42 リャーナの憂鬱とダルカス家
遅くなってもうしわけありません。
フライとアースからカージン王国の現状を聞いたリャーナは、モヤモヤとした気持ちを抱く様になっていた。
カージン王国を出た時、リャーナはもうこの国には戻れないと思っていた。リャーナの様な孤児の平民を雇ってくれた王宮を辞めて出ていくのだ。恩知らずと罵られ、カージン王国内への出入りを一生禁じられてもおかしくないと思っていた。リャーナがいなくなったって、そりゃあ一緒に働いていた上司や同僚は気づくだろうが、殆どの人はリャーナがいた事なんてすぐに忘れるだろうと思っていた。リャーナが居なくなった穴は、誰かが簡単に埋めてしまうだろうと思っていた。
それが、国の危機だなんて。そんなことが起こるなんて信じられなかった。
たしかに結界魔術陣は魔獣に対して有効な対抗手段だ。これまで魔獣の侵入を魔術陣で防ぐことは出来なかった。どこに出没するか分からない魔獣から街や村を守るのは困難だった。それが、この魔術陣があれば、とりあえずは魔獣の襲撃から身を守ることが出来る。常時展開するには多量の魔力を必要とするため現実的ではないが、それでも一時的になら民の命を守ることが出来るのだ。
結界魔術陣はあくまで国防の臨時的、補助的な手段であり、根本的な魔獣対策は、人の手による討伐だというのが一般的な考え方だ。リャーナが結界魔術陣の論文を書き上げた時も、リーソと共にその点を確認しつつ、きちんと記述したのだ。カージン王国が結界魔術陣を国防の一手段として取り入れた場合、その他の魔獣対策を疎かにしないようにと配慮したつもりだった。それなのに、カージン王国は魔獣討伐の人員を削減し、予算すら削ってしまったという。
リャーナは自分を責めずにはいられなかった。上司に命じられるまま、結界魔術陣に魔力を注いでしまったのがいけなかったのかもしれない。リャーナの魔力量が規格外だったから、結界魔術陣の常時展開なんて非現実的な事が実現してしまった。結界魔術陣で国が守れるのならば、兵も魔術師も国防のための予算も必要ないと思わせてしまった。もっと結界魔術陣の弱点について理解してもらえるよう、説明が必要だったのではないか。上司の命令に背いてでも、結界魔術陣へ魔力を注ぐのをやめるべきだったのではないか。
「……リャーナちゃん」
グルグルと考え込んでいたリャーナは、自分を呼ぶ声にハッと顔を上げた。ダルカス、マーサ、シャンティそしてアンディが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「リャーナちゃん。色々考えてしまうかもしれないけど。今は、冷めてしまう前に食べなさい」
マーサの労わる様な声に、リャーナは小さな声で詫びる。皆で夕食をとっていたのだ。今日のメニューは角ウサギのシチュー。リャーナの大好物なのに、まだ一口も口を付けていなかった。
「リャーナちゃん! 今日のシチューはどうかしら? まだまだ母さんには敵わないけど、美味しく出来ていると思うの!」
シャンティが不自然なくらい明るい声を上げる。妹可愛さ故にテンションがおかしくなることが多々あるシャンティだが、今は意図的に場を盛り上げようとしていた。
「う、うん、ありがとう、お姉ちゃん。……美味しい!」
シチューを口に運んでにこりと微笑むリャーナに、シャンティは『良かったわ!』と大袈裟に喜んでいる。リャーナが大好きなメニューなので、早朝からダルカスとアンディを付き合わせてアレーレの森に角兎を狩りに行き、朝市で新鮮な野菜を買い込み、マーサ監修の元ほぼ半日かけて煮込んだシャンティ渾身の作だった。最近沈みがちなリャーナを何とか元気づけたいと思って作ったのだ。
「美味しいね。このお野菜、ラム小母さんの店の野菜でしょう?」
リャーナがほっくりと煮込まれた芋を見てそういうと、シャンティは頷く。
「そうよ、さすがリャーナちゃん、良く分かったわね。ラム小母さんお勧めの野菜なのよ。特にお芋は、この種類は甘みが強くて煮込んでも崩れにくいのよ」
市場の青果店の店主であるラムとは、リャーナも顔見知りだ。形は不ぞろいだけど、味は飛び切り良い新鮮な野菜を安く売ってくれるので、ダルカスの家では青果は殆どこの店からしか買わない。
