36 水魔石の問題
リャーナの教授コネクション。学園中の教授たちに、それはもう可愛がられていたので、他とは違ってリャーナからの連絡なら即レスです。
「水魔石の毒素。もしかして、グレムジェルフィッシュの毒素でしょうか。毒素の分離! グレムジェルフィッシュなら、サゾロ石の試薬による毒素分解が一般的ですが、魔術的にもアプローチを?」
リャーナが前のめりになり、たたみ込むように質問するのに、ラルフは目を見開く。
『水魔石の毒素の分離』という言葉だけでグレムジェルフィッシュにまで思い至ったことにも関心したが、なにより、リャーナの様子が一変したことに驚いた。
この屋敷に来たばかりの時は委縮しており、ティースタンドが供されてからは食べる事に夢中になっていて、碌にラルフと目を合わせようとしなかったのに、今は真っ直ぐにラルフに視線を向けている。その目は、新しい玩具を与えられた子どもの様に、キラッキラに輝いていた。貴族への怯えや食欲よりも、魔術への好奇心の方が勝ったようだ。
「ふっ」
笑いがかみ殺せずに、ラルフは噴き出した。なんという純粋な魔術バカなのか。貴族特有の遠回しな厭らしさに毒されていたラルフには、眩しく感じるほど真っ直ぐだ。
「リャーナちゃん、ちょっと落ち着こうか……」
ボルク師が呆れ混じりに呟くが、好奇心に火が付いたリャーナを止める事は出来ないだろうと、半ば諦めていた。リャーナが関わるといつも皇国を動かすような大事業になるので厄介なのだ。今だってリャーナの生み出した魔術の数々で、魔術師ギルドは大わらわだというのに。
「いや、ボルク師。是非、彼女の、魔術師ギルドの力を借りたいのだ。このままだと水魔石が枯渇してしまうかもしれない」
「水魔石が枯渇?」
ラルフの言葉に、リャーナは驚いた。そんな話、初めて聞いた。
「それはあくまでタープシー伯爵家の主張でしょう。たしかにアクアアントの数は減少しているが、過去にも同じように個体数が減少したことがある。しかしその後、個体数は元に戻っている」
ボルク師は顔を顰めてラルフを制した。アクアアントの減少について、魔術師ギルドはそこまで問題視していないのだ。
睨みあうラルフとボルク師を尻目に、リャーナは水魔石について考えていた。
72年前の臨時学会において、アロン・タープシーによって発表された水魔石による安定的な水利用。アロン・タープシーが論文を発表する前から、水魔石から水を生み出す魔術陣はあった。しかし、水魔石からとりだせる水量は魔力の消費量に比して著しく少なく、実用化には適しないといわれていた。
アロン・タープシーの功績は、それまでの魔術陣より効率的に水を生み出す魔術陣を開発しただけでなく、多くの水量を確保できる水魔石を持つ魔獣を突き止めたことだった。それがアクアアントだ。水棲の中型虫型魔獣であるアクアアントは、一つの群れが数百匹で構成され、アロン・タープシーの開発した魔術陣を使えば、魔石10個ほどで井戸一つ分の水を生み出すことができる。
しかもアクアアントは、淡水の水中に巣を作る習性があり、ドーン皇国内でも数十か所の水場で生息が確認されている、割と身近な魔獣だ。中級の冒険者なら然程難しくなく討伐出来る為、冒険者ギルドでは薬草採取などと同じく、常駐の依頼としてお馴染みであり、水魔石確保のためにもアクアアントの討伐は推奨されている。
アクアアントは繁殖力が強く、個体数が減少するというのはあまりないのだが。確かにボルク師の言う通り、個体数が減少したことがあった。
「お爺ちゃんが言ってるのは、18年前の、大寒波の時のこと?」
18年前、国を跨ぐ広範囲で寒波が発生し、穀物の生育不良や物資不足が続き、多くの国で被害を出した。この時の寒波は魔獣の生態系にも大きく影響を与え、アクアアントも魔石の安定供給が危うくなるほど個体数が減少したのだ。幸いにも、寒波が過ぎ気温が安定するにつれてアクアアントの個体数も増加していったので、大事には至らなかったのだが。
