28 カージン王国からの追っ手
遅れてすみません。
ちょび髭上司が去った後。
ジェントは腹心の部下である側近、ブレイク・オーリーを呼び出した。
「ジェント殿下。お呼びと伺いました」
「……ああ、来たか、ブレイク」
王太子の側近は何人かいるが、ブレイクはその中でも身分、能力ともにトップクラスだ。オーリー侯爵家の嫡男であり、ジェントが王となるころには、父親の後を継いで宰相の座につく事になるだろう。オーリー侯爵家特有の蒼髪と、同じく蒼の瞳で、女性の如く美しい顔立ちだが、その性格は代々宰相を輩出している侯爵家の次期後継らしく、冷酷で苛烈だ。優秀な王太子であるジェントに忠誠を誓い、次代の王たるジェントを支える柱の一つになると目されていた。
「……殿下? カーラ様の西の砦への御出立はいつごろになりますでしょうか。警備のための騎士団、魔術師団はいつでも出立できるよう、準備させております」
ブレイクはカーラの派遣に備え、過不足のないように準備を進めていた。優秀な魔術師ではあるが、カーラは王太子妃となる尊き身だ。万が一にも危険があってはならない。
「カーラの西の砦への派遣は中止だ。どうせ無駄になるからな」
皮肉気に頬を歪めるジェントに、ブレイクは驚く。床に散らばった書類に、荒れた部屋。何があったのかと、ブレイクは眉を顰めた。
「何事でございましょう、殿下?」
ジェントは乱暴な手つきで床に落ちた書類を示した。ブレイクはいつも穏やかで冷静なジェントの、常にない苛立った様子に驚きながら、床の書類を拾い上げた。書類に目を通し、久々に見かけた名前に驚く。
「リャーナ……」
ブレイクの声音には、憎々し気な色が濃い。それもそのはず、その名は、学園在学中、王太子ジェントに次いで優秀だと褒めそやされていたブレイクを、万年3位の座に甘んじさせた女の名前だったからだ。カージン王国の王立学園は、例え相手が王族であろうと、学業に関しては一切忖度がない。恐ろしいまでの実力主義であり、それが諸外国からも高い評価を得ている所以ではあるが、そのために孤児の平民などが主席の座にあり続けることを許したのだ。王太子ジェントならいざ知らず、あのような下賤な者が自分の上にいるなど、ブレイクにとっては到底許しがたい事だった。
だが学園を卒業するころには、その評価は一変した。王太子ジェントと王太子妃と目されているカーラ、そしてジェントの側近たちにより合同で発表された結界魔術陣の論文。それはカージン王国内どころか、国外にも大きな影響を与え、高い評価を得た。学園内の成績順は覆すことが出来なかったが、あの平民など霞む様な成果をジェントとブレイク達は成し遂げたのだ。ジェントの情けであの平民も、論文の片隅に名を連ねる事が許されたが、裏方のような仕事をこなしただけの取るに足らない平民が生意気なものだと、苦々しく思った。
リャーナは学園での成績が認められ、王宮に勤めることになったが、その身分は最下層の文官だった。学生時代にいくら成績が良くても、所詮は下賤の平民だ。王宮の中枢で高貴な人々に囲まれながら仕事を熟す自分に比べ、王宮の片隅を駆けずり回って仕事をしているリャーナの姿を見て、ブレイクはようやく正しい評価がなされたのだと、留飲を下げていた。
そんな取るに足らない最下層の文官であるリャーナの名につられ、ブレイクは手にした書類を読んだのだが。読み進めていく内に、その顔は険しく歪んでいった。
「……ジェント殿下。これは、この書類に書かれている事は、事実なのですか? 」
「ああ、事実だ。カーラも認めたよ。彼女の第一魔術師隊での華々しい功績は、全てリャーナのものだった」
動揺を抑えつつブレイクがジェントに問えば、ジェントは冷えた声で淡々と答えた。
「それなのに、あの平民の退職をお許しになったので? 」
書類に書かれていたリャーナの功績は、常識では考えられないものばかりだった。結界魔術陣への定期的な魔力供給、討伐レベルの高い、危険な魔獣の単独討伐。本来なら第一魔術師隊全員で取り掛からなければならない仕事を、殆どリャーナ単独で熟している。これが本当なら、第一魔術師隊の業務はリャーナ一人で請け負っていたことになる。第一魔術師団と言えば、身分も能力も高くなければ配属されない、いわば花形の部署だ。そんな花形の部署の魔術士達を押しのけて、なぜあの平民が仕事をしているのだ。
