47 タープシー伯爵家の災難
ラルフ、そんなに悪いやつではないのです。たぶん。
「お前という奴は! 何てことを仕出かしたのだ」
タープシー伯爵の大声が屋敷中に響き渡る。
「アクアアントの研究で助力を得ている立場でありながら、どうして魔術師ギルドと対立するようなような真似をしたのだ!」
タープシー伯爵はどちらかといえば細身な学者のような外見をしている。いつも控えめで、柔らかな笑みを絶やさない、穏健な人柄である。そんな伯爵が唾を飛ばして息子を怒鳴りつけているのだ。
怒鳴りつけられていた息子、ラルフは生まれて初めて激しく父親に叱責されて、決まり悪げに顔を逸らしていた。
タープシー伯爵がこれほどまでに怒っているのは、この日の朝、魔術師ギルドから届いた知らせがきっかけだった。
タープシー伯爵は穏やかな気質で、彼自身に皇国でのし上がっていこうという野望は特にない。代々受け継いだ領地を守るのは勿論だが、いつかタープシー家の誇りであるアロン・タープシーのような素晴らしい魔術師になりたいと日々努力をしてきた。魔術師ギルドに対する貢献も惜しまず、良い関係を築いてきたと自負している。
そんな魔術師ギルドのギルド長であるボルク師に、タープシー伯爵は呼び出された。先触れはあったものの、こちらの予定を伺う事もなく日時を指定した一方的な呼び出しにタープシー伯爵は驚いたが、何か火急の用が起ったのかと素直に従った。タープシー家が再三に渡って要請していたアクアアントの調査に魔術師ギルドが本腰を入れてくれて、魔獣研究で有名なカージン王国の教授たちを招いてくれた恩もあるのだ。本来ならこの様な一方的な呼び出しは伯爵家当主へ無礼にあたるが、寛大な心で目こぼししようと思ったのだ。それが。
「まずこれは決定事項として伝える。魔術師ギルドは今後一切、タープシー家からの要請は受けない」
「は?」
ボルク師、ケレン師、ビエック師という、魔術師ギルドの重鎮たちが揃う応接室で、開口一番そう言われ、タープシー伯爵は目を丸くした。今、何を言われたのだ?
「貴殿の息子、ラルフ殿の身分の低い者に対する言動は、若い高位貴族の令息にはまま見られるものだが、さすがに今回の事は看過できん。アクアアントの調査に協力を惜しまぬ平民の魔術師に対し、高圧的な態度で接し、あのような聞くに堪えない暴言まで……。魔術師ギルドにおいて、本来ならば魔術師同士に序列などない。それなのに貴殿の息子は、平民の魔術師に向かって『平民は命令に従っていればよい』などと言い放ったのだ」
「ラ、ラルフがですか?」
タープシー伯爵は、驚きに目を瞠った。確かに、ラルフや彼の兄であるタープシー伯爵の息子たちは、貴族主義というか、身分に対するこだわりが強い。タープシー伯爵自身は身分差というものにそれほどこだわりがないのだが、伯爵の妻がそういう気質が強いのだ。元は侯爵家の次女であった妻は、タープシー家に嫁ぐにあたっても『格下の貴族家に嫁いでやった』という態度を隠そうともしなかった。その妻に養育された息子たちは、タープシー家の魔術好きの要素は受け継いでいたものの、身分に重きを置く性格をしっかりと形成されていた。
幸いにも、それが他家の付き合いにおいて弊害になることは今まではなかった。身分を重要視するのは貴族において一般的な考え方だ。だからといって、下位の身分の者に対しての横暴が許される筈はない。
「息子は、一体何をしでかしたので……?」
青くなるタープシー伯爵に告げられたのは、想像以上に酷い話だった。平民とはいえ、同胞たる魔術師に対する暴言は許されない事だが、よりにもよってその魔術師が、この国で今一番注目を浴びている魔術師なのだ。
魔術師であるが故に、タープシー伯爵は平民の魔術師、リャーナの実力を十分に理解していた。あの結界魔術陣の作成者の1人であり、先ごろは収納魔術陣、付与魔術陣まで開発した天才だ。タープシー伯爵も話題の収納袋や付与魔術陣を購入した者の1人だ。その有用さは恐ろしいほど理解している。
しかもタープシー家の寄り親である侯爵家は、なんとしてもこの天才魔術師と繋がりを持ちたいと考えている。しかし魔術師ギルドだけでなく様々なギルドからの妨害にあって、全く手が出せないでいた。
