38 皇妃陛下のお召し
マルクがちょっとずつ真人間になっている事を知らず、我慢できずに茶会に招いちゃった、皇妃様のお話です。これまでの経験から、皇妃様、諦めがいいです。
「楽にして頂戴ね、リャーナちゃん」
そんな事を言われたって、楽に出来るはずも無く。リャーナはガチガチになりながらも必死に淑女の笑みを保った。学生時代に必死で身に着けたマナーをフル動員していたが、それだって緊張が解けるはずも無い。
リャーナとマーサがいるのは皇宮内にある皇妃宮だ。ドーン皇国歴代の皇妃たちが過ごしたこの宮は、
華やかでありながらも上品な雰囲気だ。見ごたえのある絵画や工芸品に囲まれていて、心に余裕があればじっくりと見学したいところだが。皇妃主催の茶会に招かれていて、それどころではなかった。
ドーン皇国の紋章が入った封筒がダルカス家に届いた時、リャーナはまさかそれが自分宛てのものだなんて思ってもいなかった。S級冒険者であるダルカス、元皇国魔術師のマーサ、天才薬師のシャンティ。国にとっての重要人物が3人もいるのだ。当然の様に3人の内の誰かに宛てたものだろうと思っていた。
手紙を読んだマーサが大きな溜息を吐いて、チラッとリャーナを見た時、なんだか嫌な予感がしたけれど、それでもその時はまだリャーナ宛だと思わなかった。思いたくなかった。
だが無情にも、リャーナの願いは届かなかった。マーサが見せてくれた手紙の冒頭にはしっかりとリャーナの名が書かれており、内容は皇妃主催の茶会への招きであった。『都合がよろしければ是非ご参加下さい』とあったが、主催者が皇妃であればそれは事実上の命令だ。断るなんて無理である。
そこからはスケジュールを調整しつつ、茶会への参加準備に追われる日々だった。もちろん茶会は十分準備ができるよう、余裕を持った日程だったが、なんせ参加するのは平民であるリャーナだ。学園でマナーや作法についても満点合格を貰っていたが、学生時代から時間も経っていたし、他国であるドーン皇国のマナーをおさらいする必要があった。時間的にも精神的にもギリギリだったのだ。
「楽に出来るはずがないでしょう、皇妃様。無茶を仰らないでくださいな。だからまだリャーナには時期尚早だと申し上げたでしょう」
ガチガチになっているリャーナを心配して、マーサが皇妃をねめつける。マーサにも皇妃から再三リャーナとの面会の打診がきていたが、マーサはずっと断っていたのだ。リャーナの仕事が落ち着いてからと考えていたが、落ち着く間もなく次々と仕事を増やしていたのでその機会は延び延びになっていた。そうこうしている内に、我慢できなくなった皇妃が、正式な茶会の招待状を送って来たのだ。マーサも延び延びになって悪かったとは思っていたが、仕方がなかったのだ。
皇妃はマーサの咎める様な言葉に、口を尖らせる。
「私も、ちょっと強引だったかなと反省しているわよ。マルクからリャーナちゃんのお話を聞いて我慢しようと思ったのだけど。あの子ったら、リャーナちゃんから提案があった何とか派の説を試してみたら魔術陣の精度が増した素晴らしいとか、相変わらず何を言ってるか分からないのよ。漸く女性と普通の交流が持てるようになったのかと喜んでいたのに、頭の中は相変わらず魔術しか詰まっていないの。私は魔術理論じゃなくてドキドキするような甘酸っぱい話が聞きたいのよ! 日々の生活に潤いがほしいのよ」
よよよと泣き伏す皇妃に、リャーナは内心焦った。マルクとの会話の9割は魔術に関して、残り1割はたわいのない世間話だ。皇妃の望む『甘酸っぱい話』とやらを、マルクとした覚えはさっぱりない。
「泣き真似はお止めください、皇妃様。うちの子に甘酸っぱい話なんて出来るはずないですよ。殿下と同じぐらい、頭の中は魔術で一杯ですからね」
