37 皇太子殿下を巻き込もう
久々にマルク登場。ちょっとずつ真人間になっている気がします。
「それで、アクアアントの減少の理由が分かったのか?」
結界魔術陣改良のために魔術師ギルドを訪れたマルクは、挨拶もそこそこにリャーナに訊ねた。
ちなみに、この日ももちろん護衛としてショーンが付き添っている。挨拶無しに本題をブッコむなど、『紳士の礼儀はどこに忘れてきたんだこの魔術バカ』と、ぶん殴って説教してやりたい。だが笑顔で沈黙を保つ。無礼を働かれたはずのリャーナが全く気にしていないからだ。最近は、諦めも肝心だと悟るようになってきた。
「はい! どうやら水運ギルドで最近使用が始まった、新しい船が原因だったようです」
マルクはリャーナがタープシー家に呼び出されたことをとても心配していた。もしも理不尽なことを言われた時はマルクの名を使って断って構わないと言われていたぐらいだ。結局、その心配は杞憂で、リャーナは美味しいティースタンドを二人前食べる事が出来たし、とても興味深い話を聞けた。その旨をマルクに報告したのだが、彼はアクアアントの減少に少なからず興味を持ったようだ。
初めは、マルクも魔術師ギルドと同様、アクアアントの減少はそれほど気に掛けていなかった。減少といっても僅かな数だったので、他の緊急性のある案件を優先にしていたという。
それを聞いて、リャーナはひっそりと冷や汗をかいた。間違いなく、他の緊急性のある案件とは自分がらみの案件だ。心当たりがあり過ぎた。
ラルフとの面会の後、リャーナはさっそくカージン王国王立学園の教授たちに手紙を送った。大して時間を置かない内に、リャーナの元には3人の教授から封筒がはち切れそうな、分厚い返事が届いた。
フライ教授は既にアクアアントの個体数減少について知っていたようで、調査も行っていた。アース教授の意見も添えられていて、今回は気象が原因ではなく、餌であるミーディオム虫の成長阻害が原因だという結論に達したようだ。
「ミーディオム虫の成長阻害? ミーディオム虫が、大きくならないということか?」
「はい。水運ギルドが使い始めた新しい船は、大型帆船を開発したトリン国の船なのですが、船の原動力に風魔石を使っているようです。ミーディオム虫は風魔石の影響を受けているみたいです」
新しい船は、水中に風魔石で起こした推進力で船を動かす仕組みなのだが、その風魔石の魔力がミーディオム虫の生育を阻害しているのだ。フライ教授の調査ではこの船を導入している各地で平均よりも著しく小さなミーディオム虫が見つかっており、アクアアントだけでなくミーディオム虫を餌にする他の生物にも個体数の減少が見られるらしい。
「そうか……。他国の開発した船となると、我が国から報告を上げたとしても、すぐに改善するのは難しいかもしれんな」
どの国も、他国の進言を鵜呑みにすることはない。自国で検証し確証が得られたら対応してくれるかもしれないが、ミーディオム虫の減少など取るに足らないことだと取り合ってくれないかもしれない。特にトリン国は造船技術に誇りを持っている。自分たちが開発した船にケチを付ける気かと国同士の揉め事になりかねない。
「フライ教授たちも、トリン国へ状況を把握してもらうために、直接研究資料をトリン国へ提供すると仰っていました」
カージン王国の王立学園の教授たちは、皆一流の研究者でもある。専門家の意見ならば、トリン国も素直に意見を受け入れてくれるかもしれないが、それでも時間は掛かるだろう。
「それでですね。フライ教授たちからも提案があったのですが、やはりグレムジェルフィッシュの魔石の毒素分離についても、研究を進めたほうがいいのではないかと。アクアアントの減少が解消される目途がたたないと、いつ水魔石の供給に影響が出るか分かりませんし」
水魔石の供給数が減れば、特に砂漠地帯の国々に大きな影響を与えてしまう。水の供給が十分に行われなければ、一番にしわ寄せがいくのは貧しい民たちだ。このままアクアアントの水魔石にのみ供給を頼るより、保険的な意味でも、グレムジェルフィッシュの魔石の毒素分離を進めるべきだろう。
というのは建前で、『実に興味深い研究だ、是非やってみなさい』と、3人の教授は声を揃えて勧めてきた。特に魔術学教授であるリーソは熱心で、すでにリャーナの作った分離の魔術陣の解析始めていて、いくつもの改良案を助言してきたほどだ。
「そうか。だが、リャーナ嬢は大丈夫なのか? これ以上仕事を増やすと、身体が持たないだろう」
マルクは心配そうにリャーナを見る。付与魔術陣も収納魔術陣も管理や販売をリーズ商会に委ねているが、それでも追加機能があったり改良があったりと、リャーナは製作者としてなかなか忙しい。その上、マルクと共に結界魔術陣の改良も手掛けているのだ。カージン王国を出て、ようやく心穏やかに過ごせる筈だったのに、忙しすぎてリャーナが身体を損ねてしまわないかとマルクは心配していた。
「いえ! カージン王国ではこの倍以上は働いていましたから! 全然、大丈夫です!」
リャーナは力強く断言する。それに、カージン王国ではほぼ一人で仕事を熟していたが、ドーン皇国ではいつだってリャーナを手助けしてくれる人たちがいる。リャーナが働き過ぎそうになると、叱って止めてくれる人たちばかりなのだ。無理のしようがない。
