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30 カーラの誤算

「もう、もう、もう! なんなのよ! 私が何をしたっていうのよ!」


 カーラは足音を立てて、王宮の廊下を歩いていた。その姿に淑女らしさは皆無だ。


 今日は王太子妃教育で王宮に来ていたのだが、いつもなら卒なくこなせる妃教育に思いのほか、手こずってしまった。教師たちから叱責を受け、もっと妃教育に身を入れる様、冷ややかに言い渡された。

 別に、カーラが手を抜いていたわけではない。今までと同じ様に授業に臨んでいたのだが、それを評価する側の目が、これまでと変わっているのだ。


「ああ、ジェント様……」


 変わりゆく周囲に、カーラは不安げな声を漏らす。

 縋るべき相手が居ない事が、これほど心細いなんて、カーラは知らなかった。

 いつだって愛しいジェントは、カーラの側に居てくれたのに。

 

 アウトール公爵家の令嬢として生まれたカーラは、完璧な令嬢と言われていた。美しい容姿、家柄、能力、豊富な魔力量、優雅な所作。カージン王国の王太子と同じ年に生まれ、まさに王太子妃になるべくして生まれた完璧な令嬢。『アウトール公爵家の華』と持て囃され、一度だって誰かより劣ったことも、負けた事も無かった。

 

 5歳の時に婚約を交わして以来、カーラはジェントからずっと寵愛を受け続けている。カーラの高貴な佇まいと子猫のような愛らしさにジェントは夢中だ。偶に他の女に目移りする事はあっても、結局はカーラに勝る女などいないので、すぐに戻って来るのだ。ジェントはカーラ以上に優秀で、王太子となるべくして生まれた人なので、多少の目移りなど仕方ないと、カーラは気にしないようにしていた。ジェントの寵愛を他の女と分かちあうのは本当は嫌だが、それが将来王を支える王妃として必要な心構えだと分かっていたからだ。ジェントにとってカーラが一番であれば、それ以外に誰かがいても耐えられる。そう思っていた。


 そんなカーラが、初めて危機感を覚えた。

 王族、貴族ならば誰もが通う王立学園で、カーラが成績で唯一敵わない王太子ジェントを大幅に引き離しての首席入学。吊り目でやや冷たい印象を与えるが、美しく整った顔立ち。これまでジェントにさえ負けたことがなかった魔力量も、カーラより遥かに多い。

 身分以外はカーラを遥かに凌ぐその娘は、こともあろうに平民だった。しかも親も知れない薄汚い孤児。そんな取るに足らない平民の娘リャーナが、カーラよりも勝るなど許しがたかった。


 カーラは学園在学中、リャーナに嫌がらせを続けた。取り巻きの令嬢たちに嫌味を言わせたり、令息たちに粗雑に扱われるように仕向けたり。平民なのだからと、クラス中の雑役を押し付けた事もある。カーラの学友たちは平民が同じ学園に在籍することを恥と思い、嫌がらせには積極的に協力してくれた。リャーナへの扱いは、同じクラスどころか学年中、やがては学園中に伝播していき、リャーナは学園内で友人など一人もなく、どこにいっても敵ばかりの生活を送っていた。


 それでもリャーナは、そんな苦境に一切へこたれる事無く、好成績を保ち続けた。授業が終わると教授たちの部屋へすっ飛んでいき、教室に居る時は机に齧りついてずっと勉強をしていた。授業が終われば図書館に閉館ギリギリまで粘って本を読み耽っていた。カーラや学友たちから、あんなに必死に勉強をし続けるなんて優雅さが足りないと嗤われても、リャーナは全く気にした様子はなかった。それも、ますますカーラを苛立たせた。


 そして卒業間近。リャーナは結界の魔術陣を構築した。それは魔術師の素質があるカーラの目から見ても素晴らしいもので、平民などが作り上げたとは到底思えなかった。これが実現すれば、カージン王国の国防力を大きく引き上げる事が出来る。平民などの功績として発表するのは勿体なさ過ぎると、カーラはすぐにジェントに結界の魔術陣の情報を伝えた。

 ジェントは学園側から多少の妨害はあったものの、上手く立ち回ってあっという間にリャーナから結界の魔術陣を取り上げ、自分やカーラたちの功績として発表した。カージン王国内だけからではなく、周辺国からも賞賛され、カーラは自分の華々しい功績に歓喜した。学園在籍中、一度もあの平民の娘に勝つことが出来なったことなど、この功績に比べれば些末な事だった。まさしく未来の王太子妃に相応しい功績だ。


