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33 魔力茸講習会の後

 魔力茸の講習会の後、分離の魔術陣はそれはもう話題になった。

 薬師たちは分離の魔術陣を使って、これまでに出来なかった様々な薬効成分の抽出が出来ると夢中になった。新しい薬効成分の解析は勿論のこと、他の成分との組み合わせることによる新薬の開発も夢ではない。また、魔力茸のように、これまで水薬しかなかった既存の薬も固形化が可能になる。まさに、薬師にとっては世紀の発見だ。


 だがその夢のような魔術陣の使用に、待ったをかけたのが魔術師ギルドだ。新しい魔術陣を、魔術ギルドの検証なしに使用するのはよろしくない。検証前の魔術陣には下手すれば暴発を引き起こす要素が含まれている場合もある。経験豊富な魔術師たちの検証無くして新しい魔術陣の使用は許可できないのだ。


「これは薬師ギルドにとって画期的な魔術陣だ! 最優先で審査をしてもらいたい」


 薬師ギルドより直々に皇家と魔術師ギルド宛に嘆願書が届き。未だ収納魔術と付与魔術の後始末に追われている魔術師ギルドからは、声なき悲鳴が上がった。だが薬師ギルドの仕事は民の命や生活に密接に結びついている。無理を通してもなんとか審査を早めなくてはいけないことは、魔術師たちも分かっていた。


 そして声なき悲鳴を上げているのは他にもいた。分離の魔術陣を開発した、リャーナ自身だ。

 リャーナの利益管理人フロスを前に、涙目でプルプルと震えている。


「リャーナ様。新しい魔術陣を広める時は、私に相談するお約束でしたよね?」


 優しい、どこまでも優しいフロスの声。

 だがリャーナは怖くて震えが止まらなかった。微笑んでいる筈のフロスから、とんでもない冷気が漂っている。ダルカスの威圧にも匹敵する圧である。怒っている。とてつもなく怒っている。


「またこうもお話していたはずです。1つ、私がいない時に、貴族や商人と話をしない。2つ、私がいない時に、貴族や商人と約束をしない。3つ、私がいない時に、貴族や商人と契約書にサインをしない。たしかに、薬師ギルドの皆様は、貴族でも商人でもございませんが、魔術陣の利益管理に関する事で、これらの項目が貴族、商人以外の職業の者にも当て嵌まることは、聡明なリャーナ様にはご理解いただけていたかと思います」


 決して声を荒げる事は無く、むしろ穏やかな声だというのに、どうしてこんなに怖いのだろう。


「うう、はい」


 もちろんリャーナは分かっていた。ただ、魔力茸講習会でシャンティが困っているのを見たら、なんとしても力になりたいという思いが先走り、すっぽりとフロスとの約束が頭から抜けてしまったのだ。


「シャンティ様も。リャーナ様をお守りするためにも、くれぐれもご注意くださいと、私、申し上げましたよね?」


 リャーナと並んでいたシャンティも、フロスにジロリと睨まれ、気まずげに目を逸らす。薬師ギルド内で、リャーナの披露した分離の魔術陣の噂は爆発的に広まっている。薬師たちは誰もがこの魔術陣に興味と期待を持っているのだ。これで魔術師ギルドの審査が長引こうものなら、暴動も起こりかねない。今こうしてフロスに説教されているシャンティだって、固形化を試してみたい薬がアレコレ頭に浮かんでいて、気もそぞろだった。


「シャンティ様? リャーナ様の開発した魔術陣を利益登録もせずに使う事は、リャーナ様が当然受けるべき報酬を搾取する事になります。リャーナ様の利益を害することになるのですよ?貴女はリャーナ様の親切心につけこんで、彼女の利益を搾取するおつもりなのですか?」


 ピリリとしたフロスの厳しい声に、シャンティはハッとなる。そしてみるみる泣きそうな顔になった。


「そ、そんな! 私がリャーナちゃんから搾取なんて、そんな、こと」


 新しい技術に浮かれていたシャンティの気持ちは、あっという間にしぼんでいく。可愛い妹を害するなんて、そんなこと妹命のシャンティの本意ではない。


「フ、フロスさん! お姉ちゃんは悪くないです。不用意に分離の魔術陣を教えちゃった私が悪いんです。皆が喜んでくれるのが嬉しくて……」


 ドーン皇国ではリャーナが作った魔術を、皆が『凄い』と褒めてくれる。皆から認めて貰えるようで、嬉しくなってしまう。皆の役に立てるのが嬉しくて、ついついやり過ぎてしまうのだ。