それに、ドーン皇国での仕事は、リャーナの好きな仕事ばかりだ。思い切り魔術の研究が出来るのは楽しいし、週一回の近所の食堂の手伝いだって楽しい。リャーナはダルカスに紹介してもらった近所の食堂の手伝いを未だに続けていた。食堂の賄い飯が絶品で、これを食べる為なら多少の無理ぐらい平気である。絶対に辞めたくない。
「あの国と比べること自体、問題があるのだが……。まあ、絶対に無理だけはしないでくれ。何より、君の身体の方が大事だからな」
マルクは困った様に笑いながら、リャーナに言い含める。その視線も口調もどこまでも優しくて、リャーナはなんだか落ち着かない気持ちになった。
最近のマルクは、最初の暴走は何だったのかと思うぐらい完璧な紳士だ。結界魔術陣の改良にも、魔力効率化で的確な意見をくれて頼りになる。自分も忙しいのに、今日の様にリャーナに負担がかかっていないか、常に気を遣ってくれる。リャーナのような一介の平民には過ぎた待遇のような気がするのだ。
「それで……。グレムジェルフィッシュの毒素分離は、上手くいきそうなのか? その、……ラルフ・タープシーと共同で研究することになるのだろうか?」
マルクの紳士的な態度にドギマギしていたリャーナだったが、彼からの突飛な質問に首を傾げた。
「え? タープシー様と共同研究ですか? いいえ、そんなお話にはなっていませんけど」
むしろラルフはアクアアントの個体数減少を食い止める方法や、現在の水魔石から水を取り出す魔術陣の改良を研究したいと言っていた。やはり、タープシー家としては、アロン・タープシーの功績に強いこだわりがあるのだろう。グレムジェルフィッシュの毒素分離は、リャーナが勝手に研究を進めるつもりなのだ。
マルクは内心、胸を撫で下ろす。ラルフ・タープシーは令嬢たちから人気のある令息であり、婚約者もまだいない。マルクと違って女性の扱いに慣れているし、話題も豊富だ。そんなラルフとリャーナが共同研究など始めてしまえば、あっという間に意気投合して仲良くなってしまうかもしれないと、マルクは恐れていた。
黙って控えていたショーンは、ホッとしているマルクを『ヘタレめ』と冷ややかに見ていたが、もちろん顔には出さなかった。プロなので。
「そ、そうか。1人では大変だな」
マルクはホッとしたのも束の間、共同研究ではないとなると、今度はリャーナの負担が心配になってしまう。
グラムジェルフィッシュの魔石は、魔力が豊富でアクアアントの魔石よりもより多くの水の供給が可能になるのではと期待されているが、グラムジェルフィッシュの身体と魔石に含まれる毒素が妨げになり、未だに誰も実用化に成功していないのだ。薬剤を使った毒素分解は手法として検討されてきたが、分離魔術を使ってのアプローチが果たしてうまく行くのか。いくら恩師のリーソの助言があろうとも、実際に研究を進めるのはリャーナだ。そう簡単にはいかないだろう。
何か力になれることはあるか?と聞きかけて、マルクは気づいた。なんだかリャーナが気まずそうに、もじもじしていることに。
これはオネダリしたいけど言い出せない時のリャーナの癖だ。あまりに可愛らしくて、告白でもされるのかと期待してしまったことまで思い出し、マルクは恥ずかしくなる。
「リャーナ嬢。どうかしたのか? 」
マルクは気持ちを落ち着けてそう聞いた。リャーナのもじもじした様子がどれほど愛らしくても、前回の様に失態を繰り返してはならないのだ。
「そ、その。実は、マルク殿下にも、研究を手伝っていただけたらと、思っていまして」
リャーナの言葉に、マルクが目を見開く。
「うん? 私が?」
「分離魔術陣は、分離する対象を特定しないと発動しないので。グレムジェルフィッシュの魔石の毒素は、色々な成分が入り混じっていて、なかなか対象の特定に手こずりそうで。特定するのにも多量の魔力消費が必要になるので」
「なるほど。使用魔力を削れるように効率化しつつ、成分の特定が必要ということか」
「う。仰るとおりです。マルク殿下が手伝って下さったら、上手く行きそうな気がして。お忙しいとはおもうのですが、……ダメですか?」
じっと潤んだ瞳で見つめられ、否と言える男がいるだろうか。マルクは動揺を押さえ、『べ、別に構わないぞ』と鷹揚に頷く。だが心臓は煩いほど高鳴っていて、にやけそうになる頬を必死に引き締めていた。
だって。頼られているのだ、好きな子から。相手からは何とも思われていないと分かっていても、単純に嬉しい。必死に平静を装っていたが、踊りだしたくなるほど嬉しい。
そんなマルクを、ショーンは『チョロい』と舌打ちした。ちょっと頼られてすぐに調子に乗りやがって。そこはリャーナにさり気なく恩に着せて、一歩も二歩も関係を進めるところだろうが。外交では出来るのになんで好きな子には出来ないんだ。ピュアか。腹黒皇太子のくせにと、内心大いに愚痴っていたが、もちろん笑顔は崩さない。
快諾されて喜ぶリャーナと浮かれているマルクを眺めながら、ショーンは思った。この2人、仲が深まるより前に、仕事を増やしすぎて過労死するのではないかと。
ショーンは、自分の想像が容易に起こりえそうだと、重々しいため息を吐くのだった。
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