それでもあの平民が、これほどの功績を残しているのならば、安易に退職など認めるべきではなかっただろう。どうせ取るに足らない平民なのだ。使い潰すつもりで死ぬまで扱き使ってやればいいものを、みすみす逃すなど、合理的なジェントらしくもない。
「……リャーナの無能な上司から、事後報告で退職を知らされたのだ。リャーナの功績も、その上司がカーラの功績として報告していた。リャーナがこれほどの働きをしていたと知っていたら、退職など許すはずがないだろう」
ジェントはカーラ以外を正妃に娶るつもりはないが、自分の娘をジェントに宛がい、なんとか権力に食い込もうとする諦めの悪い貴族も一定数いるのだ。そんな敵の多い未来の王太子妃を慮り、カーラの功績としたのは理解できるが、それでどうしてその功績を供給する側であるリャーナの退職を許したのか。
「大方、あの無能は、碌に書類も読まずにサインをしていたのだろうよ」
ジェントが忌々し気に呟くのに、ブレイクは納得する。そんな阿呆がブレイクの働く宰相部に居れば容赦なく斬り捨てるが、コネだけで王宮の職を手に入れた者の中には、そういう無責任な奴もいるのだろう。
「それにしても、なぜあの平民は辞めたのでしょうか。平民の孤児にとって、王宮で働くなど、身に余る幸運だと知っているでしょうに」
カージン王国において、孤児の働く場所などないに等しい。平民が営む商会や小さな商店ですら、身元の保証がない孤児は煙たがられるのだ。男なら鉱山や港などの力仕事など、過酷で給金も安い仕事なら辛うじて望めるかもしれないが、女では娼館に行くか物乞いぐらいしかない。そんな境遇が当たり前の孤児にとって、王宮で働けるなど、破格過ぎる待遇なのだ。
「分からんが、カーラに対して不満があった様だな。仕事を押し付けられ、功績も奪われ、面白くなかったのだろう」
「平民の分際で何を生意気なっ! 未来の王太子妃たるカーラ様のお側で働くならば、そんなことは当然だというのに」
生粋の王族と貴族であるジェントとブレイクは、一般的な文官の給与がどれぐらいなのかは知らないが、市井の仕事に比べれば遥かに高級取りだということは知っている。ましてやリャーナは孤児である。市井ですらまともな仕事に付けないのが分かっていて、どうして文官を辞めたのか。多少の不遇があったとしても、文官を続けていたら方が安泰だったろうに。
「退職して三月余りですか。もしも路上で生活しているならば、生きているかも怪しいですね」
ブレイクが冷ややかに告げれば、ジェントは首を横に振った。
「あれは魔術に長けている。正式には魔術師と名乗れなくても、モグリの魔術師として働いているかもしれない」
「リャーナが、法を犯していると? 」
カージン王国では、魔術師という高貴な職業は貴族のみと決められている。いくら魔術の才能があっても、平民の魔術師という存在は認められず、勝手に魔術師と名乗れば罰される。そもそも魔術は高度な知識を要する。火を付けたり、風をおこしたり、水を出したりといった単純な魔術なら、簡単な詠唱で行使可能であるが、魔獣を倒すレベルの魔術は知識がなくては発動すらしない。そういった高度な魔術を使えるのは貴族の特権であり、リャーナのような平民が特待生とはいえ学園で学ぶ事が出来たのは、本当に稀なことなのだ。
「いくら元はカージン王国の誉れ高き文官だったとしても、所詮は下賎な平民だ。金に困れば犯罪に手を染めることもあるだろうさ」
ジェントがそう吐き捨てると、ブレイクは納得した様に頷いた。ブレイクはこれまで金に困ったことなど一度もないが、貧困が犯罪の原因の一つであることは知っている。困窮したリャーナが隠れて魔術師として働くのはありえそうな気がした。
「ブレイク。リャーナを探す手はあるか? 」
ジェントに問われ、ブレイクは暫し考えこんだが頷いた。