 だが、その結界の魔術陣が、今のカーラの窮地を招いていた。


 魔術陣への魔力供給が足りず、結界の魔術陣が作動しなくなったのだ。作動しなければ当然、結界は消え、魔獣が侵入してくる。魔物の多発地域では大きな被害も出ていて、魔術陣への早急な魔力供給が必要になった。

 妃教育に専念していたカーラも、ジェントから魔力供給を要請されたのだが、これまで一度も魔力供給を行った事がないカーラは慌てた。学園を卒業後、カーラは国の精鋭と言われる第一魔術師団に入団したが、その業務を一度だって熟した事は無かった。魔獣が発生したからと、遠い僻地までわざわざ馬車で移動して討伐するなんて嫌だったし、国のあちこちに設置された結界魔術陣へ魔力を注ぐ仕事なんてしたくなかった。一度実験で魔術陣へ魔力供給をした事があるが、カーラの身体中の魔力を振り絞っても足りなかった。一時的な魔力欠乏で酷い酔い方をした時の様に気分が悪くなり、二度とやるものかと思った。


 ジェントに懇願され、王妃様からも妃教育を休んでいいからと言われ、逃げ場が無くなったカーラは思わず『魔力供給なんてやったことがない』と本当の事を口走ったのだが。その後から、ジェントの態度があからさまに変わった。第一魔術師団の仕事の殆どをリャーナが担い、その功績が全てカーラや他の魔術師のものとして報告されていた事までバレ、ジェントの態度は婚約者に対するものとは思えない程、冷たくなった。ジェントが国の緊急事案である魔獣対策に追われ、会える時間が極端に減ったせいもあるだろうが、ジェント自身もカーラを避けているような気がしていた。そんな筈はないと、カーラは心の中で必死に否定してたが、会えないのは事実なのだ。


 ジェントに会えない日々を憂いながら、せめて妃教育に力を入れようと頑張るカーラに、周囲の視線は冷ややかだった。


「カーラ様は今日も王宮で過ごされるのか? 魔獣の被害が段々広がっているというのに」


「あの方、結界の魔術陣の開発者の1人なのでしょう? ダンスのレッスンよりほかにすべき事があるのではないのかしら?」


「他の魔術師団の方は討伐に行かれているというのに、あの方、一度も王都を出ていないのよ」


 第一魔術師団に所属する魔術師でありながら、魔獣の討伐にも行かず安全な王宮で過ごしているカーラに、周囲はこれ見よがしに囁く。カーラはその場はなんでもない風に装ったが、王宮に賜った部屋に戻れば苛立ちを抑えきれず、侍女たちに怒鳴り散らし、ティーポットを投げつけ、当たり散らした。


「私は王太子妃になるのよ! 大変な妃教育を熟しているのに、そうしてあんな風に言われなきゃいけないのよ!」

 

 討伐に行く魔術師なんて他にも沢山いる。だが、王太子になるのは、カーラしかいない。

 ジェントの妻として、未来の王妃として励んでいるだけなのに、どうして責められなくてはいけないのか。


「カ、カーラ様。おやめください! 」


 カーラにポットをぶつけられ、熱いお茶を被った侍女が悲鳴を上げて平伏する。他の侍女たちも怯えた顔でカーラを見つめるばかり。そんな侍女たちの委縮した態度が、オズオズとこちらを見ていたあの平民の女を思い出し、ますますカーラは苛立った。


「うるさい! 出ていけ! お前たちなんてクビよ!」


 カーラの剣幕に圧され、侍女たちは這いずるようにして部屋から逃げ出していく。そんな姿は虫けらの様で、カーラは追い打ちをかける様に逃げる侍女たちにティーカップを投げつけた。


 毎日繰り返される暴言と暴力に、侍女たちは次第にカーラ付きになる事を嫌がるようになった。侍女たちを管理する侍女長は仕方なく、カーラ付き侍女を交代制にした。本来、王太子妃付ともなれば侍女にとっても名誉である。それゆえ、未来の王太子妃であるカーラ付きの侍女は人気だった。だが今は、皆、嫌々カーラに仕えている。当然、侍女たちの質が一定せず、それにカーラが苛立つ悪循環となっていた。あれほど頑張っていた妃教育にも、段々と熱が入らなくなり、ますますカーラを取り巻く環境は厳しくなっていく。