 涙ぐむリャーナと萎れるシャンティに、フロスはふーっと深いため息をついた。2人に悪気はない事は分かっているが、ここはちゃんと説教をしておかないと、また同じことを繰り返す。憎まれ役も楽ではない。


「……分離の魔術陣については、薬師ギルドからの要請もありますので、魔術師ギルドでの検証後、付与魔術陣と同じくに皇国からの補助金を頂き、使用料を安く抑える方向で調整しております」


 パッと顔を上げるシャンティとリャーナに、フロスは笑いをかみ殺し、わざと厳めしい顔を作った。血のつながりはない筈なのに、この姉と妹は、仕草や表情が面白いぐらい似ている。今もそっくり同じ様な顔で驚いていた。


「薬師ギルドの皆様からは、きちんとリャーナ様に使用料をお支払いした上で分離の魔術陣を使用したいと申し入れがございました。薬師ギルドが良識的な方ばかりなのが幸いでした」


 ぱあぁっと、やっぱりそっくりな表情で分かりやすく浮上する姉妹に、笑いをかみ殺せなくなったフロスは、慌てて顔を背け、咳払いをした。リャーナはともかく、薬師シャンティはこれほど素直な性格だっただろうか。いつも苦虫を噛み潰したようなしかめっ面が多い、気難しい薬師だと思っていたのだが。家族()の前だと素が出やすいのかもしれない。


「ううう。良かった、良かったわぁ。ごめんねぇ、リャーナちゃん」


「ううん。お姉ちゃん、良かったねぇ。皆良い人たちだねぇ」


 手を取り合ってべそべそ泣く姉妹に、フロスはようやく笑みを浮かべた。


「分離の魔術陣も素晴らしいです。リャーナ様のお望み通り、色々な方のお役に立てるとよろしいですね」


「フロスさん。ありがとうございます。それと、ご迷惑をお掛けしてすみません」


「今回は私よりも、マルク殿下にお礼を言って差し上げて下さい。薬師ギルドと魔術師ギルドの間で調整をしていただきましたから。どちらのギルドもなかなか引かず、大変だったようですよ?」


「マルク殿下が……」


 リャーナはマルクに対して申し訳ない気持ちで一杯になった。結界魔術の改良で定期的に会っているが、マルクは物凄く忙しい。リャーナとの結界魔術陣の改良も公務の合間を縫ってなんとか時間を捻出しているのだ。たぶんあれは睡眠時間を大分削っているのだろう。

 リャーナの生国であるカージン王国の王太子ジェントも、公務はそれなりにこなしていたが、茶会だ夜会だと優雅に過ごしていた時間の方が多かった気がする。マルクのように身を削って忙しく働いていたような印象はない。同じ国を継ぐ立場として、これほど違いがあるのは何故だろうか。


「どうしよう。返せない恩ばかり、増えている気がする」


 マルクはリャーナのせいで仕事が増える事を、『皇国の為になる事だから気にするな』といつも言ってくれるが。疲れの色濃い様子を見ていると、心配になってしまうのだ。


「リャーナちゃん。今回は私が原因だから、マルク殿下へのお礼は、私が考えるわ」


 シャンティが考え込むリャーナに声を掛ける。


「お姉ちゃん、でも……」


「分離の魔術陣は、ドーン皇国の利益になるのは間違いないわ。でも今回は、薬師ギルドからの要請でマルク殿下のお手を煩わせているのだから、薬師である私が礼をするのが良いと思うの。そうねぇ。今後、分離の魔術陣で新たに作成できる『魔力茸』の魔力回復薬を優先的に皇国軍に卸すわ。それ以外の傷薬や体力回復薬もしばらくは値段を下げて皇国軍に卸すわ。ふふふ。私の作る薬、結構評判がいいから、喜んでもらえると思うわよ」


 フロスはシャンティの言葉に目を瞠る。評判がいいどころの話ではない。天才薬師シャンティが直々に作る薬はその薬効の高さから高位貴族の間で高値で取引されている。それを皇国軍に優先的に、しかも値段を押さえての取引など、ドーン皇国にとってどれほどの利益となるか。