「そうなんだ。今度は私も一緒に作りたいなぁ」
リャーナがそういうと、ダルカスがおっ、っと言わんばかりに目を見開いた。
「そうか、次はリャーナちゃんの作ったシチューが食えるのか。楽しみだな」
喜ぶダルカスに、アンディも頷く。
「妹の手作り、楽しみ」
「そうなるとウチの娘たちは全員、マーサのシチューを受け継ぐことになるんだな。マーサのシチューは世界一旨いから、娘たちに引き継がれるなんて嬉しいな。なあ、マーサ」
得意げにマーサを見つめるダルカスに、マーサが照れたように声を上げる。
「はいはい。ほら、おしゃべりもいいけど、さっさと食べちまいな」
家族の会話に耳を傾けているリャーナが無理に笑っている事に、家族は全員気づいていた。それでもあえて、それを口にする事は無かった。こんな時のリャーナは、何を聞いても『何でもない』と強がってしまうことを知っていたからだ。
シャンティはそんなリャーナが心配で心配で、胸が張り裂けそうだった。
リャーナはカージン王国の事を思い悩んでいる。アースとフライから、リャーナがカージン王国の現状を知ってしまった(というか、フライがツルッと口を滑らせた)と聞いた時、シャンティは尊敬する学者であるフライに対し、一瞬だけ殺意が湧いてしまった。人としてはギリギリアウトな笑顔で殺気を抑えるシャンティにフライはたいそう怯えて、平謝りに謝っていたが。
だが、たとえフライが口を滑らさなかったとしても、いずれリャーナはカージン王国の現状を知ってしまっただろう。どれほどシャンティたちが隠そうとしたって、人の口に戸は立てられない。
カージン王国がどうなろうと、シャンティにとってはどうでもいいことだ。リャーナを苦しめた国など、草木一本残らず滅んでしまったところで、いい気味だと思っても同情などするはずもなく。
リャーナに良くしてくれたカージン王国王立学園の教師たちが心配になったが、アースやフライ曰く、『ウチの学園の教授たちが国や魔獣如きに後れを取るはずがない』と豪語していたので、最悪、カージン王国が滅びたとしても学園はしぶとく残っていそうだ。色々な意味で、あの学園の教授たちは実力者揃いなのだそうだ。
リャーナだってカージン王国が魔獣の危険に晒されているのは、自分のせいではないと頭では理解しているのだろう。理性では分かっていても、国を捨てたことへの負い目もあり、カージン王国に尽くすことが当たり前だという感覚がリャーナの中にしつこく染み付いているため、キッパリと割り切ることが出来ないのだろう。
「おのれ、カージン王国。いつまでリャーナちゃんを苦しめつもりなの。許すまじ……」
殺気の漏れる声で呻いたシャンティに、ダルカスやマーサ、アンディがギョッとしたようにシャンティを見る。幸いなことに、どこか上の空なリャーナには聞こえていなかったようだ。
「シャンティ」
マーサに小声で窘められ、シャンティはグムッと口を噤む。ここでシャンティがカージン王国への怨嗟を漏らしたら、自分のせいでシャンティがカージン王国に悪感情を持ってしまったと、余計にリャーナを追い詰めてしまうだろう。
食事が終わると早々に自室に戻ったリャーナに、残った家族は揃って顔を曇らせていた。
「シャンティ、リャーナちゃんが心配なのは分かるけど、もうちょっと殺気を抑えな」
「だって母さん! カージン王国の馬鹿な王族の為にリャーナちゃんが苦しむなんて。あああああ。魔獣じゃなくて私がこの手で奴らを滅ぼしてやりたいぃぃ。はっ! 今こそお蔵入りしていた、人目に晒しただけで捕まりそうなあの薬とかあの薬の出番、むがっ」
人としても薬師としても完璧にアウトな台詞は、アンディが後ろから手を伸ばし、そっとシャンティの口を塞いだことで何とか遮ることが出来た。
「止めときな。大雑把なお前じゃ、絶対にしくじるよ」
マーサは暴走するシャンティを止めるが、倫理的な観点から止めているわけではない。感情のまま暴走馬の様に敵に突っ込んで行きかねないシャンティでは、確実に仕留められないと思ったからだ。
「カージン王国の状況は、皇妃様もご存知の事さ。カージン王国が、今になってようやくリャーナちゃんの発表した論文に気づいたようでねぇ。向こうの魔術師ギルドを通してこちらに探りがあったと仰っていたよ」