「18年前は寒波という分かりやすい原因があった。だが今回は原因が不明だ」
ラルフが苦々しく言うが、ボルク師は首を振る。
「原因は分からないのは気にはなりますが、あの減少数では、危機というには早計ですな」
「アクアアントはこの70年、寒波以外は安定した個体数が確認されている。自然な減少というには、無理があるだろう!」
「あ、あの! ちょっと落ち着いてお話しましょう!」
ボルク師もラルフも、どちらも引く様子がない。段々とヒートアップしていく議論に、リャーナは慌てて2人を止めた。このまま話を続けても平行線になるのは目に見えている。
「タープシー様の仰ることも、お爺ちゃんの言いたい事も分かりますが。ここは第三者の意見を聞いてみるというのはどうでしょうか」
リャーナの提案に、ラルフが苛立たし気に眉を顰める。
「ほう。君は魔術師でもありながら、アクアアントの生態にも詳しいのか? グレムジェルフィッシュのことも知っていたようだが。我が家は長年、アクアアントの研究を続けているのだが、その我らよりも詳しいと?」
『平民なのに?』という侮蔑が漏れ聞こえる様なラルフの口調に、ボルク師の雰囲気が固く、冷ややかになる。ラルフが水魔石の権威であるタープシー家の一員として、ぽっと出の魔術師に生半可な知識で水魔石について語るのが許せないという、どうでもいい矜持のせいだと分かってはいたが、それでも可愛いリャーナを侮る奴は許せないのだ。
大体、リャーナを招いたのはラルフではないか。それなのにわざわざ招いた客を貶しめるなんて、感情一つコントロールできない未熟なガキめと心の中で盛大に罵った。
だがそんなボルク師の鬱憤は、素直なリャーナにあっさりと解消されることとなった。
「まさか。長年アクアアントの研究をしていらっしゃるタープシー伯爵家の皆様に比べたら、私の知識なんて付け焼刃にすぎません。第三者というのは、私の恩師にこういった事象に詳しい方がいるので、その方の協力を仰ごうかと」
「ほう? 君の恩師はそれほど知識があると?」
ラルフがそう馬鹿にしたように問うと、リャーナはにこにこと頷く。
「はい! あの方でしたら、きっと! ご存知でしょうか。カージン王国の王立学園で教鞭をとっていらっしゃる、ニコラス・フライ教授です! 」
「二、ニコラス・フライ教授だと!」
知っているも何も、魔獣研究の第一人者ではないか。彼の書く論文は多くの国で魔獣討伐に非常に役立つ参考書として知られている。世界中の魔獣研究に飛び回っており、タープシー伯爵家でも簡単に接触できない人物だ。
「フライ教授なら、魔獣に関する事で知らない事は無いです。私、聞いてみます!」
「だ、だが。フライ教授は連絡を取るのも難しい人物では」
「大丈夫です。王立学園にお手紙を送れば、他の教授たちがニコラス先生に手紙を届けてくれますから! 」
リャーナも詳しくは知らないが、学園の教授たちにはカージン王家も知らないような秘密の伝達手段があるらしい。多分魔術学教授のリーソ辺りが伝達魔術を作ったのだろうと、リャーナは思っている。
「それに、気象学のライ・アース教授にも聞いてみた方が。フライ教授とも共同論文を幾つか書いていらっしゃるので、力になって下さるかもしれません!」
知っている。18年前の寒波によるアクアアントの個体数減少について原因を突き止めたのもライ・アース教授とニコラス・フライ教授であった。寒波によりアクアアントの主食であったミーディオム虫が激減したことにより、アクアアントの個体数にまで影響を与えたのだ。ラルフもアクアアントの生態だけでなく、餌であるミーディオム虫の生態まで学べる彼らの共同論文を、何度も読み返したものだ。タープシー伯爵家ではこの論文をアクアアント研究の教科書にしているのだから。
