46 皇太子の命令
お待たせしました。
身体の中で熱い塊がグルグルと回っている。
ずっと身体の中にあって慣れ親しんだ存在の筈なのに、なぜかリャーナの思い通りに動いてくれなくて、リャーナは途方に暮れていた。熱い塊がグルグル回っていると、身体が火のように熱をもって、それでいて手足が冷えて寒くてたまらなくなる。食事どころか、水さえも呑み込むのがやっとだ。
心配したマーサがずっと付き添ってくれているのも、リャーナには申しわけなく思った。『ごめんなさい』と謝ると、マーサは優しく『謝る必要はないよ。何も気にせず、ゆっくりお休み』と頭を撫でてくれる。
ダルカスも仕事の合間を縫ってリャーナの傍にいてくれる。ダルカスは口当たりのいい果物や、果実水をお土産に持って帰ってくれるのだけど、少しも喉を通らない。食べ物や飲み物を無駄にするのもまた申しわけなかった。
シャンティには会えなかったけど、リャーナの寝ている部屋の扉越しに時々雄叫びのような声が聞こえていた。マーサ曰く、シャンティは魔力調整が下手なので、魔力暴走を起こしているリャーナの傍に近寄るのは厳禁らしい。『泣き喚いて煩いから、側にいたら休めないだろう?』とマーサは言っていたけれど、熱い塊が身体中をグルグルと回っているせいでどうせゆっくりと眠れないからいいのに、とリャーナは思った。シャンティに会えずに寂しかったのもある。でも口には出さなかった。忙しいシャンティの時間まで奪うのは申し訳なかったのだ。
碌に食べられず、飲めず、眠れないリャーナの身体はどんどん弱っていった。ドーン皇国に来たばかりの時のように痩せてしまって、動くのも難しくなった。マーサやお医者様がリャーナの長引く魔力暴走を抑えようと躍起になっていたけれど、リャーナはこのまま治らなくても仕方ないと諦めるようになっていた。やっぱり、罰が当たってしまったのだ。リャーナのような平民の孤児が、自分の役割を忘れて幸せになるなんて許されない事だったのだ。
だって。生まれた頃から言われていたのだから。なんの拠り所のない自分は、皆のお荷物なんだって。
役割を与えられて、皆の為に身を粉にして働く事で、ようやくその罪は許されるのだって。
だから、幸せになろうとした自分は、許されないのだ。
カージン王国の危機を招いたのは、自分の事だけを考えて行動したせいなのだ。
王太子やカーラの言う事を聞いて、大人しく働いていなければならなかったのに。
平民にとって、王族や貴族は神にも等しい存在だ。その意思に逆らうなんて、許される事ではなかったのに。
考えれば考えるほど、リャーナの中の熱い塊はグルグルと回り続けて、リャーナを削っていく。
きっとこの熱い塊は、リャーナが消えてしまうまでグルグルと回り続けるのだろう。
「リャーナ嬢……」
とろとろとした眠りの中で、リャーナは自分を呼ぶ声を聴いた。
マーサでもダルカスでもお医者様でもない声に、リャーナはうっすらと目を開く。
「マルク殿下……?」
目の前にはマルクがいた。見たことがないぐらい、真っ青な顔をしている。
マルクはリャーナの寝ているベッドに近づいてきて、その手が震えながらリャーナの手に触れた。
「リャーナ嬢、いけない。そんなに魔力を循環させては。苦しいだろう」
マルクはリャーナに触れた手から、リャーナの魔力が勢いよく巡り続けているのを感じて、諭すように告げる。マルクの手も声も震えていて、リャーナは心配を掛けて申し訳ない気持ちで一杯になる。
「でも、私、止め方が、分からなくて」
「そんなことはない。リャーナ嬢の魔力調整は見事だ。そうでなければ、あの結界魔術陣に適量の魔力を注ぎ続けるなんて、出来ないだろう?」
「でも……できないんです……。できない。きっと、これは私への罰なんです」
リャーナが苦しくなってそう言えば、マルクは顔を歪ませた。
「罰? なんの罰だ?」
「私が、ジェント殿下やカーラ様の命令に逆らって、カージン王国から逃げたから。そんな事、許されないのに。私がカージン王国から逃げなければ、ずっとあの国で結界魔術陣に魔力を注ぎ続けていれば、誰も苦しむことはなかったのに。私が勝手なことをしたから」
リャーナの目からポロリポロリと涙がこぼれる。涙と一緒に、リャーナの苦しい気持ちもポロリポロリと零れていく。
「結界魔術陣を常時展開することは術の構成上想定していないだろう。非効率過ぎる。あれはあくまで非常時の防御術に過ぎない」
