44 リャーナの不調
タープシー家からどうやって帰ったのか、リャーナは覚えていなかった。
揺れる馬車の中、青い顔で俯くリャーナにボルク師が優しく声を掛けていてくれたが、その言葉はリャーナの中に少しも入ってこなかった。頭の中にごうごうと風が渦巻いているようで、何を言われているのか分からない。ただ自分が悪いのだと思って、リャーナはずっと『ごめんなさい』と謝り続けていた。
ダルカスの家に戻り、扉を開けた途端、リャーナはチカチカと眩暈がして倒れ込んだ。誰かの驚く声と、けたたましい悲鳴が聞こえた様な気がしたが、相変わらずリャーナの頭の中には風が渦巻いていてよく聞き取れなかった。
身体がふわりと抱き上げられて、柔らかな寝台に寝かされた。温かい布団に包まっても、なんだか身体の芯から寒くてガタガタと震えた。胸に重くて冷たい石をギュウギュウと押し込められた様に苦しい。まるで冷たい水の中でもがいているように息が苦しい。
誰かがリャーナの頭に触れ、話しかけられているのを感じたけれど、リャーナは涙を流しながら『ごめんなさい』と繰り返す。それ以外の言葉は、何も浮かんでこなかった。
リャーナの口に少し苦い液体が流し込まれた。反射的にごくりと呑み込むと、次第に身体から力が抜けて、リャーナの意識は眠りの中に落ちて行った。
◇◇◇
「先生ぃぃ! リャーナちゃんはどうなのぉぉぉ」
診察を終えた老医師がリャーナの部屋から出て来るなり、シャンティは鬼気迫る形相で詰め寄った。涙と鼻水とよくわからない液体で年頃の女性にあるまじき顔になっている。
シャンティほど極端ではないが、マーサやダルカスも、不安げな面持ちで老医師の診察が終わるのを待っていた。
「やかましぃ、ちったぁ落ち着かんか」
老医師は胸倉をつかんでくるシャンティを鬱陶しそうに引き剥がした。今でこそ天才薬師として名を馳せ、薬師ギルドどころか医師たちにも影響力のあるシャンティだが、小さな頃から彼女を知る老医師にしてみたら、そこらの近所の悪ガキどもと何ら変わりはないのだ。
「でもぉぉぉぉ、先生ぃぃぃ。リャーナちゃんがぁぁぁ、ずっと泣いているのよぉぉずっとよぉぉぉぉ」
「お前の方が泣いておるだろうが。なんつぅ酷い顔だ。……お前それでも年頃の娘か。せめて鼻水を拭かんか」
ぐしぐしとハンカチで鼻水を拭かれ、シャンティは老医師の手を振り払う。鼻水が垂れているぐらいがなんだ。今は可愛い可愛い可愛い可愛い妹の一大事だというのに!
「先生ぃぃ。リャーナちゃんは病気なの? 私はどうしたらいい? 何か必要な臓器があったらいつでも提供するわ!」
さあなんでも持って行けと言わんばかりに両手を広げる自己犠牲の塊であるシャンティに、老医師はのけぞる。
「お前、おっそろしい事を言うな。そんなもん提供されてもどうする事も出来んわ。それにあの子の症状は、魔力暴走じゃろう。……一体何があったのか、ワシの声も耳に入らんと、ずっと謝っておったわ。可哀そうにの」
「やっぱり、魔力暴走ですか……」
マーサが老医師にお茶を出し、心配そうにリャーナの部屋へ目を向ける。ダルカスも難しい顔で腕を組んだ。先ほど、倒れたリャーナを部屋に運んだのはダルカスだ。抱き上げた身体は恐ろしいほどの熱を持っていて、反面、寒気がするのかリャーナはガタガタ震えていた。
「魔力暴走は、だいたいは年端のいかぬ小さな子どもが起こすもんだがのう。子どもは魔力がそれほど多くはないから、数日で治まるがなぁ。あの娘は魔力量も多いから辛かろうよ」
お茶をずずーっと啜って淡々と告げる老医者。魔力暴走は、魔力の調整力が落ちて身体中を魔力が駆け巡る病気だ。感情の抑制が苦手な小さな子どもが、癇癪を起こしてそのまま魔力暴走を起こすのがよくある発症パターンだ。リャーナの様に成人後に発症するのは稀なケースだろう。
老医師はいまだにべしょべしょと溶けたように泣いているシャンティに厳しい目を向ける。
「シャンティ、言わんでも分かっておると思うが、魔力暴走にお前の作った回復ポーションは厳禁じゃぞ。自分の魔力も持て余しておるのに余計な魔力を与えたら、容体が悪化するからの」
魔力暴走を起こしている時に微量でも魔力が含まれるポーション類の服用はご法度。もちろん、一流の薬師であるシャンティは知っていた。知っていたが。
「魔力暴走ぅぅぅ! やっぱりぃ。症状からそうじゃないかと思ったけど、薬師が全く役に立たないぃぃぃ! なんのための薬師なのよ? 己の存在意義を疑うわ! これだったら戸棚の裏で干からびて死んでいる虫の方がまだ存在価値はあるぅぅぅ」
シャンティは床にのた打ち回って泣き叫んだ。店で玩具を買ってもらえずに泣き喚く幼児よりも酷い暴れっぷりに、老医師は呆れた目を向ける。
「いやいや。魔力暴走に薬師は役に立たんが、さすがに戸棚の裏で干からびて死んでいる虫よりは価値があると思うぞ。そう自分を卑下するな。まあ、あの娘は魔力暴走が治まるまで安静にさせろ。それ以外の治療はないわ。あ、そうそう。お前の作った万能回復薬を一つ寄こせ。往診の代金代わりに」