「その論文を書くために、アクアアントの巣に無理矢理連れていかれたって、アース教授、すっごく怒っていました。水中の、泥だらけのアクアアントの巣の中に押し込まれたって。泥とアクアアントのフンだらけになって、潔癖症のアース教授には耐えられなくて、何度もアクアアントの巣の中で気絶したって」
リャーナはくすくす笑う。ひょろりと細く青白い、神経質なアース教授と、がっしり体型の豪快なフライ教授は、正反対の性格なのになんだかんだと仲が良い。豪快なフライ教授に流されがちなアース教授だが、流されっぱなしではなく、限界を超えると恐ろしい勢いでフライ教授を叱り飛ばしている。中々バランスのいい2人なのだ。
有名な研究者であるあの2人の意外な一面にラルフは驚いた。当り前だが、ラルフの読んだ論文の内容は徹頭徹尾、真面目な内容だった。あの論文にそんな苦労話があったなんて思いもしなかった。
「水中のアクアアントの巣の中に? アレは結構、水の深い所に巣を作ると聞くが、よく巣を見つけられたのぉ」
ボルク師が感心したように言うと、リャーナはニコニコと邪気なく笑った。
「リーソ教授がフライ教授に相談されて、水中でも呼吸できる魔術陣を作ったんだそうです。だから、水中でも問題なく行動出来たって」
「待て! 水中で呼吸が出来る魔術陣だと! そんな魔術陣、聞いたことないぞ!」
ラルフは思わず叫んだ。タープシー家がアクアアントの研究のために、どれほど苦労していると思うのか。アクアアント自体は陸上に出て活動しているのを捕まえればいいが、卵は水中でしか育たない。卵を採取するとなると、冒険者を大量に雇い深い水場に潜る必要がある。水魔術が得意な冒険者は、依頼料高くもなかなかの出費になるのだ。
「……その魔術陣があれば、水魔術が得意な冒険者でなくても、アクアアントの卵を採取できるではないか」
わなわな震えているラルフに、リャーナはなんだか申し訳ない気持ちになる。
「ええっと。……リーソ教授は、他に使いどころがなさそうな魔術陣だから、特に発表する気はないと仰っていました」
水中でも呼吸ができる魔術陣は、18年前のフライ教授とアース教授の研究以降、お蔵入りしていた魔術陣である。リャーナはリーソの作った魔術陣は全て論文を読んでいたので知っていたが、作った当の本人ですら、覚えているか怪しい。
なんだかどっと疲れて、ラルフはソファの上で頭を抱えた。アクアアントの個体数の減少が確認されてから、理由が分からぬまま手さぐりに原因を探してきた。万が一に備え、アクアアント以外の水魔石を確保するため、グレムジェルフィッシュの水魔石の研究も同時に行ってきた。水魔石の枯渇はタープシー家の一員としてなんとしても阻止せねばならぬと気負い、必死になっていた。
それなのにこのリャーナは。ラルフが喉から手が出るほど欲しいと思っていた専門家たちへの知己があるだけでなく、あっさりと『連絡を取ってみる』と言ってのけたのだ。しかもタープシー家に有益そうな魔術まで知っていて。
何も問題が解決したわけではないのだが。ラルフが手をこまねいていたことをあっさりと解決したリャーナが、なんだか末恐ろしい気がする。何の根拠もないが、この能天気な少女が何かやらかしそうな、このままでは終わらないような、そんな気がするのだ。
ラルフは頭を振って、気を取り直した。とにかく、ようやく掴んだ伝手なのだ。貴族らしく十分に利用しなくては。
「……リャーナ嬢。可能ならば、フライ教授、アース教授、そしてリーソ教授に連絡を取ってもらえるだろうか」
「は、はい! 早急に連絡してみます!」
なんだか10も老けたように見えるラルフと、無駄にイキイキしているリャーナを尻目に、また忙しくなりそうだと、ボルク師は溜息を吐いていた。
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