4 ダルカスとの再会
リャーナは万感の思いを込めて、ドーン皇国の皇都ヤンクを見つめた。どこか堅い雰囲気のカージン王国とは違い、活気に満ちたヤンクの街は、微かに潮の匂いがした。海が近いのだろうか。
「来たよ! ダルカスさんっ!」
ニコッと微笑んで、リャーナは街の中に入った。店先に並んだ商品はカージン王国で見た事が無いものばかりだし、道を行き交う人々の服装も変わっていて目を奪われたが、まずはダルカスに教えられた彼の家に向かう。道に迷ったら教会に行けと言われたのも忘れていない。
ダルカスに渡された地図を元に、リャーナは街を見回しながら、ダルカスの家に向かった。地図通りの景色が広がっており、なぜこれで道に迷う心配をされているのか、リャーナは不思議に思った。
やがてダルカスの家と思わしき場所に着くと、家の前に女性が一人立っていた。ふっくらした体つきの背の低い女性で、キョロキョロと何かを探す様に辺りを見回している。
その女性とバチリと目が合うと、猛然と女性がリャーナに向かって走ってきた。
「あんたっ! リャーナちゃんかい?」
ガシッと手を掴まれ、鬼気迫る様子の女性にそう詰問され、リャーナはドキドキしながらコックリと頷く。女性の目がカッと見開き、それからその目からドバドバと涙が溢れた。
「良かった! 無事に着いたんだねっ! あんたぁっ! リャーナちゃん来たよっ!」
女性にガッシリ抱きつかれオイオイと泣かれ、リャーナはどうしていいか分からずオロオロとする。家の中から何故か無精髭だらけのダルカスが出てきて、リャーナを見るとこちらもボロボロと泣き出した。
「リャーナちゃんっ! 無事に着いたかっ! 良かった、良かったよ、うわぁぁぁ〜」
「こんな細くて可愛い娘っ子を一人だけでドーン皇国まで旅させるなんてっ! このバカ亭主がっ! 何でちゃんと一緒に付いててやらなかったんだいっ!」
女性はリャーナを抱きしめながら、容赦なくダルカスの頭に鉄拳を喰らわせる。ダルカスの口からぐぇぇと悲鳴が上がった。
「良く来たね、あたしゃダルカスの女房のマーサだよ。ああ、疲れただろう、お腹は空いているかい?」
マーサはリャーナの状態を確認しながら優しく声を掛ける。怪我はないか、疲れてないかと、心配そうなその様子はダルカスの人の良さソックリだった。
「ダルカスさんが言ってた通り。街一番の良い嫁さん……」
思わずそう呟いたリャーナに、マーサは目を丸くして、それからもう一発ダルカスに鉄拳を落とした。
「恥ずかしいよっ! あんた、外でなんて恥ずかしい事言ってんだいっ!」
「ぐぇぇっ」
撃沈するダルカスを心配そうに見やり、リャーナはマーサに目を向ける。
「あ、あのぅ?」
「あぁ! ごめんよ、さ、中に入ろう」
部屋に案内されたリャーナは、すぐに食事を出してもらった。野菜やお肉がゴロゴロと入ったシチューで、温かくて頬っぺたが落ちそうなほど美味しい。パンも焼きたてでフカフカと柔らかい。美味しい、こんなにおいしい食事は初めてだ。
リャーナがマナーも忘れてバクバク食べているのを、ダルカスとマーサが柔らかな目で見守ってくれた。
「ご、ご馳走様でした」
あまりにがっつき過ぎたかと、食べ終わった後に恥ずかしくなったリャーナは、舐める様に綺麗になったお皿を前に、ペコリと頭を下げた。
「いやー、良かった。リャーナちゃんがメシを食ってくれて。野宿の時は碌なもん食わせてやれなかったから」
「そんなっ! ダルカスさんから頂いたパンと干し肉、いつも私が食べているのよりすごく美味しかったですっ!」
