35 タープシー家への訪問
1巻発売日に間に合わず、無念です。
水魔石の権威であるタープシー伯爵家を見ての感想は、豪奢の一言だった。
元々下位貴族としての歴史は長いタープシー家ではあったが、アロン・タープシーの功績により上位貴族へと仲間入りをしてからは、他の高位貴族から侮られぬよう屋敷内も豪奢に、しかし決して成金趣味ではない上品な調度でまとめられていた。そこかしこに著名な画家や彫刻家の作品が飾られているが、押しつけがましさは感じられず、美術館のような落ち着きまで感じられた。
だが、そこに住む人物まで控えめになるとは限らないようだ。
リャーナの目の前に立つ堂々とした人物からは、恐ろしい程の圧が感じられた。
「魔術師ギルド長までお越しになるとは驚いたな。平民の魔術師相手に、随分と待遇がいいのだな」
「ふぉふぉふぉ。リャーナちゃんは儂の可愛い孫弟子じゃ。ついつい過保護になってのぅ」
ラルフ・タープシーのあからさまな皮肉も、面の皮が大樹の年輪の如く厚いボルグ師には全く効いていなかった。魔術師ギルド長として長年君臨するボルグ師にとって、影響力の大きいタープシー伯爵家とはいえ、まだ家を継ぐ前のラルフをいなすぐらい簡単だ。ボルグ師の余裕たっぷりな態度に、ラルフは不快そうに眉間に皺を刻んだ。
リャーナの方は訪れたタープシー伯爵家のあまりの豪華さに圧倒されていたが、ボルグ師が横に居てくれるお陰でなんとか呑まれずに済んでいた。優雅さを装いつつもギスギスしたラルフと、飄々としながらも冷たい棘を隠しもしないボルグ師の会話に逃げ出したくなったが、わざわざ面談にリャーナを指名しているのだからそんなわけにもいかないだろうが。
「こうしてみるとまだお若いお嬢さんだ。とてもあの凄い発表をやってのけたとは思えんな」
ジロリと鋭い視線を向けられ、リャーナはビクッと肩を竦めた。ラルフは海の底みたいな青い髪と宝石の様な青い瞳のそれはそれは美しい男性だったが、リャーナにその美しさに見惚れる余裕はなかった。冒険者ギルド長のライズや魔術師ギルドの重鎮たちのように気さくなお貴族様もいるが、貴族というのはたいてこんな感じで高圧的なものだ。苦手なタイプの『お貴族様』にリャーナはひたすら身を縮みこませて、空気と同一化しようと頑張った。もともと交渉はボルク師にお任せの予定なのだ。
「儂の可愛い孫弟子を信用できんのなら、儂らは帰らせてもらおうかのぅ。今日はタープシー家の顔を立ててリャーナちゃんとの面会を了承したが、この様な扱いをされてまで通す義理はないからのぅ」
いつものポヤポヤしたお爺ちゃんとは違い、冷ややかなボルグ師にもリャーナは内心涙目になる。『淑女たるもの、簡単に内面を見せてはいけません』という、カージン王国王立学園のマナー講師であったガディウス先生の教えを必死に守り、表面上は微笑みを絶やさないようにしているが、お貴族様同士の静かな争いは庶民のリャーナには刺激が強い。
「……これは失礼。こちらから招いておいて不躾だったな」
ゴホンと気まずげに咳払いを一つして、ラルフの方が折れた。ここでボルク師にへそを曲げられて帰られたら面倒だ。初めから強気に出て自分に有利な交渉に持ち込みたかったが、目的の為なら多少の譲歩も必要だとラルフは理解していた。
「まずは、喉を潤していただこう」
それを合図に、タープシー家の侍女たちがティーセットなどを楚々として運んでくる。白磁のティーポットと揃いのカップは繊細な絵付けが美しいものだったが、それよりもリャーナは目の前の物に釘付けになっていた。
「これはティースタンドだ。最近、令嬢たちの間で流行っているらしい」
そうラルフが説明したのは3段のティースタンドだ。1人に1つずる、小さめのティースタンドが置かれている。1段目には小さく切った燻製肉やパンの軽食。2段目は焼き菓子、3段目は果物をふんだんにあしらった色とりどりのプチケーキだ。ラルフの母が他所の貴族家に招かれた際に供されたティースタンドをいたく気に入り、タープシー家の料理長に命じて作り上げた、自慢の作である。タープシー家で開かれた茶会で披露された際は、招待客からの評判が良く、母は至極満足そうだった。
ラルフはもう何度も食べているのでそう感動はないが、美味ではあるので嫌いではない。ボルク師は爺さんでそもそも興味はなさそうだし、リャーナも若い娘なので、流行りのティースタンドなど街のカフェなどでいくらでも食べたことがあるだろうと、いつもの客のもてなしと同じ様に出したのだが。
「……っ!」
リャーナの目が、分かりやすく輝いた。先ほどまでラルフとボルク師のやりとりに縮こまっていたのが嘘のように、臨時学会の時と同じぐらいキラキラした目でティースタンドを見つめている。
ラルフはちょっと驚きながらも、澄ました顔で紅茶に手を付けた。それを合図に、ボルク師とリャーナも紅茶に手を伸ばした。
「ほほう。随分と洒落ておりますなぁ」
ボルク師は予想通り、にこにことティースタンドを見ているが手は付けず、紅茶を飲んでいる。ラルフは付き合い程度に軽食に手を伸ばす。そうしないと客が手を付けづらいからだ。
