24 マルクとの面談
マルクの評判が驚くほど悪いです。
徐々に巻き返していくはず。亀より遅い進歩ですが、温かく見守って下さい。
「久しぶりだな! リャーナ嬢」
「お、お久しぶりです……」
ピカピカの笑顔のマルクに、リャーナは疲れた顔で頷く。
リャーナはこの日、魔術師ギルドで久々にマルクと会った。臨時学会後は、リャーナもマルクも忙しくなり、暫く顔を合わせていなかった。
魔術師ギルド内といえど、もちろん2人きりなんてことはなく。マルクにはいつものように護衛官のショーンが付いていた。ショーンは軽くリャーナに目礼を交わした後は、静かに控えている。
3人がいる部屋のドアは開かれていて、部屋の外を行きかう魔術師たちの姿もちらほら見えるほど開放的だ。リャーナもマルクと魔術談義を交わした事で最初の苦手意識が薄れ、こうやって話すぐらいは平気になっていた。
「なんだか疲れているようだが、大丈夫か?」
「……色々とありましたが、大丈夫です」
緊張し重圧で押しつぶされそうだった臨時学会が終わって、ようやく一息つけるとリャーナは思っていた。しかし、臨時学会が終わってからの方が大変だった。
先日、利益管理人フロスのお眼鏡に適ったリーズ商会とようやく契約が決まったのだが、フロスの選別から漏れた輩の中にはしつこい者も多く、リャーナに直接交渉しようと待ち伏せしたり、高圧的な態度で脅して来たり、酷い時は攫ってでもいう事を聞かせようと、実力行使に出る者もいたのだ。
もちろんリャーナは皆から口酸っぱく絶対に一人で行動しないようにと忠告されていたので大事には至らなかったが、こういった実力行使に出ようとした輩を払拭したのも、意外な事に利益管理人のフロスだった。ダルカスやマーサや魔術師ギルドが出る幕もなく、『鮮血の利益管理人』の二つ名に相応しい見事な働きだった。フロスの見た目はとても上品そうなお爺さんなのに、『鮮血』というのは相手の返り血なのだという余計な情報まで、リャーナは知ることになった。フロスの仲間には治癒魔術が得意な者がいるので、『なかったことにするのは得意なんです』と穏やかに笑っていたのが、ちょっとだけ怖かった。
こんなに大事になるとは思っていなかったリャーナは、契約を交わしたリーズ商会が脅されたり危険な目に合わないかと心配になったのだが、フロスはその点は全く気にしていなかった。リーズ商会の商会長であるユージンは、荒事とは無関係そうな、とても穏やかな人だったのだが、フロスが、『あの腹黒の商会長ならば、多少の妨害など平気で捻り潰すでしょう』と言うぐらいなので、心配するだけ無駄なのだろう。
「そうか。色々あったのだな。忙しいのにわざわざ時間を作ってもらって悪かったな……」
「いえいえ。私はそれほど忙しくはないです! マルク殿下の方がお忙しいでしょう!」
平民のリャーナと皇太子のマルクのどちらが忙しいかなんて考えなくても分かる。今日だって、政務の合間のほんの半刻しか時間を作れなかったらしい。元気そうな口調とは裏腹に、隠し様のない目の下の隈が痛々しい。
「付与魔術について、要請を受け入れてくれたそうだな」
「は、はい」
マルクに嬉しそうに言われて、リャーナは頷く。
「こちらから提案をしていてなんだが、大丈夫なのか? リャーナ嬢に不利益を与えてしまうだろう」
「そんな、不利益だなんて。ドーン皇国から十分な補償が頂けるとフロスさんも仰っていましたから!」
ドーン皇国からの要請は、付与魔術の使用料金を安くすることだった。魔術というものは、当然ながら一般人にはそう簡単に扱えるものではない。知識と能力を備えた魔術師が魔術陣を作成する事で正しく作用する。新しい魔術が開発された場合、魔術師はその魔術を使用するたびに魔術の開発者に使用料を支払う義務が生じる。つまり、どこかの魔術師が収納魔術や付与魔術を使うと、開発者であるリャーナに使用料が入って来るという事になる。使用料をいくらにするかは自由だが、使用料を高くすれば勿論、リャーナの収入は増える。だが、ドーン皇国は付与魔術を広めるために、安価な使用料にして欲しいとリャーナに要請してきたのだ。