だから魔術師ギルドを通してリャーナに接触できたタープシー家に、寄り親である侯爵家は多大な期待を寄せている。そのため、タープシー伯爵は自分が交渉には立たず、未婚の次男ラルフを窓口にしたのだ。ラルフは令嬢たちの受けがよく、外見が良い。いまだ婚約者も決まっていなかったので、万が一リャーナがラルフに惚れたら、平民ではあるが嫁としてタープシー家に迎えてもいいとさえ思っていた。それぐらい、タープシー伯爵はリャーナの将来性を買っていたのだ。
ラルフからはリャーナ嬢との関係は悪くないと報告を受けていた。ラルフ自身もリャーナ嬢の可愛らしい所を気に入っているようだった。それなのに一体何があってこれほど2人の関係が拗れてしまったのか。寄り親である侯爵家に貢献するどころか、リャーナを侮辱したなどと知られたら魔術師ギルドだけではなく、リャーナの後見である様々なギルドまで敵に回すことになりかねない。
その後、ボルク師からタープシー家へのペナルティをツラツラと説明され、タープシー伯爵は気を失いそうになるのを必死に耐えて聞き入った。一刻も早く屋敷に戻り、ラルフに事情を聴き出さなくてはいけないと焦っていた。
魔術師ギルドから屋敷に戻ったタープシー伯爵を待っていたのは、青ざめた顔の執事と、タープシー伯爵の長男だった。
「旦那様、お、お待ちしていました!」
いつもは冷静な執事の泣き縋らんばかりの様子に、タープシー伯爵は嫌な予感がした。黙ったまま青い顔をしている長男の様子にも、その嫌な予感に拍車をかけていた。
「至急のお手紙が届き、私の方で中を検めたのですが……」
タープシー伯爵が留守の時に届いた知らせで、『至急』とあるものは執事が内容をまず検め、当主代理である長男の判断を仰ぐことになっている。手紙を検めた執事が慌てふためいて長男に報告し、長男ではとても対処できないと青くなっていたところで伯爵が帰宅したようだ。
「ど、どこからの手紙だ……? いや、貸せ! 私が読む!」
執事や長男から報告を受けるのももどかしく、手紙をひったくったタープシー伯爵は、読み進める内にみるみる青くなっていった。
「ぼ、冒険者ギルドと薬師ギルドからの、取引中止……?」
今現在の取引の中止だけでなく、今後一切、タープシー伯爵家との取引は断るという、一方的な通知だった。
「ば、馬鹿な。なぜこのような……」
タープシー伯爵が手紙を何度も読み返してみらが、内容が変わるはずもなく。タープシー伯爵の心臓はバクバクと嫌な音を立てていた。
「先日、魔術師ギルドのボルク師と魔術師のリャーナ嬢がお見えになった時の事ですが……」
恐る恐る、執事がタープシー伯爵に伝える。突然怒り出したラルフが、リャーナを厳しく叱責した一部始終を、控えていた執事と侍女たちはしっかりと目撃していたのだ。前回の訪問の時に比べ元気は無かったが、リャーナに特に無礼な言動があったわけでもなく、一方的にラルフが叱責したのだ。
「私から見ても、あのお言葉は大変厳しく。身も竦む様な思いで聞いておりました」
執事は仕える家の息子に最大限の配慮をして伯爵に説明したのだが、実情はもっと深刻だ。侍女たちの中には、あのお茶会以降ラルフに怯える者が出たぐらいだ。また、怯えるまでいかなくても、侍女たちのラルフに対する認識は『ちょっと俺様だけど憧れの坊ちゃま』から、『モラハラ暴言男』にまで急降下していた。
「ラルフを、あの馬鹿を、すぐにここに呼べ!」
タープシー伯爵はくらくらと眩暈がするのをなんとか堪え、命じる。
執事がラルフを連れてくるまでの間、執務室のソファに座り込み、頭を抱えていた。
「父上、すぐに例の魔術師に会いに行きましょう。相手は平民なのです。適当に慰謝料を与えれば黙るでしょう」
青ざめた長男が、それでも楽観的な意見を述べてくるのに、タープシー伯爵はのろのろと顔を上げる。
今更ながら伯爵は、つくづくと妻の教育が毒であったことを思い知る。次男より理性的であると思っていた長男ですら、平民ならば金さえ与えれば問題ないと考えているのだから。
タープシー伯爵は黙って長男に手紙の束を押し付けた。訝し気にしていた長男は、じっくりと手紙の束を確認した。冒険者ギルド、薬師ギルドからの取引中止の通知以外にも、利益管理人フロスの名で届いた手紙があった。これは至急となっていなかったので、長男も確認はしていなかったのだが。
「魔術師リャーナへの接触禁止の正式な通知だ。我らは『利益管理人の依頼人の害になる』と判断されたのだ」
「……それは!」
利益管理人とは、貴族の横暴より平民を守るために存在する。そんな利益管理人がタープシー伯爵家に正式に依頼人への接触の禁止を通達してきたのだ。つまりタープシー家が『平民を害する存在である』と世に知らしめたことになる。
