27 カージン王国の異変
その日、王太子ジェントは妃教育を受けているカーラの元に急いで向かっていた。
溺愛する婚約者に会いたいからという、甘やかな理由ではなく。緊急事態が起きていた。
「失礼します!」
ノックもそこそこに部屋に入ったジェントは、王妃と楽し気に談笑していたカーラの顔を見て、ホッと安堵した。
「何事です、ジェント。先触れもなく押し掛けるとは」
母である王妃に窘められ、ジェントは慌てて無礼を詫びる。
この日、カーラの妃教育の講師を務めていたのは、カージン王国の王妃にして、ジェントの母である。妃教育には他の教師もついているが、王妃たる母が一番厳しいのだと、カーラは苦笑していた。
そんな厳しい王妃の叱責は、妃教育を受けるカーラだけでなく、王太子であるジェントにも向けられる。先ぶれもなく王妃の部屋に押し掛けるなど、実の息子とはいえ酷いマナー違反だ。
「申し訳ありません、母上。カーラを探していたのです」
「いくら婚約者が恋しくても、礼を失する理由にはなりませんよ」
王妃の叱責は続いていたが、ジェントはそれを遮ってカーラに話しかけた。
「カーラ。西の砦に急いで向かって欲しい。結界の魔術陣の魔力が切れたそうだ」
「え?」
結界の魔力陣。王太子ジェントにより開発された、魔獣を防ぐ画期的な魔術陣だ。膨大な魔力を必要とするが、その効果は絶大で、これまで魔獣討伐に費やしていたカージン王国の防衛費を大幅に削減する事が出来た。カージン王国の国防は、今や結界の魔術陣ありきの方針が取られている。兵や魔術師の雇用を減らす代わりに産業や国内の整備に予算を割いているのだ。大きな声では言えないが、王族の遊興費も大幅に増えた。
「最近、魔術師団の魔獣討伐が滞っているのだ。その上、結界の魔術陣への魔力供給も追いついていない。全く、魔術師団への人員を補充したというのに、一体どうなっているのか。魔術師団の調査はこれから行うが、今は急ぎ結界の魔術陣への魔力供給が必要なのだ。カーラ、妃教育で忙しいとは思うが、これも私の妃としての大事な仕事だよ。これまで何度も魔力供給はしているから、それほど負担はないだろう?」
魔術師団からは、これまで何度もカーラが結界の魔術陣に魔力供給を行っていると報告を受けていた。妃教育が本格化し、忙しい所に別の仕事を振るのは忍びないが、結界の魔術陣が作動しないと、国の存亡にかかわるのだ。
「え、あの、私が? ほ、他の魔術師では、ダメなのですか?」
「他の魔術師に供給させたら、ほんの少ししか供給できなくてね。あれでは結界の魔術陣は3日も保てないそうだ。やはり、君ほど優秀な魔術師はいないのだよ。とはいっても、未来の王太子妃にいつまでも頼る事は出来ないから、せめて魔術師たちの体制が整うまで代理を務めてくれないか?」
「で、ですが、私には妃教育が……」
ジェントの言葉に、王妃もようやく冷静さを取り戻し、カーラに向かって鷹揚に頷いた。
「そういうことなら、仕方がないわね、カーラ。しばらく妃教育はお休みにしましょう。貴女は優秀だから、少々休んだところで十分に挽回できますよ」
王妃の言葉にジェントが誇らしげに微笑み、カーラの髪を一房手に取って口付ける。
王妃の後押しや、カーラの力を信じ切ったジェントの様子に、カーラは逃げ場を失い、狼狽を隠し切れなかった。そんなカーラに、ジェントは訝しげに問う。
「カーラ? どうした?」
「……です」
「え?」
「無理です! 私には、無理です!」
血相を変えて叫ぶカーラに、ジェントと王妃は顔を見合わせる。
「無理って、何がだい? ああ、久し振りに魔術師として働くから心配なのかな? 大丈夫、魔獣討伐を熟す君には不要かもしれないが、西の砦までは騎士たちに警護をさせる。今回は魔力供給以外の余計な仕事はしなくていいんだよ? 簡単だろう?」
「魔獣討伐? 魔力供給? そ、そんな事、私、したことがありませんわ!」
「え?」
カーラの言葉に、ジェントは目を丸くする。
「魔獣討伐や魔力供給なんて、下々のする仕事ではございませんか! 私はいずれ王太子妃となる身なのですよ! どうしてそんな仕事をしなければなりませんの!」