ドーン皇国と周辺国の関係性は安定している。というよりは、どの国も、他国に侵入している余裕はないというのが現状だ。その理由は魔獣にあった。遥か太古から、人は強く凶暴な魔獣の脅威に晒され続けていた。国の最も重要な役割は、魔獣から民を守る事だった。長い年月をかけ、人は魔獣に対抗する力を身に着けてきたが、魔術はその最たるものと言えるだろう。
特に付与魔術の様に、魔獣討伐に有効な魔術は秘匿するよりも広く知らしめたいというのがドーン皇国の方針だった。多くの騎士や冒険者たちが付与魔術を使えるようになれば、それだけ国の戦力が高くなる。補助を出して使用料を安く抑えたほうが、国の益になると考えたのだ。
「頂いたお金も凄い額でしたし……」
ドーン皇国から示された金額は目を疑うようなものだった。リャーナはフロスに、『思っていたより桁が5つ多い、間違いじゃないのか』と震えながら確認したのだが、フロスは『妥当な金額です』とにっこり笑っていた。それでもフロスが設定しようとしていた使用料で得られる金額より大分低いらしい。今後、リャーナがドーン皇国で魔術師としての地位を固めるならば、利益ばかりではなく実績も積むべきだというのがフロスの考えだ。その点、付与魔術の安い使用料は国への貢献として十分認められる。
「本当に、あんなに頂いてもよろしいのでしょうか」
冒険者ギルドで作った口座には今、恐ろしい額の貯金があるのだが、リャーナには未だにそれが自分のものだという実感がない。なにせリャーナの貧乏性は、身体に染み付いている。ポンと大金を目の前に積まれて好きなものを買ってもいいと言われても、怖くて手が出せなかった。ダルカスとの討伐報酬や、魔術師ギルドで重鎮たちのお手伝いをしたお駄賃で、ちまちまと服を買い足したり、お菓子を買ったりするぐらいが、リャーナの考えられる精一杯の贅沢だった。それだって、実行するのに物凄く勇気が必要だったのだ。
「付与魔術のお陰で、騎士団の負傷者が目に見えて減っている。冒険者ギルドからも同様の報告が上がっている。民の命を守ってくれた君に対する褒賞としては足りないぐらいだよ、リャーナ嬢。素晴らしい魔術を作ってくれて、本当にありがとう。今日はどうしてもそのことが伝えたくて、時間を取ってもらったんだ」
マルクが表情を和らげてそう言うのに、リャーナは驚いた顔をする。
「うん、どうして驚くんだ?」
「あ、いえ。あの、自分の作った魔術のことで、ありがとうって言ってもらえたの、初めてだったので」
ダルカスたちには凄い凄いと何度も褒められていたけれど。面と向かってありがとうと言われたのは初めてだった。
呆然としているリャーナに、マルクは顔を顰める。初めて感謝の言葉を貰えたなどと聞いて、改めてカージン王国に怒りを感じた。あの国は、リャーナの作った魔術で、どれほどの民の命が救われたと思っているのか。それなのにどうして彼女は、感謝の言葉ぐらいで驚くのか。それ以上に、報われて当たり前なのに。
「リャーナ嬢。ドーン皇国には、君の開発した結界魔術陣がある」
カージン王国で結界魔術が発表された時、ドーン皇国はカージン王国に使用料を払い、結界魔術の使用権利を得た。結界魔術の使用料は高額で、大国と言われるドーン皇国であっても、国中に結界を行き渡らせるだけの使用権利は購入できなかったが、それでも特に魔獣の出現の多い領地などには結界魔術陣を設置することが出来た。
