22 臨時学会後の騒動
ちょっと体調を崩してしまいました。
明日から少し投稿はお休みします。
「これで、私の発表を終わります。ご清聴、ありがとうございました」
満員の聴衆席に向かい一礼して、リャーナは晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
途端に、魔術師ギルドの大ホール中に割れんばかりに響いた万雷の拍手。誰もが興奮したように立ちあがって手を打ち鳴らしている。
リャーナはその反応に驚き、信じられないように目を丸くしていたが、再度、深々と頭を下げた。胸が熱くなって、目が潤んでしまったが、仕方がないことだった。こんな賞賛を受けたのは、初めてだったのだ。
臨時学会が開かれることになって、リャーナは毎日、眠れなくなるぐらい緊張の日々を送っていた。学会用に論文を仕上げるのも大変だったが、それ以上に苦労したのは、人前に立っての発表だ。論文を書くのは前回の結界魔術でもこなしていたのでなんとかなったが、発表はカージン王国の王太子とその取り巻きたちが全てやってくれたのだ。彼らがやったのはそれぐらいだが、それでも人前に出る必要がなかったのでリャーナにはありがたい事だった。
収納魔術は魔術師ギルドの重鎮たちが付いていてくれたが、付与魔術はリャーナ一人きりで発表しなければならなかった。人前に立つと頭が真っ白になってプルプル震えるリャーナを励まし、一緒に練習してくれたのは姉のシャンティだ。『観客なんて生えてる薬草と思えばいいのよ』と良く分からない事を言いながら、何故か畑にフルフルと震える人型の薬草を大量に生やして、発表の練習をさせてくれた。このためだけにシャンティは人型薬草を開発したらしい。何の効能もない薬草が畑を占領したので、薬師ギルドでは大騒ぎになったらしいが。
それらの苦労も、今日の成果を見れば報われるというものだ。温かな拍手に見送られ笑顔で舞台の袖に捌けたリャーナだったが、すぐにその腕を引っ張る者がいた。
「リャーナちゃん、こっちにおいで」
待っていたダルカスがリャーナの手を引いて足早に駆けて行く。なんだか客席の方から怒号が響いていており、その上、いつにないダルカスの切羽詰まった様子に、リャーナは発表の余韻も吹っ飛んで不安気に彼を見上げた。
「ど、どうしたんですか、ダルカスさん?」
「リャーナちゃんに会おうと待ち構えている人数がヤバイ。このままリャーナちゃんが奴らの真っ只中に飛び出したら、混乱が起こる。一先ず裏口から出て、控室に居てくれ。奴らの興奮が冷めたら、いや、……冷めないだろうなぁ。目が血走ってヤバかったから。うん、奴らを落ち着かせたら、迎えに行くから、待ってなさい」
「待っている人? お客さんですか?」
もしかしたら先ほどの発表を聞いて、何か質問がある人がいるのだろうかと、リャーナは思ったのだが。人数がヤバいとはどういうことなのだろう。そんなに質問者が沢山いるということだろうか。発表の最後に質問時間を設けて、ある程度の質問には答えたはずだがと首を傾げるリャーナに、ダルカスは溜息を吐いた。
「いやぁ。待っている連中は、そんな学術的なお話ではなさそうだぞ? ほら、フロスさんに注意されていただろう。ああいう輩だよ。ふふふふ。フロスさんが凄い舌鋒で奴らをコテンパンにしていたからなぁ。『鮮血の利益管理人』は伊達じゃねぇ。俺も負けられねえなぁ」
「鮮血? 」
フロスは物静かだが仕事にプライドを持つ熱意溢れる利益管理人だ。その熱意ゆえに『熱血』なら分かるが、鮮血とは何だろう。あまりにフロスのイメージからかけ離れていたため、リャーナは増々首を傾げる。
「いや、熱血だ、熱血。言い間違えただけだ!」
ダルカスが『しまった! 』という顔で慌てて訂正する。言い間違いにしても酷い二つ名だ。ダルカスも随分とおっちょこちょいだなぁと、リャーナは苦笑する。