「しかも相手はあの『鮮血の利益管理人』フロスだぞ? 下手な懐柔は一笑に伏すだろうよ」
ハハハ、と乾いた笑いを上げるタープシー伯爵に、長男は再び黙り込んだ。
そして呼び出された次男が、渋々とタープシー伯爵の前にやって来て冒頭の騒ぎになったのだが。
ラルフは押し黙るばかりで言い訳一つするでもない、ふてぶてしい顔でそっぽを向いている。
タープシー伯爵はそんな次男の態度にますます苛立ちを覚えたのだが。ふと、ラルフの手がギュッと服の裾を握りしめているのに気付いた。注意深くラルフの表情を伺うと、憮然とした顔をしているのに目はキョロキョロと落ち着きがない。
「ラルフ……。お前、何をそんなに不安に思っている」
タープシー伯爵は、気持ちを抑えて出来るだけ穏やかに声を掛けた。
服の裾を握りしめるのも、不貞腐れながらも落ち着きなく視線を泳がせるのも、ラルフが何か不安になった時の癖だ。最近はあまり見なくなっていたが、幼い頃、何か悪さをした時はたいていこんな表情をしていた。
「わ、私は。リャーナ嬢を叱責したつもりはありません!」
「ではなぜ、リャーナ嬢に『平民は命令に従っていればいい』などと、平民を隷属させるようなことを言ったのだ」
「隷属……? ち、違います! あれは、リャーナ嬢が、カージン王国が危機に陥っているのは自分のせいかもしれないなんて言うから! 平民の言う事に王族が耳を貸すなんてないのだから、気にするなと言ったのです。大体、国防に関して一介の平民が責任を負う事ではないでしょう。リャーナ嬢が責任を感じる必要なんてない筈だ!」
ラルフの言葉に、タープシー伯爵は目を見開く。ラルフの真剣な様子に、嘘を吐いているようには見えなかった。
タープシー伯爵は混乱しながらも、執事に確認する。
「お前はその場にいてリャーナ嬢とラルフの遣り取りを聞いていたのだろう? ラルフが言っているのは本当なのか?」
執事は混乱しながらも、その時の遣り取りを思い出し、口を開く。
「い、いえ。ただ、そのお言葉を発する前、ラルフ様は確かにリャーナ様を心配なさっておいででした。気落ちしているのは、もしや祖国に家族がいて心配なのかと気遣われていて……。リャーナ様を平民だと侮っていらっしゃるようには、とても見えませんでした」
タープシー伯爵はラルフの言葉を裏付けるために、執事だけではなくその時に同席していた侍女たちを集め、同じ様に意見を聞いてみた。怖い顔の主人に呼び出され緊張していた侍女たちも、ラルフの言い分を聞いた後はその緊張も忘れ、『え。アレで気遣っていたの?』『そういえばちょっと心配っぽいこと言ってた』『でもいくらなんでも、あの言い方で慰めてたって、どれだけ不器用なの?』と遠慮なくコソコソして、呆れた目を向ける。幸いなことに『モラハラ暴言男』の誤解は解けたようだが、『不器用な俺様』という新たな称号が冠されてしまった。
「お前の言葉足らずが誤解を受けたという事は分かった」
深いため息を吐いたタープシー伯爵に、ラルフはホッと気を緩める。父親にリャーナを侮辱したわけではないという事を理解してもらえ、安心していた。
「だが、その誤解を解くのは現状ではとても難しい……」
「ど、どうしてです? リャーナ嬢ともう一度話をさせて貰えれば、直ぐに誤解は……」
「そのリャーナ嬢が、お前と会った後に体調を崩しているのだ! 重症だそうだ!」
「じゅ、重症?」
思いもよらぬことを言われ、ラルフは目を剥く。だがすぐに、ラルフはあの時のリャーナの顔色の悪さを思い出した。
「どこまでが本当か分からんがな。だが、重症とまで言われたら、こちらから無理に謝罪する事も出来ない。そもそも、利益管理人から接触を禁じられているのだ。近づく術がないのだ」
父親からそう力なく言われ、ラルフはようやく事態が思っていた以上に悪くなっている事に気づいた。自分の失言のせいでリャーナが体調を崩した。その上、魔術師ギルドからの事実上の縁切りや冒険者ギルド、薬師ギルドからの取引中止だ。ギルドを頼らずに伯爵家の運営は出来ない事はない。ただ、各ギルドから睨まれたとあれば、それはギルドとの間だけに留まらず、他の貴族家からも敬遠されることになるだろう。各ギルドはそれぐらい、ドーン皇国の中で力を持っているのだから。
ラルフは改めて、自分の仕出かしたことに青ざめたのであった。
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