マーサの冷ややかな言葉に、皇妃はパッと顔を上げた。リャーナはマーサの言葉を肯定するように首をコクコク縦に振っている。皇妃はこんなに可愛らしいお嬢さんなのに、頭の中はウチの魔術バカと同じなのかとちょっとだけガッカリした。甘酸っぱい話は当分お預けの様だ。
「ごめんなさいね、リャーナちゃん。ウチのマルクがまともに会話できるお嬢さんがいると聞いて、つい勇んでしまったのだけど。これからも気負わずに、マルクと仲良くしてくれると嬉しいわ」
しょぼんとする皇妃に罪悪感が刺激されたリャーナは、素直に『ハイ』と返事をする。それに嬉しそうに頷く皇妃。そんな2人の遣り取りを、マーサは胡乱な目で見ていた。さり気ない言葉だが、間違いなく皇妃はマルクとリャーナの仲を特別なものと見ている。リャーナに全くその気がないというのに。
「それにしても。今日のリャーナちゃんのドレスは可愛らしいわ。とてもリャーナちゃんに似合っているわ」
「あ、ありがとうございます!」
今日のリャーナはお茶会に相応しい、白いフリルのドレス姿だ。いつもは簡素なワンピースに魔術師のローブをひっかけただけという格好が多いのだが、さすがに皇妃の主催するお茶会にそんな服装は出来ない。
ちなみにドレスはシャンティがオーダーメイドで作らせた一級品だ。自分の服は着古したヨレヨレでも気にしないくせに、妹のドレスはデザイナーと喧々諤々に議論し、一切の妥協なく作り上げていた。
リャーナはドレスを褒められた事が嬉しかった。似合うと言われた事も嬉しいが、シャンティの贈ってくれたドレスが褒められた事が何よりも嬉しい。さすが自慢のシャンティが作ってくれたドレスだと、誇らしい気持ちになる。
「リャーナちゃんは他にはどんなドレスが好きかしら。もしよかったら、今度私からも贈らせて……」
「皇妃様」
暴走する皇妃をマーサは冷静にとどめる。一介の令嬢に皇妃からドレスのプレゼントなんて、特別な関係だと周囲に知らしめるようなものだ。断固阻止しなくては。
マーサの制止に、皇妃にあるまじき舌打ちが聞こえた様な気がするが、気のせいだろう。
リャーナは先ほどからの皇妃とマーサの気安い応酬にハラハラしていた。皇妃相手に不敬ではないかと心配だったのだ。これがカージン王国だったら、間違いなく処罰されている。
「うふふ。心配させちゃってごめんなさいね、リャーナちゃん。マーサはね、私がこの国に嫁入りした時からの友人なのよ」
皇妃がドーン皇国に嫁した時、マーサは皇宮魔術師として出仕していた。平民の出ながら『宵闇の魔術師』として皇宮魔術師筆頭の地位にいたマーサとは妙に気が合ったのだという。
「そんなマーサがねぇ。ダルカスと出会ってから押し掛け女房になるまで、怒涛の展開だったわぁ」
皇妃の言葉に、マーサは飲んでいた紅茶を噴き出した。反射的に魔術でシュパッと片付けたので、どこにも被害は出なかったが。
「こ、皇妃様! 何を仰っているんですか」
「あの頃のマーサはね。平民の出ながら皇宮魔術師の筆頭で、可愛らしい容姿とは裏腹に苛烈な魔術で敵を焼き尽くす、『宵闇の魔術師』として絶大な人気があったのよ。高位の貴族からの婚姻の申込もあったけど、『自分より弱い男になんて嫁がない!』なんて宣言していたから、そんな気が強い所もまたイイ!っていう人も多くてねぇ」
魔術師は身分よりも魔力量や実力を重視される。平民であろうと、皇国の筆頭魔術師になれるほどの実力があるマーサは、貴族、平民を問わずモテていたらしい。他の皇宮魔術師の中には、マーサの僕のような親衛隊があったのだとか。