そんな話をチョコチョコとしながら、ダルカスの案内で誰の目にも留まらず裏口から控室に戻ったリャーナを待ち構えていたのは、マーサとシャンティだった。ダルカスはリャーナを2人に託すと、足早に客たちの元に戻っていった。
シャンティは号泣しながら控室に入って来たリャーナを抱き締め、マーサは呆れながらそれを見ている。いつもの光景だ。
「リャーナちゃぁぁん。立派だったわぁ。お姉ちゃん感動で、初めから終わりまで涙が止まらなかったのよぉぉ」
それは発表を聞いていなかったのではないかとリャーナは思ったが、マーサが沈痛の表情で否定した。
「ギャーギャー泣いて煩かったけどねぇ。リャーナちゃんの発表は一言も聞き漏らさず、ノートに全部記録していたよ。我が娘ながら、ちょっと気持ち悪かったわ……」
マーサが指し示した先には、紙面を真っ黒に埋めつくしたノートがあった。リャーナの喋った内容が、言い間違いもそのまま記されていて、リャーナは素直に喋った内容をこんなに速く書けるなんて凄いなぁと、感動する。
「お姉ちゃん、発表を聞いてくれてありがとう。発表中もみんなの顔が見えて、凄く落ち着いたんだよ」
リャーナが嬉しそうにそう言うと、シャンティがぐふうっと胸を押さえて倒れた。『妹が、妹が可愛すぎて辛い』と悶えていたが、いつもの光景なので誰も心配しなかった。
「それにしても。予想はしていたけど、大変なことになったねぇ。しばらく騒がしくなりそうだ」
マーサが忌々し気に杖を奮う。途端、ピシャッと鋭い音が鳴って、控室の外から悲鳴が聞こえた。プスプスと焦げた匂いが漂ってきたが、マーサは眉一つ動かさない。
「ウチの旦那の目を掻い潜ってこんなところまで来るなんて、どこの手引きを受けたネズミかねぇ。まぁ、暫くまともに鳴けないだろうから、これに懲りたら飼い主の元に帰りな!」
よく見れば、マーサの格好は魔術師の正装だ。杖の魔石が煌々と輝き、彼女が臨戦態勢なのが分かる。
部屋には進入禁止の魔術がいくつも仕掛けられているのだが、それでは飽き足らずにマーサが侵入者を積極的に排除しているようだ。
「マ、マーサさん? 」
震える声でリャーナが呼べば、キリリと吊り上がっていたマーサの目が優しく緩む。
「お疲れさまだったねぇ、リャーナちゃん。今日の主役はそこでゆるりと休んでいな。露払いは私に任せてねぇ」
いつのまにか復活したシャンティが、ニコニコとお茶とお菓子を準備してソファに待機していた。だがシャンティの傍らには彼女のいつもの仕事道具が入った鞄があって、『うふふ。リャーナちゃんを困らせる奴らには爛れる系? 腐る系? どっちの毒がいいかなー?』と楽しそうに呟いている。彼女も十分殺る気だ。ちなみにシャンティの婚約者であるアンディは、外でダルカスと一緒に働いているらしい。
と、その時。
「ひゃっ?」
びりびりと部屋中を震わす様な、恐ろしい気配が外から感じられ、リャーナは思わず声を上げた。心臓を鷲掴みにされるような、夥しい魔力。下手したら気を失いそうになるそれは、どこか馴染のある魔力で。
「ああ、ウチの人の『威圧』だねぇ。集まっている連中を落ち着かせるって言ってたからねぇ。やれやれ、魔獣も白目を剥いて倒れる『威圧』を人間相手になんて、大丈夫かねぇ。不名誉な失敗をした奴がいなきゃいいけど」
リャーナは唖然として控室のドアに目を向ける。違う部屋にいても恐ろしい程の魔力だった。真正面から喰らったら、マーサの言う通り、『不名誉な失敗』をする人がいてもおかしくない。
「これがダルカスさんの威圧。この距離で凄い魔力の圧を感じますっ! 」
感動して興奮するリャーナに、シャンティが張り合う様に声を上げた。リャーナがダルカスを手放しで褒めるので、対抗心を持ったらしい。
「リャーナちゃん、リャーナちゃん! お姉ちゃんも『不名誉な失敗』を誘発する薬、作れるのよ! リャーナちゃんが使いたいなら、すぐに作るわよ! 経口摂取しなくても、皮膚や粘膜に触れるだけで効果を発揮するわ! 人の集まった部屋にばら撒けば、集団『不名誉な失敗』も可能よっ!」