アースとフライより情報を齎される前から、皇妃は『最近、我が国に犬が入り込んでいるのよ』と怖い顔で笑っていたという。魔術師ギルドを通してだけでなく何者かがリャーナの情報を求めてドーン皇国内をうろついているのだとか。
皇妃は『リャーナちゃんの論文が発表されて以降は、彼女の情報は別に隠してもいないのにこんなに時間が経ってからウチにいると気付くなんて。いくら閉鎖的な国とはいえ、どうかしているわ』と呆れていた。
収納魔術陣や付与魔術陣を開発したリャーナの名声は、ドーン皇国では最早揺るぎない。彼女の開発した魔術陣によって齎された恩恵を、ドーン皇国で知らない者はない。皇国の民になるための手続きも適法に済んでいるし、リャーナの地位を盤石にするために皇太子自らが後ろ盾となっており、皇帝や皇妃の覚えもいいのだ。
そんなリャーナを万が一にもカージン王国が強引に連れ帰ろうなどと考えたら。ドーン皇国が擁する民を強引に奪ったと、両国間の重大な国際問題になりかねない。
だから皇妃は、ドーン皇国の諜報部に『犬』の飼い主を探らせた。その結果。
「リャーナちゃんを探っているのは、カージン王国のオーリー侯爵家が雇ったゴロツキだってさ。オーリー侯爵家の嫡男はあの王太子の側近だというから、もしかしたら王太子の命令でリャーナちゃんを探しているのかもねぇ」
ちなみにゴロツキどもは諜報部の調査員たちにちょっと酒を奢られただけで、すぐに『飼い主』であるオーリー侯爵家の情報をペラペラと喋ったのだという。
ゴロツキたちは『平民の小娘一人見つけて攫って帰れば大金が入る』と上機嫌で、諜報部の工作員に『お前も手伝えば分け前をやるぞ』と誘い掛けたそうだ。もうちょっと探せばコイツラより口の堅い、仕事が出来るゴロツキだっていたのではないかと思えるぐらい、低レベルなゴロツキらしい。こんな間者ばかりなら、仕事も楽なのにと諜報部も失笑していたそうだ。
報告を聞いた皇妃は『そんな低レベルなゴロツキどもに、ウチのリャーナちゃんを渡すものですか』と憤慨していたのだが、マーサは正直な所、ゴロツキたちのことよりも、リャーナがいつの間にか皇妃にまで『ウチの子』認定されていることの方が衝撃だった。前にお茶会をした時も、皇妃はやたらとリャーナを可愛いがっていた。何故か息子の嫁にするのはアッサリと諦めたようだが、もしかしたら養女にしようと狙っているのかもしれない。
「まぁとにかく。ゴロツキどもは皇妃様が適当に始末してくれる筈さ。そんなことよりも、リャーナちゃんの様子の方が心配だねぇ。いくら皇国の守りが厚くても、あの子自らがカージン王国に帰るだなんて言い出したら、止める手立てはないだろう」
マーサはそう心配していたが、ダルカスは首を傾げる。
「リャーナちゃんは自らあの国を出るって決めたんだぞ? そんな簡単に戻るなんて言うかな?」
リャーナはドーン皇国で立派に暮らしているし、わざわざ自分を粗雑に扱う国に戻りたいなんて思うだろうか。
「そりゃあ、リャーナちゃんだってこの国で暮らした方が良いと分かっているだろうさ。だけど、カージン王国のお偉いさんたちに、『お前が居なくなったから魔獣が侵入したのだ。責任を取って即刻国に戻れ』なんて命じられたら、あの子は抗えることが出来るかね?」
そうマーサに言われ、ダルカスはぐむっと押し黙る。この国に来て、リャーナは着実に生活の基盤を築いてきた。だが、彼女の根本は、カージン王国に居た頃と殆ど変わっていない。いつも元の奴隷の様な生活に戻るのではないかと怯えている。
「リャーナは、優しいから、断れない」
アンディの言葉に、シャンティがうんうんと頷く。
「そうなの! 天使のように優しくて慈悲深くて情け深くて可愛いから、……断れないのよねぇ」
『でもそこがリャーナちゃんの魅力でもあるのよ!』と熱く語り始めたシャンティの口を、アンディが再び背後から手を伸ばしてそっと塞ぐ。
ダルカス家の面々の悩みは、夜更けを過ぎても尽きる事はなかった。
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