「父の手の者に、市井に詳しい者がおります」
宰相であるブレイクの父の部下は多い。その中には、諜報を得意とするものがいる。市井に潜りこませ、国内に不穏な動きがないか常に探らせているという。父からはいずれ宰相の地位を継いだ時に必要になるからと、彼らの使い方を今から学べと言われていた。リャーナを探すのはちょうど良い練習になるだろう。
「その者たちならば、必ずリャーナの情報を拾ってくるでしょう」
ブレイクの言葉に満足そうに頷いたジェントだったが、ふと思いついたように口を開いた。
「……ブレイク。リャーナが他国へ行った可能性も考えられないか?」
「他国ですか? アレに他国に渡る伝手がありますでしょうか?」
カージン王国は他国との交流はあるが、それほど積極的に関わる事は無い。元より閉鎖的な国の為、余所者を嫌うのだ。そんな国で生まれ育ったリャーナに、他国と繋がる術があるとは思えない。
「リャーナ一人では難しいかもしれないが、その伝手がある者が手助けしたとしたら? リャーナは学生時代、やたらと教授たちに可愛がられていただろう。あの教授たちならば、リャーナに入れ知恵していたとしてもおかしくはない」
「学園の……。ありえますね」
ブレイクはジェントの仮説に納得した。カージン王国王立学園は、王立学園と謳ってはいるがその実、教授たちで組織する教授会が学園の全てを握っていた。たとえ国王といえど、伝統的に学園内の事に口出しすることは出来ず、学園には自治権が認められていた。学園は学問の場であり、生徒間の社交は認められていたが、身分による忖度は一切認められず、たとえ高位貴族であろうと、成績が足りぬ者は容赦なく落第していたし、逆に身分が低くても成績の良い者は、特進クラスで高水準の授業が受けられるだけでなく、学園から学費や生活費の補助までもらえ、真摯に学ぶ者を手厚く保護していた。
在学中は常に主席であったリャーナは、学園の教授たちに殊の外可愛がられていた。時にはリャーナが助手の様に教授たちの研究の手伝いをしていたこともあった。特に魔術学教授のテアル•リーソは、リャーナに自分の全ての魔術の知識を教え込むほどの熱の入れようだった。リーソは生徒たちから『彫刻』とあだ名を付けられるほど気難しい老教授なのだが、なぜかリャーナもリーソを慕い、懐いていた。リャーナがあれほど魔術に傾倒したのも、テアル•リーソの影響力が強かったからだろう。
「結界魔術陣の発表の時も、あの男は最後まで私に抗議していたからな。あれはリャーナの功績だと、煩かった」
「愚かなことを……。平民の名で論文を発表したところで、何になるのか」
たとえ結界魔術陣の大半をリャーナが作り上げたものだとしても、リャーナ一人の名で発表しては、誰も興味をもたない。結界魔術陣は、王太子ジェントの名で広めたからこそ、他国にまで影響を与えたのだ。
ジェントはいずれ国王になる。王の名の元に勧められる国の事業は、王が直接采配を振るわけではない。実務に関しては、王の手足となって働く優秀な者たちが行うのが当然だ。結界魔術陣だって、リャーナはジェントの手足となって結界魔術陣を作り上げたのだ。次期国王の功績となって当たり前だ。リャーナは臣下として正しく務めを果たし、特待生の費用の返済免除と王宮への就職という、孤児には破格の褒美だって与えられた。どうして不満に思う事があるのか。
「ブレイク。リャーナの捜索は国内を重点的に、手掛かりがないようならば、国外も視野に入れろ。あの忌々しい学園の教授たちの動向にも気を付けてくれ。もしや、リャーナを匿っているかもしれん。学園の自治など、国の大事の前では無意味だ。抵抗されたら、騎士を動かしリャーナを奪還しろ」
王太子ジェントの命令に、ブレイクは居住まいを正した。結界陣が働かなくなって、城下にも動揺が広まっている。早急な事態の解決が必要なのだ。
「必ずリャーナを連れ戻せ。あれは、この国に必要なのだ」
「承知いたしました」
たとえリャーナ自身が戻る事を望んでいなくても、それがジェントの命ならば、ブレイクは従うまでだ。
恭しく頭を下げ、1人の猟犬が動き出した。