴族の一つだったのだ。アロン・タープシーの成果で陞爵しなければ、今でも平民と大して変わらぬ貧乏貴族だっただろう。それが何を勘違いして、思い上がっているのか。父にそう厳しく叱責を受けて、ラルフはそれまでの自分の思い上がった態度がとても恥ずかしくなった。思い返せば、父は伯爵家の当主にしては控えめで、それでいて周囲からの尊敬を集め、慕われていた。それは身分ではなく父の人柄がそうさせているのだろうと、今更ながらに理解したのだ。
「兄上。やはり、リャーナ嬢に直接謝ることは出来ませんか?」
「未だに先方の許しは出ていない。諦めなさい」
ラルフの縋るような言葉に、兄はきっぱりと首を振る。ラルフがリャーナに本気で謝りたいのだろうということは、謹慎中の彼の態度を見ていればわかるのだが。ようやく落ち着いてきた現状を弟のためだけにまた乱すことは、タープシー家としても避けたい。
「父と共に私もリャーナ嬢にお詫びをしたが、彼女自身はお前を責めてはいなかった。彼女も言っていたが、タイミングが悪かったのだろう。だが、お前が彼女を追い詰めたことは紛れもない事実だ。お前の自己満足の為に、彼女をまた煩わせることは出来ないよ」
「……」
兄の真っ当な意見に、ラルフは一つも反論出来なかった。もうタープシー家とリャーナ側との話し合いは終わっている。ラルフがリャーナに会い謝罪したいと願うのは、結局、ラルフが罪悪感から逃れたいだけにすぎないのだ。
「今しばらく、大人しくしていなさい。時間が経てば、良くなることもあるだろう」
慰める様な兄の言葉にも、ラルフの気持ちは晴れなかった。まだ厳しく叱責され、家族から見捨てられて家から追い出されでもした方が、マシだっただろう。
兄が部屋を出て、再び静寂が戻って来た。
だがラルフは、中々仕事に気持ちを切り替える事が出来なかった。目の前の書類に集中しようにも、思考は千々に乱れ、纏まらない。
脳裏には、リャーナの怯えた顔があった。ラルフの言葉に打ちのめされ、紙のように真っ白な顔で震えていた。
あんな顔、させたくはなかった。ラルフの前で借りてきた猫みたいに緊張しながらも、魔術の話に目をキラキラさせて、ケーキを食べて美味しい顔が隠せなくて、嬉しさに花が綻ぶような笑みを浮かべるリャーナが、もう一度見たかっただけなのに。落ち込むリャーナに苛立って責めるなんて、癇癪を起した子どもの様ではないか。
繰り返し繰り返し、ラルフは自分を責め続けていた。父や兄から、リャーナが復調し、皇宮に文官として出仕する事になったと聞いても、心が晴れる事は無かった。文官試験を過去最高の成績で合格したリャーナは、皇宮内でもかなりの影響力をもっているという。リャーナは祖国を心配していた。文官になったのも、祖国の為に出来る事を探すためかもしれない。ドーン皇国の後ろ盾があれば、それも可能だろう。
それに比べて自分はなんて体たらくだと、ラルフは自嘲めいた笑いを漏らした。あれほど誇りに思っていたタープシー伯爵家の威光も、周囲から背かれてしまえば何の意味も持たなかった。身分というものは絶対ではないのだと、ラルフは思い知った。己の身一つで、次々と功績を生み出し、周囲を味方につけていくリャーナに比べ、ラルフには勝る要素など何もないのだ。
それでも。どうしても、ラルフはリャーナに償いたかった。直接の謝罪は無理でも、タープシー伯爵家を通した償いではなく、ラルフ自身で。あれほど素晴らしい才能を持った彼女に対して、愚かなラルフが出来ることなど何もないかもしれないが、またあんな風に無邪気に笑って欲しかった。
そうでなければ、今後ラルフは、ずっと後悔のまま生きていくことになるだろう。
自分に出来る事は何があるのだろう。身分や家の力に頼ることなく、ラルフに出来る事は。
「……俺には、魔術しかない」
タープシー伯爵家の一員として、誰にも負けぬように磨いてきた魔術師としての能力。ラルフの魔術師としての実力は、実戦的な力もさることながら、研究においても遺憾なく発揮されていた。長年、水魔石の確保のために、アクアアントの研究を重ねてきたのだ。タープシー伯爵家が徹底的に没落しなかったのも、長年の水魔石の供給という功績があったからだ。功績がなければ、ここまで踏みとどまることはできなかった。
水魔石の研究については、父からラルフに引き継がれていたが、今は父に返されている。兄は魔術は好きだが魔術師としてはあまり適性がなく、領地経営と当主としての仕事に専念していた。ラルフがその補佐と水魔石の研究を担っていたのだ。
「今の俺にできる事は……」
ラルフは考えた。今の自分にできる事はなにか。そしてリャーナへの償いになる事はなにか。
そうやって仕事をこなしながら考え続けて。やがて一つの結論に達したのだった。
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