リャーナは恐る恐る下の段の軽食から手を伸ばした。口に運んで驚き、蕩けた表情になっている。だがマナーを思い出したのか慌ててシュッとした顔に戻り、また口に運んでは蕩けた表情になりを繰り返していた。
なんだこの可愛い生き物は。
ラルフとボルク師は、表面上は澄ました顔を保ちながら、どちらも同じ感想を胸に抱いていた。子どもが必死でおすましをしているのを見守っている時の様に、物凄く庇護欲がそそられる。世話を焼きたくなる。よしよしと頭を撫でたくなる。
ラルフとボルク師は何気ない会話を続けながら、リャーナの様子を横目でチラチラと見守っていた。
リャーナは早々に1段目と2段目を制覇し、3段目のプチケーキゾーンに突入していた。その中でも料理長自慢の木苺のプチタルトを食べた時は、『ふぉぉぉ』という小さな声を上げていた。流れる様な動きで給仕をしていた侍女も、思わずグッと拳を握る。それに気付いたラルフとボルク師も、侍女たちに激しく同意していた。可愛いモノを愛でる気持ちは老若男女変わらないのである。
やがてその幸せな時間は終わりを告げた。リャーナがティースタンドを全て制覇したのだ。無くなってしまったことにガッカリしつつ、早く食べ終わってしたことを恥ずかしがる様もまた可愛かった。表情を取り繕い、慌てて淑女のおすまし顔に戻る所も可愛い。なんだもう何をしても可愛いなと、全員、心の中で叫んでいた。
「ん、おほん。リャーナちゃん。ワシの様な爺は、若い子のようには食べられん。全く手を付けんのも失礼だからのぅ、ワシの分もいくつか食べてくれないか?」
ボルク師の言葉に、ラルフと侍女たちはクワッと目を見開いた。そのために全くティースタンドに手を付けなかったのかと、ボルク師の策略に戦慄する。
リャーナはボルク師の申し出にぱあっと顔を輝かせていたが、ラルフや侍女たちを見て、不安気な表情になる。
「で、でも。無作法ではありませんか」
人様の食べ物に手を出すなど、マナー講師のガディウス先生にバレたら、笑顔で怒られそうだとリャーナは首を竦めた。いつもはほんわり柔らかで優し気な先生なのだが、マナー違反には容赦がないのだ。あの怒っている時の笑みはトラウマ級で恐ろしい。
「んんっ。ティースタンドは数人でシェアをする時もある。特に無作法ではないぞ」
ラルフは何でもない事の様にそう言った。嘘は言っていない。一つの大きなティースタンドを数人でシェアすることもあるからだ。タープシー家で供しているティースタンドは大人数用ではないから、厳密に言えばシェアすることはマナー違反だ。だがそんな些末なことにこだわる必要はないだろう。ホストであるラルフが構わないといっているのだ。誰が反対できるというのか。
「そうなんですね。ええっと、じゃあお爺ちゃん、いくつか頂いてもいいですか?」
そう嬉しそうに言って、しかもお爺ちゃん呼びに戻っている事に全く気付いていないリャーナに、ボルク師はデレッとした顔で『全部食べてもいいんじゃよ』と頷く。侍女が流れる様な動きでリャーナの皿に給仕をしていくが、リャーナの表情から特に喜んでいたものをチョイスしていく。その中にはリャーナが一番喜んでいた木苺のプチタルトも入ってた。
「凄いっ! 私の好きなものばかり」
小さな声で驚くリャーナに、侍女は澄ました顔でまた小さく拳を握っていた。今年一番良い仕事をしたような、謎の達成感があった。
ラルフも侍女の仕事に非常に満足していた。タープシー家に仕える者は皆優秀だが、今日の侍女は特に優秀だ。このティースタンドを準備した料理長共々、特別手当を与えて労おうと思うぐらいに。
しばしほんわかと、リャーナがもぐもぐと軽食やケーキを食べるのを見守っていた一同だったが。
ラルフは、はっと気を引き締める。危ない、小動物に癒されて本来の目的を忘れるところだった。
「ん、ごほん。そろそろ、本題に入っても構わないだろうか」
「……ええ。勿論」
ボルク師はにこやかに答えるが、内心、チッと舌打ちをしていた。生意気な小僧の話より、リャーナを愛でている方が百倍価値がある。美味しいものを食べている時のリャーナは、本当に可愛いのだ。なぜこんなに可愛いリャーナを愛でている時に仕事の話などしなくてはいけないのかと、ボルク師は本気で思っていた。完全にタープシー家への来訪目的を忘れている。
ボルク師の拒絶を感じてはいたが、ラルフはそれを無視することにした。もぐもぐしている可愛いリャーナを見ていたい気持ちは分からないでもなかったが、そもそも彼らを呼び出したのはちゃんと理由があるのだ。
ごほんと一つ咳払いをして、ラルフは居住まいを正した。
タープシー家の最大の危機を救うかもしれない相手には、たとえ平民だろうと、敬意を払わなくてはならない。
「リャーナ嬢。君が発明した分離魔術で、水魔石の毒素分離は可能だろうか」
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