「あんなの普通の携帯食だろうが……。あの時も思ったが、普段はどんなもの食ってたんだ?」
「……? ルスの実で嵩増ししたパンと、ジード鳥の干し肉」
「飼料用の実のパンと、硬くて不味いジード鳥かよ。確かに安いけどよぅ……」
リャーナが口にした食材は、家畜用の飼料が入ったパンと栄養価も味も最低の肉だ。普通の平民だって、滅多に口にしない。それをリャーナは常食にしていた。寮で出る食事も、これにぬるくて薄い野菜のスープがついた。
この娘はこんな貧しい暮らしをしていて、本当に王宮勤めの文官だったのだろうか。ダルカスは漸く引っ込んだ涙がボロボロ溢れる。
「本当にねぇ。いくら若いからってそんなモンばっかり口にしてたら病気になっちまうよ」
マーサも揃って涙目になっている。リャーナはなんだか恥ずかしくなって項垂れた。
「ごめんなさい」
「あんたのせいじゃないよっ! あんたを雇ってた奴らが悪いヤツなのさ。本当にねぇ、旦那から話を聞いた時は、そんな酷い話があるのかって思ったけどねぇ。一人で王宮に帰したって言うから、何でちゃんとついていってやらないのかと、腹が立っちまったよ」
「そんなっ! ダルカスさんにはすごく良くしてもらって! この国に入るための入国料まで借りてしまって! あの、きちんと働いてお給料を貰ったら、ちゃんと返しますからっ!」
「入国料ってたしか2万ピラだろう? そんなのいいんだよ、そんな金ぐらい返さなくったって。お給料を貰ったら、まずは自分の生活の為に使うんだよ?」
「そんな訳にはいかないです! 2万ピラって、私の貯金額の5ヶ月分っ! そんな大金借りたままには出来ませんっ!」
「5ヶ月分って、毎月4千ピラずつ貯めていたのかい? 偉いねぇ。しっかりしている」
子どものようにマーサに頭を撫でられ、リャーナは顔を赤らめた。成人して働き数年経っているのに、扱いは幼児に対するそれだ。
「旦那もねぇ、あんたと別れてから急いで戻ったけど、あんたがちゃんとここまで辿り着けるか心配してねぇ。昨日まで寝ないで家の前であんたを待ってたのさ。流石に青い顔でフラフラしてたから、私が代わって休ませたけどねぇ」
笑いながらマーサに言われ、リャーナは驚いてダルカスを見る。無精髭も、寝不足で真っ赤な目も、そのせいだったのかと納得する。ダルカスは赤くなった目を擦り、恥ずかしそうにプイッとそっぽを向いた。
「ありがとうございます、ダルカスさん。ダルカスさんとの作戦通り、上手く王宮を辞めることが出来ました!」
「誰にもバレなかったか?」
「はいっ! 流石にもうバレていると思いますけど……」
本来なら今日は休み明け、出仕日だ。ちょび髭上司とカーラがリャーナの退職に気付くのは今日だろう。
リャーナは追手を警戒し、早く国を出てドーン皇国に行きたかったので森を走り通した。途中で回復魔術を使いながら、寝ずに最短距離で来たので2日で着いたが、普通に街道を通ったなら5日以上かかる。ダルカスは昨日の朝着いたらしい。彼も寝ずに森を走ったようだ。
「滅多にやらないんだけどよ。リャーナちゃんを迎える準備をしとかなきゃいけねぇし、急いで帰りたかったんだ。しかしリャーナちゃんも同じルートだなんて思わなかったよ。あ、ギルド長にはもう話してあるから、疲れてなければこの後冒険者ギルドに行こうっ!」
「疲れてるに決まってんだろ、この馬鹿タレ!」
「疲れてないですっ! 冒険者ギルドに行きますっ!」
2日も夜通し走ったのに元気一杯のリャーナに呆れながら、マーサは仕方なくダルカスとリャーナを冒険者ギルドに送り出してくれた。帰ってきたら2人とも、すぐにベッドで休む事を厳命された。