うるうると瞳に涙を溜めるカーラに、ジェントは困惑する。意味が分らなかった。学園に通っている頃から、筆頭侯爵家の娘であるカーラの魔力量は他の生徒たちより群を抜いていた。所属する魔術師団でも、カーラに匹敵するほどの魔力量を持つ者はいない。だから、魔魔術師団の挙げた数々の功績は、殆どがカーラの報告を受けていて、それに疑問を持ったことはなかった。カーラ以上の実力を持つ魔術師など、いないのだから。
ジェントはふと、嫌な予感がした。魔術師団の功績がカーラの功績でないのならば、一体誰のものなのか。未来の王太子妃に忖度して、カーラの代わりを務めていた魔術師がいたとしても、どうして急にカーラの代わりに仕事をしなくなったのか。思い当たる理由は一つしかなかった。魔術師たちの討伐が滞りはじめたのも、魔力供給が上手くいかなくなったのも、ジェントが知る、ある人物が王宮を辞めた頃からだ。
取るに足らない筈の平民の文官。大した働きがないくせに、不平不満ばかりが多いと周囲の同僚たちからも評判の悪い文官。いなくなって、誰もが清々したと嗤っていた文官。
だが、本当にそうだっただろうか。学園に在籍していた頃、カーラに及ばないにしても、彼女に対する教師たちの評価は高かった。魔力量も多く、平民でなければ名のある魔術師になれるであろうと。王太子たるジェントを差し置いて、満点主席で学園を卒業した実績もある。あの時は、王族を慮ることも出来ないのかと、平民の至らなさを苦々しく思ったものだが。
「カーラ。それじゃあ誰が、討伐や魔力供給をしていたんだい?」
嫌な予感を打ち消したくて、ジェントは恐る恐るカーラに訊ねた。もしもジェントの予想が合っていれば、カージン王国はとんでもない逸材を放逐したことになる。違っていて欲しいと、心の底から願っていた。だがジェントの願いも空しく、カーラは不貞腐れながら、ツンと顔を逸らして答えた。
「もちろん、あの忌々しいリャーナですわ。あのような汚れ仕事は、平民こそ相応しいではありませんか」
◇◇◇
ちょび髭上司は王太子に呼び出され、重い足を引きずって王太子の執務室に向かった。
用件など分かり切っている。郊外に溢れた魔獣と、結界の魔術陣の魔力切れ。王宮内はその対応にどの部署も大騒ぎなのだから。
ちょび髭上司の部署も御多分に漏れず、というよりは魔獣討伐と結界の魔術陣への魔力供給が主な仕事であるため、それこそ部署の全員が率先して休む間もなく働いている。不眠不休で働いても、討伐も供給も全くと言っていいほど間に合ってはいないのだが。
「どういうことだ! なぜリャーナの退職を認めた! お前はリャーナの価値を知っていたのだろう?」
ジェントの執務室に入るなり、怒鳴りつけられ花瓶を投げつけられたちょび髭上司は、ジェントの剣幕に怯え、悲鳴を上げて後ずさった。退職の書類に確認もせずにサインしたのは間違いなくちょび髭上司だ。それに関しては言い訳は出来ない。まさか書類は碌に目を通さず、印だけ押しているなんて言えるはずも無い。
リャーナがもしも真っ当に退職届を差し出していたら、もちろん許可などするはずがなかった。リャーナが居なければ、魔術師団の仕事が回らなくなるのは分かり切っていたからだ。
「た、退職は、ほ、本人の自由ですので……」
ちょび髭上司は規則通りの回答をする。文官は奴隷ではない。よほどの機密事項を知りうるような立場なら別だが、離職は本人の自由だ。
ジェントはグズグズと言い訳をするちょび髭上司の足元に、書類を投げつけた。ちょび髭上司はぎくりと身体を強張らせる。足元に広がった大量の書類は、これまで彼が提出した報告書だ。
「お前の部署から上がった報告書だ。ここに書かれている成果は、その全てがリャーナのものだろうが!」
報告書にはサラマンダーやワイパーンなどの討伐困難な魔獣ばかり。結界魔術陣は一つの大きな結界ではなく、カージン王国の各所に貼られている。どうしても結界と結界の間には効果の届かぬ場所があり、魔獣が入り込むのだ。これまで隙間に入り込んだ多くの魔獣を、魔術師団は討伐しているのだが。
「その報告書にある魔獣の討伐を行ったのは、全てリャーナだという事は分かっている。それを知っていて、なぜ易々とリャーナの退職を認めたのだ!」