シャンティの提案にリャーナはプルプルと首を振って断った。そんな薬、たとえどんなに嫌いな相手にでも、使いたくない。
莫大な利益を生む発明をしたリャーナだったが、その守りは、彼女の愛する家族たちで完璧に保たれていた。
◇◇◇
「こらぁ、ダルカス! 『威圧』なんて人間相手に使うんじゃねぇよ、馬鹿野郎が! お前の『威圧』は化け物並だってことを、そろそろ自覚しろ!」
冒険者ギルド長のライズに怒鳴られ、ダルカスは困惑する。
「いや、ちゃんと加減はしていますよ? ほら、誰も気を失っていないじゃないですか」
確かに、目の前の人々は気を失っていない。ただ、誰もが余りの恐怖に動けずにいた。辛うじて、『不名誉な失敗』をした者はいないようだ。
魔術師ギルドの大ホールを出た先では、多くの人間が本日の発表者であるリャーナを待ち構えていた。誰もが我先にリャーナと縁を結びたいと息巻いていて、中々出てこないリャーナに苛立ち、控室に押しかけようとする者もいたのだ。
だがダルカスの加減した『威圧』のお陰で、ホールはまるで水を打ったように静かだった。
「リャーナ様の利益管理人である私、フロスより、お集まりの皆様に申し上げます」
そこへ、フロスが静まり返る皆に、朗々とした声で告げる。
「収納魔術及び付与魔術の商品化についての契約は、依頼人リャーナ様より、私めに一任されております。私を通さぬいかなる契約も、一切の法的効力を持ちません事を、ここに宣言いたします」
リャーナに既に利益管理人がいる事を知って、数人の客たちが舌打ちした。その顔を、フロスやダルカスはじっと見つめて頭に叩き込む。こういう輩は、法の目を掻い潜って不利益な契約を結びかねない要注意人物だからだ。
それとは対照的に、期待に目を輝かせて姿勢を正す者もいる。こういう者たちは、真っ当な契約を結ぼうとする者だと、フロスは瞬時に読み取って彼らを冷静に見つめる。例え真っ当な契約で在ろうと、少しでもリャーナに利益を多くするのが、フロスの役目だ。甘い顔は見せられない。
フロスはパンッと大きく手を打って視線を惹きつけ、場を支配する。
「さて。私めとの商談を望む方は、どなたでしょうかな?」
フロスの元へと、利益を求める者たちが殺到していった。
「ふうぃー。知ってはいたが、おっそろしい爺さんだなぁ」
次々と殺到する客たちを軽々と捌いているフロスを横目に、ライズは息を吐いた。リャーナの代理人であるフロスが客を引き寄せてくれているので、ようやくホールの警備から解放されたのだ。
フロスは交渉の価値のある者とそうでないものを瞬時に選り分け、早くも客の選別を行っている。ごねる客もいないではないが、フロスの舌鋒に歯が立たずにコソコソと逃げ出していた。
「さすがは冒険者ギルド御用達の利益管理人ですねぇ」
ダルカスが感心したようにフロスを見つめる。ダルカスの『威圧』を物ともしなかったどころか、『威圧』で鎮まった人々を一瞬で支配した手腕は、まるで熟練の冒険者の様だ。戦いでは、場を支配した者が勝者となるのが必定なのだ。
「あの爺さんは利益管理人の中でも歴戦の猛者だからな。皇族相手だろうと決して怯まねぇ胆力がある。敵が大きければ大きいほど、燃えるらしいぞ。リャーナちゃんの利益管理人になれて、やりがいがある仕事だって喜んでいたからなぁ」
収納魔術を初めて知った時、『これはやべぇ』と利益管理人を手配して良かったと、ライズは心の底から思った。ポヤポヤしたリャーナだけだったら、あっという間に貴族や商人たちの餌食になっていただろう。そしてキレたダルカスとマーサ、シャンティにアンディの報復で、冗談ではなく、ドーン皇国は壊滅の危機に瀕していたかもしれないのだ。本当に、フロス様様である。ライズは最高の利益管理人を手配した過去の自分を褒めてやりたい。
あの厳しいフロスの選別を潜り抜ける者はどれほどいるのかと、ライズは逆に楽しみに感じているのだった。