「ダルカスさんの言う通り……。本当に格好良くて素敵な奥さんですねぇ」
「だろう! 俺の嫁さん最高なんだよっ!」
ギルドに向かう道すがら、そんなことを話していると、後ろから「バカ亭主っ! 恥ずかしいこと言うんじゃないっ!」とマーサの怒る声が聞こえた。ダルカスは首をすくめて「何だよ、本当のことじゃないか」とブツブツ言っていたが、ダルカスの声が大きいせいだと、リャーナは笑いながら思った。
◇◇◇
「おー、よく来たなぁ、あんたがリャーナちゃんか」
冒険者ギルドでは、筋肉隆々の壮年の男が、ニカッと笑って出迎えてくれた。荒々しい口調だが、どこか上品な所作の冒険者ギルド長、ライズに対するリャーナの印象は、もしかして貴族? だった。
「うん? どうした? なんか警戒してるか?」
「ライズ様は貴族様でいらっしゃいますか?」
リャーナの言葉に、ライズは目を見張った。
「おっ? よく分かったな! やはり滲み出る気品は隠し切れんか、まいったなー」
ガッハッハと豪快に笑うライズは、リャーナが今まで会った事のある取り澄ました貴族とは全く違っていた。
「リャーナちゃん、確かにライズさんは伯爵家の方だが、皇国の貴族はカージン王国ほど堅くない。マナーとかは気にしなくても大丈夫だ。特にライズさんは平民よりガサツで行儀が悪いから心配するな」
緊張するリャーナの背を、ダルカスがポンポンと叩いて落ち着かせる。リャーナはダルカスの気安い様子に、取り敢えず警戒を解いた。
「おいダルカス、失礼なことを言うなっ! まぁ、リャーナ。ダルカスの言う通り、気にせず普通にしてくれて構わん。それで、冒険者登録は終わっているのか?」
「はいっ!」
リャーナはカージン王国で作った冒険者カードを取り出し、ダルカスに渡す。
「うん、拠点登録はまだだな。で、ウチのギルドで登録するか?」
拠点登録とは冒険者が主な拠点として登録することだ。指名の依頼などは、拠点登録したギルド宛に届く。
「はいっ! お金が貯まるまでは、ダルカスさんのお宅でお世話になるので」
「分かった。じゃあうちで拠点登録を行う。それとな、リャーナちゃん、孤児って聞いたんだが、もしかしてカージン王国では住民登録はしてないのか?」
「……はい。孤児に籍は与えられませんので」
孤児は、カージン王国では居ないものとして扱われている。身分を保証するものが何もないので、マトモな職に就くことは出来ないのだ。
「……強制はしないがよ、ドーン皇国では冒険者なら住民として登録できるぞ。いずれ部屋を借りるとかする時は、登録してた方が便利だ。ドーン皇国の皇国民として、国が守ってくれるぞ?」
「こ、孤児でもですか? 生まれが卑しくても、そんな事出来るんですか?」
リャーナは驚いて思わず大きな声を出してしまった。その言葉に、ライズはどこか痛いような顔をする。
「生まれが卑しいって、別にそんなの本人のせいじゃないだろうが。赤ん坊が、自分の生まれる場所を選べる訳がねぇ。親がいないのは、子どものせいじゃねぇだろ。生まれた後、どうにか頑張って一人前になったヤツが報われねぇ国なんて、俺はおかしいと思うぞ?」
ライズにガシッと頭を掴まれ、ワシャワシャと髪をかき回され、リャーナは慌ててボサボサになった髪を撫でつける。
「うんっ、お前は皇国で住民登録をしろっ! うちの国がどんだけ凄いか、思い知ったら良い! 頑張るヤツには良い国だぞっ!」
ガッハッハと笑うライズからは、ダルカスの言う通り、貴族にはない優しさが感じられた。