「でも、私がちゃんとジェント殿下に説明をしていれば……」
「バカな。あの魔術陣の製作者は王太子だと発表されている。その他にも、製作者にはあの国を代表する貴族たちが名を連ねていた。我が国にも製作者はあの王太子たちだと通達されている。魔術師たるもの、自分の作った魔術陣を知らないで済むはずがない」
マルクはリャーナの零れた涙を拭い、きっぱりと断言する。
「でも……」
「リャーナ嬢は、カージン王国に戻って、また結界魔術陣に魔力を注ぎ続けるつもりか。国中にある魔術陣に魔力を注ぎ続けて、合間に魔獣討伐をして。そんな生活に戻りたいのか」
そうすべきだと、リャーナは思った。そうしなければいけないと。
それがリャーナのあの国における役割だった。あの国で生きていくための術だった。
そうでなければ、リャーナに生きている価値など、何もないと言われ続けていたのだから。
でも同時に。心には正反対の願いが浮かぶ。
「…………戻りたくないです」
リャーナは辛うじて聞こえるぐらいの小さな声で呟いた。言ってはいけないと分かっていても、リャーナの望みはどんどん膨らんで行って、ぎちぎちと心を締め付ける。
「……私、ドーン皇国にいたい。ダルカスさんと、マーサさんと、お姉ちゃんと一緒に暮らしたい。魔術師ギルドにも行きたいし、薬師ギルドでの研究も楽しい。フロスさんやリーズ商会のユージン商会長とのお仕事もあるんです。それに、それに」
「結界魔術陣の改良もするんだろう」
マルクの優しい声に、リャーナは頷く。
「…………はいっ」
ドーン皇国に来てから。リャーナはずっと楽しい事ばかりで。忙しくて緊張もして、困ったこともあったけど、苦しいとか辛いとか思った事は一度も無くて。そんな日々はカージン王国とは全く正反対で。だからリャーナは、この国でずっと生きていきたいと思ってしまったのだ。
「でもそんなこと、許してもらえない……」
「許さないのは誰だ。カージン王国の王太子か? 貴族たちか?」
リャーナのような厄介者は、尊き身分の者に従い、国の為に働く事で許されている。
だから、彼らの命令には従わなくてはいけない。
力なく頷くリャーナに、マルクは一瞬、痛まし気な目を向ける。
リャーナにとって、王族や貴族たちに理不尽に踏みつけられるのは、当たり前の事だった。
ダルカスに出会った事で、自分の置かれた立場の理不尽さに気づき国を出たリャーナだったが、その根底には王族や貴族に対する恐れや服従心が染み付いてしまっている。
いつかはリャーナ自身で、それを克服するしかない。だが今はその恐れや服従心のせいで、リャーナ自身が潰されそうになっていた。ドーン皇国で暮らしたいという本当の望みとの間で、引き裂かれそうになっていた。
ああ、とマルクは気づいた。
シャンティの選択は間違っていなかった。このためにマルクは、リャーナの元にやって来たのだ。
マルクはすっと姿勢を正した。魔術から公務に気持ちを切り替える時のように。
「ならば私が命じよう」
マルクの声や表情に、近寄りがたい威厳が漂う。
大国ドーン皇国を背負う、皇太子としてのマルクが、そこにいた。
「魔術師リャーナ。君をドーン皇国の文官に任じる」
え、とリャーナは目を見開く。
文官。カージン王国でリャーナが就いていた仕事だ。
「君には、結界魔術陣の改良をしてもらう」
「結界魔術陣の改良……。でもそれは私がマルク殿下にお願いした……」
「我が国において、結界魔術陣の改良は最優先事項となった。皇帝陛下自ら、国防に有益だと、正式に改良を皇太子たる私に命じてくださったよ。秘密保持の観点からも、君にはドーン皇国の文官となり、結界魔術陣の改良に注力して欲しい」
結界魔術陣の改良は、リャーナがずっとやりたかったことだ。カージン王国で結界魔術陣に魔力を注ぐたびに、改良さえできればもっともっと少ない魔力で活用できるはずだと思っていたから。そうすればもっとたくさんの人が、使えるようになるはずだからと。
「君がカージン王国に戻り、結界魔術陣に魔力を注げば、たしかに急場はしのげるかもしれない。だが、それはいつまで続けられる? 君が死んだら、結界魔術陣を頼り続けたカージン王国の民たちは、己の身を守る術も持たないまま魔獣に蹂躙されて死ぬだろう。君が戻るより、結界魔術陣を改良する方が、結果、多くの者の命を救う事になる」