ちょび髭上司はダラダラと汗をかきながら、言葉を返すことができなかった。ただ一方で、ムクムクと反抗心みたいなものが沸き起こる。
ジェントだって、リャーナが辞めた事を報告した時は、大したことないと言っていたではないか。それなのに、なぜここまで責められねばならないのか。
それに、カーラを始めとする高位貴族の魔術師たちが仕事をしないなんて、誰も口にしないだけで周知の事実じゃないか。そう考えれば、いったい誰がカーラたちの代わりにしていたかなんて、馬鹿でも察せるだろう。
「まったく、リャーナも可哀そうに。頑張っていたのに、全ての手柄をなかった事にされていたなんて。君の部下に対する評価はどうなっているんだ。いくらなんでも、全てをカーラたちの功績にすることはないだろう」
ジェントの責める様な言葉に、ちょび髭上司の中に生まれた反抗心は、抑えようがないぐらい大きくなった。ここは謝り続けるのが最善だと分かっていたのに、思わず口を開いていた。
「ですが! あの娘の扱いはいつもそうだったではありませんか! 」
口に出すと、止まらなかった。どうして俺だけが批判されるのだと、理不尽に感じた。
「結界の魔術陣だって、全てあの娘の手柄ですが、王太子殿下たちの功績だと発表されていますしね! 」
ハッと口を押えたが遅かった。ちょび髭上司の目の前で、みるみるジェントの顔は赤黒くなっていく。
「なんだと! 貴様、この俺を愚弄する気か!」
ジェントの怒りをヒシヒシと感じたが、もうこうなるとちょび髭上司も言いたい事は言ってしまえという気分になった。どうせ不敬罪に問われるのなら、鬱憤を晴らしてしまいたい。
「……そうじゃないと仰るなら、結界の魔術陣の改良でもなさってはいかがでしょう。開発者の1人であるリャーナは、よく言ってましたよ。結界の魔術陣を改良できれば、もっと魔力の消費が押さえられるようにできると」
討伐と魔力補充で忙殺されていて、その時間がないから何とか仕事を減らして欲しいとリャーナは訴えていたのだが。あいにくと他に仕事を任せられる人員はいなかったのだ。
「な、か、改良? 結界の魔術陣をか?」
「ええ。理論上は今の消費魔力の3分の1まで減らせると言ってましたよ。ただ効率化が難しくて、なかなかうまくいかないと」
ちょび髭上司は口角を上げた。さぞや嫌味ったらしい笑みになっていただろう。鏡がないのが残念だ。
「……出来るのでしょう、王太子殿下。貴方のお作りになった魔術陣ではありませんか」
そう言ってやれば、嫌味だと分かったのだろう。ジェントの額には青筋が浮いた。
「……お前はクビだ! 二度と私の前に姿を現すな!」
一方的に言い放って、ちょび髭上司はジェントの執務室から追い出された。
ちょび髭上司はふんと息を吐いた。クビになりせいせいした。元々、辞めるつもりだったのだ。
今、王宮内は荒れている。結界魔術があるからと過剰に魔術師や兵士を削減したせいで、結界魔術がなくなった今、魔獣討伐が間に合わず、どんどん村や街に被害が広がっている。そうだというのに王家は保身に走り、貴族たちは責任をなすりつけ合い、結局何の処置もできていない。
昔は、ちょび髭上司だってちゃんと魔術師として仕事をしていたのだ。今より部下の魔術師も多く、怪我も苦労も多かったが、ちゃんと魔獣討伐だって出来ていた。部下からの報告書を精査し、次の魔獣討伐へ対策に役立てていた。魔術師として誇りのある仕事をしていた。
それが、結界の魔術陣が出来て。今までの様に沢山の騎士や魔術師は必要ないと言われ、部下は半分以上減らされた。しかもカーラや取り巻きの高位貴族たちが精鋭たる第一魔術師団に配置され、使えない部下ばかりが増えた。リャーナに負担が偏っていたことは分かっていたが、自分より身分の高い部下に仕事を命じることも出来なかった。それを見ないふりをして、闇雲にカーラたちの味方をしていた自分も悪かったと、ちょび髭上司は分かっていた。首になったとしても仕方がないのだ。
自分の荷物を纏め、王宮を出る時。ちょび髭上司は振り返って、その荘厳な姿をぼんやりと見つめた。
今更ながら、今後この国はどうなっていくのかと、不安に思ったのだった。