老医師の言葉に、シャンティはガバッと顔を上げた。
「『万能回復薬』? アレがいくらで取引されると思っているのよぉぉぉ。リャーナちゃんを治せもしない癖にぃぃ! この藪医者ぁぁぁぁ! ぼったくりぃぃぃ」
「やかましい。魔力暴走なんて治せる医者がおるか。アレは出来るだけ外部からの魔力吸収を絶って安静にさせるしか手はないんじゃ。藪医者呼ばわりした詫びに、もう1個余分に寄こせ。研究用じゃ」
「ダブルぼったくりぃぃぃ! 」
それから老医師になんだかんだといちゃもんを付けられて、シャンティは結局、『万能回復薬』を3本
も巻き上げられた。老医師はシャンティが生まれる前から医者で、ダルカス一家も家族ぐるみでお世話になっているので、『万能回復薬』を悪用などするはずないと分かっていたので、別に薬を渡すことに抵抗はないのだが。それにしたってシャンティの大事な妹の治療は出来ないくせに、容赦のないぼったくりだ。図々し過ぎないか。悪徳業者も顔負けである。
「ああそれと、シャンティ。あの子にお前の作った食事を食わせるのもやめておけよ。お前、無意識に料理にも魔力を籠めるじゃろ。全く、魔力操作が下手っぴぃな所は昔から変わらんのぅ」
老医師の情け容赦ない言葉は、シャンティを滅多打ちにした。
「んのぉぉぉぉぉぉぉ! 食事すら作れないなんてぇぇぇぇ! あああああぁぁぁ、役立たずすぎる。もう私、薬草畑に埋まって肥料になってきます…………」
ふらふらとスコップを持って薬草畑に向かうシャンティを、老医師は慌てて止める。
「まてまてまて。お前が肥料になるのはどうでもいいが、希少な薬草が枯れたらどうするんじゃ。そんなに埋まりたいなら薬草を採取した後にせんか」
「先生が辛辣過ぎるぅぅぅぅ」
「うるさいよ、シャンティ。先生の仰る通り、お前はしばらく役には立たないから台所に立つのは禁止だよ。悔しかったら無駄に魔力を漏らさないように、魔力操作を訓練しな!」
一流の魔術師であるマーサからも真っ当に叱られ、シャンティはぺっしゃんこになった。それもこれも、魔力操作が苦手なのを『薬師ならそれほど繊細な魔力操作とか必要ないから問題なし!』と放っておいたシャンティの自業自得である。自分の興味あること以外無頓着なのが、こんなところで弊害をもたらした。大誤算である。
「シャンティ……」
ぽんぽんとシャンティの頭を優しく撫でる感触。シャンティが頭を上げると、ダルカスが困ったような顔をしていた。
「下手だもんなぁ、魔力操作」
「ぐふぅ」
優しく慰められるかと思ったら、追い打ちをかけてきた。シャンティがうめき声をあげると、慌てたように言葉を続ける。
「だ、だがな。何も出来なくても、リャーナちゃんはお前が側にいてくれるだけで安心すると思うぞ?」
「父さん……」
その優しい言葉に、シャンティの気持ちはほんのちょっとだけ浮上する。だが。
「アンタ! 娘を甘やかすんじゃないよ! そんな騒がしいのが四六時中枕元に居たら、リャーナちゃんが休めるわけないだろう! シャンティ、リャーナちゃんのベッドに張り付くのも禁止だよ! お前は普段から魔力が漏れているからね。看病は私がやるから、お前は仕事でもしてな!」
母親の容赦ない言葉に、シャンティの気持ちは再び地上を深く潜る勢いで落ち込んだ。マーサの言う通り、今のシャンティでは余計な事をして悪化させる恐れがある。可愛い可愛い妹が病気な上に、近づくことすら出来なくなり、シャンティの情緒がどんどん不安定になる。
可愛い妹が魔力暴走で苦しんでいるのに何も出来ないという無力感。魔力暴走を起こすほどリャーナを追い詰めた奴が憎い。
シャンティの表情がごそっと抜け落ち、目に物騒な色が浮かぶ。
こうなったら、全ての元凶に全力で八つ当たりをするしかない。
「シャンティ、どこにいくんだい?」
何も言わずに家を出て行こうとするシャンティに、マーサは訝し気に声を掛ける。
「魔術師ギルドと利益管理人のフロスさんの所」
妙にギラギラした目でシャンティが無表情に答えた。先ほどまでの取り乱して泣き喚いていた様子とは全く違うその平坦な声に、老医師とダルカスがギョッとした目を向ける。
「……そうかい。遣り過ぎるんじゃないよ」
一方のマーサは驚きもせずに平然とそう言うが、シャンティはギリッと奥歯を噛み締めた。
「無理ィ。徹底的にやるわ」
人として大事なものが欠落した様な表情のシャンティに、マーサは呆れまじりに呟いた。
「回復したリャーナちゃんが悲しむかもしれないよ。程々にって、ボルク師とフロスさんに伝えておくれ」
「うううぅぅぅ~。……分かった」
悔しそうに呻いて、シャンティは出かけて行った。
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