マルクの目が、ジッとリャーナの目を見つめる。
「君は確かにカージン王国の出身だ。だが今は、この国の民なのだ。こう言ってはなんだが、我が国は彼の国よりも大国であると自負している。二国間のバランスを考えれば、カージン王国の王太子の命より、私の命の方が重きを置かれるものなのだ」
それはリャーナの知る常識とも一致していた。カージン王国よりもドーン皇国の方が国力は大きいし、他国とも友好的な関係を結んでいて安定している。国力や影響力の差は比べようもない。
「で、でも。私は平民です。そんな私が、皇宮勤めなんて……」
「うん? 皇宮には平民の文官などゴロゴロしているぞ? 我が国は実力主義だからな。能力さえあれば出世も普通に出来る。身分だけの文官は、まあ、いない事はないが、あまり重用はされんな。私も皇太子としての能力がなければ簡単に廃嫡されるだろう。皇帝陛下はそういう点では容赦がないからな」
「ええ? マルク殿下のような、尊き血の御方でもですか?」
「ああ。過去には能なしの直系が廃嫡され、傍系から養子を取って後継としたこともある。血を大事にし過ぎて国を滅ぼしては、本末転倒だからな」
それはなんとも筋金入りの実力主義だと、リャーナは呆然とした。カージン王国では、王族は神の如く崇め奉られていた。王族に逆らうなんて、考えられない事だったのに。
マルクはふっと微笑んで、リャーナの手を確かめるように握る。
「良かった、魔力暴走が止まっているな」
「え?」
気づけば、身体中をグルグルとめぐっていた熱が治まっていた。慣れ親しんだ魔力が、リャーナの身体に静かに満ちていて、リャーナの意のままに動く。
なにより、カージン王国に戻らなくてはならないという焦燥と、戻りたくないという本音で重苦しく潰れそうだった心が、軽くなっていた。
「あれ? どうして? あんなに苦しかったのに」
「……皇族の命令に従う事で、リャーナ嬢の心が落ち着いたのだろう」
権威ある者からの命令で、リャーナの根底にあるカージン王国への恐れや服従心が塗り替えられたのか。リャーナはすっかり落ち着いていた。
ぐぅぅぅぅー。
落ち着き過ぎて、腹の虫まで鳴った。
「あ。嘘。え。いや、これは違うんです」
真っ赤になったリャーナが慌てて起き上がろうとしたが、途端にフラフラと眩暈がした。慌てたマルクがリャーナを支えて、ベッドに戻してくれる。
「無理をしてはいけない。シャンティ嬢の話だと、君はここ一月、まともに飲み食いしていないのだろう? 出仕するのは身体をゆっくり休めて、回復してからだ」
「で、でも。早く結界魔術陣を改良しなくちゃいけないのに……」
焦るリャーナに、マルクはゆっくりと首を振った。
「我が国の文官は、身体を壊した時には休職制度が適用される。医師が復帰できると判断をするまで、仕事は出来ない。ちなみに、その間の給料は全額ではないが保障されている」
「えぇ! そ、そんな、夢のような待遇、本当にあるんですか?」
「ああ。就業時間は原則8時間、7日に1日は休み。年に一度は長期の休暇も取れる。残業には残業手当、討伐に出る場合は危険手当を支給する。ちなみに、討伐で得た魔獣の素材は、半分は国のもので残り半分は討伐メンバーでの折半になる。討伐に掛かる費用は国持ちだ。尤も、討伐などの危険な仕事は魔術師か騎士の仕事だがな。リャーナ嬢は結界魔術陣の試作が出来た場合、現場への設置時に立ち会ってもらうかもしれんが、その時は危険手当もつくだろう」
「ふぁぁぁ」
カージン王国の貴族の文官だって、そんな凄い待遇では無かった。リャーナはただただ感心して、口をポカンとあけた。
「ふふふ。君の出仕を楽しみにしているよ。くれぐれも、身体が良くなってからだからね」
リャーナのポカンとした顔に笑いながら、マルクは念を押す。リャーナのことだから、身体が治りきらない内に無理をして出仕しようとするかもしれない。
マルクはベッドの上で呆然としているリャーナを見つめながら、頭を回転させていた。
新部署の設置、採用担当との調整、各ギルドとの調整。やることは山ほどある。
だが最大の難関は、リャーナの過保護な保護者たちの説得であることは、嫌というほど分かり切っていた。
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