「結界魔術の維持には多量の魔力を使用するので常時展開は無理だが、討伐レベルの高い魔獣が現れた時などの非常時には術を展開させ、皇国軍の応援が来るまでの間、街や村を守っている。結界魔術は、何十人、何百人の民の命を救っているんだ。ドーン皇国では、誰もが皆、それこそ小さな子どもであっても、結界魔術に感謝しているんだ」
マルクの言葉に、リャーナは混乱した。だって、どうして自分に感謝なんてしてくれるんだろう。カージン王国では、結界魔術はあって当たり前のもので。王国中に設置された結界魔術陣に、ふらふらになるまで魔力を注ぐのは、リャーナの当たり前の仕事で。一度だってありがとうなんて、言われた事はない。誰だって、そんな当り前のことに感謝なんてしないのに。
「リャーナ嬢のしていたことは、当たり前の事じゃない。リャーナ嬢だって、魔獣がどれほど危険か知っているだろう? 魔獣を倒す術を持つ者など、一握りだ。普通の民は、成す術もなく殺されてしまう。そんな弱い民たちにとって、魔獣に襲われた時、結界魔術がどれほどの希望となるか……!」
皇太子であり、魔術師でもあるマルクは魔獣の無慈悲さを知っている。予期せぬ魔獣の襲撃で軍が間に合わず、全滅してしまった小さな村だっていくつもあった。結界魔術陣のお陰で、そうした被害が全てとは言わないが、確実に減っているのだ。
だから、どの国でもカージン王国に感謝していたのだ。結界魔術の使用料が高額だとしても、その英知に対する対価としては当然だと、どの国も納得していた。緻密に計算され作り込まれた魔術陣は、一朝一夕で出来るものではない。カージン王国も多大な労力と財力を注いで結界魔術を開発したものだと思っていた。そんな英知を秘匿することなく公開してくれたのだ。高額な使用料はむしろ、開発者たちに還元されて当然だと考えられていたのに。
まさかその最大の功労者が、感謝されるどころか、たった月10万ピラの給料で働かされていただなんて、誰が思うだろうか。カージン王国は労せず手に入れた魔術陣で荒稼ぎをする、ただの恥知らずだったのだ。
「誰がなんと言おうと、私は、皇太子マルクは、君に深く感謝している。ありがとう、リャーナ嬢。我が国の民の命を救ってくれて」
マルクの真面目な表情と、言葉。それが嘘でもなんでもなく、マルクの心からの言葉だと感じられる。
リャーナは、カージン王国でのことをぼんやりと思い出していた。
リャーナは平民で、孤児で。初めは満足に文字も読めなかったが、孤児院で毎日毎日、必死に勉強して。本ばかり読んでいたらサボっていると怒られて殴られたり食事を抜かれたりしたけど、頑張って隠れて寝る間も惜しんで机に齧りついて。街に出て小さな仕事をいくつも掛け持ちして稼いで、王立学園の入学料を貯めて。運よく入学試験に合格して、特待生になって、周囲に馬鹿にされながら、それでも毎日勉強して。魔術なんて本を読んでも難しすぎて最初は全然理解出来なくて、教授の部屋に怒られるぐらい通い詰めて、理解出来たら面白くて。少しずつ、少しずつ検証と実践を繰り返して魔術陣を作り上げて完成させて。文官になっても仕事が多すぎて、死にそうにもなったけど。それでも魔力を注ぐたびに結界魔術陣が正確に作動して魔獣を防いでいるのが、とても嬉しくて。やっぱり魔術が好きで、好きな仕事をして生活出来るなら、これ以上の幸せなんてないと思っていたけど。
「ありがとう、ございます……」
初めて知った。凄いねって褒められて、ありがとうって感謝されることで、こんなに幸せな、誇らしげな気持ちになれるなんて。胸が温かくなって、頑張って良かったって思えた。
ぽろぽろと、涙が溢れた。耐えきれずに、ひっくひっくとしゃくりをあげるリャーナに、マルクは飛び上がるほど驚いた。
「リ、リャーナ嬢? な、何故泣くんだ? ああ、俺はまた、何か失言をしてしまったか? す、すまない。な、泣かないでくれ……」
狼狽えるマルクの声は、胸が一杯で泣くリャーナの耳には聞こえていなかった。