 そんな中、久々にジェントからお召しがあった。カーラは侍女たちに怒鳴り散らして、ここぞとばかりに豪奢に着飾った。よそよそしい態度だったジェントも、この美しい姿を見れば前の様に寵愛してくれるだろうと、カーラは鏡に映った自分の姿を満足げに見つめた。 


「カーラ……。妃教育も捗々しくないようだし、侍女たちにも辛くあたっているんだって? 」


 だがジェントは、甘い言葉を懸けるどころか着飾って現れたカーラを、うんざりしたように睨め付けた。浮かれていたカーラは、その表情に冷や水を浴びた様な気分になった。


「今、国がどういう状況か分かっているだろう? 役に立たないのなら、せめて私の手を煩わせるのは控えてくれないか」


 ジェントの瞳に、声に、かつてあったカーラへの愛情が消えていた。煩わし気にこちらを見るジェントの顔には、嫌悪すら浮かんでいた。

 

 どうして。どうして。どうして。

 幼い頃から、愛してやまないジェントの冷ややかな態度に、カーラは泣き出しそうになった。

 ジェントに相応しいのは自分しかいないのに。ずっとずっと、一緒に居たのに。

 大好きなのよ。ずっとずっと貴方だけの為に頑張って来たのよ。どうしてそんな目で見るの。


「……いなくなったのがリャーナではなくて、君だったらな」


 ポツリと呟いたジェントの声が、かろうじて保っていたカーラを打ち砕いた。

 

「……私はもう、必要ありませんか」


 かすれた声で呟くカーラに、ジェントは肩を竦める。


「アウト―ル公爵家の後ろ盾は、私に必要なものだと理解しているよ。だが、最近の君は私の足を引っ張ってばかりだ。弁えて欲しいと言ってるだけだよ」


 それはカーラの欲しい答えじゃなかった。

 ただ抱きしめて、君が必要だと言って欲しかった。


「……やめてくれ。私は泣く女が嫌いだって、知っているだろう」


 泣く……?

 気づけば、カーラは涙を流していた。アウト―ル公爵家の姫として、誰よりも気高く美しい自分が、無様に感情を揺らすだなんて。


「……もういい。下がってくれ」


 溜息を隠しもせずにジェントは手を振ってカーラを追いやった。最愛のジェントにまるで取るに足らない者の様に扱われ、カーラは心がひび割れていくようだった。


 呆然自失のままフラフラと自室に戻ったカーラは、ぽつりとつぶやいた。


「許せない……」


 燃え滾るような憎悪が、カーラの中に渦巻く。

 誇り高き『アウト―ル公爵家の華』が、あのような平民に劣るなどと、許せるはずがない。

 虫けらと油断して放置したから、貴族に楯突くような毒虫に成り下がるのだ。

 例え相手が虫けらであろうとも、全力で叩き潰さなければいけなかったのだ。


 カーラは便箋を手に取ると、自分の父であるアウト―ル公爵に手紙を書いた。

 あの忌々しい平民を、ジェントや王家よりも早く捕まえなくてはならない。ジェントがあの平民を先に探し出して愛妾にしてしまえば、カーラの存在意義が更に薄れる。家柄だけが取り柄のお飾りの妃になるつもりはない。

 

 ジェントはあの平民がカージン王国内に潜んでいると睨み、国内を虱潰しに探しているようだ。未だに見つかっていないのなら、国外に居る可能性が高いだろう。父に助力を願い、国外を重点的に捜索してもらうつもりだ。


「最初から、こうしていればよかったのよ」


 国の危機など、カーラにとってはどうでもいい事だった。彼女の頭にあるのは、ただジェントの寵愛を取り戻す事と、『アウト―ル公爵家の華』として、誇りを取り戻す事だった。


 それを邪魔するのなら、最初から居なかったことにすればいいのだから。

 

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― 新着の感想 ―
 国がなくなればちやほやしてくれる人間も環境も無くなるのに…。次期王妃どころか公爵家の令嬢としての教養もなさそうだな。
己をわきまえていれば生き延びられたかもしれないのに、自ら自滅の道を選ぶ、か……
父公爵が国外を探して確保できたら自分が抱え込むって妄想してるけど、公爵が娘にも王家にも秘匿して抱え込むって発想はないあたりお子様だな~。
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