「それがねぇ。ダルカスに一目ぼれして皇宮魔術師を無理矢理辞めて家に押し掛けちゃったから、それはもう大騒ぎだったわよ。皇宮魔術師隊はマーサを全力で引き留めたし、マーサに本気な殿方も多くて、彼女を家の力で無理矢理奪おうとしたり、ダルカスを排除しようとする輩もいたみたいだけど、それがかえって2人の仲を深める事になってね。あっという間に相思相愛になって結婚して、子どもにも恵まれて。うふふふふ。恋に悩むマーサは可愛かったわぁ。ダルカスが全然相手にしてくれないって、泣きながら愚痴ったり、他の女と仲がいいって焼餅やいたりしてて。あの頃はどうやってダルカスを攻略するかって相談に乗るのも楽しかったわね」
「皇妃様! お止めくださいってば。そんな昔の話を」
マーサは真っ赤な顔で怒鳴る。いつもどっしり構えているマーサの珍しい様子に、リャーナは興味津々だった。そして思っていた以上に、皇妃とマーサが仲良しなのにも驚いた。皇妃が若くして皇帝に嫁いだ時、他国出身の皇妃が孤立しないように何かと気に掛けていたマーサに、皇妃は全幅の信頼を寄せているようだ。隣国の王族である皇妃と実力はあれど平民でしかないマーサがこれほど近しい関係になれたのも稀な事だ。リャーナの生国だったら、絶対に考えられない事だ。
「いいじゃないの。現在進行形の楽しい恋バナが出来ないのなら、昔の恋バナに思いを馳せるぐらい。私、国同士の政略結婚が幼い頃から決まっていたから、恋なんて出来なかったのよ。恋愛小説か他人の恋バナぐらいしか楽しみがないのよ」
はーっと溜息を吐く皇妃に、リャーナは首を傾げる。ドーン皇国の皇帝陛下と皇妃は、結婚以来仲睦まじいと有名なのだ。国の制度上、側妃を娶る事も認められているが、陛下は皇妃一筋だと聞く。
そんなリャーナに、皇妃は苦笑する。
「まあ、陛下との仲が悪いわけではないけど。お互いに、恋焦がれてなんてことはないわねぇ。側妃を迎えなかったのだって、別に陛下が私に一筋なわけじゃなくて、仕事が好きだから側妃を娶る暇があったら仕事をしていたいって人だったからよ。私たち夫婦の会話なんて、9割は仕事の話だし、残り1割はマルクの結婚についての愚痴だしねぇ」
皇太子の結婚に関する会話が1割なのは意外だった。国の後継に関わることだ。もう少し比重を置いてもいい気がするが。
「マルクの縁談がねぇ………。最近は、国内外の令嬢たちから断られ過ぎて諦めているの。一応、まだ縁談の申込はあるんだけど、皇太子妃としては難ありの人しか残っていなくてね。男性関係が奔放と噂のある令嬢とか、性格が悪すぎて侍女をいびり殺した噂のある他国の王族の姫とかね。まあ、マルクが結婚できなくても最悪、後継は陛下の弟であるナルターク公爵の息子たちから指名すればいいかと思っているのだけど、ナルターク公爵、嫌がっているのよねぇ。子どもたちには好きな道を選ばせてやりたいって。あの一家は揃って脳筋、いや、武芸に重きをおいているから政は苦手なのよ。その点で言えば、マルクは皇帝としての資質はあるのよ。でもねぇ、魔術バカ過ぎて嫁の成り手がなくてねぇ」
なんだか聞いてはいけない話のような気がするが、皇妃があまりにドヨンとしているので、止める事も出来ずにマーサとリャーナはうんうんと頷いて聞いていた。こういう時は変に意見を言わずに、うんうんと聞いて好きなだけ愚痴は吐かせた方がいいのだ。助言よりも傾聴と共感が大事だ。
そういえば角の鍛冶屋のおかみさんも、跡取り息子が仕事バカ過ぎて嫁を貰う気配がないと嘆いていた。『伝説に残る剣を作るんだ!』と、父子揃って毎日毎日剣作りに夢中で、女子と仲良くなるどころか会話すら成立しないと。立場は違えど、年頃の息子を持つ母親の悩みはどこも同じなのだとリャーナは思った。
「あら! ごめんなさい、つい愚痴っちゃって。さあ、お菓子も準備したから食べて頂戴。リャーナちゃんは食べる事が好きだと聞いたから、うちの料理長が張り切って準備してくれたのよ!」