「お姉ちゃんにそんな迷惑を掛けるわけには……」


「リャーナちゃん。これは私の為でもあるのよ。良心的な値段で皇国軍に薬を卸したとなれば、薬師として、ドーン皇国からの評価も高くなるの。今まで手続きが面倒でドーン皇国との直接取引はしてこなかったけど、薬師ギルドからはちゃんと皇国とも取引をしろって口うるさく言われてたから丁度いいわ。まあ、面倒なんだけどね。皇国との取引って、どうしてあんなに書類が増えるのかしらねぇ。冒険者ギルドが相手だったら簡単なのにねぇ」


 面倒だけど仕方ないわと言わんばかりのシャンティに、フロスは思わず心配になって聞いてしまった。


「大丈夫なのですか、シャンティ様。皇国相手だとかなりの薬の量になりますし、そこへ値段も抑えるとなると、利益も大分落ちますが……」


「うーん? 確か5年、6年?ぐらい前に貯金残高を確認しましたけど、平民が一生どころか子々孫々が遊んで暮らせるぐらい稼いでいたから平気ですよ、多分」


 なんだその大雑把な財産管理は。

 フロスは喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。そういえばリャーナも、自分の財産に無頓着だったなと思い出し、こんな所まで姉妹で似なくてもいいのにと残念な気持ちになる。リャーナは続々と増える貯金に怯えて現実から目を逸らしているだけなのだが、シャンティはそもそもお金にあまり興味がなさそうだ。

 これは一度、2人の母であるマーサに要報告だと、フロスは心に留めておく。なんとなく、このまま放置していたら大変なことになりそうだ。リャーナについてはフロスが財産管理も兼ねているので大丈夫だろうが、シャンティは多分野放しになっているのだろう。


「それに。()に貸しを作ったままというのが、我慢ならないのよ」


 シャンティは屈辱を感じていた。新たな薬作りの手法に気を取られていたとはいえ、リャーナの利益を蔑ろにしていただけでも自分を許しがたいのに、妹を狙うマルク(悪の手先)に知らぬ間に助けられていたなんて。薬師として、リャーナの姉として、あるまじき失敗である。


「じゃあ、私もお姉ちゃんのお手伝いをするね! 魔力なら沢山あるから、薬への魔力込めをする時は役に立てると思うの!」


「まぁ! リャーナちゃんの魔力はとっても質がいいから、薬効が今より上がると思うわ。ふふふ。研究のし甲斐があるわねぇ。軍に卸す分とは別に、皇帝陛下に献上できるような凄い薬でも作ってみようかしら」


「ええ! 皇帝陛下に献上? 凄いお姉ちゃん! そんな薬、本当に作れるの?」


「んっふっふっふ。私はリャーナちゃんのお姉ちゃんなのよ? 出来ない事など何もないわ」


 妹の賛辞に、シャンティは胸を張る。『お姉ちゃん、格好良い!』と尊敬の目で見つめてくるリャーナをデレデレと愛でるシャンティの顔は、フロスが引くぐらい残念なものだった。


 後に。妹にいいところを見せようと妙に張り切った天才薬師シャンティが、採算度外視で希少な素材を使いまくり。また妹であるリャーナが恩返しも込めてこれでもかと質の良い魔力を籠めた結果。

 『死んでいなければどんな怪我も病気も全回復する』という、これまでの薬とは一線を画した『特級万能薬』が出来上がってしまい。皇国の宝物庫で厳重に保管されることになるのだが。


 この時の3人は、そんなこと知る由もなかったのである。



 



★2025年8月25日発売予定★

「逃げたい文官 1 奪われ続けてきた不遇な少女は、隣国で自由気ままに幸せな生活送ります」 オーバーラップノベルスf様より発売予定。

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― 新着の感想 ―
>これは一度、2人の母であるマーサに要報告だと、フロスは心に留めておく。なんとなく、このまま放置していたら大変なことになりそうだ。リャーナについてはフロスが財産管理も兼ねているので大丈夫だろうが、シャ…
 ある意味、危険物が(笑)  鍛治師ギルドに行ったらうっかり新合金や新型の炉とかつくっちゃいそうだな…。
涙目でプルプル震えるリャーナを叱れるフロスさんすごい!暴走する姉妹の手綱を握れるのはフロスさんしか居ない!頑張れ! 可愛いリャーナを堪能するために書籍を買わなくては。楽しみ♪
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