皇妃がハッと我に返って、恥ずかしそうにお菓子を勧めてくれた。招いた客をもてなしもせずに愚痴を聞かせるなんて、ホストとしては失格である。昔なじみのマーサとの茶会で、ついつい気が緩んでしまったのだろう。
シュッと気持ちを立て直して、皇妃が優雅に合図をすると、待機していた侍女たちがすかさず近寄ってきて、お茶を淹れ直してくれる。今度の紅茶はお茶菓子が楽しめるように香りが控えめなものだった。
リャーナは運ばれてくる色とりどりのお菓子に目を輝かせる。女性だけのお茶会なので量は少なめだが、それでもいくつもの種類の菓子が並んでいる。果物のプチケーキにクリームを挟んだ焼き菓子、キラキラのゼリー。ドーン皇国に来てリャーナも大分お菓子に詳しくなったと自負していたが、そんなリャーナにもまだ知らないお菓子があった。緊張しながらもお菓子を目の前に、リャーナはどれから食べたらいいのかと視線をきょろきょろさせて悩む。
「あらあら。好きなだけ食べていいのよ。今日食べられない分は、お土産にしたらいいわ」
「ええ! いいんですか!」
ぱあっと顔を輝かせるリャーナに、皇妃は笑いをかみ殺した。茶会では小鳥の餌ぐらいの量しか食べない女性を見慣れているせいか、リャーナの言動はとても新鮮だ。
所作もマナーも問題なく美しいのに子どもの様にキラキラした目で喜ぶリャーナを見て、皇妃は納得した。リャーナの素晴らしい功績に知ってはいたが、リャーナ本人はそんな偉業を成し遂たとは思えない程、幼子の様に愛らしい。ダルカスやマーサ、魔術師ギルドの重鎮たちを虜にしているのは、こういったリャーナの素直な所なのだろう。可愛いわぁと、ついつい愛でてしまう気持ちが凄く分かる。なんだか可愛い。凄く可愛いのだ。
こんな可愛い娘がいたら、さぞかし人生は楽しくなるだろうと、皇妃はまた密かにリャーナを息子の嫁にと考えたのだが。ふと、あの朴念仁どころか、もう良く分からない魔術バカに進化している息子に、リャーナが合うのだろうかと考えてみた。
仕事は淡々とこなし、それ以外は全てを魔術に捧げている息子。令嬢と会話をすれば、魔術論議で次々と論破し、相手に引かれているのにも気づかずに悦に入っている息子。本来ならば皇太子なんて令嬢たちから挙って縁談を申し込まれてもおかしくない立場なのに、敬遠されている息子。それを、俺に相応しい令嬢がいないからだなんて、全然自分の状況を理解していない息子。
この可愛い子にあの息子を押し付けてもいいの?と、皇妃は一瞬で冷静になった。
このキラッキラの笑顔が。イキイキと澄んだ目が。人を惹きつけずにはいられない仕草が。
あの息子に娶わせたら、皇妃のようにどんより曇ってしまうかもしれない。そしてそんな目に合わせた皇妃を、嫌いになるかもしれない。
え、嫌われるの? この可愛い子に? 『皇妃様、大嫌い』なんて言われたら、普通に立ち直れる気がしないのだけど。
皇妃にとって、息子はまあ、大事である。息子だし。大事な跡取りだし、幸せになってほしいと思う。
だが国にこれだけ利益を与えてくれたリャーナだって、重要人物だ。無理な縁談を勧めたら、それこそリャーナどころか、リャーナを大事にするダルカス一家ごと国外に逃亡される恐れがあり。そんなことになったら、ドーン皇国としては大損害である。
皇妃として国の最善を考え、息子とリャーナの仲を無理に取り持つのは止めようと、皇妃はすぐさま諦めたのだったが。
息子とリャーナの結婚を諦めた第一の理由が、可愛いリャーナに嫌われたくないということは、皇妃だけの秘密である。
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